サンタクロースが子どもにしか来ないのは、サンタが「信じている人のところにしか行けない」存在だからです。イギリスの大学が世界の1,200人に聞いた調査では、信じるのをやめる年齢の平均は8歳ちょうどでした。贈り物そのものは大人にも届いています。日本でも、パートナーにクリスマスプレゼントを贈る予定がある大人は5人に1人を超えました。入れ替わったのは中身ではなく、差出人の名前のほうです。
もうひとつ意外なのは、サンタの原型になった聖ニコラウスが最初に助けた相手でしょう。子どもではありません。貧しさのために結婚できずにいた、三人の姉妹でした。「子ども限定」という枠は、後から少しずつ足されていったものなのです。
サンタが来なくなるのは何歳ごろか

平均8.03歳という調査結果
「いつサンタが来なくなるのか」には、意外にも実測値があります。イギリスのエクセター大学が2018年12月に公表した「サンタ調査」は、この問いを正面から数えた初めての国際的な学術調査でした。
1,200人に聞いた国際調査
調査を率いたのは、同大学のクリス・ボイル教授です。世界各国の大人1,200人に「何歳で気づいたか」を尋ねたところ、イングランドの平均は8.03歳、スコットランドの平均は8.58歳でした。地域による半年ほどの差はあるものの、「おおむね8歳」という線はどこでもよく似た位置に落ち着きます。
小学校に上がって2、3年。ちょうど、そりが空を飛ぶには何が必要かを自分で計算しはじめる時期にあたります。
気づいた日に三割が受けた動揺
同じ調査は、真相を知ったときの気持ちもあわせて聞いています。「動揺した」が33%、「裏切られたと感じた」が15%、「腹が立った」が10%という結果でした。
数字だけ見れば、三分の二は大きく傷ついてはいません。それでも三人に一人が揺さぶられるのですから、子どもにとってこれは小さな出来事ではないのでしょう。
信じることが受け取りの条件になっている
サンタは、年齢で線を引いているわけではありません。線を引いているのは受け取る側です。信じている間だけサンタは実在し、信じなくなった瞬間に「親が置いた箱」へ姿を変えます。
知っていて信じるふりをした65%
エクセター大学の調査で目を引くのは、別の数字のほうかもしれません。回答者の65%が、真相を知ったあとも子どもとして信じているふりを続けていたのです。
親をがっかりさせたくない子もいたでしょうし、打ち明けたら贈り物が止まると計算した子もいたはずです。いずれにせよ多くの子どもは、真相を知った翌年もしばらくは「知らないことにする」側に立っていました。
受け取る側から配る側へ回る日
信じるのをやめた子どもは、やがて弟や妹の枕元へ箱を置く役に回ります。そして親になれば、今度は自分がサンタそのものを担当することになるでしょう。サンタの卒業とは、受け取りの停止ではなく配役の交代なのです。
「大人にはサンタが来ない」という言い方は、だから半分だけ正しいことになります。来ないのではありません。大人のほうがサンタになっているのです。
大人の贈り物が消えたわけではない
サンタが来なくなった大人は、本当に手ぶらのままでしょうか。日本の数字を見るかぎり、そうでもありません。
パートナーへ贈る予定がある人は23.3%
楽天インサイトが2024年11月に全国の20〜69歳1,000人へ行った「クリスマスに関する調査」では、パートナーにプレゼントを贈る予定がある人が233人、もらう予定がある人が205人いました。全体の2割強が、大人どうしで箱をやり取りしている計算になります。
贈りたい品の1位は「衣類」で12.0%、もらいたい品の1位は「アクセサリー」で14.6%。おもちゃが主役の座から外れただけで、贈り物という行為そのものは大人の側にもしっかり残っています。
サンタの原型が最初に助けたのは誰か

