「破天荒」の本来の意味は、それまで誰も成し遂げられなかったことを初めて成し遂げることです。豪快な人や型破りな振る舞いを指す言葉ではありません。由来は唐の時代の中国にあり、合格者の出ない土地から初めて科挙の合格者が出た出来事をたたえた言葉でした。ところが今は、6割を超える人が「豪快で大胆な様子」の意味で受け取っています。
破天荒の本来の意味は何?

前人のなしえなかったことを初めてすること
デジタル大辞泉は「破天荒」を「前人のなしえなかったことを初めてすること。また、そのさま。」と説明しています。用例は「破天荒の試み」「破天荒な大事業」。類語として並ぶのは「前代未聞」「未曽有」です。人柄を評する語というより、成し遂げた事柄の新しさを言う語だとわかります。
※ 前人未到(ぜんじんみとう)とは、これまで誰も到達していない、成し遂げていない領域のことをいいます。
言葉の区切りは「破・天荒」
言葉の組み立ては「天荒」を「破る」です。「破天」と「荒」に分けて「天を破るほど荒々しい」と読むと、意味がまるで変わってしまいます。精選版日本国語大辞典は、天地がまだ開けない混沌とした状態を切り開くことを最初の意味に挙げています。そこから「今までだれも行えなかったことを成し遂げる」意味に転じた、という説明です。
「天荒」は作物の実らない荒れ地

未開の土地をあらわす二文字
「天荒」は、手つかずの荒れ地を指す言葉です。故事成語を知る辞典は「破天荒」の第一の意味を「作物の実らない土地を切り開くこと」としています。誰も耕さなかった土地に、初めてくわを入れる。その姿が、誰もできなかったことを成し遂げる意味のたとえになりました。
唐の荊州につけられた皮肉なあだ名
舞台は唐の時代の荊州(けいしゅう)、今の湖北省のあたりです。荊州は家柄のよい人が多く集まる土地でした。それなのに、毎年都へ送り出す受験者が本試験になかなか受かりません。人々はこの送り出しを「天荒解(てんこうかい)」と呼びました。人材の実らない荒れ地、という皮肉を込めた呼び名です。
※ 科挙(かきょ)とは、中国で隋の時代(6世紀末)に始まった官僚の登用試験のことです。地方の試験を通った人が都へ送られ(これを「解送」といいます)、本試験に挑みました。
劉蛻が天荒を破ったのは850年

荊州から初めての合格者
唐の大中4年(850年)、荊州から送り出された劉蛻(りゅうぜい)が科挙に及第しました。長く続いた「受からない土地」の歴史が、ここで初めて途切れます。人々はこれを「天荒を破った」とたたえ、「破天荒」と呼びました。言葉が生まれた瞬間は、一人の受験生の合格だったのです。
祝い金は「破天荒銭」70万
この知らせを喜んだのが、当時この地を治めていた崔鉉(さいげん)です。『唐摭言(とうせきげん)』によると、崔鉉は「破天荒銭」として70万銭を劉蛻に贈りました。合格に名前をつけ、お金まで添えたわけです。土地にとってどれほど大きな出来事だったかが伝わってきます。
劉蛻の礼状は「荒れ地ではない」
劉蛻のほうは、少し違う受け止め方をしていました。礼状には「五十年来、自是人廃。一千里外、豈曰天荒」という一節が残っています。50年このかた人が出なかっただけで、都から千里離れたこの地を荒れ地と呼べるだろうか。故郷の名誉を守る、静かな反論にも読めます。
故事はどの本に残っている?

『北夢瑣言』は呼び名の由来を記す
よく引かれるのは、孫光憲(そんこうけん)がまとめた『北夢瑣言(ほくむさげん)』の巻四です。荊州の受験者が受からないことを「天荒解」と呼び、劉蛻の及第を「破天荒」と呼んだ。記述はこの二点だけの、ごく短いものです。著者の孫光憲は、唐が滅んだあとの五代から宋の初めにかけて生きた人物でした。
『唐摭言』は年と祝い金を記す
850年という年や70万銭の話は、五代の王定保(おうていほ)が書いた『唐摭言』の巻二に出てきます。科挙にまつわる逸話を集めた本です。精選版日本国語大辞典も、語源の出典としてこの二つの書名を並べています。読み比べると、二つの本が話の別々の部分を受け持っている形です。
日本では明治の文章に登場
日本語の用例としては、三宅雪嶺(みやけせつれい)の『真善美日本人』(1891年)を精選版日本国語大辞典が挙げています。故事成語を知る辞典には、永井荷風の『あめりか物語』(1908年)の用例も載っています。明治の書き手にとっては、漢籍の故事をふまえた硬い言葉だったのでしょう。
なぜ「豪快・型破り」と受け取られた?

