四十九日の「49」はどこから来た数字か——仏教が考えた死後の四十九日間

文化と価値観の話
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身近な人を送ったあと、最初に訪れる大きな区切りが「四十九日(しじゅうくにち)」です。なぜ、五十でも百でもなく、四十九という半端な数字なのか。じつはこの49は、7日を7回くり返した「7×7」でできています。その背景には、死んでから次の生へ移るまでの旅を49日間と考えた、古い仏教の死生観がありました。

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  1. 四十九日までの「七日ごと」——冥途の旅の日程
  2. 中陰とは何か——「死」と「次の生」のあいだ
    1. もとは「中間の生存」という意味
      1. 語源はサンスクリットの「アンタラーバヴァ」
      2. インド仏教が説いた死後の「途中」
    2. じつは期間には複数の説があった
      1. 「7日」「49日」「無限定」が併存していた
      2. 東アジアへ広まったのは「49日」説
  3. なぜ「七日ごと」に「七回」なのか
    1. 七日で一度、生まれ変わりの機会が来る
      1. 中有の長さは「最長で七日」とされた
      2. 整わなければ一度死に、また中有に戻る
    2. くり返しは最多で七回、だから七七日
      1. 七回目でさすがに落ち着く
      2. 「七」という数字そのものにも重みがある
  4. 七日ごとに裁かれる——十王による審判
    1. 中国で生まれた「あの世の裁判」
      1. 十世紀の『十王経』が源
      2. 「中間の期間」に「役人が裁く」物語が重なった
    2. 誰が、いつ裁くのか
      1. 三十五日目の閻魔王がいちばん有名
      2. 四十九日目の太山王で来世が定まる
  5. 四十九日で「忌が明ける」とはどういうことか
    1. 数え方は「命日を一日目」に
      1. 実際には四十八日後が四十九日
      2. 地域によって数え方が違うことも
    2. 忌明けで、しつらえも変わる
      1. 白木の位牌から本位牌へ
      2. 「三月またぎ」を避ける風習も
  6. 「裁き」を説かない宗派——浄土真宗の四十九日
    1. 亡くなってすぐ、仏になる
      1. 往生即成仏という考え方
    2. では、法要は誰のためか
      1. 遺された人が仏縁を結ぶ場として
  7. もう一歩——四十九日をめぐる豆知識
    1. 十王に三仏を足した「十三仏」
    2. 初七日は、いまや葬儀と同じ日に

四十九日までの「七日ごと」——冥途の旅の日程

数珠

古い仏教の物語では、亡くなった人はあの世で七日ごとに裁きを受けながら旅をする、と語られてきました。その旅程をひとつずつ書き出したのが、下の表です。

節目命日から裁きの王いわれ
初七日7日目秦広王(しんこうおう)最初の裁き
二七日14日目初江王(しょこうおう)三途の川を渡る
三七日21日目宋帝王(そうていおう)生前の行いを調べる
四七日28日目伍官王(ごかんおう)罪の軽重をはかる
五七日35日目閻魔王(えんまおう)もっとも有名な裁き
六七日42日目変成王(へんじょうおう)生まれ変わる先を定める
七七日(満中陰)49日目太山王(たいざんおう)来世が確定=忌明け

七日ごとに七つの節目があり、七回目の四十九日で旅が終わる。この「七の七回」こそが、49という数字の正体です。ではなぜ「七日ごと」で「七回」なのか、順にほどいていきます。

中陰とは何か——「死」と「次の生」のあいだ

四十九日の根っこにあるのが「中陰(ちゅういん)」という考え方です。人は死んですぐ次の生を受けるのではなく、そのあいだに宙ぶらりんの期間がある、ととらえます。

お墓の前で手を合わせる女性

もとは「中間の生存」という意味

語源はサンスクリットの「アンタラーバヴァ」

中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、その原語はサンスクリットの「アンタラーバヴァ」です。「中間の・生存状態」という意味で、死の瞬間から次の生を受ける刹那までの、途中の状態を指します。

