豚は、イノシシを家畜にした動物です。生物の分類でいうと、この二つは別々の種ではありません。どちらも Sus scrofa(スス・スクロファ)という一つの種の中に収まります。
とはいえ、山で撮られた写真と養豚場の写真を並べれば、たいていの人は迷わず言い当てます。同じ種のはずなのに、どうしてそこまで姿が違うのでしょうか。書き換わった場所を順にたどると、骨の本数という、ちょっと予想しにくいところにまで手が入っていました。
答えそのものは一行で済みます

この記事の答えは「同じ種で、豚のほうが人に合わせて改造されている」という一行で終わります。おもしろいのは改造の中身のほうなので、先に全体を片づけてしまいましょう。
| くらべる場所 | イノシシ | ブタ |
|---|---|---|
| 学名 | Sus scrofa | Sus scrofa domesticus(Sus domesticus とも書く) |
| 胸椎+腰椎の本数 | 19本(胸椎14・腰椎5)で個体差がない | 品種によって19〜23本と幅がある |
| 脳の大きさ | 比較の基準になるほう | おおむね18パーセント小さいという報告 |
| 発情の時期 | 12月ごろから2か月ほどに集中 | 季節を問わない |
| お産 | 年に1回、平均4〜5頭 | 年に2回前後、1回に12頭ほど |
| 法律上の身分 | 野生鳥獣 | 家畜 |
そして、両方の欄にまたがる事実がひとつあります。イノシシと豚をかけ合わせると子が生まれ、その子がさらに子を残せるのです。生きものを種で区切るときの、いちばん素朴な目安を二頭は軽く通過してしまいます。
「同じ種」と言い切れる三つの根拠

同じ種だと言われても、写真の印象とはうまく重なりません。ここでは名前・繁殖・遺伝子という三方向から、その言い切りの足場を確かめていきます。
学名そのものに書いてある
domesticus という但し書き
イノシシの学名は Sus scrofa。豚のほうは Sus scrofa domesticus と書かれます。最後に足された domesticus は「家畜の」という意味のラテン語で、独立した名前ではなく、あくまで但し書きです。
つまり学名の形が、そのまま関係を語っています。豚とはイノシシの一部であり、人の手が加わったほうの一群という位置づけです。
亜種か別種かは、書き手によって揺れる
ややこしいことに、豚を Sus domesticus と別種のように表記する資料もあります。家畜として独自の道を歩んだ集団を、実務上わけて扱いたい場面があるためです。
※ 亜種(あしゅ)とは、同じ種の中で、地域や集団ごとに姿や性質がまとまって違っているグループのことです。日本のイノシシも、本州などのニホンイノシシと、南西諸島のリュウキュウイノシシという二つの亜種に分けられています。
表記が揺れるのは、境目が生きもの側にはっきり引かれていないからでもあります。線をどこに引くかは、人の都合で動くわけです。
生まれた子が、さらに子を残す
1970年3月8日、和歌山で生まれた一頭
イノシシと豚の雑種がイノブタです。和歌山県によると、すさみ町長が昭和43年に雄イノシシの子を県の畜産試験場へ寄贈したのが発端で、その雄と雌豚の間に最初のイノブタが生まれたのが昭和45年3月8日にあたります。
組み合わせは、デュロック種かバークシャー種の雌豚と、雄イノシシ。産子数が多く取れることから、この配合が最良とされてきました。
「戻し交配」という言葉が意味すること
注目したいのは、その先です。和歌山県では平成26年度から、雌豚と雄イノブタをかけ合わせたB1イノブタの生産を始めています。
雑種の雄が親として使われている。これは、生まれた雑種に繁殖能力があることの何よりの証拠です。馬とロバの子であるラバがほとんど子を残せないのとは、事情がまるで違います。
遺伝子で見ると、豚は近所のイノシシの隣にいる
アジアとヨーロッパで、別々に始まった
家畜化がいつ始まったのかについては、およそ1万年前とする見方が広く紹介されています。中国南部の約1万年前の遺跡から、家畜化されたとみられる骨が出土しているためです。
