サンタクロースが空を飛ぶのは、19世紀のはじめにニューヨークで書かれた数冊の本が作った設定です。1809年の風刺小説で聖ニコラスは荷馬車に乗って木のこずえの上を越え、1821年の子ども向け絵本では一頭のトナカイがそりを引きました。8頭に名前が付いて屋根の上まで舞い上がるのは、1823年に地方紙へ載った一篇の詩からです。
つまり飛ぶサンタには、乗り物が三度替わった歴史があります。シベリアのシャーマンの儀式に起源を求める有名な説もありますが、こちらは歴史学者の評判がよくありません。足された順に追っていくと、当たり前だと思っていた場面が誰の手で書き込まれたのかが見えてきます。
サンタが空を飛ぶまでの130年

飛行にまつわる設定が出そろうまでの流れを、先に並べておきます。
| 年 | 起きたこと |
|---|---|
| 1809年 | ワシントン・アーヴィングの風刺小説で、聖ニコラスが荷馬車に乗って木のこずえの上を飛ぶ |
| 1821年 | 絵本『子どもの友』に、そりを引く一頭のトナカイが描かれる |
| 1823年 | 地方紙トロイ・センチネルに匿名の詩が載り、8頭のトナカイに名前が付く |
| 1863〜1886年 | トーマス・ナストが雑誌に描き続け、北極の工房という舞台が加わる |
| 1931年 | コカ・コーラの広告にハドン・サンドブロムの赤いサンタが登場する |
| 1939年 | 百貨店の販促用絵本からルドルフが9頭目として生まれる |
飛ぶ力そのものは最初の1809年から備わっていました。後から替わったのは乗り物と頭数、そして服の色です。トナカイは主役の座を最初から持っていたわけではなく、12年遅れて登場した後発の配役でした。
最初に空を飛んだサンタは何に乗っていたのか

1809年、木のこずえの上を越えていった荷馬車
飛ぶ聖ニコラスが活字になった最も古い例として挙げられるのは、作家ワシントン・アーヴィングが1809年に出した『ニューヨーク史』です。オランダ人が築いた植民地時代をふざけた調子で語り直した本で、登場人物が見る夢の場面に聖ニコラスが出てきます。
そして賢者オロフは夢を見た。見よ、善き聖ニコラスが木々のこずえの上を越えてやってくる。毎年子どもたちに贈り物を届けるときの、あの荷馬車に乗って。(『ニューヨーク史』第2巻第5章、筆者訳)
そりでもトナカイでもなく、荷馬車です。しかもこの場面で聖ニコラスは降りてきてパイプをふかし、煙で町の未来を占って見せてから、また荷馬車に乗って木々の上へ帰っていきます。現代のサンタの豪快さとは少し違う、のんびりした飛行でした。
独立から33年の国で、オランダの守護聖人が担ぎ出された理由
アーヴィングがこの本を出した1809年のニューヨークは、移民が急増して古い住民の影が薄くなっていた時期にあたります。オランダ系の旧家にとって聖ニコラスは自分たちの来歴を示す看板であり、アーヴィングはその感覚をからかい半分で持ち上げました。聖人は信仰の対象からアメリカの土着キャラクターへと、ここで一歩ずれたことになります。
本そのものは歴史書のふりをした冗談です。ところが冗談として書かれた細部のほうが、後の世代には本物の言い伝えのように受け取られていきました。
鼻の横に指を当てる仕草は14年後の詩へ受け継がれた
この夢の場面で、聖ニコラスは去り際に「鼻の横に指を当てて(laying his finger beside his nose)」意味ありげな目配せをします。この仕草は1823年の詩にも、ほぼ同じ言い回しで出てきます。偶然の一致にしては近すぎる表現で、詩の作者がアーヴィングを読んでいた証拠としてよく引き合いに出されるところです。
煙突を上がる直前の小さなしぐさが、14年の時間をまたいで一冊の冗談本から受け継がれていた。サンタの細部は、こうした手渡しの積み重ねでできています。
白馬で屋根を渡るオランダのシンタクラース
ここで持ち出された聖ニコラスの背後には、オランダのシンタクラースの習慣があります。こちらの聖人は白い馬に乗り、家々の屋根を渡って贈り物を配るとされてきました。乗り物はトナカイでも荷馬車でもありませんが、屋根の上を行くという発想はここにも共通しています。
