郵便ポストは、なぜ赤いのか

歴史と変遷の話
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郵便ポストが赤いのは「どこにあるか、ひと目でわかるように」するためです。明治の逓信省(ていしんしょう)は、赤く塗る理由を公文書にそう書き残しています。

ただ、日本で最初に広まったポストは黒い木の箱でした。黒いポストは見つけにくいうえに、思わぬ勘違いまで招いています。赤に落ち着くまでの約30年を、順にたどっていきます。

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最初のポストは何色だった?

和服姿で筆を使って手紙を書く男性のイラスト

明治のはじめのポストは木製で、全国に広まった型は黒塗りでした。赤いポストが登場するのは、それから約30年後のことです。

1871年の「書状集め箱」

日本の近代郵便は1871年(明治4年)に、東京・京都・大阪を結んで始まりました。このとき手紙を受け付けたのが「書状集め箱」と呼ばれる木の箱です。

脚の付いた四角い木箱

形は、脚付きの台に四角い箱を載せたものでした。いまのポストの姿とはかけ離れていて、どちらかといえば屋外に置いた家具に近い見た目です。

開業時の数は限られていた

開業当初の郵便は、三都を結ぶ東海道沿いの限られた区間だけでした。ポストも駅や町の要所に置かれる程度で、街のどこにでもある存在ではなかったのです。

1872年の「黒塗柱箱」

翌1872年(明治5年)、郵便が全国で実施されると、ポストも大量に必要になりました。そこで作られたのが黒塗柱箱(くろぬりはしらばこ)、通称「黒ポスト」です。

杉板と鉄板でできた角柱

杉の板を四角い柱のように組み、角を鉄板で補強して黒いペンキを塗っていました。上には雨よけのふたがかぶせてあります。

高さは大人の胸ほど

郵政博物館の収蔵品は、幅24.2cm・奥行24.2cm・高さ123cm。いまの丸いポストよりずっと細身で、街角に立つ黒い柱という印象だったはずです。

緑色のポストもあった可能性

黒ポストという呼び名が定着していますが、色が黒だけだったとは言い切れないようです。

錦絵に描かれた緑の角柱

明治の錦絵(にしきえ)には、緑色の角柱型ポストがたびたび描かれています。郵政博物館も、この時期に複数の色があった可能性に触れています。ただし緑のポストの現物は見つかっていません。

黒いポストでは何が困った?

トイレの前に並ぶ人の列のイラスト

黒ポストの弱点は、見つけにくさと燃えやすさでした。さらに「郵便」という言葉そのものが新しく、何の箱なのか伝わらないこともあったのです。

便所と間違えられた「垂便箱」

黒ポストには「郵便箱」と書かれていました。ところが「郵」の字を「垂」と読み違え、「垂便箱(たれべんばこ)」つまり公衆便所だと思った人がいたといいます。

前島密が語った逸話

郵便制度をつくった前島密(まえじまひそか)は、回想録『郵便創業談』でこの話を紹介しています。「郵」の偏を「垂」と見て「タレベン」と読み、郵便箱を雪隠(せっちん)と取り違えた、という筋立てです。

明治6年の新聞記事

笑い話のようですが、作り話とも限りません。1873年(明治6年)2月の新聞『新聞雑誌』には、「便所郵便箱」という記事が載りました。田舎から来た農夫が「便」の字と差入口を見て、新しくできた公衆便所だと思い込んで用を足した、という内容です。

立ち小便を禁じた条例との関係

この勘違いが起きた背景には、同じころ東京で始まった新しい取り締まりがありました。

違式詿違条例の施行

1872年(明治5年)11月、東京府で違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)が施行されます。便所でない場所で小便をすることも、罰の対象になりました。

※ 違式詿違条例とは、明治初期に定められた軽い違反の取り締まり規則のことで、いまの軽犯罪法に近いものです。

便所を探す人が増えた

罰を恐れた人たちは、用を足せる場所を探すことになります。そこへ「便」の字と差入口のある箱が立っていたわけです。郵便史の研究者も、切羽詰まった人が便所と誤解してもおかしくない状況があった、と見ています。

木の箱は火に弱かった

もう一つの弱点は素材でした。木製の黒ポストは、火事や雨風に強いとはいえません。

明治30年前後のいたずら

明治30年(1897年)前後には、爆竹や火のついた綿をポストに投げ込む事件が相次ぎました。中の手紙ごと燃えてしまうので、鉄製のポストへの切り替えが急がれます。

赤に決まったのはなぜ?