そして重要なのは、この作業がアジアとヨーロッパで独立に進んだとされる点でしょう。どこか一か所で豚が発明され、そこから世界へ配られたわけではありません。
「豚という一本の血筋」は存在しない
ゲノムを調べた結果は、直感を裏切ります。アジアのイノシシとヨーロッパのイノシシを比べるより、同じ地域どうしのイノシシと豚のほうが系統として近いのです。
イノシシとは別に豚という系統がぶら下がっているのではなく、各地のイノシシからそれぞれ枝分かれした。系統樹の形そのものが、同じ種であることを示しています。
姿が変わったのは、体のどこが書き換わったからか

ここからは改造の中身に入ります。人が豚に求めたものは三つでした。たくさんの肉・扱いやすさ・途切れない繁殖です。この三つが体のどこを動かしたのかを見ていきましょう。
背骨の本数が増えた
イノシシは19本で動かない
哺乳類の背骨の数は、ふつう種ごとにほぼ決まっています。イノシシも例外ではなく、頸椎(けいつい)7・胸椎(きょうつい)14・腰椎(ようつい)5で固定。個体による差がありません。胴をつくる胸椎と腰椎だけなら、合わせて19本です。
ところが豚では、この数がばらつきます。中国の在来品種は胸椎と腰椎の合計が19〜20本ほど、ランドレースや大ヨークシャー、デュロックといった欧州系の商用品種では21〜23本にまで増えているという報告があります。
ロースの長さと、VRTNという遺伝子
なぜ増えたのか。背骨が1本増えれば胴がその分長くなり、豚肉の中でも高値のつくロースが余計に取れるからです。長い胴は、そのまま売り上げにつながります。
この本数を左右しているのがVRTN(バートニン)という遺伝子で、デュロックでの解析では体長に7.5ミリの差として現れました。乳頭の数が増える効果も一緒についてくると報告されています。選ばれたのは肉の量でした。書き換わったのは、骨格の設計そのものです。
脳は小さくなった
92頭のCTが出した18パーセントという数字
家畜になると脳が縮む、という話は昔から知られています。豚については長らく30〜40パーセントも小さいと言われてきました。
2024年に英国王立協会の『Royal Society Open Science』で公表された研究は、成獣92頭をCTにかけて頭蓋内の容積を測り直しています。出てきた差は18パーセント。従来言われてきた30〜40パーセントという幅は、この結果によって支持を失いました。小さくなったこと自体は確かでも、程度は測り方しだいで動くようです。
太る速さも変えられた
体の伸び方にも、はっきりした差がつきました。イノシシが90キロに届くまで1年以上かかるのに対し、改良された豚は半年で100キロを超えます。
もっとも、イノシシが小さいわけではありません。成獣の体重は80〜190キロほどにもなり、岐阜市では約220キロの個体が捕獲された記録もあります。差がついたのは最終的な大きさではなく、そこに至るまでの速さのほうでした。
山を歩き回る必要がなく、餌の心配もいらない暮らしなら、半年で100キロという速さも成り立ちます。逆にいえば、豚の体つきは人の管理とセットでしか完成しないということでもあるでしょう。
家畜化で起きる変化は、種を越えて似ている
垂れ耳・巻き尾・まだらな毛色
豚らしさとして思い浮かぶ特徴の多くは、豚だけのものではありません。垂れた耳。巻いた尾。まだらな毛色。幼く見える顔つき。こうした変化は犬でも牛でも兎でも、似た顔ぶれで現れます。
まとめて家畜化症候群と呼ばれるもので、脳や副腎が小さくなる、繁殖の周期が変わるといった内側の変化も含まれます。人が耳の形を選んだわけでもないのに、飼い慣らすとセットでついてくる。不思議なひとまとまりです。
うり坊の縞は、野生でも消える
ここで一つ、混同しやすい話を切り分けておきます。イノシシの子が背負う縞模様は、家畜化とは関係のない現象です。
この模様が瓜の実に似ているので「うり坊」と呼ばれ、木漏れ日の中では保護色として働くと考えられています。生後半年ほどで自然に消えるため、縞の有無で野生か家畜かを判定することはできません。