贈り物を靴に入れる形はどこから来たか
オランダでは12月5日の夜に、子どもが暖炉のそばへ靴を置いて寝る習わしがあります。翌朝そこへ菓子や小さな品が入っているという形で、アメリカの靴下とほぼ同じ役割を果たしてきました。置く物が木靴から靴下へ替わっただけで、「履き物を器に使う」という奇妙な作法そのものは大西洋を越えて残ったことになります。
屋根と煙突の絵が固まったのは1850年の絵本から
意外なのは、オランダ側の「屋根を渡る」場面が絵として定着した時期です。現在よく知られる形は1850年にヤン・スヘンクマンが出した子ども向けの本で広まったとされ、アメリカの詩より四半世紀も後にあたります。本家に見えるほうが後から整ったという逆転は、クリスマスの習慣ではよく起きます。
古そうに見える伝統の多くは、19世紀の印刷物が形を与えたものです。口伝えだけで残っていた部分と、本が決めた部分を分けて考えたほうが実態に近くなります。
八本脚の馬スレイプニルという説の弱点
白馬つながりで持ち出されるのが、北欧神話のオーディンです。八本脚の馬スレイプニルに乗って冬の空を駆ける姿が、8頭のトナカイの原型だという説になります。ただし北欧神話の研究者からは、この結び付けに根拠が乏しいと指摘されてきました。
オーディンが身に着けているのは灰色や青で、赤ではありません。贈り物を渡す相手も子どもではなく、戦場へ送り出す男たちです。そもそも8頭という数え方自体が1823年の詩から始まっているので、影響の向きが逆になってしまいます。
1821年、そりを引く一頭のトナカイが現れる
トナカイが初めて姿を見せるのは、1821年にニューヨークの出版業者ウィリアム・B・ギリーが売り出した小さな絵本『子どもの友』です。作者も画家も名前が伝わっていません。表紙をめくると、一頭のトナカイがそりを引く絵が現れます。
「煙突の上を越えて」と書かれた最初の一行
この絵本の冒頭には、サンテクロースがトナカイを駆って「煙突の上と雪原を越えて(O’r chimney tops, and tracts of snow)」やってくると書かれています。クリスマスイブに来るという時期の指定も、ここが最初です。トナカイ・そり・煙突・クリスマスイブという四つの道具立てが、1823年の詩よりも2年早くそろっていました。
アメリカ初の石版印刷という説がつく絵本
『子どもの友』には8枚の色付きの図版が入っていて、アメリカで刷られた最初期の石版印刷とされることがあります。挿絵が売り物の薄い本だったからこそ、文字だけの詩より先に「絵で見せる」ことができたわけです。ただし部数は限られ、この本が直接広めた影響は大きくありません。
先に思いついた側が有名になるとはかぎりません。2年後に出た匿名の詩が、この絵本の道具立てを丸ごと引き受けて世界へ運ぶことになります。
1823年の詩は何を決定づけたのか

匿名でトロイの地方紙に載った一篇
1823年12月23日、ニューヨーク州トロイの新聞トロイ・センチネルが「聖ニコラスの訪問の記(Account of a Visit from St. Nicholas)」という詩を載せました。作者名はありません。編集長は前書きで、この詩の「心からの善意の精神」と「空想の遊び心」を褒めています。
友人が持ち込んだという経緯
詩は作者本人ではなく、知人が新聞社へ持ち込んだと伝えられています。掲載は家庭向けの季節の読み物という扱いで、大きく構えた発表ではありませんでした。それが転載に次ぐ転載で広がり、190年以上にわたって刷り直され続けています。
作者の名前が活字に出るまで14年
クレメント・クラーク・ムーアの名前が印刷物で結び付けられたのは1837年、掲載から14年後のことでした。書いた時期は前年の1822年とする資料が多く、出典によって1822年と1823年が混在しています。作られた年と活字になった年が違うためで、新聞掲載の日付だけは一次資料ではっきりしています。
8頭のトナカイに名前が付いた