レトロな街灯のイラスト

鉄のポストに替えるとき、色は赤に決まりました。理由は「ポストの位置をわかりやすくするため」です。

逓信省が残した理由

赤い理由は、言い伝えではなく公文書で確かめられます。

「公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ」

1910年(明治43年)の逓信省の年報には、赤く塗った理由が「公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ」と記されています。いまの言葉にすると「人々が見分けやすいように」という意味です。

街灯の少ない夜道

当時は街灯が少なく、日が暮れると黒いポストは闇に溶けてしまいました。郵便を出したいのに箱が見つからない。そんな不便を解くには、色を変えるのがいちばん手っ取り早かったのでしょう。

1901年に試された鉄のポスト

1901年(明治34年)、鉄製で赤く塗ったポストが試験的に置かれ始めます。このとき試されたのは、主に2つの型でした。

俵谷式と中村式

考案者の名をとって「俵谷式(たわらやしき)」「中村式」と呼ばれます。中村式は雨が入りにくい工夫を加えた型で、差入口は中村幸治が実用新案として登録していました。

角を丸くした円筒形

形は円柱です。角を丸くしたのは、道を行く人の邪魔にならないためでした。赤い色と丸い形は、このときから一組で考えられていたことになります。

1908年に正式な形が決まる

試験を経て、1908年(明治41年)10月29日に逓信省が正式な雛形(ひながた)を定めました。これが赤い「回転式ポスト」です。

回転盤のついた差入口

回転式ポストの差入口には、くるりと回る盤が付いていました。ところが故障しやすく、使いにくいという声も上がります。

1912年の庇付きポスト

1912年(明治45年)には回転盤を外し、差入口の上に雨よけの庇(ひさし)を付けた型に改められました。赤くて丸い、なじみのあるポストの原型がここでほぼ出そろいます。

イギリスのポストをまねて赤くした?

ロンドンの時計塔ビッグ・ベンのイラスト

「イギリスのポストが赤いから日本も赤にした」という説明はよく見かけます。けれども日本の公文書に残る理由は、あくまで見つけやすさでした。

イギリスも最初は赤ではなかった

柱型ポスト(ピラーボックス)の本家イギリスでも、はじめから赤だったわけではありません。

1852年、ジャージー島の4本

イギリス最初の柱型ポストは1852年、英仏海峡に浮かぶジャージー島に4本置かれました。提案したのは郵便局員で、のちに小説家として知られるアンソニー・トロロープです。

目立たない緑色が標準だった

1859年には、くすんだ緑色が標準色になりました。景色になじむ色を選んだところ、なじみすぎて見つけにくいと苦情が出たといいます。ぶつかる人までいたそうです。

1874年にイギリスも赤へ

イギリスは1874年に赤を正式な色と定めました。全国のポストを塗り替え終えたのは1884年で、10年がかりの作業です。

日本の黒ポストとイギリスの緑ポストは、同じ悩みを抱えていたことになります。地味な色は「どこにあるのかわからない」。両国とも、行き着いた答えが赤でした。

アイルランドでは赤から緑へ

逆向きに色が変わった国もあります。1922年にアイルランド自由国が成立すると、イギリス時代のポストはほとんどそのまま使われ、色だけ緑に塗り直されました。ポストの色が、国の移り変わりを映した例です。

金メダリストの金色ポスト

2012年のロンドン五輪・パラリンピックでは、金メダルを取った選手の地元のポストが金色に塗られました。この金色ポストは、その後も金色のまま残されています。

日本の郵便とイギリスのつながり

前島密は郵便の創業前後にイギリスへ渡り、現地の郵便を見ています。制度づくりでイギリスを手本にした部分は多く、色にも影響があったと考える人がいるのは自然です。

ただ、イギリスの赤は日本の黒ポストより後の1874年からです。日本が赤に切り替えた直接の理由として記録に残るのは、やはり「見分けやすさ」でした。イギリスの影響は、あくまで一説として受け取るのがよさそうです。

赤い丸ポストはその後どう変わった?

