「君が代」の「さざれ石」は実在する——小石が本当に岩になるまで

文化と価値観の話
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「さざれ石」は、歌のなかだけに出てくる想像上の石ではありません。小さな石が長い時間をかけて固まり、ひとかたまりの巨岩になったものが、実際に岐阜県の山あいに残っています。国の歌に詠まれた石として、各地の神社の境内に置かれてもいます。

ただし「これが歌に詠まれたその石だ」と決まっているわけではありません。言葉としてのさざれ石と、岩石としてのさざれ石と、名所としてのさざれ石。この三つは、千年ちかくかけて別々に育ってきました。

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  1. さざれ石が歩いてきた千年の道のり
  2. もとは「小さな石」というだけの、ふつうの言葉だった
    1. 「さざれ」は細かさをあらわす古い言い方
      1. 漢字では「細石」と書く
      2. 川原にころがっている石のこと
    2. 元の歌は「わが君は」で始まっていた
      1. 『古今和歌集』の賀歌、作者は不明
      2. 「君が代は」への入れ替わり
  3. 小石が岩になるのは、たとえ話ではない
    1. ばらばらの粒を岩に変える「続成作用」
      1. 押し固める力と、すきまを埋める力
      2. のりの役目をする炭酸カルシウム
    2. 礫岩・角礫岩・石灰質角礫岩の違い
      1. 境目は粒の大きさと、角の丸さ
      2. 「さざれ石」と呼ばれるのはこの仲間
  4. 天然記念物になった、岐阜県揖斐川町の巨岩
    1. 重さ約50トンの石灰質角礫巨岩
      1. 横5.6メートル、高さ3メートル
      2. 雨水が石灰を溶かし、小石を抱き込んだ
    2. 見つけたのは学者ではなく、石を愛した人だった
      1. 1961年の「発見」と、その後の働きかけ
      2. 1977年に村と県が天然記念物に指定
  5. 神社の境内に置かれるようになった理由
    1. 奉納という形で全国に広がった
      1. 下鴨神社や二見興玉神社の例
      2. 「歌を目で見る」ための石
    2. 宮崎・大御神社の大規模なさざれ石群
      1. 2003年に境内で見つかったとされる
      2. 神座や龍の伝承が重なる場所
  6. 「巌となりて苔のむすまで」は、どれくらいの時間なのか
    1. 歌の時間と、岩の時間
      1. 千代も八千代も、桁が足りない
      2. 苔が生えるのは、岩が傷んでから
    2. 石は育つ、という古い感覚
      1. 大きな岩は小石が成長したもの
      2. 科学が追いついた、というより行き会った
  7. もう一歩深く:歌に曲がつき、法律になるまで
    1. 最初の作曲者はイギリス人だった
      1. 1869年、フェントンの申し出
      2. 1880年に現行の旋律へ
    2. 長いあいだ、法律の裏づけはなかった
      1. 事実上の国歌という状態が百年以上
      2. 1999年の国旗国歌法

さざれ石が歩いてきた千年の道のり

さざれ石という言葉が生まれてから、それが実在の岩と結びつけられるまでには、ずいぶんな時間の開きがあります。何がいつ起きたのかを時間軸に並べると、話の順序がはっきりします。

時期できごと
10世紀初頭『古今和歌集』の賀歌に「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」が収められる。作者は読人知らず
平安後期〜鎌倉期『和漢朗詠集』の写本などに、書き出しが「君が代は」の形が現れる
江戸期より広く使える「君が代は」の形が一般化していったとされる
1869年(明治2年)イギリス人フェントンが、この歌詞に最初の曲をつける
1880年(明治13年)宮内省の林広守らの手で現行の旋律が定まり、事実上の国歌として使われ始める
1961年(昭和36年)岐阜県春日村(現・揖斐川町)の山中で、愛石家が巨岩を「歌のさざれ石」として発表する
1977年(昭和52年)その岩が村と岐阜県の天然記念物に指定される
1999年(平成11年)国旗国歌法が公布・施行され、法律上の国歌となる

