四つを分けているのは、足を載せる台の素材と、その台を足に留める方法です。下駄は木の台に歯がついたもの、草履は歯のない平らな台に鼻緒(はなお)をすげたもの、草鞋(わらじ)は藁(わら)を編んで紐で足に結びつけたもの。そして雪駄(せった)は、竹皮で編んだ表に革の裏を張った草履のことをいいます。
ややこしく感じるのは、この四つが横一列に並んでいないからです。雪駄だけが草履の下にぶら下がる名前で、残り三つと同じ高さに置こうとすると話がもつれます。名前の古さもばらばらで、いちばん新しいのはむしろ「下駄」でした。
四つを分けるのは台の素材と足への留め方

先に全体の見取り図を置きます。台が木か、編んだものか。足には鼻緒でひっかけるのか、紐で縛りつけるのか。この二つの軸で見ると、四つの区別はほとんど迷いません。
| 履物 | 台の素材 | 足への留め方 | おもな使いどころ |
|---|---|---|---|
| 下駄 | 木(桐など)。裏に歯がある | 鼻緒 | 雨やぬかるみ、ふだんの外歩き |
| 草履 | 藁・藺草・竹皮・革など。台は平ら | 鼻緒 | 家のまわりから町中まで |
| 雪駄 | 竹皮の表に革の裏(草履の一種) | 鼻緒 | 露地や往来。今は礼装と祭り |
| 草鞋 | 藁 | 紐を足に回して結ぶ | 旅や道中 |
木の台に歯があるのが下駄
『日本大百科全書』は下駄を「木製の台(甲ともいう)部に鼻緒をすげた履き物」とし、その特色は台に歯がついていることだと説明しています。歯が台と一続きに削り出されたものを連歯、別の木を差し込んだものを差歯と呼びます。歯があるぶん足の裏は地面から離れ、泥や水はねは着物のすそまで届きにくくなりました。
つまり下駄は、高さで環境から逃げる履物です。四つのなかで唯一、素材に木を使っているのもここに理由があります。
歯のない平らな台に鼻緒をすげたのが草履
草履は台が平らで、地面にぺたりと接します。『精選版日本国語大辞典』の語釈は「藁・藺・竹皮などで足に当たる部分を編み、鼻緒をすげたもの」。台をどう編むか、表に何を張るかで種類が分かれていき、そのひとつが雪駄でした。
※ 鼻緒(はなお)とは、親指と人差し指のあいだにはさむ前緒と、そこから左右に分かれて台に留まる横緒をまとめた呼び方です。すげ替えができるため、台が丈夫なら緒だけ替えて履き続けられます。
藁を編んで紐で結びつけるのが草鞋
草鞋だけは、足に縛りつけて履きます。台の左右に「乳(ち)」と呼ばれる小さな輪があり、つま先から出た二本の緒をそこへ通し、足首のあたりで結びます。四つの乳が標準で、乳のないものや六つ乳・八つ乳もありました。
鼻緒式の三つは、脱ぎ履きの速さを買っています。草鞋はそれを捨てて、脱げない一点に賭けた履物でした。この差がそのまま、近所と長旅という使い分けになります。
「下駄」という言葉はいつからあるのか