「破」と「荒」が並ぶ字面の強さ
「破る」「荒い」という字が並ぶと、どうしても乱暴で激しい印象が先に立ちます。一方の「天荒」は、日常ではまず使わない語です。見慣れない二文字の組み合わせより、なじみのある「破」と「荒」の印象が強く残る。誤解が広がった理由の一つは、この字面にあると考えられます。
「前例を破る」から「型を破る」へ
意味のずれは、まったくの的外れというわけでもありません。前例のないことをする人は、周りから見れば常識外れにも映ります。「前例を破る」が「型を破る」へ、さらに「豪快で大胆」へと横すべりしていったと考えると、流れが見えてきます。ただ、本来は成し遂げた結果をたたえる語で、人柄を言う語ではありませんでした。
誤用はどれくらい広がっている?

2008年度の調査では64.2%
文化庁の「国語に関する世論調査」は、2008年度(平成20年度)に破天荒の意味を尋ねています。「豪快で大胆な様子」を選んだ人は64.2%。本来の「だれも成し得なかったことをすること」は16.9%にとどまりました。調査は2009年3月に全国の16歳以上を対象として面接で行われ、1,954人が答えています。
2020年度の調査でも65.4%
2020年度(令和2年度)の調査で、同じ問いがもう一度出されました。結果は「豪快で大胆な様子」が65.4%、本来の意味が23.3%です。本来の意味を選ぶ人は少し増えたものの、逆転には遠い数字でした。なお調査方法が変わったため、前回の数字は参考値として比べるよう文化庁は注意を添えています。
40代以下では差が50ポイント以上
年代別に見ると、どの年代でも「豪快で大胆」が本来の意味を上回りました。とくに40代以下では、二つの選択肢の差が50ポイント以上に開いています。2008年度の調査でも、本来の意味を選ぶ割合は60歳以上で高めでした。若い世代ほど、故事に触れる機会が少ないのかもしれません。
同じ調査で意味がずれていた言葉

「がぜん」もほぼ同じ割合
同じ問いでは、「がぜん」と「すべからく」も一緒に尋ねられました。三つを並べると、ずれ方の違いが見えてきます。
| 言葉 | 本来の意味(選んだ人) | 別の意味(選んだ人) |
|---|---|---|
| 破天荒 | だれも成し得なかったことをすること(23.3%) | 豪快で大胆な様子(65.4%) |
| がぜん | 急に、突然(23.6%) | とても、断然(67.0%) |
| すべからく | 当然、是非とも(54.8%) | すべて、皆(32.1%) |
「がぜん」は破天荒とよく似た形です。「がぜん面白い」のような強調の意味で受け取る人が67.0%にのぼり、本来の「急に」は23.6%でした。数字の並びまで、破天荒とほとんど同じです。
「すべからく」は本来の意味が多数
一方の「すべからく」は、本来の「当然、是非とも」が54.8%で多数でした。2010年度(平成22年度)の調査では41.2%だったので、本来の意味を選ぶ人が増えた形です。誤用はいつも広がる一方とは限らない、という例になっています。
役不足も字面で逆に取られやすい
字面から逆の意味に取られやすい言葉は、ほかにもあります。「役不足」は本来、力量に比べて役目が軽すぎることです。「情けは人のためならず」は、人にかけた親切が巡って自分に返ってくるという意味。どちらも破天荒と同じく、文字の印象が本来の意味を押しのけてしまった言葉です。
誤用は間違いと言い切れる?

辞書は新しい使われ方も書き留める
辞書の扱いを見ると、新しい使われ方も無視されてはいません。故事成語を知る辞典は本来の意味を説明したうえで、今は「豪快で大胆なこと」をする場合にも使われるようになってきた、と書き添えています。デジタル大辞泉の補説には、文化庁の調査結果が表で載っています。言葉の変化を記録しながら、本来の意味も手放さない書き方です。
改まった場面では本来の意味で
本来の意味を知る人にとって、「破天荒な人」は「前例のないことを成し遂げた人」です。改まった文章や年配の人との会話では、本来の意味で使うほうが誤解を生みません。豪快さを言いたいなら、「型破り」「豪放」のように意味のずれない言葉へ言い換える手もあります。
劉蛻が破ったのは、50年続いた「受からない土地」という評判でした。豪快さとは縁のない、積み重ねの末の合格です。誰も歩かなかった道に初めて足跡を残した人にこそ、この言葉はよく似合います。
参考
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