中有(ちゅうう)/アンタラーバヴァ(antarā-bhava)とは、「antarā(中間の)+ bhava(生存)」からなる言葉で、死と次の生とのあいだの中間的な存在・期間を指す仏教語です。

インド仏教が説いた死後の「途中」

この考えは、インド仏教のなかでも説一切有部(せついっさいうぶ)という学派がくわしく論じたものとされています。生まれ変わり(輪廻)を前提とした見方で、亡くなった人はこの中間状態を経てから次の生を受けると考えました。

じつは期間には複数の説があった

「7日」「49日」「無限定」が併存していた

最初から「49日」と決まっていたわけではありません。古い経典や論書では、中有の長さについて「7日」「49日」「定まらない」など、いくつもの説が並んで伝えられていました。四十九日は、そのうちの一つの見方だったのです。

東アジアへ広まったのは「49日」説

数ある説のなかで、中国から日本へと東アジアに定着したのが49日説でした。七日ごとに法要を営み、四十九日を一区切りとする習わしは、この説をよりどころにしています。日本で広まったのは、平安時代の後半あたりからのことでした。

なぜ「七日ごと」に「七回」なのか

7×7という組み立てには、中有をめぐる古い理屈が隠れています。ポイントは「七日でいったん区切りが来る」という考え方です。

カレンダー

七日で一度、生まれ変わりの機会が来る

中有の長さは「最長で七日」とされた

説一切有部の考えでは、一つの中有の状態が続くのはせいぜい七日ほど、とされました。その七日のうちに生まれ変わる条件(縁)が整えば、次の生へ移っていきます。

整わなければ一度死に、また中有に戻る

もし七日のうちに縁が整わなければ、その中有はいったん終わります。そしてまた新たな中有として次の七日を過ごす。これがくり返されると考えられました。

くり返しは最多で七回、だから七七日

七回目でさすがに落ち着く

七日ごとの区切りは、多くとも七回まで。七回くり返せば、遅くとも四十九日目には次の生が定まる、という理屈です。七回目の節目が「七七日(しちしちにち)」、つまり四十九日で、中陰が満ちる日という意味で「満中陰(まんちゅういん)」とも呼ばれます。

「七」という数字そのものにも重みがある

なぜ「七」で区切るのかについては、インド以来の数のとらえ方が背景にあるともいわれますが、はっきりした一つの答えがあるわけではありません。それでも、七日をひと区切りとする感覚は根強いもの。初七日から一周忌へと続く法要の間隔にも、そのまま生きています。

七日ごとに裁かれる——十王による審判

この四十九日間を、より物語らしくしたのが「十王(じゅうおう)信仰」です。冒頭の表に並んだ王たちは、ここから登場します。

閻魔大王

中国で生まれた「あの世の裁判」

十世紀の『十王経』が源

亡くなった人が七日ごとに王の前で裁かれる、という筋書きは、10世紀ごろの中国で書かれた『十王経(じゅうおうきょう)』にまとめられています。インド由来の中有の考えが、中国の道教とまじわるなかで、こうした「あの世の裁判」の形に整えられていきました。

「中間の期間」に「役人が裁く」物語が重なった

インドの「死後の途中の期間」という抽象的な考えに、中国の「役所で役人が罪を調べる」というなじみ深い発想が重なった、と見ることができます。死者が旅の途中で次々と王に呼ばれ、生前の行いを問われる——そんな具体的な情景ができあがりました。

誰が、いつ裁くのか

三十五日目の閻魔王がいちばん有名

王のなかでも広く知られているのが、五七日(35日目)を受けもつ閻魔王(えんまおう)です。地獄の裁判官として絵にも描かれ、うそをつくと舌を抜かれる、という言い伝えでもおなじみでしょう。裁きの折り返し地点に、いちばんの大物が控えているわけです。