四つのうち、呼び名がいちばん新しいのが下駄です。物としては古いのに、その音でそう呼ばれるようになったのは中世の末でした。
語としては中世末に現れた新顔
ゲタという語が使われるようになったのは中世末から。それ以前はアシダ(足駄)やボクリ(木履)などと呼ばれていた、と『精選版日本国語大辞典』の語誌は述べています。『世界大百科事典』も、ゲタは下踏・下駄と書かれて江戸時代の文献から見られる新しい言葉だとしました。
それ以前はアシダ、ボクリと呼ばれた
アシダは足に履く駄、ボクリは木の履物という字面です。今も「足駄」は歯の高い下駄を指す言葉として残っており、雨の日に履く高い下駄を足駄と呼ぶ地域があります。古い呼び名が完全に消えず、種類の名前として生き延びた形です。
『南方録』に残る早い用例
同辞典が初出の実例として挙げるのは、茶の湯の書『南方録(なんぽうろく)』(十七世紀後)の一節です。
露地の出入は、客も亭主もげたをはくこと、紹鴎の定め也
茶室へ向かう庭を歩くときは、客も主人も下駄を履く。そういう作法を武野紹鴎(たけのじょうおう)が決めた、という意味です。最初期の用例が茶の湯の場に出てくるのは、あとで触れる雪駄の話ともつながります。
歯は何のためについているのか
歯の高さは、そのまま用途の差になります。歯の高い二枚歯が足駄で、関西では高下駄と呼ばれ、歯には樫が使われました。二枚歯でも低い差歯下駄のほうは日和(ひより)下駄といい、雨あがりの歩行に履かれたと『世界大百科事典』は書き分けています。
高い足駄と低い日和下駄
降っている最中は足駄、上がったあとは日和下駄。天気予報のない時代に、玄関先の履物が予報の代わりをしていたわけです。名前に「日和」が入っているのもそのためで、晴れの日用という含みがあります。
一本歯と三枚歯
歯の数も二本とは限りません。中央に歯が一本だけの一本歯下駄は、傾いた山道で歯の当たり方が変わらないため、山を歩く人に用いられてきたといわれます。逆に三枚歯は、『日本大百科全書』によれば徳川吉宗の時代に現れて遊女の履物になりました。台と歯を一続きに削った二枚歯は駒下駄、台の裏をくり抜いたものはぽっくり下駄と、形ごとに名前がついています。
弥生時代の田下駄は下駄の祖先か
下駄の先祖としてよく引かれるのが、弥生時代の田下駄です。ただし、そこには少し留保がつきます。
杉板に四つの穴をあけた道具
静岡県埋蔵文化財センターの解説によれば、田下駄はぬかるんだ田のなかで履く板状の道具で、杉板にあけた四つの穴に紐縄を通して足にくくり付けるものでした。泥に沈み込まないようにするのが目的で、静岡平野では弥生時代の中期から後期にかけて盛んに使われています。静岡市の登呂遺跡から出た木製品はよく知られ、その出土品は二〇一六年に重要文化財に指定されました。
事典が「〜であろう」と書く理由
登呂遺跡から下駄状の木製品が出土しているが、芦刈りや稲の穂摘みに履いた田下駄であろう。『世界大百科事典』の書きぶりは慎重です。形が似ていても、それが履物なのか農具なのかは別の問題だからでしょう。おもしろいのは、その田下駄が鼻緒ではなく紐で足にくくり付ける方式だったこと。祖先とされる道具の留め方は、下駄よりも草鞋に近かったことになります。
草履は奈良時代の帳簿に出てくる

語としての古さでいえば、四つのなかで頭ひとつ抜けているのが草履です。しかも最初の記録は文学作品ではなく、寺の持ち物を数えた帳簿でした。
七八〇年の「草履十六両」
『精選版日本国語大辞典』が初出に挙げるのは、宝亀十一年(七八〇年)の西大寺資財流記帳(さいだいじしざいるきちょう)に見える「草履十六両」という記述です。奈良の西大寺が持っていた財産を書き上げた台帳に、履物が十六足と数えられていました。千二百年以上前の在庫表に、すでにこの名前が載っていたわけです。
読みも今の形に落ち着くまで動いています。サウリからジャウリを経てザウリへ、という変遷をたどりました。
中国から来たときは「くつ」だった
「草履」はもともと中国の言葉で、指すものも今とは違いました。この転換が、草履と草鞋がややこしく見える原因のひとつになっています。
わらぐつから鼻緒式へ
中国古代の草履は足をすっぽり包む靴の形でした。それが「わらぐつ」として日本へ伝わり、のちに風通しのよい鼻緒式へ作り替えられていきます。つまり草履という漢字は、輸入したときの中身と、いま日本で指しているものがずれています。同じ字を使いながら草鞋(わらじ)のほうが原形に近い、という逆転が起きているわけです。
僧の「浄履」
『日本大百科全書』によれば、平安時代には浄履(じょうり)と呼ばれ、僧侶のあいだで用いられていました。清らかな履物という字のとおり、堂内を汚さないための室内履きという性格があったとみられます。西大寺の帳簿に履物が並んでいたのも、おそらくその流れでしょう。
材料は藁だけではない
草履というと藁のイメージが強いものの、実際の材料はずっと幅広く、地域ごとに手に入るものが使われています。
藺草・竹皮・檳榔樹
古くは檳榔樹(びんろうじゅ)・藺(い)・竹の皮・稲藁といった葉や茎が使われました。地域によってはミョウガやフジづる、ハマスゲまで動員されました。足元を作るのに、その土地でいちばん手に入りやすい繊維を選んでいたことがうかがえます。
ゴム・コルク・ビニール
江戸時代以降になると、ゴムやコルク、ビニールといった新しい材料が加わります。今の礼装用の草履が革やエナメルで作られているのも、この延長線上でしょう。台の素材が何度入れ替わっても、鼻緒だけは残りました。そこがこの履物の芯にあたる部分です。
雪駄を考えたのは千利休なのか

