散歩中の犬は、電柱や道の角にさしかかるたびに立ち止まり、ほんの少しだけおしっこをかけます。トイレにしては、量が少なすぎる。あれは、用を足しているのではありません。
この行動は「マーキング」と呼ばれます。においという”名刺”を、あちこちに置いて回っているのです。人には分かりにくいけれど、犬にとっては立派なコミュニケーション。電柱は、いわば犬たちの掲示板なのです。
マーキングは「トイレ」ではない
まず、ふつうの排泄とマーキングは、似ているようで別ものです。並べてみると、その違いがはっきりします。
| 項目 | ふつうの排泄 | マーキング |
|---|---|---|
| 量 | たっぷり | ほんの少し |
| 回数 | 一日に数回 | 散歩中に何度も |
| おもな目的 | 体の用を足す | においで情報を残す |
| 場所 | どこでも | 電柱・角・草むらなど |
※ フェロモンとは、動物が体の外に出す化学物質で、同じ種類の仲間の行動や気持ちに働きかけるもの。犬の尿にもこうした成分が含まれ、においを通じて情報を伝えていると考えられています。

少量ずつ、何度もする
マーキングの大きな特徴は、一回の量がとても少ないことです。散歩のあいだに何度もするのに、そのたびの量はわずか。膀胱が空になっても、ポーズだけとる犬もいます。用を足すのが目的なら、こんな配り方はしないはずです。
つまり犬は、限られたおしっこを”小分け”にして、できるだけ多くの場所に残そうとしています。一滴一滴が、情報を運ぶメッセージなのです。
ねらいは「情報を残すこと」
ふつうの排泄が体のためなら、マーキングは”伝えるため”の行動です。「自分はここにいる」「この道を通った」と、においで知らせている。縄張りの主張や、自己アピールの意味もあります。
だから、すでに他の犬のにおいがついた場所に、犬はわざわざ重ねてかけます。掲示板に貼られたビラの上へ、自分の名刺を重ねるようなものでしょう。
においは「名刺」——何を伝えているのか
では、その”名刺”には何が書かれているのでしょうか。犬の尿には、私たちが思う以上に多くの情報がつまっています。
| においからわかること | 内容の例 |
|---|---|
| 性別 | オスかメスか |
| 体調 | 元気か、弱っているか |
| 発情 | メスが発情しているか |
| 通った時間 | どのくらい前に来たか |

尿には「個体情報」がつまっている
犬の尿には、その犬の性別や体調・年齢のころあいが、においとして含まれています。相手が誰なのかを、においだけで”個体識別”できるほどです。人でいえば、名前や連絡先の書かれた名刺のようなもの。それを、電柱という掲示板に貼っているわけです。
犬の嗅覚は、人の数千倍から一億倍ともいわれます。私たちには同じに思えるにおいから、犬は驚くほど細かい情報を読み取っているのです。
嗅ぐ=読む、かける=書く
散歩中、犬が地面のにおいを熱心に嗅ぐのは、掲示板を”読んで”いる時間です。そして自分のおしっこをかけるのは、そこに”書き込む”作業。読んで、書いて、また読む。犬は、においの回覧板をやりとりしているのです。
この読み書きを、楽しみにしている犬は少なくありません。嗅がせずに素通りさせるのは、読みかけの新聞を取り上げるようなものかもしれません。
なぜ電柱や角、高い場所なのか
マーキングの場所には、はっきりとした好みがあります。電柱、木の根もと、道の角。しかも、なるべく高いところをねらう犬が多いのです。

高い位置ほど、遠く長く届く
おしっこは、かければ重力で下へ流れます。高い位置につけておくと、低い場所より広く広がりやすく、風にのって遠くまでにおいが届きます。つまり、高くつけるほど”名刺”を見てもらえる相手が増えるのです。
低い草むらより電柱が選ばれやすいのは、こうした理由もあります。より多くの犬に、より長く、においを残せる場所だからでしょう。
目立つ場所は、みんなが通る掲示板
電柱や角は、多くの犬が通りかかる”要所”でもあります。人通りの多い交差点に看板を出すのと同じで、目立つ場所ほど情報が広く伝わります。だから同じ電柱に、次々と別の犬の名刺が重なっていくのです。
犬にとっての人気スポットは、においの情報量も多い場所。念入りに嗅いでからかけるのは、掲示板をよく読んでから書き込んでいるからでしょう。
なぜ片足を上げるのか
マーキングといえば、後ろ足を片方ぴんと上げるポーズが思い浮かびます。あの独特の格好にも、ちゃんと理由があります。

少しでも高い位置につけるため
片足を上げるのは、おしっこをできるだけ高い位置にかけるためです。高くつけたほうがにおいが遠くまで届くうえに、体を大きく見せる効果もあるといわれます。大型犬ほど高く、小型犬は精いっぱい背伸びをして足を上げるのです。
ときには倒立しそうな姿勢で、めいっぱい高くつけようとする犬もいます。少しでも”背の高い犬”を演じて、相手に強く見せたいのかもしれません。
オスに多いが、メスもする
片足上げのマーキングはオスに目立ちますが、メスもします。気の強いメスは、オスのように足を上げることもあるほどです。ただメスの場合は、縄張りよりも発情に関わる意味合いが強いといわれます。
ちなみに、去勢や避妊の手術でマーキングが減ることもあるようです。ホルモンが関わる行動のため、手術で衝動がやわらぐと考えられています。
マーキングと上手につきあう
マーキングは犬の自然な本能ですが、場所によっては困りものにもなります。頭から禁止するのではなく、うまくつきあうのがコツです。

全部を禁止にしなくていい
散歩でのにおい嗅ぎやマーキングは、犬にとって大切な情報収集であり、楽しみでもあります。すべてを我慢させると、かえってストレスになることもあるのです。安全な場所では、ある程度させてあげるのがよいとされています。
ただし、他人の家の門や車のタイヤなど、かけては困る場所もあります。そうしたところは、飼い主が声かけやリードで自然にそらしてあげるのが親切でしょう。
室内マーキングは「サイン」のことも
ふだんしないのに室内でマーキングを始めたら、不安やストレス、環境の変化が背景にあるのかもしれません。かまってほしい気持ちや、発情が関わることもあります。しかるより先に、まず理由を探るほうが近道です。
マーキングは、犬が世界とやりとりするための言葉のようなもの。頭ごなしに止めるのではなく、その気持ちをくんであげたいものです。
電柱は、犬たちの掲示板でした。すれ違う仲間の名刺を読み、自分の一枚をそっと重ねる。次の散歩でうちの犬が電柱の前で立ち止まったら、いま誰かの便りを読んでいる最中なのだと思うと、少し待つ時間も愛おしくなりそうです。


