隣で寝ている人には一晩じゅう聞こえていた音が、出している本人にはひとつも届いていません。これほど聞き手と出し手で受け取り方の食い違う音も、そうはありません。
MSDマニュアル家庭版も「いびきをかく人は、誰かに教えられない限り、自分で気づくことはめったにありません」と書いています。では、耳が休んでいるのでしょうか。それとも、音そのものが本人まで届いていないのでしょうか。
「寝ているから」は、半分だけ正しい

この疑問には、いくつもの説明が出回っています。どれも間違いではないのですが、点の取れる範囲はそれぞれ違うようです。先に、よく言われる四つの答えを採点しておきます。
| よく言われる答え | どこまで正しいか | 実際に効いている仕組み |
|---|---|---|
| 寝ているから聞こえない | 半分。音は耳まで届いていて、聴覚そのものは働いている | 眠っている間は、音が「気づき」に上がる手前で止められる |
| 深く眠っているから | 一部。ただし、いびきが最も出るのは最も深い段階ではない | 成人では中くらいの深さの段階に、いびきの約7割が集中する |
| 自分の音には慣れているから | ありうるが、そのままでは説明が足りない | 規則的な音への順応は働く。ただし「自分で出した音だから」の理屈は成立しにくい |
| そもそも起きていない | 誤り。目は覚めていても、短ければ記憶に残らない | 朝まで憶えている覚醒には、平均で4分以上の長さが要る |
つまり、「聞こえない」の中身は一つではありません。届いていないのは音ではなく、音についての気づきのほうです。
眠っている脳は、音を意識まで運ばない

いびきは、眠って力の抜けた軟口蓋(なんこうがい)——口の天井の奥にあるやわらかい部分——が呼吸のたびに震えて鳴る音です。音源は本人の口の中にありますから、耳にも当然入っています。止まっているのは耳ではなく、そこから先の道のりです。
耳のほうは、ずっと開いている
鼓膜も内耳も、夜のあいだ休まない
目にはまぶたがありますが、耳にふたはありません。眠っていても鼓膜は振動し、内耳の細胞は音を電気信号に変えて送り出しています。目覚まし時計で起きられるのは、この経路が夜通し生きているからです。
音が消えるのは、その先
耳から届いた信号は、視床(ししょう)という中継所を通って大脳へ渡されます。眠りに入ると、この中継所の通し方が変わります。信号が来ていないのではなく、来た信号を上へ渡す量が絞られるわけです。
睡眠紡錘波というシャッター
11〜15ヘルツ、ほんの一瞬の波
眠っている人の脳波を記録すると、数秒に満たない小刻みな波がときどき現れます。睡眠紡錘波(すいみんぼうすいは)と呼ばれる、視床と大脳のあいだで生まれるリズムです。
※ 睡眠紡錘波とは、眠っている間の脳波にあらわれる11〜15ヘルツほどの短い振動のことです。糸を紡ぐ道具(紡錘)のような形に見えることからこの名がついています。
紡錘波が多い人ほど、騒音に強かった
この波が眠りを守っている、という研究があります。Dang-Vuらが2010年に『Current Biology』へ報告した実験では、まず静かな夜の脳波を記録し、次の夜に音を流して眠りが途切れるかどうかを調べました。静かな夜に紡錘波を多く出していた人ほど、騒がしい夜でも眠りを保てたのです。
紡錘波の出やすさは人によって違い、しかも夜ごとには変わりにくいとされます。「音に強い人」と「弱い人」がいるという実感には、それなりの裏づけがあるわけです。
遮断は完全ではない
覚醒閾値は、眠りの深さで動く
音で目覚めるのに必要な大きさを覚醒閾値(かくせいいきち)といいます。この値は一晩のあいだ一定ではありません。深いノンレム睡眠でいちばん高くなり、浅い段階では下がると報告されています。同じ音でも、鳴ったタイミング次第で人は起きたり起きなかったりします。
通り抜ける音と、止められる音
遮断は音量だけで決まるものでもありません。Perrinらが1999年に『Clinical Neurophysiology』へ報告した実験は、眠っている人へ自分の名前と他人の名前を聞かせ、脳の反応を比べています。自分の名前にだけ現れる違いは、眠っているあいだも消えませんでした。眠っている脳は音を消しているというより、選り分けていると言うほうが近いのかもしれません。
本当は目が覚めている。ただし憶えていない