雪駄については、千利休が考案したという話が広く知られています。ただし事典を引くと、そこには温度差がありました。
名前は筵の履物から来ている
より古い例に「せきだ」がある、と『精選版日本国語大辞典』の語誌は指摘します。筵(むしろ)を意味する「席」の履物(駄)。そこから、せちだ・せっだ・せったへと音が変わりました。初出の実例は『かた言』(一六五〇年)です。字のほうは雪の駄と書きますが、名前の出どころは雪ではなく敷物だったことになります。
千利休の逸話はどこまで確かか
伝承の中身自体ははっきりしています。問題は、それを裏づける材料がどれだけあるかです。
雪の茶会のために革を張った話
語られてきたのは、堺の茶人だった利休が雪の茶会で露地へ出るために、草履の裏へ牛の革を張らせたという筋です。革を張れば湿気が通らず、雪や泥のなかを歩いても底が傷みにくい。茶室へ向かう庭でも下駄を履いた、というさきほどの記述と同じ世界の話です。
「俗説」と書く事典もある
ところが『世界大百科事典』は、これは俗説で、平安時代に貴族や武家の社会で用いられたとはっきり否定しています。『日本大百科全書』も、考案者は茶人の千利休といわれているがさだかではない、と留保をつけました。履物研究の分野でも、確たる根拠は認められないとする見方が示されています。有名な逸話ほど、事典の側は慎重に構えていると考えたほうがよさそうです。
尻鉄がないものは雪駄と呼ばなくなった
雪駄を雪駄たらしめる部品が、かかとに打つ金具です。これが定義そのものを動かした時期がありました。
元禄期からの流行
江戸時代の元禄期以降、かかとへ尻鉄(しりがね)を打つのが流行しました。以後は尻鉄のないものを雪駄といわなくなった、と『精選版日本国語大辞典』は記しています。流行が語の意味そのものを書き換えてしまった珍しい例です。金具は本来、かかとの減りを防ぐための実用品でした。
革の裏が鳴らす音
金具を打った雪駄は、歩くとかかとが地面を叩いて音を立てます。草履が静かに歩ける履物なのに対し、雪駄は音のする履物になりました。今の雪駄のかかとは馬蹄型などの部品に替わっており、音は昔ほど響きません。
草鞋だけが足に結びつけられている

四つのうち草鞋だけが、履くのに手間のかかる作りをしています。その手間は、歩く距離と引き換えのものでした。
乳に紐を通して縛る構造
草鞋は台・かえし・紐・乳からできています。つま先から出た二本の緒を左右の乳に通し、かかとを包んで足首で結ぶ。足と台が一体になるので、坂でも山道でも脱げません。鼻緒の履物が指の力でひっかけているのとは、支え方がまるで違います。
近くは草履、遠くは草鞋
事典はこの二つを、距離で使い分けられたものとして説明しています。草履は自家を中心とする近距離用で、草鞋は道中用。同じ藁を編んだ履物が、行き先の遠さで名前を変えていたわけです。
宿場で履き替える消耗品
藁で編んだ底は、街道を歩けば当然すり減ります。傷みやすいので宿場の掛茶屋に下げられていた、と『日本大百科全書』にあります。売っているというより、旅の途中で交換する部品として道端に吊るされていた光景です。
藁は毎年手に入る
使い捨てにできたのは、材料が稲作の副産物だったからです。米を作れば藁が出て、冬のあいだに編める。消耗品として割り切れる履物が、旅を支える側に回ったのは自然な成り行きでした。
「わらんず」から「わらじ」へ
呼び名も何度か形を変えています。奈良時代に唐から伝わった「わらぐつ」が平安時代の末に「わらうず」へ改まり、そこから「わらんず」「わらんじ」を経て「わらじ」になりました。『平家物語』(十三世紀前)には、すでにその名が見えます。現在の「わらじ」という言い方が定着したのは江戸時代でした。
今はどの場面でどれを履くのか

