2006年、シアトルのワシントン大学で原始人のマスクをかぶった研究者がカラスを7羽捕まえました。それから何年もの間、同じマスクで構内を歩くたびにカラスが集まって騒ぎ立てたのです。人の顔を何年も覚えているという話は、この実験でたしかめられた本当の話です。賢さの土台には、小さな脳にぎっしり詰まった神経細胞があります。道具作りや水位の計算、隠し場所の記憶まで、研究で分かってきた順に見ていきます。
人の顔を何年も覚えているのは本当?

原始人のマスクで7羽を捕まえた
ワシントン大学のジョン・マーズラフ教授らは、ゴム製の原始人マスクをかぶってアメリカガラスを網で捕まえました。足に目印の輪を付けて放したあと、同じマスクをかぶって構内を歩きます。カラスにとっては「ひどい目にあわされた顔」です。カラスたちは近くに集まり、甲高い声でしつこく鳴き立てました。英語で scolding(叱りつけ)と呼ばれる警戒の鳴き方です。
別のマスクには騒がない
比べるために、捕獲には使っていない無害なマスクも用意されました。報道ではアメリカの元副大統領の顔のマスクだったと紹介されています。同じ研究者がこちらに替えて歩くと、騒ぎはほとんど起きません。歩き方や体格は同じなのに反応が分かれたことから、カラスは「顔」を手がかりに相手を見分けていると考えられています。
叱り声は約7年後がいちばん多かった
記憶は薄れるどころか、年を追うごとに強まりました。2012年の論文では、捕獲から2週間のうちに危険なマスクを叱ったカラスは出会った個体の26%でした。1.25年後には30.4%に増え、2.7年後には約66%にまで達しています。報道によれば、叱るカラスの数がもっとも多かったのは実験開始から7年ほどたった2013年ごろです。
17年後の2023年に、ようやく静かになった
その後、叱り声は少しずつ減っていきます。2024年の報道によると、実験から17年たった2023年9月の見回りでは、マスク姿の教授を叱るカラスは1羽もいませんでした。野生のカラスの寿命を考えると、最初に捕まった世代が入れ替わるまで記憶が続いたことになります。「何年も覚えている」は、十数年という単位で本当だったわけです。
危ない顔の情報は仲間へ広がる

捕まった7羽だけでは数が合わない
叱るカラスが6割を超えたとき、捕まった経験のある鳥はわずか7羽でした。それだけでは、構内のカラスの過半数が同じマスクを嫌う理由になりません。研究チームは、危ない顔の情報が騒ぎを通じてほかの個体に伝わったと考えました。叱り声は、捕獲現場から少なくとも1.2キロ離れた場所まで広がっていたと報じられています。
親の騒ぎを見て、子も同じ顔を叱る
捕獲のあとに生まれた若いカラスも、危険なマスクを叱るようになりました。親が騒ぐ様子を間近で見て覚えたと考えられています。仲間どうしの横の伝わりも確認されました。捕まっていない1羽だけのカラスが叱る割合は、観察の前半の4.5%から後半には9.9%へと増えています。
うわさで覚えた顔は見分けが甘い
ただし、伝え聞いた知識は自分で体験した記憶ほど正確ではありませんでした。実際に捕まった鳥は危険なマスクと無害なマスクを91.3%の割合で正しく見分けました。仲間から学んだ鳥ではこの正確さがずっと低かったと論文は報告しています。「とりあえず騒いでおく」個体もまじっていたのかもしれません。
小さな脳に神経細胞がぎっしり詰まっている