ここまでは「気づかない」話でしたが、実際にはもう一段ややこしい事情があります。いびきをかいている人は、しばしば本当に目を覚ましています。それが記憶に残らないだけです。
覚醒が記憶になるまでの時間
平均259秒という測定
Winserらが2013年に『Sleep Medicine』へ発表した研究は、この境目を実際に測っています。健康な成人39名に自宅で腕時計型の活動量計をつけて眠ってもらい、夜間に目覚めた時間と、翌朝「起きた憶えがある」と答えた分を突き合わせました。
朝まで記憶に残るために必要だった覚醒の長さは、平均で259秒。4分19秒です。それより短い目覚めは、本人の記憶からきれいに消えていました。
30秒で憶えている人、600秒かかる人
この研究で興味深いのは、平均値よりも幅のほうです。必要な長さは30秒から600秒まで散らばっていました。同じ夜を過ごしても、「何度も目が覚めた」と言う人と「朝まで一度も起きなかった」と言う人が並んで生まれうるわけです。
いびきをかく夜に起きていること
数秒で終わる微小覚醒
気道が狭くなって呼吸がしにくくなると、脳は短く覚醒して筋肉に力を入れ直します。この数秒の目覚めを微小覚醒と呼びます。数秒であれば、先ほどの259秒には遠く及びません。朝には何も残らないわけです。
※ 微小覚醒(びしょうかくせい)とは、脳波の上では覚醒とみなせるものの、数秒程度で眠りに戻ってしまう短い目覚めのことです。本人はまず自覚しません。
「よく眠れた」という自己申告のずれ
だからこそ、睡眠時無呼吸の検査を受けた人が「自分はぐっすり眠れています」と話す場面が起こります。一晩に何十回と呼吸が乱れていても、その一回一回が短ければ記録には残り、記憶には残りません。本人の申告が軽いことは、症状が軽いことを意味しないのです。
「自分の音だから慣れている」はどこまで本当か

三つ目の説明として、「自分の音には慣れているから聞こえない」という言い方をよく見かけます。半分は当たっていますが、根拠として持ち出されるものは、しばしば的を外しています。
順応はたしかに働く
規則的な音ほど、早く背景になる
冷蔵庫のうなりや時計の秒針が、数分でどこかへ消えてしまう感覚には覚えがあるでしょう。感覚は変化を知らせる仕組みなので、変わらない刺激は次第に扱いが軽くなります。いびきは呼吸に乗って繰り返される、きわめて規則的な音です。
他人のいびきが気に障る理由
逆に、隣の人のいびきが耐えがたいのは、それが完全には規則的でないからです。ふいに止まり、しばらくしてまた大きく鳴る。次にいつ来るか読めない音は、背景に沈んでくれません。同じ音量なら、換気扇よりいびきのほうが気に障るはずです。
「自分が出した音」という説明の限界
自分でくすぐっても、くすぐったくない
自分で自分の脇腹をくすぐっても、他人にやられたときのようにはなりません。Blakemore・Wolpert・Frithが2000年に『NeuroReport』へまとめた総説によれば、脳は自分の運動指令から感覚の結果を先回りして予測しているとされます。予測どおりに来た感覚は弱められ、驚きが生まれません。予測と実際のずれが大きくなるほど、くすぐったさは戻ってくることも示されました。
同じ考え方は音にも広げられています。自分が声を出しているあいだ、聴覚そのものの反応が弱まるという報告もあります。
いびきは、意図して出す音ではない
ところが、いびきをこの理屈にあてはめようとすると足元が崩れるのです。予測のもとになるのは「自分がこう動かす」という運動指令にほかなりません。いびきは軟口蓋がひとりでに震えて鳴る音であって、本人が出そうとして出しているものではありません。
「自分の音だから」という説明は、ここでは順応の話に留めておくのが無難でしょう。よく似た二つの現象を、同じ理屈でまとめてしまわないほうがよさそうです。
いびきが最も出るのは、最も深い眠りではない

