ビーフシチューは、日本に伝わった西洋料理の中で最も早く根づいた一品のひとつです。幕末の横浜・長崎の居留地にやってきた外国人とともに日本に入り、明治期の洋食堂でいち早く定番メニューになりました。
ビーフシチューの歴史——年表
幕末の伝来から家庭料理として定着するまでの流れをまとめています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1850〜60年代 | 幕末の開港地(横浜・長崎・神戸)にやってきた外国人の食事としてシチューが伝わる。イギリス・フランス海軍の料理人が関与したとされる |
| 明治時代 | 横浜・東京の洋食堂でビーフシチューが提供され始める。「牛肉の赤ワイン煮込み」として上流・中流階級に普及 |
| 明治末〜大正期 | 西洋料理の書籍にビーフシチューのレシピが掲載され、家庭料理としての認知が広まる |
| 昭和初期 | 洋食の大衆化とともにビーフシチューが広まる。赤ワインの代わりに醤油を使う「日本式」も登場 |
| 1966年〜 | ハウス食品がシチューの固形ルーを発売。家庭で手軽に作れるようになり一気に普及 |
| 現代 | 洋食レストランの定番・家庭料理の両面で定着。クリームシチューと並ぶシチューの二大定番に |
「シチュー」の中で日本に最も早く伝わったのがビーフシチューです。
発祥——幕末の横浜と「居留地料理」
「イギリス海軍のシチュー」説
ビーフシチューが日本に伝わった経緯については複数の説があります。有名なのは「幕末に横浜へ来航したイギリス海軍の料理人が現地で作った」という説で、イギリス海軍では長期航海中に牛肉・野菜・香辛料を煮込んだシチューが主食のひとつでした。
横浜・長崎・神戸の居留地では外国人向けの食材が調達され、居留地内のホテルや料理店でビーフシチューが提供されていたと記録に残っています。日本人コックがその料理を学び、洋食堂で再現したのがはじまりとされています。
明治の洋食堂での普及
明治時代に東京・横浜に開業した洋食堂では、ビーフシチューが早い段階からメニューに加わりました。当時の価格は一般庶民には高価で、上流・中流階級の「ハレの食事」として位置づけられていました。
大正から昭和にかけて洋食が大衆化すると、ビーフシチューも身近になっていきます。高価な赤ワインの代わりに醤油やウスターソースで味を整える「日本式ビーフシチュー」が生まれ、家庭で作られるようになりました。
ビーフシチューの特徴——欧米式と日本式の違い
ビーフシチューは発祥地のヨーロッパでも作られていますが、日本式とは素材・調味の点でいくつか違いがあります。
| 特徴 | 欧米式 | 日本式 |
|---|---|---|
| ベースの調味 | 赤ワイン・ハーブが中心 | ウスターソース・醤油を加えることが多い |
| とろみ | 小麦粉または野菜の自然なとろみ | 固形ルーや市販ソースでつけることが多い |
| 肉の種類 | 牛すね・肩ロースなどの硬い部位 | バラ肉・もも肉が一般的 |
| 食べ方 | パンと合わせることが多い | ご飯と一緒に食べることも多い |
日本のビーフシチューはウスターソースの甘酸っぱさが加わることで、欧米のものより甘みが出るのが特徴です。

豆知識——「ハヤシライス」との深い関係
ビーフシチューがハヤシライスを生んだ
「ハヤシライス」はビーフシチューから派生した料理とされています。ビーフシチューにご飯を添えた食べ方が「ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス」として洋食堂で提供され、それが日本語化して「ハヤシライス」になったという説が有力です。
ハッシュドビーフとの違い
「ハッシュドビーフ(Hashed Beef)」とは薄切り牛肉とたまねぎをデミグラスソースで煮たもので、ビーフシチューより肉が薄く調理時間も短い料理です。現代の日本ではハヤシライスとして定着しており、ビーフシチューと明確に区別されていますが、もとは同じ流れから生まれた兄弟のような関係にあります。
幕末の居留地からはじまったビーフシチューが、日本の食文化を通じてハヤシライスという新しい料理を生み出した——この流れを知ると、洋食の受容と変容の面白さが見えてきます。


