吹雪の夜、手元にはフットボールの試合のチケットが1枚。払った12ドルを思うと「行かないともったいない」と感じます。ところが寒さに耐える3時間のつらさが観戦の楽しみを上回るなら、行かないほうが得です。払ったお金は行っても行かなくても戻りません。この取り戻せない費用をサンクコストといい、それに引きずられてやめられなくなる心理をサンクコスト効果と呼びます。背景には「無駄にしてはいけない」という教えの使いすぎと、損を確定させたくない気持ちがあると考えられています。
サンクコストは「もう戻らないお金と時間」

日本語では「埋没費用」と訳される
サンクコスト(sunk cost)のsunkは「沈んだ」という意味です。日本語では埋没費用(まいぼつひよう)と訳され、経済学や会計の教科書に出てくる言葉でもあります。水底に沈んだ船のように、いまからどう動いても引き上げられない費用を指します。
お金だけではありません。勉強に費やした年月や行列に並んだ1時間も、取り戻せないという点では同じです。1985年にこの現象を実験で確かめた心理学者たちも、お金・労力・時間のどれでも起きると書いています。
判断に入れてよいのは「これから先」の損得だけ
経済学の考え方では、決めるときに比べるのはこれから先にかかる費用と得られるものだけです。冒頭の吹雪の例なら、比べるのは「凍えながら見る3時間」と「暖かい部屋で過ごす3時間」でしょう。12ドルはどちらを選んでも出ていったままなので、天秤に載せる理由がありません。
この吹雪のたとえは、行動経済学者リチャード・セイラーが1980年の論文で使った例をもとにしています。頭では分かっていても、払った本人は「行かなければ12ドルが無駄になる」と感じてしまう。そのずれこそが研究の出発点でした。
コンコルド効果という別名もある
同じ現象は「コンコルド効果」「コンコルドの誤り」とも呼ばれます。英仏が共同で開発した超音速旅客機にちなむ名前です。もとは動物の子育てを論じる生物学の論文で使われ、人間の判断の話に広まりました。名前の由来はあとの章で詳しく見ていきます。
スキー旅行の質問では半数以上が高いほうを選んだ

100ドルのミシガンか50ドルのウィスコンシンか
この現象を最初に体系立てて調べたのは、米オハイオ大学のハル・アークスとキャサリン・ブルーマーです。1985年の論文で、学生にこんな質問をしました。あなたはミシガンへの週末スキー旅行を100ドルで予約した。数週間後、ウィスコンシンへの旅行も50ドルで買った。楽しめそうなのはウィスコンシンのほうだ。
ところが2つの旅行は同じ週末に重なっていました。どちらも売れず、払い戻しもできません。行けるのは片方だけです。どちらに行くかという問いでした。
楽しいほうを選んだのは46%だけ
損得だけで考えれば、全員がウィスコンシンを選ぶはずです。どちらの代金もすでに払い終えていて、違うのは楽しさだけなのですから。しかし回答した61人のうち33人が、高いほうのミシガンを選びました。楽しいほうを選んだのは28人、46%にとどまります。
論文は、ミシガンに払った100ドルの重みが選択を左右したと結論づけています。楽しさより「高いほうを無駄にしたくない」が勝った形です。ただしこれは紙の上の質問でした。そこで2人は、本物のお金が動く場面でも確かめることにします。
劇場の年間チケットで観劇の回数は変わった?

先着60人に3種類の値段でチケットを売った
舞台はオハイオ大学劇場の1982〜1983年シーズンです。年間チケットを買いに窓口へ来た先着60人に、あらかじめ順番をばらばらに決めておいた3種類のチケットを売りました。定価の15ドル、2ドル引き、7ドル引きの3種類です。割引は「劇場の販促キャンペーン」と説明されました。
カップルで買った6人は2人の判断が独立しないため集計から外し、残りは54人です。チケットの半券は値段ごとに色分けされていました。公演のたびに半券を集めれば、どのグループが何回来たかが分かる仕組みです。
前半5公演では定価組がいちばんよく来た
シーズン10公演を前半と後半に分けて数えると、はっきりした差が出たのは前半でした。1人あたりの使用枚数を3つのグループで並べると、次のようになります。
| グループ(人数) | 前半5公演 | 後半5公演 |
|---|---|---|
| 定価15ドル(18人) | 4.11枚 | 2.28枚 |
| 2ドル引き(19人) | 3.32枚 | 1.84枚 |
| 7ドル引き(17人) | 3.29枚 | 2.18枚 |
前半は定価組が両方の割引組を上回り、統計的にも意味のある差でした。全員がすでにチケットを手にしているので、本来なら行く回数はそろうはずです。違いは「いくら払ったか」だけでした。
効き目は半年ほどで消えた
後半の5公演では、グループの間に意味のある差は見られませんでした。購入から半年ほどは払った額が足を劇場へ向かわせ、6〜9か月たつとその力が薄れたことになります。「元を取らなきゃ」という気持ちには、どうやら賞味期限があるようです。
論文の注には小さな計算も添えられています。2ドル引き組が浮いたお金は、実験の期間でならすと1週間あたり6セントほど。この程度の差でほかの娯楽に流れたとは考えにくく、観劇が減った理由は「払った額が少ない」ことのほうにあると著者たちは見ています。
なぜ「もったいない」が判断を曲げるのか