同じ重さの霊長類の脳の約2倍
「鳥頭」という言葉があるように、鳥の脳は小さく単純だと長く思われてきました。この見方を変えたのが、2016年にアメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)に載った研究です。カラスを含む鳴き鳥やオウムの脳には、同じ重さの霊長類の脳のおよそ2倍の神経細胞が詰まっていました。ネズミなどの脳と比べると2〜4倍にあたります。
細胞を小さくして数をかせぐ
密度の秘密は神経細胞の大きさにあります。鳥の神経細胞は哺乳類のものよりずっと小さく、すき間なく並んでいました。しかも神経細胞の多くが、考えることを受け持つ前脳に集まっています。クルミほどの大きさのコンゴウインコの脳が、レモン大のマカクザルの脳より多くの神経細胞を前脳に持っていたという比較まで出てくるほどです。
前頭前野に似た働きをする場所がある
カラスの前脳には、哺乳類の前頭前野(ぜんとうぜんや)に似た働きをする領域があるとされています。前頭前野は、計画を立てたり判断したりする場所です。鳥と哺乳類は3億年以上前に別の道を歩み始めたとされ、脳のつくりもまるで違います。それでも似た働きを別の形で実現している点が、研究者を引きつけてきました。
かぎ形の道具を自分で作るカラスがいる

二股の小枝からフックを削り出す
南太平洋のニューカレドニア島にすむカレドニアガラスは、道具を「作る」鳥として知られています。枝分かれした小枝を折り取り、分かれ目の部分をくちばしで整えて小さなかぎ(フック)に仕上げるのです。このかぎで木の穴の奥から虫の幼虫を引っかけて取り出します。野生でかぎ付きの道具をこしらえる動物は、人のほかには知られていないそうです。
かぎ付きなら2〜10倍速く餌が取れる
手間をかけてかぎを作るのには理由があります。英セント・アンドルーズ大学の2018年の研究では、野生で捕まえたカレドニアガラスに2種類の道具で餌を取らせました。かぎ付きの道具は、まっすぐな棒に比べて課題によって2倍から10倍も効率がよかったのです。作る手間を払っても、それ以上の見返りがあるわけです。
手間のかかった道具ほど大事にしまう
2021年の研究では、かぎ付きの道具の扱い方も調べられました。カレドニアガラスは使っていない道具を足で押さえたり穴に差し込んだりして手元に置きます。かぎ付きの道具を安全に保っていた割合は95%で、ただの棒の87%を上回りました。穴に差し込んでしまう行動も、かぎ付きのほうでより多く見られています。値打ちのある道具を見分けて、なくさないように気を配っているのです。
針金を曲げたベティは何をした?

相棒にかぎを持ち去られて
2002年に科学誌サイエンスに載った研究で、一躍有名になったカレドニアガラスがいます。英オックスフォード大学で飼われていたメスのベティです。細い筒の底に餌入りの小さなバケツがあり、まっすぐな針金とかぎ形の針金が置かれていました。ところがオスのエイベルが、かぎ形のほうを持っていってしまいます。
まっすぐな針金を自分でかぎ形にした
残ったのはまっすぐな針金だけでした。ベティは針金の端をテープのすき間に差し込み、もう一方の端をくちばしで引いて曲げます。できたかぎでバケツを釣り上げたのです。その後の試験でもベティはまっすぐな針金を何度もかぎ形に曲げ、曲げ方もいくつも使い分けました。偶然ではなく、目の前の問題に合わせて素材を加工したと受け止められています。
石を落として水位を上げられる?

4羽のミヤマガラスが寓話を再現した
のどの渇いたカラスが水差しに小石を落とし、上がってきた水を飲む。イソップ寓話のこの一話を、2009年に英ケンブリッジ大学の研究者が実験で確かめました。水を張った細い筒に虫を浮かべ、そばに石を置いておきます。カラス科のミヤマガラス4羽はいずれも石を落として水位を上げ、虫を手に入れました。2羽は最初の挑戦で成功しています。
大きな石を選び、おがくずには入れない
ミヤマガラスたちは、慣れるにつれて小さな石より大きな石を選ぶようになりました。大きな石のほうが水を多く押し上げると覚えたのだろうと研究者は見ています。水の筒とおがくずの筒を並べると、石を落としたのは水の筒だけでした。おがくずは石を入れても上がってこないことを分かっていたようです。
必要な数だけ落として待つ
水の高さを変えて試すと、ミヤマガラスは届く高さにするのにちょうど必要な数の石を入れました。1個入れるたびに確かめるのではなく、ある程度まとめて入れてから餌に手を伸ばしたといいます。最初に水位を見て必要な数の見当をつけていたのではないか、というのが研究者の見立てです。
餌の隠し場所をどこまで覚えている?

