「全然大丈夫」は本当に誤用?——「全然」はかつて肯定にも使われていた

言葉と論理の話
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「全然大丈夫だよ」。そう口にすると、「全然は否定とセットでしょ」と直された経験はありませんか。

ところが、その「常識」のほうが、実はあとから生まれたものでした。明治の文豪たちは、「全然」を堂々と肯定の文で使っています。

国語辞典のイラスト
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「全然+肯定」をめぐる、3つの事実

広く信じられている「常識」と、言葉の歴史が伝える事実を、つき合わせてみましょう。

よくある常識実際のところ
「全然」は否定とセットが正しい明治〜戦前は肯定でも普通に使われた
「全然大丈夫」は最近の言葉の乱れ古くからある使い方に近い
「肯定はダメ」が昔ながらの決まりこの決まり自体が戦後に広まった

ひとつずつ、たしかめていきます。

そもそも「全然」とはどんな言葉か

原義は「すっかり・まったく」

「全然」は、漢語からきた副詞です。「まったくそうである」「すっかり」という意味で、程度の強さを表します。注目したいのは、この言葉自体に「否定と組み合わせなければならない」という決まりが、もともと備わっていなかった点です。

漱石も鷗外も「全然」を肯定で使っていた

では、昔の人は実際にどう使っていたのでしょうか。手がかりは、よく知られた文学作品のなかにあります。

明治・大正の文豪たちの用例

夏目漱石は『趣味の遺伝』で、「マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である」と書いています。ここでの「全然」は、否定ではなく「まったく同じ」という肯定の強調です。同じように森鷗外・石川啄木・芥川龍之介・太宰治といった作家も、否定を伴わない「全然」を使っていました。太宰治の『鷗』には、「全然新しいものが、そこに在るのだ」という一文も見られます。

夏目漱石の似顔絵イラスト

昭和の初めも、肯定が多数派だった

これは一部の例外ではありません。国立国語研究所が昭和10年代の「全然」の使われ方を調べたところ、肯定の用法が6割を超えていました。つまりこの時代までは、「全然+肯定」はむしろふつうの言い方だったのです。

「否定とセット」はいつ常識になったのか

肯定でも使われていた「全然」は、どこで「否定専用」になったのでしょうか。意外なことに、その変化はかなり最近のできごとでした。

規範が広まったのは戦後

「全然のあとは否定でなければ誤り」という考え方が定着したのは、昭和20年代後半、つまり戦後のことだとされています。言葉の長い歴史から見れば、ごく新しい「きまり」です。なぜこの規範が急に広まったのかは、はっきりとはわかっていません。研究者のなかには、これを根拠の薄い「迷信」と呼ぶ人もいます。

では「全然大丈夫」は使ってよいのか

ここまでの話をふまえると、最初の疑問にも答えが出せるはずです。

「誤り」とは言い切れない

歴史をたどれば、「全然+肯定」には長い実績があります。だから、これを一律に「誤用」と切り捨てるのは乱暴でしょう。実際、近年改訂された国語辞典は、否定を伴わない使い方にも触れるようになりました。少なくとも「絶対に間違い」とまでは言えないのです。

ただし、場面は選びたい

とはいえ、「全然いいよ」のような言い方を、くだけた印象だと受け取る人もいます。改まった場やビジネスの文書では、「問題ありません」「差し支えありません」に言いかえると無難です。正しいか正しくないかより、相手や場面に合うかどうかで選ぶのが現実的でしょう。

豆知識——「とても」も昔は否定とセットだった

同じような変化は、ほかの言葉でも起きています。たとえば「とても」です。いまでは「とても良い」と肯定で使いますが、もともとは「とても及ばない」のように、否定とセットで使う言葉でした。

作家の芥川龍之介は、随筆『澄江堂雑記(ちょうこうどうざっき)』のなかで、「とても安い」のような肯定の言い方を当時の新しい流行だと書き留めています。本来は否定を伴うのが正しい、というわけです。けれどその「新流行」は、いまではすっかり当たり前になりました。言葉の「正しさ」は、世代をまたいで静かに移り変わっていくものなのです。

芥川龍之介の似顔絵イラスト

ことばの正しさは、時代ごとに引き直される一本の線にすぎません。その線がいつ引かれたかを知れば、見方は変わります。「全然大丈夫」は、全然、まちがった日本語ではないのですから。