この詩の最大の発明は、トナカイを8頭に増やして一頭ずつ名前で呼んだことです。個体名が付いた瞬間に、そりは乗り物から「登場人物の群れ」になりました。子どもが暗唱できる形になったのも、名前が並んだおかげです。
ダンダーとブリクセムはオランダ語の雷と稲妻
1823年の紙面に並んだのは、ダッシャー・ダンサー・プランサー・ヴィクセン・コメット・キューピッド、そしてダンダーとブリクセムという8つの名前です。最後の2頭はオランダ語の donder(雷)と bliksem(稲妻)にあたります。ニューヨークに残っていたオランダ語の気配が、トナカイの名前という形で紛れ込んでいました。
ドナー・ブリッツェンへ改名された経緯
この2頭はその後の版でドナー、ブリッツェンと綴りを変えられ、今ではドイツ語寄りの発音で定着しています。歌や絵本が版を重ねるたびに、読みやすい形へ少しずつ寄っていった結果です。原典を見ると、私たちが知っている名簿は写し間違いと手直しの産物だとわかります。
屋根・煙突・靴下が一つの場面にまとまった
「そりは家の屋根の上まで飛んでいった(So up to the house-top the coursers they flew)」という一行で、そりは完全に空へ上がりました。そこから煙突を下り、暖炉のそばの靴下に品を詰め、また煙突を上がって去る。ばらばらに存在していた要素が、この詩で一続きの場面になります。
丸くて陽気という人物像もここで決まった
詩のサンタは小さくて丸く、笑うと腹が揺れる「陽気な老いた小妖精」として描かれます。厳かな司教でも、罰を与える存在でもありません。怖さを抜いて愛嬌に振り切ったこの人物像が、その後200年の造形の土台になりました。
読み聞かせの形式が普及を後押しした
詩は軽快な韻律で書かれていて、声に出すと勢いがつきます。新聞や雑誌、一枚刷りのビラで繰り返し配られ、家庭で読み上げる季節の定番になりました。印刷費が安く暗唱しやすいという条件が、内容の面白さと同じくらい効いたわけです。
詩を書いたのはクレメント・ムーアなのか

14年後の名乗りと、もう一人の候補
作者をめぐっては、150年以上ほどけていない争いがあります。ムーアは神学者で、軽い読み物を書いた人物として知られていませんでした。対する候補はヘンリー・リビングストン・ジュニアというオランダ系の詩人です。
本人は一度も名乗らないまま亡くなった
リビングストンは詩が出た5年後の1828年に亡くなり、生前に作者だと主張したことはありません。家族が本格的に異議を唱え始めたのは、ムーアの名が広く結び付いた後のことでした。証言が後追いである以上、この時点で決着は望めません。
オランダ語の名前という手がかり
リビングストン側がよりどころにするのが、ダンダーとブリクセムというオランダ語の名前です。オランダ系の家に育った詩人なら自然に出てくる語で、神学者のムーアには結び付きにくいという見立てになります。ただしニューヨークでオランダ語が珍しくなかった時代なので、決め手にはなりません。
計量文献学が出した答え
20世紀の終わりから、文章の癖を数える手法でこの問題に挑む研究が続いています。どちらの説も一次資料では固められないため、残された作品の統計に頼るしかないという事情があります。
※ 計量文献学とは、語の選び方や文の長さといった書き手の癖を数値で比べ、作者が誰かを推定する研究分野のことです。
2000年のドン・フォスターによる分析
ヴァッサー大学の英文学者ドン・フォスターは2000年に、この詩の文体がムーアよりリビングストンに圧倒的に近いと発表しました。ムーアの他の作品に見られる硬さや説教くささが、この詩には出てこないという指摘です。発表当時は大きな話題になりました。
音韻を数えたマクドナルド・ジャクソンの再検証
オークランド大学の名誉教授マクドナルド・ジャクソンは、2016年の著書で別の角度から検証しています。音素の出方や形容詞の使い方、韻を踏む語の品詞といった指標を突き合わせ、やはりリビングストン側に傾くと結論しました。シェイクスピア研究で知られる作者判定の専門家による検証です。
二つの説が主張していること
両者の言い分を並べると、争点がどこにあるかがはっきりします。
