「上履き」か「上靴」か——学校での呼び方が地域で違う

言葉と論理の話
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学校の下駄箱で履き替えた、白い布の靴。あなたはあれを「上履き」と呼びましたか、それとも「上靴」でしたか。同じ一足を指す言葉なのに、全国では呼び名がきれいに割れています。

「うわばき」「うわぐつ」だけではありません。「ズック」「バレーシューズ」と呼ぶ土地もあり、しかもそれぞれに、ちゃんとした理由や歴史があります。呼び名の地図をたどると、日本の暮らしと言葉の来歴が見えてくるのです。

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まずは全国の「勢力図」を押さえる

同じ布の靴に、地域ごとにいくつもの呼び名がぶら下がっています。細かい話に入る前に、全国のおおまかな勢力図を下の表で見ておきましょう。

下駄箱に並ぶ色とりどりの上履き
呼び名主に使う地域ひとこと
上履き(うわばき)東日本を中心に全国いちばん優勢な言い方
上靴(うわぐつ)関西・四国・九州・北海道など西日本で勢力を伸ばす
ズック東北・北陸(新潟・福井など)もとは生地の名前
バレーシューズ和歌山ほぼ和歌山だけの呼び名
内履き・内ズック北陸など「外」と対にした言い方
体育館シューズ静岡など体育館用と区別する土地も

この一枚だけでも、東西で言い方がずれていること、そして北の一部と和歌山に独特の呼び名があることが読み取れます。ここから、一つずつ背景をほどいていきます。

そもそも「上履き」の「上」は上等ではない

「上履き」の「上」を、良い靴という意味の「上等」だと感じる人は少なくありません。けれど、この「上」はランクの話ではなく、場所の話です。

上がり口で靴から上履きに履き替える子ども

「上」は「上がる」の上

屋内に「上がって」履くから上履き

日本の家では、玄関で靴を脱いで一段高い床に「上がり」ます。その、上がった先で履く履物だから「上履き」。「上(うわ)の履き物」がなまった言い方とされ、屋内用というはたらきをそのまま名前にした言葉です。

対になるのは「下足」

反対に、脱いで預ける屋外用の靴は「下足(げそく)」と呼ばれます。旅館や寄席の「下足番」はこの係のこと。上履き・外履き・下履きといった呼び分けも、すべて「屋内で履くか、屋外で履くか」を区切るための言葉です。上と下は、床の高さと内・外の境目を指しています。

靴を脱ぐ暮らしから生まれた言葉

履き替えの習慣は古い

そもそも上履きという発想は、家に上がるとき履物を替える日本の暮らしがあってこそのものです。寺社での履き替えの様子は、十世紀ごろの絵巻物にも描かれているとされ、内と外を足元で分ける習慣は千年の単位でさかのぼります。海外の学校に「上履き」がぴんと来ないのは、この土足を脱ぐ文化そのものが日本的だからです。

学校で定着したのは戦後

いっぽう、今のあの布靴が学校に広まったのは案外新しく、戦後の一九五〇年代とされます。福岡・久留米市のムーンスターが一九五八年に発売したバレエシューズ型の靴などが原型で、そこから全国の学校に定着していきました。習慣は古く、道具は新しい、という組み合わせなのです。

東の「上履き」、西の「上靴」——調査が映す境目

では、東西でどれくらい言い方が違うのか。地域ごとの呼び名を集めた調査があります。

地方ごとに区切られた日本地図

全国調査でついた大きな差

「上履き」が六割超で首位

Jタウン研究所が二〇一五年に行った投票調査(総数一二三九票)では、全国の結果は次のようになりました。トップは「上履き」で、二位の「上靴」に大きく差をつけています。

呼び名得票割合
上履き801票64.6%
上靴282票22.8%
ズック71票5.7%
バレーシューズ36票2.9%

西へ行くほど「上靴」が増える

同じ調査を東西で割ると、「上靴」派は東日本で約一九%なのに対し、西日本では約三一%まで上がります。大阪では「上履き」五二%に「上靴」三五%、九州全体でも「上靴」が三八%近くを占めました。福岡市にいたっては「上履き」と「上靴」がどちらも四六.二%で真っ二つです。西へ進むにつれ、じわじわと「上靴」の色が濃くなっていくのがわかります。

四国では逆転、境目は一本の線ではない

四国は「上靴」が多数派

おもしろいのは四国です。高知・香川・愛媛では「上靴」が六割に達し、全国では少数派の言い方がここでは主役になります。東西の境目は琵琶湖のあたりにきれいな一本の線が引けるわけではなく、地域ごとに濃淡があるということです。

なぜ分かれるのかは、はっきりしない

では、東で「履き」、西で「靴」と割れた理由は何か。じつはここに定説はありません。学校で使う物の呼び名は、教科書でなく先生や地域の口伝えで広がるため、方言と同じように土地ごとにばらけたと考えられています。学校ことばの地域差は、国立国会図書館のレファレンス事例でも研究テーマとして取り上げられるほど、根の深い題材なのです。