現代の和装では、四つの並びがもう一度組み替えられます。ここでいちばん誤解されやすいのが雪駄の立ち位置です。
| 場面 | 女性 | 男性 |
|---|---|---|
| 最も改まった装い | 金糸銀糸を使った帯地の草履、重ね草履 | 畳表の雪駄か草履に白無地の鼻緒 |
| 準礼装 | 白や淡い色の革草履 | 畳表の雪駄か草履に黒・紺の鼻緒 |
| ふだん着・浴衣 | 好みの草履、または下駄 | 草履・雪駄・下駄から自由に |
女性の礼装は金銀を使った草履
結婚式や成人式で留袖・振袖・訪問着に合わせるのは、金糸銀糸の入った帯地の草履や、台を重ねた草履とされています。台が高いほど格も上がる、という見方をとる店もあります。訪問着や付下げなら、白や淡いピンク、クリーム色の革草履あたりが無難です。
男性の最高礼装は畳表の雪駄か草履
意外に思われるのはこちらでしょう。黒紋付羽織袴という男性のいちばん改まった装いで合わせるのは、畳表の雪駄または草履で、鼻緒は白無地と決まっているとされます。台の色も白竹表か茶竹表に限られます。祭りやサンダル代わりの印象が強い雪駄ですが、格の上ではむしろ礼装側の履物でした。
※ 畳表(たたみおもて)とは、藺草を織って作った表のことです。雪駄や草履の台の上面に張られ、畳と同じ素材が足の裏に当たります。
下駄は浴衣とふだん着に
下駄はカジュアル側の履物として扱われ、訪問着や礼装には合わせないのが基本です。小紋や紬、木綿やウールといったふだん着の着物、それに浴衣。この範囲なら、下駄がよく似合うでしょう。
音が響く場所では避ける
格の問題とは別に、音という実際上の制約もあります。木の歯が床を叩くので、美術館や劇場のように静けさが求められる場所では下駄を外すのが無難とされています。同じ理由で、かかとに金具の入った雪駄も場所を選びました。
足袋を履くかどうか
改まった場では白足袋が原則で、礼装用の草履は足袋と組み合わせます。浴衣に下駄なら素足でかまいません。足袋の有無は、履物の格をそのまま映す目印になっています。
履物が残した言い回し

四つのうち、言葉のなかでいちばん元気に生き残っているのは草鞋と下駄です。履かなくなったあとも、慣用句の側に住み着きました。
二足の草鞋を履く
両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること。『デジタル大辞泉』はそう説明したうえで、とくに江戸時代は博徒が捕吏を兼ねることをいった、と補います。賭博を生業にする者が、同じ賭博を取り締まる側の役目も持っていた。本来なら一人が両方に足を入れられないはずの立場を指した言葉です。会社員と作家のような現代の使い方は、その矛盾の色がだいぶ薄まった形といえます。
草鞋を脱ぐ
こちらは旅を終える、旅の途中で宿を取る、という意味です。同じ辞典には、博徒などが一時身を落ち着ける、という語義も並んでいます。草鞋が道中用の履物だったからこそ、脱ぐ動作がそのまま旅の終わりを指せました。近所を歩く草履では、この言い回しは成立しません。
下駄を預ける、下駄を履かせる
「下駄を預ける」は、物事の処理や責任を相手に一任すること。履物を人に預けてしまえばその場から動けなくなり、あとは預かった相手しだい、というところから来ています。「下駄を履かせる」のほうは、数量や点数を水増しして実際より多く見せること。履かせれば背が高く見える、という見た目そのままの比喩です。歯の高さという下駄だけの特徴が、意味の芯になっています。
玄関にある収納を、今も多くの人が下駄箱と呼びます。中に下駄が一足も入っていなくてもです。履物のほうが先に暮らしから退いて、名前だけが居残った。四つの違いは、そうやって言葉の側にしまわれています。
参考
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