見た目より大きいのは、暮らし方の違い

体つきの差は写真で分かりますが、両者を遠ざけた本命はもっと地味なところにありました。一年の過ごし方そのものが、別物になっているのです。
繁殖が季節から切り離された
イノシシは冬に発情し、春に産む
野生のイノシシの繁殖期は、12月ごろから2か月ほど。出産は年に1回で、4〜5月に平均4〜5頭を産みます。
子育ての時期が餌の多い季節と重なるように、一年の予定が組まれているわけです。この段取りは、山で生き延びるための最適解でもあります。
豚は年に二度以上、一度に十二頭ほど
いっぽう豚は、季節に縛られません。分娩は年に2回前後、健康な母豚なら2.35回ほどという数字も紹介されています。1回に産む子豚はおよそ12頭で、年間では20頭を超える計算になります。
年4〜5頭と年20頭。この開きこそが、養豚という産業を成り立たせている一線でしょう。姿かたちより先に、生活の時間割が組み替えられたと言えます。
変えられなかったところもある
妊娠期間は、どちらもおよそ四か月
これだけ変えられた一方で、動かなかった数字もあります。豚の妊娠期間は114日で、養豚の現場では「3月3週3日」と語呂で覚えられてきました。
イノシシのほうも約4か月。回数と頭数は大きく変わったのに、一回の妊娠にかかる時間はほぼ手つかずのまま残されています。
食べ物の幅と、覚えの良さ
性格の面でも、受け継がれたものは少なくありません。何でも食べる幅の広さ・たくさん産む性質・学習能力の高さ・無闇に暴れない気質。イノシシが元から備えていたこれらの資質は、豚にも色濃く残っているとされます。
裏を返せば、家畜になれたのはもともと向いていたからでもあります。人がゼロから作り上げたというより、素材の良さに乗ったと言うほうが近いのでしょう。
境界がにじむ場面は、現実にいくつもある

同じ種であることは、分類の話にとどまりません。遺伝子が行き来し、病気が共有され、それでいて制度の上では正反対に扱われる。三つの現場を順に見ていきます。
逃げた豚は、イノシシの群れに溶ける
191頭のうち31頭に残っていた痕跡
東日本大震災のあと、福島の避難区域では飼われていた豚が農場から逃げ出し、山にいたイノシシと出会いました。森林研究・整備機構などが2021年に公表した調査は、その後どうなったかを遺伝子から追いかけています。
大熊町や浪江町の周辺で捕獲された191個体を分析したところ、31個体(16パーセント)から、祖先が豚と交雑した痕跡が見つかりました。逃げた家畜は野生の集団に吸収され、数世代のうちに見分けのつかない形で混ざっていたわけです。
原発から離れるほど、割合は下がる
豚由来の遺伝子を高い割合で持つ個体は、原子力発電所の近くに限られていました。距離が開くにつれて、その割合は薄まっていきます。
逃げ出した地点を中心に、遺伝子が波紋のように広がった様子がそのまま読み取れる形です。純粋なイノシシとの交配が繰り返されれば、豚の分は今後さらに薄まっていくと見られています。
病気は種の線引きを知らない
豚熱は豚とイノシシに共通の病気
2018年に国内で26年ぶりに確認された豚熱(CSF)は、まさにこの同種性が牙をむいた例でした。豚とイノシシの双方に感染するため、山の野生個体が発生源となって農場へ持ち込まれてしまいます。
※ 豚熱(ぶたねつ・CSF)とは、豚とイノシシがかかるウイルス性の伝染病です。人には感染せず、感染した肉を食べても人体に影響はないとされています。
山にワクチン入りの餌をまく
そこで始まったのが、野生イノシシへの経口ワクチン散布です。愛知県では2019年3月から、国の指針にもとづいて市町村や猟友会と組んだ野外散布が続けられています。
撒き方も細かく決められていて、岐阜県では県内34市町村の一部を対象に、1平方キロあたり0.5〜1か所という密度で設置されました。飼われている豚を守るために、山のイノシシに薬を届ける。同じ種だからこそ必要になった対策です。
法律の上では、正反対に扱われる
食肉として扱う段になると、同じ Sus scrofa でも制度はきれいに分かれます。仕組みの違いを先に一覧にしました。