「無駄にするな」の教えが行きすぎる
アークスとブルーマーは、この行動を支えているのは「無駄づかいをしているように見られたくない」という気持ちだと考えました。のちにアークスは英国の心理学者ピーター・エイトンとの1999年の論文で、さらに一歩進めています。人は「無駄にするな」という規則を、当てはめるべきでない場面にまで広げてしまうというのです。
食べ物を粗末にしない、物を大切に使う。この規則はふだんとても役に立ちます。問題は、すでに沈んだ費用にまで同じ規則を当てはめることです。日本語の「もったいない」は、この規則をひと言で言い表した言葉だといえるかもしれません。
やめた瞬間に損が確定してしまう
1985年の論文は、もう一つの説明としてカーネマンとトヴェルスキーのプロスペクト理論を挙げています。人は同じ額でも、得より損のほうを重く感じるという理論です。損は同じ額の得のおよそ2倍重く感じられる、という推定がよく知られたところです。
続けている限り、払ったお金は「まだ取り戻せるかもしれないお金」でいられます。やめると決めた瞬間、それは「失ったお金」に変わります。損を認めるつらさを先送りしたくて、さらにお金や時間をつぎ込んでしまう。英語には「損した金のあとに良い金を投げ込む」という言い回しまであります。
9割できた飛行機には41対7で「続けるべき」
同じ論文には、航空会社の社長になったつもりで答える質問もあります。レーダーに映らない飛行機の開発に1,000万ドルを投じ、9割まで来たところで、他社がもっと速くて安い同種の機体を売り出した。残り1割の資金を使って完成させるべきか。答えは「はい」が41人、「いいえ」が7人でした。
一方、まだ1ドルも使っていない段階で「残りの100万ドルで同じ飛行機を作るべきか」と聞くと、「はい」は10人で「いいえ」は50人です。条件の違いは、すでにお金を使ったかどうかだけ。すでに投じた額があると、多くの人が勝ち目の薄い計画にも賛成してしまうのです。
コンコルドという超音速旅客機が名前の由来

英仏が1962年に共同開発を約束した
コンコルドは、英国とフランスが1962年11月に結んだ協定から生まれた超音速旅客機です。音速の2倍で大西洋を3時間あまりで渡りました。開発費は当初の見積りを大きく上回って膨らみ、協定には途中でやめるための取り決めがなかったとされます。
英国航空とエールフランスが定期便を始めたのは1976年1月21日です。ところが買い手はこの2社だけで、製造は試作機を含めて20機にとどまりました。旅客機として飛んだのは各社7機ずつの計14機です。
名付け親は動物の子育てを研究する学者
「コンコルドの誤り」という言葉を広めたのは、英国の動物行動学者リチャード・ドーキンスとT・R・カーライルが1976年に科学誌『ネイチャー』に載せた論文です。テーマは鳥などの親が子育てをやめるかどうか。それまでの説は「すでに多く投資したほうの親は、その投資を守るために子育てを続ける」と考えていました。
ドーキンスらはこれに反論します。続けるかどうかを決めるのはこれから先の見込みで、過去の投資そのものではない。過去の投資を理由に続けるのは、コンコルドに注ぎ込みすぎたからやめられないと考えるのと同じ誤りだ、というたとえでした。人間の心理の言葉になったのは、そのあとのことです。
2003年に27年の定期運航を終えた
コンコルドは2000年にパリで墜落事故を起こし、運航を一時止めました。その後に再開したものの、航空業界全体の落ち込みや整備の支援打ち切りも重なります。英国航空の最後の定期便がニューヨークからロンドンへ飛んだのは、2003年10月24日でした。27年あまり飛んだ機体の名前は、皮肉にも「やめどきを逃した計画」のたとえとして残っています。
子どもや動物は引っかからない?

1999年の論文は「大人の人間だけ」と結論した
アークスとエイトンの1999年の論文は、副題に「人間は下等とされる動物より合理的でないのか」という問いを掲げました。動物がコンコルドの誤りを犯したとはっきり言える例は見当たらない、というのが2人の結論です。
さらに、幼い子どもは同じような場面で大人よりも損得の理屈に合った行動をとると報告しています。「無駄にするな」という規則をまだ十分に身につけていないから、という説明です。教えを守る力が育つほど、その教えの使いすぎも起きやすくなる。少し皮肉な見立てです。
2018年にマウスとラットも待ち時間を惜しんだ
この見方に一石を投じたのが、米ミネソタ大学の研究チームが2018年に『サイエンス』誌に発表した実験です。マウスとラットは、4か所のえさ場を回る迷路で、待ち時間つきのえさを待つか見送るかを選びます。人間は、待ち時間つきの動画を見るか飛ばすかを選ぶ課題で同じ構造を再現しました。
結果は、3種とも同じ傾向でした。すでに長く待っていた者ほど、そのまま待ち続けやすかったのです。費やした時間がサンクコストとして働くのは、人間に限らないことになります。
「行く」と決めたあとに効き始める
この研究で意外だったのは、効き目が現れるタイミングです。待つかどうかを考えている間は、それまでの時間は判断に影響しませんでした。いったん「待つ」と決めてからの時間だけが、やめにくさを積み上げていったのです。
研究チームは、選ぶときの評価と続けるときの評価は脳の中で別の仕組みかもしれないと考えています。迷っている間は冷静でも、走り出すと止まれない。行列に並ぶ前と並んだあとで気持ちが変わる経験には、こんな裏づけがあるのかもしれません。
国の大事業も止まりにくい