| 論点 | ムーア説 | リビングストン説 |
|---|---|---|
| 本人の言明 | 1837年以降に作者として名乗った | 生前に一度も名乗っていない |
| 同時代の証拠 | 自作の詩集に収録している | 家族の証言のみで原稿が残らない |
| 文体の統計 | 他の作品と癖が合わないとされる | 2000年と2016年の分析が支持する |
| 弱点 | 作風が詩と大きく違う | 物証が後世の証言に偏る |
名乗った側に書類があり、名乗らなかった側に統計が味方する。どちらも欠けた部分を相手が埋めてくれないため、研究者の多くは決着しないだろうと考えています。
赤い服と北極の工房はどこで付け足されたのか

トーマス・ナストが24年かけて描いたサンタ
詩が決めたのは筋書きで、見た目を決めたのは絵でした。その役を担ったのが、風刺画家トーマス・ナストです。1863年から1886年まで、雑誌ハーパーズ・ウィークリーにクリスマスの絵を33点描いています。
1863年の「野営地のサンタクロース」
最初の一枚は1863年1月3日号に載った、南北戦争の北軍の陣地を訪ねるサンタの絵でした。このときの服は星模様の上着に縞のズボンで、星条旗をそのまま着たような姿です。赤い服はまだ決まっていません。
北極の工房と手紙の宛先
サンタが北極に住み、おもちゃの工房を構えているという設定もナストの絵から広まりました。1866年の連作で工房の様子が描かれ、子どもの手紙の宛先が具体的な場所を得ます。詩が触れていなかった「ふだんの暮らし」を絵が埋めた形です。
コカ・コーラは赤を発明していない
赤い服はコカ・コーラの広告が作った、という話をよく聞きます。1931年にハドン・サンドブロムが描いた広告のサンタが世界中へ広がったのは事実です。ただし白い縁取りの赤い服に太いベルトという姿は、それ以前の挿絵にいくらでも見つかります。
広告が果たしたのは統一と反復
19世紀の挿絵では、緑や茶色や青の服を着たサンタも描かれていました。コカ・コーラがしたのは色を変えることではなく、一つの図柄を大量の媒体で毎年くり返すことです。その反復によって、赤以外の選択肢が静かに消えていきました。
小妖精から隣のおじいさんへ
サンドブロムの功績としてよく挙げられるのは、色よりも体格のほうです。それまでの小妖精じみた姿から、等身大で人間らしい温かみのある老人へと描き直しました。今のサンタ像が「知らないおじさん」ではなく「近所のおじいさん」に見えるのは、この転換の名残です。
シベリアのシャーマン説はどこまで確からしいか

ベニテングタケと「飛ぶ」体験という筋書き
サンタの原型はシベリアのシャーマンだ、という説を聞いたことがある人は多いはずです。赤い傘に白い斑点のベニテングタケを使う儀式があり、そこで「飛ぶ」感覚を得たという筋書きになっています。赤と白、トナカイ、煙突といった要素が符合して見えるのが人気の理由です。
※ ベニテングタケとは、赤い傘に白い斑点がある毒キノコのことです。向精神作用のある成分を含み、北方の一部地域で儀式に用いられたと報告されています。
広まったのは1967年の一冊から
この説の出どころは意外に新しく、1967年に在野の研究者R・ゴードン・ワッソンが出した本にさかのぼります。ワッソンはベニテングタケが古代の儀式で使われたと論じ、後続の書き手がシベリアのトナカイもこのキノコを食べると付け加えました。人も獣も幻を見るのだから、飛ぶトナカイの起源はこれだろうというわけです。
ハーバードで続く恒例の講義
ハーバード大学のファーロウ標本館では、菌類学者ドナルド・フィスターがこの話を毎年の恒例講義にしています。展示ケースには赤いキノコの形のクリスマス飾りとサンタの人形が並べてあるそうです。「トナカイは本当に飛んでいるのか、それとも見ている側の感覚がそう告げているのか」という問いかけで語られます。
季節の余興として広がった経緯
この説がまず根を張ったのは、歴史学ではなく菌類学まわりの読み物でした。2010年にはアメリカの公共ラジオNPRがクリスマスの特集として取り上げ、一般の耳にも届きます。季節に合う小話として扱われるうちに、出どころの怪しさが落ちて事実のような顔になっていきました。
