「ら抜き言葉」はなぜ生まれたのか——「食べれる」は実は理にかなっている

言葉と論理の話
スポンサーリンク

「食べれる」「見れる」と書くと、「ら抜き言葉ですよ」と直されることがあります。学校でも、正しくは「食べられる」「見られる」だと教わります。けれど不思議なもので、口にすればちゃんと通じますし、むしろそのほうが言いやすいと感じる人も多いはずです。なぜ間違いとされるのに、これほど広まったのでしょうか。じつは「ら抜き」の裏側には、日本語をより便利にしようとする、理にかなったしくみが隠れています。

スポンサーリンク

ら抜きは「可能」と「受身」を区別する変化

「られる」は一つで四役こなしている

結論にあたる部分を先にお伝えします。「食べれる」のようなら抜き言葉は単なる崩れではなく、「〜できる」という可能の意味を、ほかの意味とはっきり区別するための変化です。鍵になるのは「られる」という言葉が、一つで何役もこなしている点にあります。まずはその働きぶりを表で見てみましょう。

「られる」の意味
可能(〜できる)朝5時に起きられる
受身(〜される)蚊に刺されて起きられる
尊敬(敬う言い方)社長が起きられる
自発(自然とそうなる)昔がしのばれる

ら抜きが切り分けているもの

同じ「起きられる」が、文脈しだいで四つもの意味になりえます。ら抜きは、このうち可能の意味だけを「起きれる」と言い分けることで、聞き手の迷いを減らしているのです。崩した言い方に見えて、その実、意味の交通整理をしているわけです。

いろいろな表情の人のイラスト

そもそも「ら抜き言葉」とは何か

どんな動詞で起きるのか

ら抜き言葉とは、可能を表す「見られる」「来られる」を、「ら」を抜いて「見れる」「来れる」と言う形を指します。起きるのは「食べる」「見る」「来る」など、決まったタイプの動詞に限られます。これらの動詞では本来「られる」がつきますが、その「ら」が落ちている、というわけです。

「ら」を足せば正しいわけではない

注意したいのは、何にでも「ら」を足せば正しくなるわけではない点です。たとえば「走る」を「走られる」とは言わず、「走れる」と言います。もともと「れる」がつく動詞と「られる」がつく動詞があり、ら抜きが起きるのは後者だけです。やみくもに「ら」を入れると、かえっておかしな日本語になってしまいます。

疑問に思う人のイラスト

なぜ広まったのか——「られる」は働きすぎていた

可能と受身が、いちばんまぎらわしい

ら抜きが広まった背景には、「られる」という言葉の負担の重さがありました。先ほどの表のとおり、「られる」は可能・受身・尊敬・自発という四つの意味を一身に背負っています。とくにまぎらわしいのが、可能と受身です。「この魚は食べられる」と言われたとき、それが「食べることができる」のか「何かに食べられてしまう」のか、ひと言では決まりません。

ら抜きにすると、誤解が減る

ここで可能のときだけ「食べれる」と言えば、受身の「食べられる」とすっきり区別できます。話し手にとっても聞き手にとっても、誤解の余地が減るわけです。ら抜き言葉は、いわば言葉が自分自身を整理し、わかりやすくしようとする動きだと見ることができます。だらしなさからではなく、便利さを求めて生まれた変化なのです。

困惑する人のイラスト

じつは別の動詞では、とっくに「ら抜き」していた

「書ける」という、可能専用の形

面白いことに、同じような変化は、ずっと昔に別のグループの動詞で完了しています。「書く」「泳ぐ」「飲む」のような動詞は、可能を表すとき「書ける」「泳げる」「飲める」と言います。これらは「可能動詞」と呼ばれ、わざわざ「書かれる」と言わずに済む専用の形です。

新しい形が定着してきた歴史

この「書ける」型の言い方も、成立した当時は新しい言葉づかいでした。それが定着し、いまでは誰も誤りだとは思いません。ら抜き言葉は、先に変化を終えたグループに「食べる」「見る」のタイプの動詞が追いつこうとしている動きともいえます。歴史の流れの中では、けっして突飛な現象ではないのです。

作文を添削する先生のイラスト

豆知識——いま「ら抜き」はどこまで許されているか

2015年、ついに多数派になった

合理的とはいえ、ら抜き言葉はまだ「正式な日本語」として全面的に認められたわけではありません。それでも、使う人の割合は年々増えています。文化庁の2015年度の調査では、「見れた」を使う人が48.4%でした。「見られた」の44.6%を上回り、ついに可能のら抜き形が多数派になったのです。

書き言葉では、まだ正式ではない

新聞や公的な文書、改まった場面では、いまもら抜き言葉は避けられています。話し言葉では多数派になりつつあるのに、書き言葉ではまだ正式とされない。この「ねじれ」こそが、ら抜き言葉がちょうど今、移り変わりの途中にあることを物語っています。何十年か先には、「食べれる」が辞書で当たり前の形になっている日が来るのかもしれません。

アンケート調査のイラスト

「ら抜き言葉」は、しばしばだらしない言葉づかいの代表のように扱われます。けれど中をのぞいてみると、そこにあったのは「可能と受身を言い分けたい」という、いたって筋の通った欲求でした。正しいか間違いかだけでなく、なぜそう変わるのかという目で見ると、印象は変わります。ら抜き言葉もまた、いまを生きて変化しつづける日本語のひとつの断面なのです。

あわせて読みたい