聖ニコラウスと三姉妹の持参金
サンタクロースの原型は、4世紀ごろに小アジアのミラという町で司教を務めた聖ニコラウスだと伝えられています。その名を有名にした逸話の受け手は、子どもではありませんでした。
※ 持参金(じさんきん)とは、結婚するときに花嫁側が相手の家へ持っていくお金や財産のことです。これが用意できないと結婚そのものが成立しない地域が、かつては広くありました。
窓から投げ込まれた三つの金の袋
貧しさのどん底にいた父親には、結婚できる年ごろの娘が三人いました。持参金がないため誰も嫁がせられず、このままでは娘たちを売り払うほかないところまで追い詰められます。
それを知ったニコラウスは、夜のうちに金貨を詰めた袋を窓から投げ入れました。同じことを三晩くり返し、三人とも結婚できたと語り継がれています。三晩目にようやく父親に見つかった聖人は、感謝は自分ではなく神へ向けるようにと頼んで立ち去りました。
暖炉の靴下に落ちたという後付けの説明
投げ込まれた金袋は、暖炉のそばで乾かしてあった靴下に入った。靴下を吊るす習慣はこの場面から生まれたのだと、よく説明されます。
ただし靴下が出てくるのは比較的あとの版で、金の袋が金の玉に変わったり、オレンジとして描かれたりもします。話のほうが習慣に合わせて育っていった、と見るほうが自然でしょう。いずれにせよ出発点にいるのは、プレゼントを待つ子どもではなく、行き場を失いかけた大人の姉妹でした。
守護聖人としての広い守備範囲
ニコラウスは「子どもの守護聖人」として知られていますが、その肩書きは一つではありません。
※ 守護聖人(しゅごせいじん)とは、ある職業・土地・人々の集まりを見守る役目を与えられた聖人のことです。
船乗りと商人も守った聖人
ニコラウスが守るとされた相手は、子どもだけではありません。船乗り・商人・旅人、さらには質屋までが守備範囲に入ります。三つの金の玉が質屋の看板になったのはニコラウスに由来する。そんな説もよく紹介されますが、確かめようのない言い伝えの域を出ません。
海の守り手でもあり、金銭の守り手でもある。子どもだけを見ていた聖人という像のほうが、むしろ後年の要約なのです。
12月6日という、もうひとつの贈り物の日
ヨーロッパの一部では、贈り物が届くのは12月25日ではなく12月6日の聖ニコラウスの日です。オランダのシンタクラースがその代表で、アメリカへ渡った移民たちが持ち込んだこの呼び名が、のちに「サンタクロース」へ変わっていきました。
クリスマスと贈り物が同じ日に重なったのは、比較的新しい出来事だったわけです。
「子ども限定」の形はいつ固まったのか

1823年の詩が現在の型を作った
今日わたしたちが思い浮かべるサンタ像は、たった一篇の詩からほとんど出来上がっています。1823年12月23日、ニューヨーク州トロイの地方紙トロイ・センチネルに作者名なしで載った「聖ニコラウス来訪記」がそれです。
「子どもたちのたゆまぬ守護者」という紹介文
掲載にあたり、編集者のオーヴィル・ホーリーは短い前書きを添えました。そこでサンタは「子どもたちのたゆまぬ守護者」であり、「親の優しさを素朴に、けれども楽しく体現したもの」と紹介されています。
子どもたちのたゆまぬ守護者——素朴ではあるが心たのしい、親の優しさの化身(トロイ・センチネル1823年12月23日、編集者前書き、筆者訳)
200年前の時点で、サンタはすでに子どもの側の存在として読者へ手渡されていたことになります。
煙突と靴下とトナカイが一篇に揃う
この詩の書き出しは「クリスマスの前の晩、家じゅうで誰ひとり動かず、ネズミ一匹すら動かなかった」。三行目にはもう「靴下は暖炉のそばに、丁寧に吊るしてあった」が出てきます。眠る子どもたち、屋根に降りるそり、煙突から現れる贈り主。私たちが知っている道具立ては、ここでほぼ出そろいました。
作者がクレメント・クラーク・ムーアだと印刷物で示されたのは1837年、本人が自分の詩集に収めたのは1844年のことです。匿名で出た詩のほうが、名乗りより先に広まってしまったわけです。
23年分の挿絵が姿を決めた
詩が形を与えたサンタに、目に見える姿を与えたのは一人の風刺画家でした。
南北戦争の陣中に現れたサンタ
トマス・ナストが描いた最初のサンタは、1863年1月3日号の『ハーパーズ・ウィークリー』表紙を飾った「陣中のサンタクロース」です。舞台はクリスマスの子ども部屋ではなく、北軍の野営地でした。兵士たちに贈り物を配るサンタという構図には、戦意を支える意図もあったとされています。
ナストはここから1886年まで、同誌に33点のクリスマス画を寄せました。ほぼ毎年、同じ人物を描き足していった計算になります。
北極の工房と名簿の追加
サンタが北極に住み、そこでおもちゃを作っているという設定は、ナストの絵が最初の記録だとされます。のちの絵では、親から届いた手紙を「よい子」の山と「悪い子」の山に分けて読むサンタも描かれました。
住所と工房と名簿。ここまで揃うと、サンタは物語の登場人物というより、子どもを対象にした一つの制度に近づきます。
サンタ像が固まるまでの四つの節目
ここまでの流れを並べると、「子ども限定」が一度に決まったのではないことが見てとれます。
| 時期 | 加わったもの |
|---|---|
| 4世紀ごろ | 聖ニコラウスが三姉妹へ持参金を贈る。受け手は大人 |
| 中世〜近世 | 12月6日に子どもへ贈り物を配る聖人の日が定着 |
| 1823年 | トロイ・センチネル掲載の詩が煙突・靴下・そりを揃える |
| 1863〜1886年 | ナストの挿絵が姿・北極の工房・名簿を描き足す |
「良い子」だけがもらえる決まりは誰が作ったのか