赤い角型の郵便ポストのイラスト

赤い色は100年以上変わっていません。変わったのは素材と形です。

戦争中はコンクリート製に

1945年(昭和20年)前後、戦時の物資不足で鉄が足りなくなります。この時期にはコンクリートで作ったポストが置かれました。

「郵便差出箱1号」の丸ポスト

戦後に鉄材が手に入るようになると、赤い丸ポストが戻ってきます。昭和の街角でおなじみだったのがこの型です。

「郵便箱」から「郵便差出箱」へ

1948年(昭和23年)、ポストの正式な名前は「郵便箱」から「郵便差出箱」に改められました。翌1949年からは、丸ポスト「郵便差出箱1号」が全国に置かれていきます。

角型ポストの登場

1970年(昭和45年)ごろからは、郵便物の増加に合わせて角型のポストが増えました。増え続ける郵便物を、効率よく集めて処理するための変更です。形が変わっても、色は赤のまま受け継がれました。

丸ポストと角型のあいだにも、改良は細かく続いています。1951年には集めた郵便物を袋で受ける「3号」、1960年には速達の増加に合わせた大型の「4号」が登場しました。番号が増えるたびに、ポストは少しずつ大きく、扱いやすくなっていきます。

全国に約18万6千本

日本郵便によると、2011年度(平成23年度)のポストの数は全国で約18万6千本でした。その大半が赤い色をしています。100年以上前の「見分けやすく」という判断が、いまも街のあちこちで生きているわけです。

赤以外の色のポストもある?

地球儀のイラスト

数は少ないものの、日本にも赤くないポストがあります。目を海外に向けると、赤はむしろ少数派です。

速達専用の青いポスト

青いポストは、速達郵便だけを受け付ける専用ポストです。昭和30年代はじめに、大都市のオフィス街を中心に置かれました。

空の色を受け継いだ青

戦前には、青緑色をした航空郵便専用のポストがありました。速達ポストの青は、その空をイメージした色を引き継いだものとされています。

航空郵便専用ポストが日本に登場したのは1929年(昭和4年)、航空郵便の制度が始まった年です。同じころイギリスでも、空軍の制服に近い青色の航空郵便専用ポストが置かれていました。空の便には青、という発想は国をまたいで似ていたようです。

大阪に集まる約40本

1970年代には全国に約400本あったとされます。2013年の日本経済新聞の記事では全国39本まで減り、そのうち27本が大阪市内にありました。赤いポストに比べると、出会えたら運がいいくらいの珍しさです。

ご当地の色をまとったポスト

観光地などでは、地域の名物や言い伝えにちなんで色を塗り替えたポストも見られます。

宮崎・青島の「幸せの黄色いポスト」

宮崎市の青島へ渡る弥生橋の手前には、黄色いポストが立っています。もとは赤い丸ポストで、2014年(平成26年)7月に黄色へ塗り替えられました。青島に伝わる豊玉姫(とよたまひめ)と山幸彦(やまさちひこ)の恋文の神話にちなんだ、幸せのしるしです。

国によって違うポストの色

ポストの色は国ごとにさまざまです。主な例を並べてみます。

国主な色ひとこと
日本赤1901年の鉄製ポストから
イギリス赤1874年に緑から変更
アイルランド緑独立後、イギリス時代のポストを緑に塗り替え
アメリカ青1971年から濃い青
フランス・ドイツ黄ヨーロッパには黄色のポストの国が多い
中国緑アイルランドと同じく緑

アメリカは赤をやめた国

アメリカでも1880年代ごろ、赤いポストが使われた時期がありました。ところが同じ赤に塗られた警察の通報箱と紛らわしく、やめてしまいます。第一次世界大戦のあとは、陸軍から譲られた大量の塗料を使ったオリーブ色の緑が標準になりました。

赤・白・青の3色から濃い青へ

1955年には、国旗にちなむ赤・白・青の3色塗りに変わります。上半分が赤、下半分が青という配色でした。いまの濃い青一色になったのは、郵便事業が新しい組織に改められた1971年のことです。

目立つ色が正解とは限らず、ほかの箱と間違えない色が選ばれた、というのがおもしろいところです。日本の黒ポストが便所と間違えられた話と、どこか通じるものがあります。

街角の赤は、ただの決まりごとではありません。見つからない、燃える、別の箱と間違えられる。そうした小さな失敗を一つずつ片づけた末に残った色が、あの赤なのです。

参考

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