米議会で「ここでやめるほうが無駄」と訴えた
1985年の論文は、冒頭に2人の米上院議員の発言を引いています。1981年11月、テネシー川とトンビッグビー川を結ぶ運河事業の予算が議会で見直されたときのものです。1人は「11億ドルを投じた事業を打ち切るのは税金の許しがたい扱いだ」と述べました。
もう1人も「この段階で打ち切れば、すでに使った資金の大きな無駄になる」と主張しています。どちらも、これから得られるものより、すでに使った額を続ける理由に挙げていました。
当初3億ドル余りの見積りが約20億ドルに
この水路は1970年時点で3億2,300万ドルと見積もられていました。完成したのは1984年12月で、総工費は約20億ドルに達したとされます。開通後の評価はさまざまで、地域経済への効果を挙げる声もあるようです。
論文の著者たちも、議員たちにはサンクコスト以外の動機があったかもしれないと注で断っています。そのうえで「議員がわざわざこの理屈を選んだことが示唆的だ」と書きました。すでに使った額を持ち出すと、人を説得しやすいということでしょう。
経済学を学んだ人でも弱まらなかった

授業でサンクコストを習っても同じ答え
埋没費用は経済学の入門で必ず習う考え方です。それなら学んだ人は引っかからないのではないか。アークスとブルーマーはこれも調べ、経済学の授業を受けたことがある学生でもサンクコスト効果は弱まらなかったと報告しています。
知識として知っていることと、自分のお金を前にして冷静でいられることは別の話です。頭では「過去は関係ない」と分かっていても、払った額が目の前にあると気持ちが引っぱられてしまいます。
過去の出費は成功の見込みまで甘くする
同じ論文は、もう一つ気になる結果も報告しています。すでにお金を使った立場で答えた人は、同じ計画を外から評価した人より、成功の見込みを高く見積もったのです。お金を使ったから続けるだけでなく、続けたいから見通しまで明るく見えてしまう。
一方で、「自分が始めた計画ほどやめにくい」という説には、ほどほどの裏づけしか得られなかったとされます。サンクコスト効果は、責任の重さよりも、お金や時間そのものの重さから生まれる面が大きいのかもしれません。
やめどきはどう見極める?

「いまゼロから選ぶなら」という問い
よく勧められるのは、払った分をいったん忘れて「いま何も払っていない状態なら、これを選ぶか」と考えてみる方法です。つまらない映画の残り1時間なら「無料でもこの続きを見たいか」と問い直せます。食べ放題で満腹なのにもう一皿取るときは「この一皿のために追加でお金を払うか」と考えれば、答えは変わるかもしれません。
過去の出費から分かったことは判断に使ってよい
払った分を判断から外すといっても、過去を丸ごと捨てるわけではありません。3年間の勉強で身についた知識や、使ってみて分かった道具の良さは「これから」の価値です。判断に入れてよいのは、そこから得た情報や力のほうです。
途中でやめれば違約金がかかる、信頼を失うといった事情も、これから先の損得に入ります。続けるのが正しい場面もあるのです。気をつけたいのは「これだけ払ったから」だけが理由になっている場合でしょう。
やめることは失敗の確定ではない
損を確定させたくない気持ちは、やめることを「負けを認めること」だと感じさせます。けれども沈んだ費用は、やめてもやめなくても戻りません。やめて浮いた時間とお金は、別の何かに回せます。
サンクコストは英語で「沈んだ費用」。沈んだものを惜しむ気持ちは、物を大切にしてきた証でもあります。ただ、水底を見つめているあいだにも、手元のお金と時間は流れていきます。引き上げられるのは、まだ沈んでいないほうだけです。
参考
- Arkes & Blumer「The Psychology of Sunk Cost」Organizational Behavior and Human Decision Processes 35巻(1985年)
- Arkes & Ayton「The Sunk Cost and Concorde Effects: Are Humans Less Rational Than Lower Animals?」Psychological Bulletin 125巻(1999年)
- Dawkins & Carlisle「Parental investment, mate desertion and a fallacy」Nature 262巻(1976年)
- Sweis ほか「Sensitivity to “sunk costs” in mice, rats, and humans」Science 361巻(2018年)・PubMed
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