歴史学者が挙げる四つの食い違い
シベリアのシャーマニズムを実地に調べてきたブリストル大学の歴史学者ロナルド・ハットンは、この説を正面から否定しています。ハットンが挙げる食い違いは四つです。
- シャーマンはそりで移動しない
- ふだんトナカイの精霊を扱わない
- 幻を見るためにキノコを使うことはごくまれ
- 赤と白の衣装を着ていない
贈り物を配る役でもなかった
さらにハットンは、シャーマンが家々を回って贈り物を配る存在でもなかったと付け加えています。一致しているように見えたのは赤と白という色の印象だけで、行動の型はほとんど重なりません。「私たちが知って愛しているサンタクロースは、ニューヨークの人間が発明したものだ」というのが結論です。
支持する側の反論
説を支持する研究者は、シャーマンがトナカイの精霊を扱った例もキノコの使用記録もあると反論しています。とはいえ個別の事例が見つかることと、サンタの起源だと示すことのあいだには距離があります。時系列で見れば、飛ぶサンタは1809年のニューヨークですでに荷馬車に乗っていました。
12月に角のあるトナカイはメスかもしれない

オスは初冬に角を落とす
絵本のトナカイは、たいてい立派な角を生やしています。ところが実際のトナカイのオスは、11月の終わりから12月半ばにかけて角を落としてしまいます。角を保ったまま冬を越すのはメスのほうです。
メスが角を残す理由は餌場の確保
メスは春に子を産むまで角を持ち続け、雪の下のコケを掘り当てた餌場を他の個体から守るのに使います。厳しい季節に身重で過ごすための装備というわけです。クリスマスの夜に角のあるトナカイが8頭そろっているなら、全員メスだった可能性が高いことになります。
去勢したオスという別の可能性
ただし断定はできません。去勢されたオスは角を落とす時期がずれ、冬のあいだ体調も保ちやすいそうです。そりを引く役として人が選ぶなら、むしろこちらのほうが自然だという見方も成り立つでしょう。
ルドルフは1939年の販促品から生まれた
9頭目として有名な赤鼻のルドルフには、詩ともシャーマンとも関係のない出自があります。1939年、シカゴの百貨店モンゴメリー・ウォードの社内コピーライターだったロバート・L・メイが、店に来た子どもへ配る無料の絵本のために考えた主人公でした。
赤い鼻に会社が難色を示した
当初、会社側は赤い鼻が酔っぱらいを連想させると渋ったと伝えられています。メイは子どもがこの頼りない主人公に自分を重ねるはずだと押し切りました。その年のクリスマス商戦だけで、およそ240万部が配られています。
名付けの候補はロロとレジナルドだった
メイは主人公の名をロロやレジナルドにすることも考え、最後にルドルフを選びました。4歳の娘がシカゴのリンカーン・パーク動物園でシカを気に入っていたことが、動物を選ぶきっかけになったそうです。世界中で歌われる名前が、百貨店の集客企画と娘の好みから決まったことになります。
荷馬車から始まり、一頭のトナカイが引いた。やがて8頭に名前が付き、赤い服と北極の工房が加わり、最後に9頭目が販促品として生まれる。サンタクロースが空を飛ぶ理由は神話でも信仰でもなく、130年かけた書き足しの積み重ねでした。今年の12月も、増築を重ねた乗り物が夜空を通ります。
参考
- Washington Irving, A History of New York (1809) — Project Gutenberg
- Troy Sentinel, 1823年12月23日「Account of a Visit from St. Nicholas」原文 — Wikisource
- NPR「Did ‘Shrooms Send Santa And His Reindeer Flying?」(2010)
- The Public Domain Review「A Pictorial History of Santa Claus」
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