| 食肉にするとき | ブタ(家畜) | イノシシ(野生鳥獣) |
|---|---|---|
| よりどころ | と畜場法 | 食品衛生法(食肉処理業の許可) |
| 一頭ごとの公的検査 | と畜場で受ける | と畜場法の適用外 |
| 衛生の指針 | 家畜として制度化された仕組み | 国や県の野生鳥獣肉ガイドライン |
| 食べるときの注意 | 十分な加熱 | 十分な加熱(E型肝炎ウイルス・寄生虫) |
豚は一頭ずつ検査を受ける
食卓に届くまでの道のりは、両者でまったく違います。豚は家畜なので、と畜場法にもとづく公的な検査を経て初めて食肉になります。
牛や豚のような家畜には、この一頭ずつの関門が制度として用意されている。同じ Sus scrofa でありながら、飼われていた側だけが通る道です。
イノシシはと畜場法の外にいる
野生鳥獣の肉には、と畜場法が適用されません。商売としてジビエを扱う場合は、食品衛生法にもとづく食肉処理業の許可を受けた施設で解体する必要があります。
加えて厚生労働省や各県が、野生鳥獣肉の衛生管理ガイドラインを整えてきました。生や加熱不足のイノシシ肉にはE型肝炎ウイルスや寄生虫のリスクがあるとされ、しっかり火を通すことが求められます。同じ種でも、育った場所が違えば必要な備えも変わるということです。
この仕組みが整えられてきた背景には、捕獲されるイノシシの多さもあります。2022年度の野生鳥獣による農業被害額のうち、イノシシによるものは36億円で全体の2位。獲ったあとをどう扱うかは、山あいの地域にとって現実的な課題です。
亥年の動物と、野生に帰った豚の話

最後に、この二頭をめぐる話の中でも、とりわけ据わりの悪い二つを置いておきます。ひとつは呼び名の話、もうひとつは元に戻れるかどうかの話です。
亥がイノシシなのは日本だけ
中国語の「猪」は豚を指す
十二支の亥年に思い浮かべる動物は、国によって違います。日本ではイノシシ。中国や台湾・韓国・ベトナムなどでは豚です。
そもそも中国語の「猪」という字が指すのは豚のほう。イノシシを言いたいときは「野猪」と書きます。日本語で猪をイノシシと読む習慣のほうが、漢字圏では少数派なのです。
肉食の習慣が薄かった土地で起きたずれ
なぜ日本だけずれたのか。十二支が伝わったころの日本には豚を飼う習慣が根づいておらず、身近な猪と区別する必要がなかったから、と説明されることが多いようです。
ちなみにイノシシ肉は牡丹肉(ぼたにく)や山鯨(やまくじら)と呼ばれ、ぼたん鍋として食べられてきました。肉食が表立ちにくかった時代の言い換えが、そのまま料理名として生き残っています。
野に放たれても、脳は戻らなかった
オーストラリアの野生化豚
先ほどの92頭のCT研究は、もう一つ意外な結果を出しています。研究者たちは、野生化した豚の脳がイノシシの大きさに戻っているだろうと予想していました。
ところがオーストラリアの野生化豚の脳容積は、19世紀の記録に残る在来のランドレースよりも、さらに小さい範囲に収まっていたのです。祖先の姿へ引き返したのではなく、乾燥と餌不足への適応として、なお縮んだ可能性が指摘されています。
逆に、飼われたイノシシは少し大きかった
同じ研究では、飼育下で育ったイノシシの脳が6パーセントほど大きい傾向も見えました。統計的にはっきりした差ではないものの、餌の安定した環境や新しい刺激が育ち方に影響した可能性が示されています。
野に出た豚の脳は戻らず、囲われたイノシシの脳はむしろ膨らむ。1万年ぶんの改造は、放っておけば巻き戻る種類のものではないようです。
こうして並べてみると、「イノシシと豚は何が違うのか」という問いは、途中で形を変えます。分類上は同じ種で、違いはすべて同じ設計図の中の書き換えでした。すると次に立ってくるのは、別の問いです。どこまでが書き換えで、どこからが引き返せない変更なのか。福島の山では豚の遺伝子が薄まりつつあり、オーストラリアでは縮んだ脳が戻らずにいる。同じ種の内側でも、行きと帰りの道は同じ形をしていません。
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