罰を配る役は別人が担っていた
「良い子にはプレゼント、悪い子には何もなし」。この決まりを作ったのはサンタ本人ではありません。聖人が罰を与えるのは具合が悪いため、ヨーロッパでは罰のほうを引き受ける相棒が別に用意されました。
クランプスとクネヒト・ループレヒト
相棒の顔ぶれは地域ごとに違います。角と長い舌を持つ怪物から、祈りの文句を言えない子を灰の袋で叩く使用人まで、役割の生々しさもさまざまです。
| 名前 | おもな地域 | 役どころ |
|---|---|---|
| クランプス | アルプス周辺のドイツ語圏 | 角と蹄を持つ姿で、いたずらな子を脅す |
| クネヒト・ループレヒト | ドイツ | 祈りを言えるか試し、言えなければ灰の袋で叩く |
| ズワルト・ピート | オランダ | 聖人の助手。悪い子は袋で連れて行くと歌われた |
秋田のなまはげと似た役割分担
脅す係と褒める係を分ける発想は、ヨーロッパだけのものではありません。秋田のなまはげも、泣く子を探して家を回りながら、最後は家の人ともてなしを交わして去っていきます。
怖い訪問者が年に一度だけ来て、子どもの行いを点検する。よく似た仕掛けが、遠く離れた土地で別々に育ってきたようです。
名簿という審査の装置
相棒が罰を配り、サンタが賞を配る。この分業が成り立つには、どちらへ振り分けるかを決める判定が要ります。
良い子と悪い子の手紙の山
その判定を目に見える形にしたのが、ナストの描いた手紙の山でした。「悪い子の親からの手紙」のほうが「良い子の親からの手紙」より高く積まれている、という皮肉まで添えられています。子どもの行いを親が報告し、サンタが集計する。贈り物は、そこを通った子だけに届く仕組みになりました。
これは贈り物であって、贈り物ではありません。条件を満たした者への報酬です。
大人が審査の外に出た理由
報酬の仕組みだと考えると、大人が外れた理由もはっきりしてきます。
しつけが終われば名簿も要らない
名簿は、行いを正す必要がある相手のために置かれた道具です。大人は自分の行いを自分で引き受ける前提になっているので、そもそも審査の対象になりません。良い大人にだけ贈り物が届く制度があったら、それはもう年末の人事評価でしょう。
サンタが大人を素通りするのは、冷たいからではなく、点検する用事がないからなのです。
「子ども時代」という考え方はいつからあるのか

アリエスの仮説と、それに対する反論
「昔は子どもを小さな大人として扱っていた」という説明を、どこかで読んだことがあるかもしれません。出どころははっきりしていて、そして今も決着していません。
中世に子ども期は無かったという主張
フランスの歴史家フィリップ・アリエスは1960年の著書『〈子供〉の誕生』で、中世社会には子ども期という観念が存在しなかったと論じました。絵画に描かれた子どもの顔つきや服装を主な手がかりに、近代になって初めて子どもが特別な存在になったと述べています。
400点超の日記を読んだ反論
この主張には強い反論があります。歴史家リンダ・ポロックは1983年の『忘れられた子どもたち』で、1500年から1900年までの日記や手紙、自伝を400点以上読み込みました。そこには子を案じる親の記述が途切れなく並んでおり、アリエスの言う断絶は見つからなかったといいます。
絵の描き方が変わったことと、親の気持ちが変わったことは同じではない。よく引かれる説ではありますが、定説として扱うにはまだ早い話です。
19世紀の家庭が行事の中心を移した
論争はさておき、クリスマスの側では実際に大きな移動が起きました。教会と街路の祝祭から、家の中の行事へという移動です。
贈り物が家の中の出来事になった
19世紀の英米では、クリスマスツリーを室内に立てて家族で食卓を囲む過ごし方が広まりました。1843年12月19日に出たディケンズの『クリスマス・キャロル』は、クリスマスまでの数日で6,000部を売り切っています。描かれていたのは教会でも街頭でもなく、貧しい一家の食卓でした。舞台が家庭へ移れば、いちばん喜ぶ人が主役になります。家の中で最も贈り物を喜ぶのは子どもですから、行事の焦点も自然にそちらへ寄っていきました。
1823年の詩が家の中の一夜を描いていたことも、この流れとよく噛み合っています。
日本のサンタはどこから来たのか