四十九日目の太山王で来世が定まる

そして七七日(49日目)を担当するのが太山王(たいざんおう)で、ここで生まれ変わる先が最終的に決まるとされます。なお十王は四十九日で終わりではありません。百箇日(ひゃっかにち)の平等王・一周忌の都市王・三回忌の五道転輪王(ごどうてんりんおう)まで、合わせて十人です。追善の法要が三回忌まで続くのは、この十王に対応しているためだといわれます。

四十九日で「忌が明ける」とはどういうことか

来世が定まる四十九日は、遺された側にとっても大きな区切りです。ここで「忌明け(きあけ)」を迎えます。

白木の位牌

数え方は「命日を一日目」に

実際には四十八日後が四十九日

四十九日の数え方には少しコツがあります。一般には、亡くなった日そのものを一日目に数えるのが決まりです。そのため四十九日目は、実際には亡くなってから48日後。初七日も、命日を含めて七日目なので、亡くなった日の6日後にあたります。

地域によって数え方が違うことも

この数え方は全国一律ではありません。関西の一部などでは、命日の前日を一日目として数える地域もあり、その分だけ日取りが一日早まります。法要の日は、こうした地域の慣習や参列者の都合に合わせて、前倒しで決めるのが今ではふつうです。

忌明けで、しつらえも変わる

白木の位牌から本位牌へ

四十九日までのあいだ、遺骨や白木の位牌は「中陰壇(ちゅういんだん)」という仮の祭壇にまつられます。忌明けを機に、白木の位牌は漆塗りの本位牌に替えられ、拝む場所も本来の仏壇へと移ります。仮のしつらえを本式に改める節目でもあるのです。

「三月またぎ」を避ける風習も

四十九日が三か月にまたがると「三月(みつき)またぎ」といって嫌い、五七日(35日目)で忌明けとする地域もあります。「始終苦(しじゅうく)が身につく」という語呂合わせから来た言い伝えとされ、仏教の教えというよりは俗信に近いものです。気にする人がいれば早めに切り上げる、という程度に受けとめてよいでしょう。

「裁き」を説かない宗派——浄土真宗の四十九日

ここまでは十王信仰をふまえた、いわば標準的な四十九日像です。ただし、すべての宗派がこの「裁きの旅」を説くわけではありません。浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、はっきり別の立場をとります。

合掌して念仏を唱えるお坊さん

亡くなってすぐ、仏になる

往生即成仏という考え方

浄土真宗では、人は亡くなると同時に阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願のはたらきでただちに極楽浄土へ生まれ、仏になると説きます。これを「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」と呼びました。ですから、七日ごとに裁かれながらさまよう中陰の旅は、この宗派の教えには出てきません。

では、法要は誰のためか

遺された人が仏縁を結ぶ場として

裁きがないなら、四十九日の法要は何のために営むのか。浄土真宗では、これを故人の来世をよくするための供養ではなく、遺された人のための時間ととらえます。故人に手を合わせて感謝し、悲しみを見つめ直しながら仏の教えに触れる。そうして生きている側が仏縁を結ぶ場、という受けとめ方です。同じ四十九日でも、宗派によって意味づけはずいぶん違うのですね。

もう一歩——四十九日をめぐる豆知識

焼香の香炉

十王に三仏を足した「十三仏」

日本では十王に三つの仏(王)を加え、七回忌・十三回忌・三十三回忌まで面倒を見る「十三仏(じゅうさんぶつ)」の信仰へと広がりました。それぞれの王に、不動明王や釈迦如来といった仏がひそかに割り当てられているとされ、裁く王と救う仏が裏表になっているのがおもしろいところです。

初七日は、いまや葬儀と同じ日に

本来は命日の6日後に営む初七日も、遠方から集まる負担を考え、葬儀と同じ日に繰り上げて行う「繰り上げ初七日」が今では一般的です。旅立ったばかりの最初の裁きを、送り出しと一度にすませてしまう形が広まりました。

四十九日という区切りは、あの世を旅する故人のためのものです。同時に、残された人が悲しみに一区切りをつけるための時間でもあります。7×7という数字の内側には、亡き人を思う四十九日ぶんの祈りがそっと畳み込まれているのかもしれません。