「深く眠っているから聞こえない」という説明も、実は調べてみると噛み合いません。いびきが集中する時間帯と、いちばん目覚めにくい時間帯は、そもそもずれています。
睡眠段階ごとの出やすさ
※ N1・N2・N3とは、ノンレム睡眠を浅いほうから順に分けた三段階のことです。N3がいわゆる深い眠り(徐波睡眠)にあたります。レム睡眠は、眼球が動き夢を見やすい別種の眠りです。
成人はN2に集中する
鈴木雅明らが2024年に『PLOS ONE』へ発表した研究は、睡眠検査のデータから、いびきがどの段階で出ているかを段階別に集計しました。軽症の睡眠時無呼吸がある成人93名では、いびきの68.2%がN2に集まっていたといいます。
| 睡眠段階 | 成人93名(軽症の無呼吸あり) | 小児47名(3〜12歳・無呼吸あり) |
|---|---|---|
| N1(いちばん浅い) | 7.5% | 7.9% |
| N2(中くらい) | 68.2% | 34.3% |
| N3(深い眠り) | 12.9% | 44.2% |
| レム睡眠 | 11.4% | 13.7% |
覚醒閾値がいちばん高いのはN3です。ところが成人のいびきは、そのN3ではなくN2で鳴っています。「いびきをかいている本人は、いちばん起きにくい眠りの底にいる」という図式は、成人については当てはまらないことになります。
子どもは逆に、N3が最多
同じ研究で、3〜12歳の子ども47名は正反対の分布を示しました。N3が44.2%で最も多く、N2は34.3%です。大人と子どもでは、気道の閉じ方も筋肉のゆるみ方も違うということなのでしょう。いびきをめぐる常識は、年齢をまたぐと簡単に裏返ります。
自分のいびきで目が覚めるとき
呼吸が戻る瞬間の音
まれに「自分のいびきで飛び起きた」という経験を持つ人がいます。多くの場合、聞こえたのは平坦ないびきではありません。気道がふさがって呼吸が止まり、再び通ったときに鳴る大きな音です。
MSDマニュアル家庭版は、閉塞性睡眠時無呼吸の患者のほとんどがいびきをかく一方、いびきをかく人すべてが無呼吸というわけではないと整理しています。危険因子として挙がるのは肥満・飲酒・慢性の鼻づまり・小さめの顎などです。
確かめる手立ては、本人の外にある
自分の耳で確かめられない以上、証拠は外側に取りに行くしかありません。同居している人に聞く、録音アプリをかけて眠る、動画で記録する。どれも古典的ですが、いびきについては本人の記憶よりよほど信用できます。呼吸が止まっている様子が記録に残るようなら、医療機関で相談する材料になります。
豆知識——枕草子のいびきと、1,139人分の音量

千年前から、聞いていたのは他人だった
『精選版 日本国語大辞典』が「鼾(いびき)」の項に挙げる最も古い用例は、10世紀の終わりに書かれた『枕草子』のものです。人目を忍んで隠れているはずの男が、いびきをかいてしまうという場面で出てきます。当時から、いびきは本人だけが知らない音だったわけです。
語の成り立ちには「息引き」説や「息響き」説などがあり、定説と呼べるものはありません。動詞の付き方も移り変わっていて、古くは「いびきす」、「いびきをかく」という言い方が広まるのは中世以降とされています。
測ると、思ったより静かで、思ったよりうるさい
いびきの音量を大規模に測った研究もあります。Wilsonらが1999年に『Chest』へ発表した調査は、睡眠検査を受けた1,139人のいびきを実際に録音して音圧を出しました。
結果として、うるさいほうから1割にあたる水準が55dBA(デシベルエー)を超えた人は、全体の12.3%でした。裏を返せば、残りの9割近くは会話より静かな範囲に収まっていたことになります。同じ調査は、もう一つの数字も出しています。体格指数が30を超え、なおかつ平均38dBAを上回るいびきをかく男性では、呼吸の乱れが多い状態にあたる割合が4.1倍でした。
※ dBAとは、人の耳の感じ方に合わせて重みづけした音の大きさの単位です。日常会話がおよそ60dBA前後にあたります。
音量そのものより、無呼吸と結びつくかどうかが問題になる。いびきの大きさは、隣で寝ている人の迷惑度とも本人の危なさとも一直線につながりません。そこがこの音のややこしいところです。
こうして並べてみると、いびきが自分に聞こえないのは、体の手落ちではないことが見えてきます。音を意識に上げない仕組みも、短い覚醒を記憶に残さない仕組みも、眠りを途切れさせないために働いているものです。ぐっすり眠れているという実感は、その働きぶりの証しでもあります。
厄介なのは、その守りが有能すぎるところでしょう。眠りを守る仕組みは、生活音と一緒に、自分の体が出している警告まで丁寧に伏せてしまいます。だから、いびきという知らせだけは、いつも他人の耳を経由してしか本人に届きません。
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