あんみつの起源と歴史 — 明治・銀座の「みつ豆」から、あんこをのせた昭和の発明まで

雑学・教養
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寒天にあんこ、白玉、果物をのせて黒蜜をかける「あんみつ」。和菓子の中でも歴史が古そうな見た目ですが、実は誕生したのは20世紀の銀座でした。今の形になるまでには、ふたつの甘味が組み合わさる過程がありました。

年表で見る、あんみつが生まれるまで

あんみつがたどってきた道のりを、年表で確認します。

時代できごと
1903年(明治36年)菓子店「舟和」が、豆と寒天に蜜をかけた「みつ豆」を考案
1930年(昭和5年)銀座「若松」の2代目が、みつ豆にこしあんと黒蜜を加えた「あんみつ」を考案
戦後喫茶店や甘味処を通じて大衆化が進む
1950〜70年代缶詰フルーツや粉寒天が普及し、家庭でも作られるようになる
昭和30年代以降アイスクリームをのせた「クリームあんみつ」などの派生メニューが広がる
現代豆乳寒天やチーズを使った進化系あんみつが登場

それぞれの出来事の背景を、ここから掘り下げます。

「みつ豆」と「あんみつ」、ふたつの甘味が生まれた経緯

1903年、「舟和」が考案した「みつ豆」

あんみつの土台となったのは、1903年(明治36年)に菓子店「舟和」が考案した「みつ豆」です。茹でた赤えんどう豆と寒天、求肥や果物を器に盛って蜜をかけたこの甘味は、豆が主役という当時珍しいスイーツでした。

1930年、銀座「若松」の店主があんこを乗せた

みつ豆が広まってから約30年後の1930年(昭和5年)、銀座でしるこ屋を営んでいた「若松」の2代目・森半次郎が、常連客の「もっと甘いものが食べたい」という声に応えました。みつ豆に自家製のこしあんと黒蜜を加えたこの一品が「あんみつ」と名づけられ、今に続くスタイルの原型になったのです。

戦後、喫茶店を通じて広まった大衆化の道のり

女性向けデザートとして喫茶店文化に定着

戦後、洋菓子文化が広がる一方で、和の甘味を懐かしむ流れもありました。あんみつは喫茶店や甘味処のメニューに加わり、女性向けの軽食やデザートとして人気を集めるようになります。和の落ち着いた雰囲気を演出する一品として、長く親しまれてきました。

缶詰フルーツと粉寒天が、家庭での再現を後押し

1950〜70年代になると、家庭用の缶詰フルーツや白玉粉、粉寒天が普及しました。寒天を一から煮出す必要がなくなり、家庭でもあんみつを手軽に再現できるようになったことが、定番化を後押ししたといわれています。

豆知識:あんみつをめぐる小ネタ

「クリームあんみつ」は、あんみつの派生メニュー

あんみつにアイスクリームを添えた「クリームあんみつ」は、和の甘味処と喫茶店文化が結びついて生まれた派生メニューです。あんことアイスという組み合わせは、和と洋の折衷スイーツとして若い世代にも親しまれてきました。

添える果物に缶詰が多いのは、戦後の事情から

あんみつに添えられるみかんやパイン、さくらんぼは缶詰であることが多いです。常温で保存でき、大量に提供しやすいことが、戦後の飲食業にとって扱いやすい理由でした。その名残が、今のあんみつにも残っています。

寒天は海藻由来、ほぼノーカロリーの甘味

あんみつの主役のひとつである寒天は、テングサなどの海藻から作られ、食物繊維が豊富でカロリーもほぼゼロです。あんや蜜の量を調整すれば、和スイーツの中でも比較的軽く楽しめる一品になります。

関東と関西では、蜜やあんの好みに違いがある

関東では黒蜜とこしあんを使うあんみつが好まれる一方、関西では白蜜や粒あんを使う店が多いといわれています。同じ「あんみつ」という名前でも、地域ごとの味覚に合わせて少しずつ違う形に育ってきたようです。

明治の終わりに「舟和」が生み出したみつ豆は、昭和の銀座であんこと出会い「あんみつ」になりました。戦後の喫茶店文化を経て、家庭でも作れる定番の甘味として広まっていったのです。

つるんとした寒天とあんこの組み合わせには、明治・昭和・戦後という三つの時代の工夫が積み重なっています。