ランドセルはなぜ日本で定着したのか——オランダ語の「背嚢」から始まった物語

昔の兵隊と現代のランドセルの子=軍隊の道具が通学カバンに 教育と学びの話
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春になると、大きなランドセルを背負った新一年生の姿を見かけます。体より大きく見えるあの四角いカバンは、日本の小学生の、いわば制服のような存在です。ところが世界を見わたすと、ランドセルで通学する国はほとんどありません。

日本独特に思えるこのカバン。じつは名前も、始まりも、遠い外国からやってきました。しかも、もとをたどれば通学とは無縁の、軍隊の道具だったのです。ランドセルが背負ってきた長い歴史を、順にひもといていきましょう。

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ランドセルの来歴 早見表

黒と赤のランドセル

ランドセルの物語は、一枚の年表にするとぐっと見通しがよくなります。細部に入る前に、全体の流れをつかんでおきましょう。

時期できごと
幕末オランダの軍用背嚢「ランセル」が伝来
1885年学習院が通学カバンとして採用
1887年伊藤博文が箱型を献上。現在の原型に
戦後高度成長期に全国へ広まる
2001年24色ランドセルが登場。色が多様化

名前はオランダ語だった

オランダの風車

まず、「ランドセル」という名前の出どころから見ていきましょう。この言葉は、日本語でも英語でもありません。

語源は「ランセル」

意味は軍隊の背嚢

背嚢(はいのう)とは、兵士が装備や荷物を入れて背負う、四角い袋状のカバンのことです。今のリュックサックにあたります。

ランドセルの語源は、オランダ語の「ransel(ランセル)」だとされています。これは、兵士が荷物を入れて背負う背嚢を指す言葉でした。つまりもとをたどれば、勉強道具ではなく、軍隊の装備を運ぶためのカバンだったのです。かわいい通学カバンの祖先が軍用品だったとは、少し意外な出発点です。

幕末に日本へ伝わった

この背嚢が日本に入ってきたのは、幕末のことでした。幕府が西洋式の軍隊を整えるにあたり、兵士の装備品としてオランダから取り入れたのです。そのとき「ランセル」という呼び名も一緒に伝わり、日本語の中でなまって「ランドセル」になったといわれます。名前の中に、はるばる海を渡ってきた歴史が刻まれているわけです。

学習院から始まった通学カバン

袴姿の学生

では、軍隊の背嚢は、どうやって小学生のカバンに変わったのでしょうか。その転機は、明治の学習院にありました。

「自分の荷物は自分で」

1885年、学習院が採用した

通学カバンとしてのランドセルは、1885年(明治18年)の学習院初等科が起源とされます。当時、裕福な家の子どもは召使いに荷物を持たせたり、馬車や人力車で通学したりしていました。学習院はこれを問題視します。教育の場に、家の身分差を持ち込ませないためだったのです。

平等の精神が生んだ形

そこで学習院は、馬車や人力車での登校を禁じ、学用品は生徒が自分で背負って持ってくると定めました。このとき通学カバンに選ばれたのが、両手が空く背嚢、すなわちランセルでした。「みんな同じように、自分の荷物は自分で運ぶ」。ランドセルの背景には、この平等の精神が息づいていたのです。

箱型を生んだ献上品

1887年、伊藤博文の贈り物

今のような箱型のランドセルには、はっきりしたきっかけがあります。1887年(明治20年)、のちの大正天皇が学習院初等科へ入学する際のことでした。時の総理大臣・伊藤博文が、入学のお祝いとして、丈夫な革製のカバンを特別にあつらえて献上したのです。軍人が背負う背嚢を手本にした、しっかりした箱型でした。

少年が気に入った軍隊のカバン

この献上の裏には、こんな話も伝わっています。のちの大正天皇は幼いころ、陸軍の訓練を見学した折に、兵士が背負う背嚢をたいそう気に入ったのだそうです。自分もあのカバンがほしい——その願いが、贈り物として形になったとも語られています。軍隊の道具へのあこがれが、めぐりめぐって子どもの通学カバンを後押ししたのでした。

これが現在の原型になった

この献上品が、今日まで続く「学習院型」と呼ばれる箱型ランドセルの原型になったとされています。背中にぴたりと沿う形、かぶせのふた、肩ベルト。私たちが思い浮かべるランドセルの姿は、このとき大きく方向づけられました。一人の少年への贈り物が、百年をこえて日本中の子どものカバンになったのです。

全国へ、そして色とりどりへ

水色のランドセル

とはいえ、ランドセルがすぐ全国に広まったわけではありません。長いあいだ、それは特別な子どものものでした。

庶民に広がったのは戦後

長く上流階級のものだった

革製のランドセルは高価で、明治から戦前にかけては、一部の富裕層の子どもが持つものでした。多くの子どもは、風呂敷や布製の手さげカバンで通学していたのです。ランドセルは、あこがれの品でこそあれ、だれもが持てるものではありませんでした。

高度成長期に全国区へ

それが全国の小学生に行きわたったのは、戦後の高度経済成長期でした。暮らしが豊かになり、ランドセルは「小学生が背負うもの」として定着していきます。入学の春にランドセルを買いそろえる。今ではおなじみのこの光景も、広まってからまだ百年もたっていない、案外新しい習慣なのです。

黒と赤から、24色へ

クラリーノが変えた素材

ランドセルを大きく変えたのが、新しい素材の登場です。1967年、化学メーカーのクラレが作った人工皮革「クラリーノ」が、ランドセルに採用されました。本革より軽く、雨に強く、色もつけやすい。この素材のおかげで、ランドセルは軽くなり、そして自由な色をまとえるようになっていきました。

2001年、24色ランドセル

色の常識をくつがえしたのが、2001年に登場した「24色ランドセル」です。それまでは男の子は黒、女の子は赤と、ほぼ決まっていました。そこへ一気に24色が並んだのです。今では水色やキャメル、紫など、子どもが自分の好きな色を選ぶのが当たり前になりました。「黒か赤か」だった時代は、もう昔の話です。

豆知識——6年間を支える工夫と、いまの悩み

入学式の親子

最後に、ランドセルの「中身」に目を向けてみましょう。あの形には、6年間を支えるための工夫と、現代ならではの悩みが詰まっています。

丈夫さの裏にある設計

6年間こわれない作り

ランドセルは、小学校の6年間を通して使うことが前提です。だから、成長ざかりの子どもが毎日たたいても、へこたれない丈夫さが求められます。近年はA4サイズの教材がそのまま入るよう大型化し、肩や背中への負担を減らす工夫も進みました。多くのメーカーが6年間の保証をつけているのも、この「6年使う」という前提があるからです。

「ラン活」と重さの悩み

高機能化のかげで

いっぽうで、新しい悩みも生まれています。人気のランドセルを早めに買い求める活動は「ラン活」と呼ばれ、年々熱を帯びる一方です。価格が高くなりがちなことや、教科書を入れると重くなりすぎることも、たびたび話題になります。近年は海外でファッションとして注目されることもあるといわれますが、足もとでは、その重さや値段が親子の頭を悩ませてもいるのでした。

軍隊の背嚢として海を渡り、平等の理念をまとって通学カバンになり、やがて色とりどりの姿へ。ランドセルは、その小さな背に、思いのほか大きな歴史を背負ってきました。今年もどこかで、真新しいランドセルを揺らして歩く一年生がいるはずです。その小さな背中は、百年をこえる旅の続きを、今日も静かに背負っています。