「イリイチの脱学校論」とは何か?—“学校は必要か”という根源的問い

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「イリイチの脱学校論」とは何か?—“学校は必要か”という根源的問い

イリイチとは何者だったのか

出自と宗教的背景:ラテンアメリカでの経験

イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)は1926年、オーストリア・ウィーンで生まれた思想家・司祭・教育批評家です。父はダルマチアのカトリック貴族、母はユダヤ系セファルディムという複雑な文化的背景を持ち、多言語環境で育ちました。戦後の混乱を経てアメリカに渡り、哲学・神学・歴史を学んだ彼は、のちにカトリック司祭としてプエルトリコやメキシコなどラテンアメリカで活動します。

このラテンアメリカでの宗教活動が、イリイチにとって「制度とは何か」「人は何によって自由を奪われているのか」という問題意識を深めるきっかけとなります。彼は次第に、教会や学校といった制度そのものが人間の自律性を奪っているのではないかと疑いを持つようになりました。

教育と制度に疑問を抱くまでの人生の流れ

1956年にはニューヨークでスペイン語系移民のためのカトリックセンターを主導。1961年にはメキシコに「文化文書研究センター(C.I.D.O.C.)」を設立し、ラテンアメリカの教育制度・開発援助の問題点を国際的に発信する拠点としました。

その活動のなかで、彼は「教育を受ける自由」が「学校という制度の内部でのみ可能である」という考えに強い違和感を持ちます。制度の外にある知や学びの価値を信じていたイリイチは、次第に「学校そのものを問う」という思想へと歩を進めていきます。

『脱学校の社会』が書かれた時代と文脈

1970年代初頭のアメリカとラテンアメリカの教育状況

『脱学校の社会(Deschooling Society)』が出版されたのは1971年。当時のアメリカでは公民権運動が収束し、ベトナム反戦やカウンターカルチャーが拡大していた時期でした。一方でラテンアメリカでは、冷戦下の開発政策の中で、教育制度が経済援助の道具として機能していた側面もあります。

イリイチは、こうした文脈のなかで教育制度が「人間を自律的にするどころか、従属的にしている」という矛盾に注目しました。教育はもはや学びのためではなく、社会的身分や労働力の管理に奉仕する制度へと変質していたのです。

既存制度へのカウンターカルチャーとしての文脈

『脱学校の社会』は、1960年代後半から台頭したオルタナティブ運動や、体制批判の思想的流れと呼応する書物でもありました。「学歴信仰」「制度への服従」「知の独占」に対するアンチテーゼとして、多くの知識人や活動家に衝撃を与えました。

イリイチが感じた学校制度の本質的問題

「学ぶこと」と「教えられること」の切断

イリイチは、学校という制度の最大の問題点として、「学ぶこと」が「教えられること」にすり替わってしまっている現状を指摘しました。人間は本来、自発的に学ぶ存在であるにもかかわらず、制度の中では“与えられた知識”を“教わる”ことが「学び」と定義されてしまう。この構造こそが、教育本来の自由性を奪っていると見たのです。

学校が生み出す依存構造と管理社会

学校は単なる知識の場ではなく、序列と服従の訓練装置として機能するとイリイチは言います。生徒は先生の指示に従い、評価を受け、時間割に沿って行動し、テストで測定される。こうした仕組みが、大人になってからの管理社会への順応を助長し、自己決定力を奪うというわけです。

「学校は有害である」という挑発的命題

資格信仰と学歴主義への批判

イリイチは、学校が「学歴=能力」という幻想を生み出していると批判します。学歴はあくまで制度内での通過点にすぎないのに、それが人間の価値や職業の可否を決めてしまう社会構造こそが問題だと主張しました。

教育と消費社会の結びつき

また、教育は消費社会の再生産装置でもあると述べます。「より良い教育を受ければ、より良い生活が手に入る」という理想は、実は“教育という商品”を信じさせるための仕掛けであると捉えました。教育の制度化は、人間を消費社会の部品として再生産する仕組みでもあるのです。

脱学校論の核心:制度を持たない学びの構想

オルタナティブ教育ではなく「制度そのものの否定」

重要なのは、イリイチの「脱学校」が「別の学校をつくろう」という話ではないという点です。彼は「制度という形をとる限り、学びは自由ではなくなる」と考えていたため、オルタナティブスクールでさえも、制度である限り本質的には学校と同じだと批判します。

制度化されない知識の交換ネットワークとは

代わりに彼が提唱したのは、自由に出入りでき、参加者同士が対等に学び合う「学習のためのネットワーク」です。それは資格やカリキュラムに縛られず、人が必要なときに、必要な人と、必要なだけ知識を交換できるような柔らかいつながりを目指したものでした。

イリイチの提案した「学びのネットワーク」

教育制度を超える“学ぶための道具”の思想

彼は「学ぶ自由を支えるための社会的インフラ」として、次の4つのネットワークを提案しています:

1. 教材への自由アクセスを保障するもの
2. 同じ興味を持つ人々をつなげるもの
3. 専門家への直接アクセスを提供するもの
4. 学びの記録と照会ができる情報交換の場

これは、現代のインターネットやMOOCs(大規模オンライン講座)にも通じる発想であり、知識の脱中央化を目指すものでした。

ピア・ネットワークと相互学習の場づくり

イリイチが目指したのは「教師がいない世界」ではなく、「すべての人が教え、すべての人が学ぶ世界」でした。対等な関係性の中で、お互いの知識と経験を交換し合う、水平的な学習空間の創出が、その核心にありました。

脱学校論に対する当時の反応と評価

ラディカルすぎる思想としての賛否両論

イリイチの脱学校論は、当時の教育関係者や宗教関係者の間で賛否を巻き起こしました。支持者は「教育の民主化」「制度の内側からの改革への限界」を見抜いた批評として称賛する一方で、「実現性に乏しい理想論」「制度的教育を否定する危険思想」として懸念する声も多くありました。

カトリック内外からの論争的扱い

カトリック教会内では、イリイチの急進的な制度批判は受け入れがたく、彼は事実上の追放処分を受ける形で司祭職を離れます。しかし彼自身はこれを「制度から自由になった」と受け止め、思想家としての活動を深めていきました。

イリイチ以後の教育思想に与えた影響

制度批判の源流としての位置づけ

イリイチの思想は、その過激さゆえに直接的な実践例は少ないものの、教育制度批判の源流として今日まで多くの思想家に影響を与え続けています。特に「教育とは本来、人間の生き方そのものに関わる営みである」という観点は、教育哲学の基底に深く流れ続けています。

「学びは誰のものか」という問いの継承

「誰のための教育か?」「学びは誰の所有物か?」という問いは、教育格差や学校外教育、多様な学び方の模索が進む現代において、あらためて重要性を増しています。イリイチの思想は、学校制度の外側にある可能性を見せるものとして、今日でも一定の評価を受け続けています。

思想としてのイリイチ:教育観の核心

学びとは管理されるべきものなのか

イリイチの根本的な問いは、「人はなぜ学ぶのか」「学びは制度によって管理されるべきなのか」という点にあります。彼にとって学びとは、生活や経験の中に自然に生まれるものであり、本来は誰かに“与えられる”ものではなく、自ら“獲得する”営みでした。

制度を超えて、自由に学ぶことの可能性

脱学校論は、既存の制度を乗り越えた先にどんな学びのあり方があるのか、その可能性を探る思考実験でもありました。制度を否定することは、制度の恩恵を受けている私たちにとっては過激に思えるかもしれません。しかし、あえてその外側から学びを捉え直すことで、見えてくるものがある。イリイチは、その「問いの視座」そのものを私たちに残してくれました。