「ズック」はオランダ語だった——生地の名が靴の名に

東北や北陸で聞く「ズック」。子どもっぽい響きの言葉に思えますが、その正体は江戸時代に入ってきた外国語です。

帆を張ったヨット

「doek」=布から来た言葉

帆やテント、鞄にも使われた生地

ズックはオランダ語「doek」に由来するとされます。もとは目のつまった厚手の平織り生地です。丈夫なので、帆・テント・リュック・鞄・靴の材料に広く使われました。つまりズックは、本来は靴の名前ではなく「生地の名前」。その生地でできた靴だから、いつしか靴そのものを「ズック」と呼ぶようになった、という順番です。

doek(ドゥク)とは、オランダ語で布・生地を指す言葉です。厚手の綿や麻を平織りにした帆布(はんぷ)を意味し、日本語では発音がなまって「ズック」となりました。

「づ」から「ず」へ

「doek」がなぜ「ズック」になるのか。かつての日本語では「ドゥ」に近い音を「づ」と書き、それが表記のならわしで「ず」に移りました。外国語の音を耳で写し取り、日本語の書き方に合わせていった跡が、この一語に残っています。

東北・北陸に残る呼び名

「内ズック」「内履き」という言い方

北陸では、屋内用を「内ズック」「内履き」と呼ぶ土地があります。「上・下」ではなく「内・外」で区切る発想で、意味するところは上履きと同じです。同じ物を、別の対義語のペアで名づけているわけです。

昭和のうちに方言化した

ズックという言葉自体は、昭和の前半ごろまでは広く使われていたとされます。それが業界の標準語としては「上履き」に譲り、今では一部地域に残る方言や、少し懐かしい響きの言葉になりました。若い世代には通じにくくなりつつある、世代の目印のような一語でもあります。

和歌山だけ「バレーシューズ」——商品名が呼び名になった土地

全国でただ一県、上履きを堂々と「バレーシューズ」と呼ぶ土地があります。和歌山県です。バレエとの縁がありそうな名前ですが、その裏側には商品名をめぐる事情がありました。

バレエのトゥシューズ

もとはメーカーの商品名

久留米生まれの靴が原型

今の上履きの多くは、福岡・久留米市のムーンスターがつくった靴を原型としています。一九五〇年代の「新製品Aシューズ」や「バレーシューズバンド付」といった商品がそれで、甲を細いゴムバンドで留める、あのおなじみの形です。じつは業界では、この型の正式な商品名が「バレーシューズ」でした。

商品名がそのまま定着した

その商品名が和歌山に持ち込まれ、地域の言い方として根づいた可能性がある、と推測されています。全国の多くは「上履き」という用途の名で呼ぶなか、和歌山だけは製品の正式名で呼び続けている。「四十七都道府県で唯一、正しい名前で呼んでいる県」と紹介されることもある、ちょっと誇らしい立ち位置です。

「トゥシューズ由来」説は諸説のうち

滑りにくい靴底という共通点

名前の由来には、バレエのトゥシューズを参考にしたからという説も語られます。上履きの靴底が、外履きより滑りにくくつくられている点はトゥシューズと通じるところがあります。ただしこの由来は伝聞として紹介されることが多く、確かな裏づけがあるわけではありません。「なぜバレーなのか」は、今もはっきりとは決着していない謎の一つです。

呼び名にまつわる、もう一歩の話

最後に、上履きの呼び名まわりで知っておくと少し楽しい話を集めました。

玄関で靴を揃える子ども
  • 「体育館シューズ」は別枠のことも:静岡などでは、教室で履く上履きと、体育館で履く靴を分けて「体育館シューズ」と呼ぶ土地があります。呼び名は地域だけでなく、履く場所によっても枝分かれします。
  • ズックは鞄の名にも:生地の名だったズックは、靴だけでなく「ズック鞄」という形でも残りました。同じ生地から靴と鞄、二つの言葉が生まれたわけです。
  • 脱いだ靴を揃える文化:履き替えの習慣とセットで、日本では脱いだ履物を揃えることがしつけとされてきました。禅の言葉「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」=足元を見よ、にも通じる感覚です。

呼び名の一つひとつが、生地の来歴やメーカーの商品名、内と外を分ける暮らしの作法とつながっている。たかが上履き、と思っていた足元が、意外なほど言葉の情報を抱えています。

同じ一足でも、呼び名は土地でこんなに変わります。東の「上履き」・西の「上靴」・北の「ズック」・和歌山の「バレーシューズ」。どれかが正しくて、どれかが間違いというわけではありません。それぞれの土地が、それぞれの理由で育ててきた名前です。もし引っ越しや進学で呼び名の違う土地へ移った人なら、下駄箱の前で一瞬とまどったあの感覚を覚えているはず。あれは、日本語の豊かさに触れた瞬間だったのかもしれません。