盛岡じゃじゃ麺は、平打ちの白い麺に肉みそときゅうりをのせ、よく混ぜて食べる料理です。1948年(昭和23年)、岩手県盛岡市に開業した「白龍(パイロン)」が発祥とされており、第二次世界大戦後に満州から帰還した創業者が現地の麺料理をヒントに考案しました。
食べ終わりに生卵を器に割り入れ、残った肉みそとお湯を加えて「チータンタン(鶏蛋湯)」というスープにする習慣がじゃじゃ麺には付いています。この「麺を食べてからスープを作る」という流れは他の麺料理にはなく、じゃじゃ麺ならではの食体験を作り出しています。
盛岡じゃじゃ麺の歴史——年表
戦後の盛岡で生まれたじゃじゃ麺が、盛岡三大麺の一角を占めるまでの道のりを時系列で追いました。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1948年 | 高階貫勝(たかしなかんしょう)が盛岡市に「白龍(パイロン)」を開業。じゃじゃ麺を提供し始める |
| 1950〜60年代 | 盛岡市民の間に「白龍のじゃじゃ麺」として口コミで広まる。庶民的な安価な麺として定着 |
| 1982年 | 東北新幹線が盛岡まで延伸。観光客が増え、盛岡の食文化として認知され始める |
| 1990年代 | 「盛岡三大麺(じゃじゃ麺・わんこそば・冷麺)」という呼称が定着し、盛岡の食の代名詞に |
| 2000年代以降 | 盛岡市内に白龍以外のじゃじゃ麺専門店・提供店が増加。観光客向けの定番料理として確立 |
| 現在 | 盛岡市内の提供店は50軒以上。白龍は2代目・3代目に引き継がれ現在も営業中 |
一人の人物が戦地で出会った味を持ち帰り、70年以上にわたって地域の食文化になった料理です。
誕生の背景——満州からの帰還と白龍
高階貫勝と「白龍」の創業
じゃじゃ麺の生みの親は、高階貫勝(たかしなかんしょう)という人物です。岩手県出身の高階は戦時中に中国・満州(現中国東北部)に渡り、現地の麺料理「炸醤麺(ジャージャーメン)」に出会いました。終戦後、盛岡に帰還した高階は1948年に「白龍(パイロン)」という屋台を開き、満州で食べた麺料理を日本人向けにアレンジして提供し始めます。
当初は屋台での販売でしたが、評判が広まるにつれて店舗を構えるようになりました。現在の「白龍」本店(盛岡市内丸)は高階の孫の代が営業を続けており、じゃじゃ麺発祥の店として観光客にも広く知られた存在です。
中国の炸醤麺(ジャージャーメン)との関係
中国の炸醤麺は、豚ひき肉と豆板醤・甜麺醤(テンメンジャン)を炒めた「炸醤(ジャージャン)」を麺にのせた料理で、北京・四川など中国各地に根付いている麺です。韓国にも「짜장면(チャジャンミョン)」として広まっており、アジア各地で食べられています。
盛岡じゃじゃ麺は炸醤麺を直接再現したものではなく、高階が現地の味を記憶を頼りに独自に再解釈した料理です。使う麺も中国式の細麺ではなく平打ちのうどん麺に変わり、スープを使わない混ぜ麺スタイルに仕上げた点も独自の工夫です。チータンタンという食べ方も白龍が独自に始めたとされています。
じゃじゃ麺の特徴——麺・肉みそ・チータンタン
平打ちうどん麺と肉みその組み合わせ
盛岡じゃじゃ麺の麺は、白くてやわらかな平打ちの茹で麺です。うどんに近い食感ですが、うどんより薄くなめらかで、肉みそとよく絡む特性を持っています。注文すると、茹でた麺にたっぷりの肉みそと刻んだきゅうりを乗せた状態で出てくるのが基本スタイルです。
肉みそは豚ひき肉を味噌・しょうが・にんにくで炒めたもので、白龍では「秘伝の肉みそ」として創業以来の配合を守っています。テーブルには辛みそ・酢・ラー油・しょうが・にんにくが置かれており、自分好みに味を調えながら食べるスタイルが基本です。
「チータンタン」——食べ終わりの一杯
じゃじゃ麺の食べ方で最も特徴的なのが「チータンタン(鶏蛋湯)」です。麺を食べ終えた後、器に生卵を一個割り入れて店員に渡すと、熱いお湯と肉みそを加えてスープを作ってくれます。「鶏蛋湯」は中国語で「鶏卵のスープ」という意味で、白龍での呼び名が「チータンタン」です。
麺に残った肉みそと卵が溶け合い、シンプルながらコクのあるスープが生まれます。「麺→スープ」という流れが一連の食事として完結する設計になっており、チータンタンを飲み干してじゃじゃ麺は終わるのが盛岡流の作法です。
盛岡三大麺とじゃじゃ麺の位置づけ
わんこそば・冷麺との共存

盛岡は「わんこそば」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」の三つを「盛岡三大麺」として打ち出しています。それぞれ全く異なる出自を持ちます。わんこそばは岩手の在来蕎麦文化、盛岡冷麺は朝鮮半島の冷麺を在日コリアンが盛岡にもたらしたもの、じゃじゃ麺は満州帰りの創業者による発案です。
三つとも「盛岡生まれ」ではなく、外部から持ち込まれた食文化が盛岡で定着した点が共通しています。東北の地方都市でありながら、多様な麺文化が共存する特異な食環境が盛岡には形成されました。
全国への広がりと専門店
じゃじゃ麺は長年「盛岡でしか食べられない麺」として知られてきましたが、2010年代以降は東京・仙台・大阪などの都市にも専門店が出始めました。白龍が監修したレトルト商品や、通信販売で肉みそを購入できるようになったことも、全国への認知拡大を後押ししています。
とはいえ、盛岡以外での認知度はわんこそばや冷麺に比べるとまだ限定的です。「チータンタンを頼む作法を知らない」という初訪問者が多いことからも、じゃじゃ麺は今も「盛岡で体験する麺」としての側面が強い料理です。
豆知識——「じゃじゃ」という言葉の意味
炸醤(ジャージャン)の転訛
「じゃじゃ麺」の「じゃじゃ」は、中国語の「炸醤(ジャージャン)」が日本語に転訛したものとされています。「炸醤」は「揚げた(炸)味噌(醤)」を意味し、豚肉と味噌を炒めて作る肉みそ全体を指す言葉です。
中国語では「ジャージャン麵(炸醤麵)」と言いますが、これが日本語化する過程で「じゃじゃめん」になったと考えられています。韓国の「チャジャンミョン(짜장면)」も同じ「炸醤」が語源であり、一つの中国語の料理名がアジア各国で異なる発音で定着した例のひとつです。
帰国後、満州で出会った炸醤麵の味を盛岡の人に届けようと開いた一軒の店が、70年以上経って地域の名物になった。高階貫勝が最初に作った一杯の麺は、盛岡の食文化の地図を変えました。


