天ぷらは室町時代末期にポルトガルから伝わった揚げ物の調理法が、江戸時代に屋台料理として洗練されて生まれた料理です。現在の天ぷらのスタイルが確立するまでには、外来の技術と日本独自の工夫が組み合わさった長い変遷があります。
天ぷらの歴史——年表
ポルトガルからの伝来から、現代の天ぷら文化が定着するまでの流れをまとめています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 16世紀後半(1543年〜) | ポルトガル人が来日。精進揚げ「peixinhos da horta(ペイシーニョス・ダ・オルタ)」の調理法が伝わる |
| 江戸時代前期 | 揚げ物料理として各地で調理されるが、まだ現代の天ぷらとは異なるスタイル |
| 江戸時代中期(18世紀) | 江戸の屋台で海老・魚介の天ぷらが庶民の食べ物として広まる。現代のスタイルに近づく |
| 江戸時代後期 | ごま油で揚げる江戸前天ぷらが確立。江戸四大料理の1つに数えられるようになる |
| 明治〜大正 | 料亭・高級店でも提供されるようになり、庶民食から格式ある料理へと地位が上がる |
| 現代 | 専門店・定食店・コンビニまで幅広く普及。海外でも「TEMPURA」として知られる日本料理の代表格に |
江戸時代には屋台のファストフードとして親しまれていたのが、現代では高級料理のイメージも持つ料理に変化した点が天ぷらの面白いところです。
発祥——ポルトガルの精進揚げが起源
「テンポーラ」から「天ぷら」へ
天ぷらの名称の由来として有力な説は、ポルトガル語の「Têmporas(テンポーラス)」です。これはキリスト教の四季の斎日(さいじつ)を指す言葉で、その期間に肉を避けて野菜や魚を食べる習慣と結びついた揚げ物料理が日本に持ち込まれたとされています。
伝来したのは16世紀後半、ポルトガル人宣教師や商人が日本に到来した時代のことです。ポルトガルには「peixinhos da horta(ペイシーニョス・ダ・オルタ)」という、野菜を衣で包んで揚げる料理があり、これが天ぷらの原型になったと考えられています。
江戸の屋台で庶民の食べ物に
現代に近い天ぷらが広まったのは江戸時代中期のことです。江戸(現在の東京)では、隅田川近くの屋台で海老や魚介類を衣で揚げた料理が人気を集めました。当時は立ち食いのファストフードとして、現在の100円ショップ感覚で食べられていたとされています。
江戸前天ぷらの特徴はごま油で揚げること。豊かな風味と香ばしさが加わり、シンプルな素材の味を引き立てます。揚げたてを串に刺してその場で食べるスタイルが主流でした。江戸四大料理(天ぷら・寿司・うなぎ・蕎麦)の1つとして位置づけられるほど、江戸の食文化に根づいていきました。
天ぷらの特徴——衣と揚げ方の違い
天ぷらは「薄い衣で素材を包んで揚げる」点が、他の揚げ物と大きく異なります。代表的な揚げ物との違いをまとめました。
| 料理 | 衣の特徴 | 揚げ方 |
|---|---|---|
| 天ぷら | 薄い水溶き衣(小麦粉+水)、あえてダマを残す | 高温・短時間でさっくり |
| フライ | 小麦粉→卵→パン粉の3段階 | 中温でじっくり |
| 唐揚げ | 片栗粉または小麦粉のみ | 二度揚げで外カリ中ジュワ |
天ぷらの衣は「混ぜすぎない」のが鉄則とされています。グルテンが形成されると衣が重くなるため、粉と水を軽く合わせてあえてダマを残す。この「未完成」に見える状態が、さっくりとした食感を生み出す技術なのです。

豆知識——「天ぷら」が和食の代名詞になった理由
徳川家康も天ぷらを食べていた?
江戸幕府を開いた徳川家康(1543〜1616年)が鯛の天ぷらを食べて体調を崩し、それが死因の一因になったという説が古くから語られています。ただし現代の研究では食中毒説や他の病因説もあり、真偽は定かではありません。いずれにせよ、天ぷらが当時すでに武将の食卓に上っていたことを示す逸話として知られています。
関東と関西で衣の厚さが違う
天ぷらは関東と関西で衣のスタイルが異なります。関東(江戸前)は薄くさっくりした衣が主流で、ごま油の風味を生かす傾向があるのです。一方、関西では衣をやや厚めにする店も多く、だし汁で食べるスタイルも根づいています。「天ぷら」と「かき揚げ」の使い分けも地域によって異なるなど、一口に「天ぷら」といっても地域差があります。
ポルトガルの精進揚げが日本に渡り、江戸の屋台で磨かれて現在の天ぷらになりました。400年以上かけて日本の食文化に溶け込んだ料理が、今では海外で「TEMPURA」として日本の代名詞になっているのは、長い年月をかけた食文化の交流の面白さといえるでしょう。