岩などの目印を手がかりに掘り当てる
カラス科の鳥には、食べきれない餌をあちこちに隠しておく貯食(ちょしょく)の習性があります。北アメリカのハイイロホシガラスは、マツの種を地面に埋めて冬にそなえます。調べてみると、岩などの目印との位置関係で隠し場所を覚えていました。目印を動かすと、鳥が掘る場所も同じだけずれたのです。
何を・どこに・いつ隠したかを覚える
カケスの仲間のスクラブジェイは、もう一歩進んだ記憶を見せました。1998年の実験では、好物の虫の幼虫と日持ちのするピーナッツを隠させています。時間がたつと、幼虫は傷んで食べられなくなります。それを学んだ鳥は、長く時間がたったあとでは幼虫の隠し場所を後回しにしました。「何を・どこに・いつ」をまとめて覚えている証拠として、大きな注目を集めた実験です。
盗んだ経験のある鳥ほど隠し直す
2001年の研究では、隠すところをほかの鳥に見られたスクラブジェイが、あとで餌を別の場所へ移しました。おもしろいのは、そうしたのが他の鳥の餌を盗んだ経験のある鳥だけだった点です。盗んだことのない鳥は、見られていても隠し直しませんでした。自分がしたことをもとに、相手もするかもしれないと先を読んでいるようです。
仙台のカラスは車でクルミを割る

1970年代に自動車学校で始まった
日本のカラスにも有名な技があります。宮城県仙台市では、ハシボソガラスが硬いクルミを車の前に置き、タイヤにひかせて殻を割る姿が知られています。東北大学の仁平義明教授らの調査によると、この行動は1970年代に仙台市内の自動車学校で始まり、周りの地域へ広がっていきました。半世紀近く受け継がれてきた技ということになります。
高い所から落とすのと効率は変わらない
カラスには、くわえたクルミを高い所から落として割る方法もあります。同じ調査では、車を使う方法と落とす方法の間で、得られるエネルギーの効率に大きな差は見られませんでした。車を使う場所には共通の条件があることも分かっています。楽をするための裏技というより、手持ちの割り方を状況に合わせて使い分けていると見るほうが近そうです。
研究の主役はどのカラス?

種ごとに得意な技がちがう
ここまで「カラス」とひとくくりにしてきましたが、実験の主役は種ごとにちがいます。舞台と知られる行動を並べると、次のようになります。
| 名前 | おもな舞台 | 知られる行動 |
|---|---|---|
| アメリカガラス | 北アメリカ(シアトル) | 危険な人の顔を覚え、仲間に伝える |
| カレドニアガラス | ニューカレドニア島 | かぎ形の道具を作る・針金を曲げる |
| ミヤマガラス | イギリスでの飼育実験 | 石を落として水位を上げる |
| ハイイロホシガラス | 北アメリカ | 目印を手がかりに種の隠し場所を探す |
| スクラブジェイ | 北アメリカ | 見られた餌を隠し直す |
| ハシボソガラス | 日本(仙台) | 車にクルミを割らせる |
日本の街のカラスは道具を作らない
日本の街でよく見かけるのはハシブトガラスとハシボソガラスです。どちらも、カレドニアガラスのように枝を加工して道具を作ることは知られていません。「カラスは道具を作る」という話は、ニューカレドニア島の一つの種に限った話です。そのかわり身近な2種には、車を使ったクルミ割りのような、人の暮らしに合わせた知恵が見られます。
ゴミ置き場の上からこちらをじっと見ているあの黒い鳥は、もう私たちの顔を覚え始めているのかもしれません。7羽を捕まえただけの研究者を、カラスの社会は17年にわたって忘れませんでした。顔を覚えられて困るのは、カラスに意地悪をしたときだけです。
参考
- Cornell, Marzluff & Pecoraro「Social learning spreads knowledge about dangerous humans among American crows」Proceedings of the Royal Society B(2012)
- セント・アンドルーズ大学「Crows ‘hooked’ on fast food」(2018)
- ヴァンダービルト大学「Study gives new meaning to the term ‘bird brain’」(2016)
- 科学研究費助成事業データベース「ハシボソガラスにおける自動車利用行動の学習と伝播に関する研究」
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