1900年に出た『さんたくろう』
日本でクリスマスが祝われた記録は古く、1552年に周防(すおう)の山口でトルレス神父がミサを行ったところまでさかのぼります。ただし、サンタが日本語の本に登場するのはずっと後のことでした。
主人公の名は三太九郎
1900年(明治33年)12月、教文館(きょうぶんかん)から進藤信義の『さんたくろう』が出ました。日本語で書かれた最初のサンタクロース物語とされる一冊です。主人公の名は三太九郎(さんたくろう)。音を漢字に当てはめた、いかにも明治らしい工夫でした。
国立国会図書館で今も読める
この本は保護期間が満了しているため、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。125年前の日本人がサンタをどう受け止めたのかを、原本の画像でそのまま確かめられるわけです。
ここでも贈り物の受け手は子どもでした。輸入されたのは姿かたちだけでなく、「子どもに配る」という枠組みごとだったことになります。
戦後に子ども向けの行事として広がった
クリスマスが信者以外の家庭へ入り込んでいくのは明治のなかばからで、本格的に広がるのは戦後です。国立国会図書館のレファレンス事例も、百貨店が飾りつけと売り出しを競い合ったことを普及の要因に挙げています。
街の飾りは大人も見ますが、店が売り込む相手は子ども連れの家族でした。宗教行事としてではなく家族で楽しむ季節の催しとして受け入れられたことが、日本のクリスマスの性格を決めています。
日本の大人が過ごすクリスマス
一方で、日本の大人がクリスマスから締め出されているかというと、数字はむしろ逆を示します。
パートナーと過ごす人が54.3%
先の楽天インサイトの調査では、その年のクリスマスを「パートナー(配偶者・恋人など)」と過ごす予定の人が54.3%で最も多く、「子ども・孫」は28.1%でした。60代女性にかぎると、パートナーと過ごす予定は65.0%まで上がります。
日本のクリスマスは、大人が大人のために過ごす夜としてもしっかり根づいているわけです。サンタが来ないだけで、その日が子どものものになっているわけではありません。
大人のところへ来る贈り物はどんな形か

自分で自分に贈る行為には研究名がある
サンタを待たなくなった大人が取る行動のひとつに、自分で自分へ贈り物を買うというものがあります。照れくさく聞こえますが、これは消費者研究の正式な対象です。
※ 自己贈与(じこぞうよ)とは、自分自身への贈り物として品物やサービスを買う行為を指す消費者研究の用語です。
1990年の消費者研究がつけた名前
デイヴィッド・ミックとミシェル・デモスは、1990年の『ジャーナル・オブ・コンシューマー・リサーチ』誌で自己贈与を四つの場面から分析しました。そこで描かれたのは、衝動買いとは別物の行為です。自己贈与はあらかじめ計画されており、しかも「どんなときに買うか」という文脈に強く縛られていました。
ご褒美型と、心を立て直す型
研究がとくに注目したのは二つの型でした。目標を達成した自分への報酬として買う型と、落ち込んだときに気持ちを立て直すために買う型です。
良い行いをした者に贈り物が届く。落ち込んだ子には慰めが届く。名簿を持ったサンタがやっていた仕事を、大人は自分で引き受けているとも読めます。
配る側に回るという受け取り方
もうひとつ、大人だけが手にする受け取り方があります。枕元に箱を置き、朝いちばんの声を隣の部屋で聞くという受け取り方です。
聖ニコラウスが三晩続けて金袋を投げ入れたときも、名乗りはしませんでした。見つかったときには、感謝は神へ向けてほしいと頼んで帰っています。贈った当人が受け取ったのは品物ではなく、翌朝の驚きのほうだったのでしょう。その意味では、原型のサンタからして「もらわない側」に立っていたことになります。
サンタが大人に来なくなるのは、資格を失ったからではありません。信じるのをやめた年に、私たちは受け取る席から配る側の席へ移っただけです。8歳のあの朝に失われたように見えたものは、席を替えて手元に残っていました。大人がもらえなくなった理由は、大人が配る側になった理由と、たぶん同じものです。
参考
- St. Nicholas Center「Three Impoverished Maidens」
- Troy Sentinel「Account of a Visit from St. Nicholas」1823年12月23日
- University of Exeter「First international academic Santa survey」2018年12月14日
- 国立国会図書館デジタルコレクション『さんたくろう』教文館 1900年
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