なぜ日本の小学校はランドセルなのか?軍隊の背嚢から140年の歴史

文化と価値観の話
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ランドセルは日本の小学生にとってあまりにも当たり前の存在ですが、世界的に見るとこれほど統一されたかばんを6年間使い続ける国はほとんどありません。なぜランドセルは小学校の通学かばんとして定着したのか——その起源をたどると、軍隊の装備品にまで行き着きます。

ランドセルの歴史——ひと目でわかる早見表

時期できごと
江戸末期幕府がオランダ式軍隊制度を導入。兵士の背嚢(はいのう)として「ランセル」が伝来
1885年(明治18年)伊藤博文が皇太子(後の大正天皇)の学習院入学に際して箱型の革製かばんを献上。学習院が採用
大正〜昭和初期裕福な家庭を中心に普及。一般家庭では風呂敷通学も多かった
戦後〜高度成長期経済成長とともに全国の小学生に普及。素材が馬革・牛革から人工皮革へ
現在色・デザインが多様化。海外でも「RANDOSERU」として知られるように

軍隊の「背嚢」が通学かばんになるまで

語源はオランダ語の「ransel(ランセル)」

「ランドセル」という言葉は、オランダ語の「ransel(背嚢・はいのう)」が語源です。江戸幕府は1850年代にオランダ式の軍隊訓練を取り入れ、兵士が背中に背負う布製の背嚢も一緒に導入しました。

明治維新後、近代軍隊を整備する過程でこの背嚢が引き続き使われ、「ランセル」が「ランドセル」と変化していったとされています。

明治18年——学習院が採用したことで広まった

1885年(明治18年)、当時の内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろぶみ)が皇太子(後の大正天皇)の学習院初等科入学を祝い、箱型の革製かばんを献上しました。これを学習院が通学かばんとして採用したのが、ランドセル普及の出発点とされています。

当時の形は軍用背嚢と同じく革製・箱型で、教科書や道具が型崩れしないよう硬い枠で囲まれていました。体格の小さな子どもでも背負いやすいよう、肩ベルトの長さを調整できる設計も当初から備えていたのです。

なぜ全国に広まり、6年間使うようになったのか

戦後の経済成長が「全員ランドセル」を実現した

戦前は高価な革製品であったため、一般家庭では風呂敷で教科書を包んで通学する子どもも多くいました。ランドセルが小学生全体に広まったのは、高度経済成長期(1950〜70年代)以降のことです。

当時の親世代は、丈夫で長持ちするランドセルを「入学の節目に贈る特別なもの」として捉えていました。祖父母から孫へのプレゼントという慣習が生まれ、6年間の耐久性が重視されるようになったのです。

素材の変化——革から人工皮革へ

初期のランドセルは馬革や牛革製でした。1970年代以降、「クラリーノ」と呼ばれる人工皮革が登場し、軽量で耐水性が高いことから急速に普及します。現在では全体の半数以上が人工皮革製とされているのです。

近年は「重い」という問題も指摘されており、メーカー各社が軽量化を競っています。空の状態で約1kgあるランドセルに教科書を詰めると3〜4kgになることもあり、「ランドセル症候群」という言葉も生まれました。

豆知識——「ランドセル外交」と世界への広がり

ランドセルは今、海外でも注目されています。その象徴が「ランドセル外交」と呼ばれる現象です。カンボジアやアフガニスタンなどへ日本のランドセルを寄贈する活動が続いており、現地の子どもたちに届けられたランドセルが何十年も使われ続けることもあります。

また、外国人観光客が日本の土産としてランドセルを購入する例も増えており、ファッションアイテムとして欧米でも注目されるようになりました。SNS上では「RANDOSERU」というタグで外国人が購入報告をするケースも見られます。

軍隊の背嚢として日本に伝わり、明治の学習院で子どものかばんに転用され、高度成長期に全国へ広まったランドセル。色は赤と黒だけだった時代から、現在は多彩なカラーバリエーションが揃います。形は140年前とほぼ変わっていませんが、その中に詰まっている歴史はなかなか深いのです。