歌が生まれてから岩が名指しされるまで、およそ千年。この長さが、さざれ石という言葉のふしぎな立ち位置をつくっています。

もとは「小さな石」というだけの、ふつうの言葉だった

さざれ石は、特別な石の名前として生まれた言葉ではありません。細かい石、小石。それだけの意味の日常語でした。

「さざれ」は細かさをあらわす古い言い方

漢字では「細石」と書く

さざれ石の漢字表記は「細石」です。細かい石、という字のとおりの成り立ち。細かさを担っているのが「さざれ」の部分です。同じ「さざれ」は、水面の細かい波を指す「さざ波」にも生きています。

川原にころがっている石のこと

古い和歌のなかのさざれ石は、川原や浜辺のありふれた小石を指しています。宝石でも霊石でもありません。手のひらに乗るくらいの、どこにでもある石です。歌の面白さは、その最も小さくありふれたものを、最も大きく動かないものの対極に置いたところにあります。

元の歌は「わが君は」で始まっていた

『古今和歌集』の賀歌、作者は不明

もとになった和歌は、10世紀初めに編まれた『古今和歌集』の巻七「賀歌(がのうた)」に収められています。作者は記されておらず、読人知らずとして伝わりました。祝いの席で長寿を願うための歌です。

賀歌(がのうた)とは、長寿や繁栄を祝う場面で詠まれた和歌の分類のことです。誕生日や還暦にあたる祝いの席などで用いられました。

「君が代は」への入れ替わり

『古今和歌集』での書き出しは「わが君は」でした。現在の「君が代は」に近い形は、鎌倉時代の『和漢朗詠集』の写本などに見えます。目の前の相手を直接ほめる「わが君」より、誰にでも贈れる「君が代」のほうが使い勝手がよかったためとされ、江戸期にはこちらが広まっていきました。

小石が岩になるのは、たとえ話ではない

歌の「さざれ石の巌となりて」は、ありえないことを願いの大きさとして詠んだ誇張だと受け取られがちです。ところが地質の世界では、小石が寄り集まって一つの岩になる現象がふつうに起きています。

ばらばらの粒を岩に変える「続成作用」

押し固める力と、すきまを埋める力

堆積したものが岩になる過程は、続成作用(ぞくせいさよう)と呼ばれます。砕けた粒からなる岩の場合、その中身は大きく二つです。上に積もったものの重みで押し縮められる圧密作用と、粒と粒のすきまを別の物質が埋めていく膠結作用(こうけつさよう)。この二つがそろって、ばらばらだった粒が動かない岩になります。

のりの役目をする炭酸カルシウム

すきまを埋める物質の代表が、炭酸カルシウムです。石灰岩や貝殻の成分が水に溶け出し、粒のあいだで再び固まって接着剤のように働きます。二酸化ケイ素が同じ役目をすることもあります。小石をまとめているのは、圧力よりもむしろこの化学的な「のり」です。

この「のり」が効くと、岩になる速さは大きく変わります。海辺の砂礫が石灰分で固まったビーチロックには、数十年で岩になった例が国内で報告されています。微生物が炭酸カルシウムの析出を助けているとみられ、その仕組みを地盤の固化技術へ応用する研究も進行中です。

礫岩・角礫岩・石灰質角礫岩の違い

境目は粒の大きさと、角の丸さ

粒がどれくらい大きいかで岩の呼び名は変わります。直径2ミリ以上の粒が固まったものが礫岩(れきがん)です。その粒が水に運ばれて角の取れた丸い形なら礫岩、割れたままの角ばった形なら角礫岩と呼び分けます。丸いか尖っているかは、石が旅をしてきたかどうかの記録でもあります。

呼び名粒の形できかたの特徴
礫岩角の取れた丸い礫川や海に運ばれるうちに角が削れた石が積もって固まる
角礫岩角ばったままの礫あまり運ばれず、砕けた場所の近くで積もって固まる
石灰質角礫岩角ばった石灰岩の礫溶けた石灰分がのりとなり、角礫どうしを結びつける

「さざれ石」と呼ばれるのはこの仲間

神社などでさざれ石として紹介される岩は、多くがこの礫岩・角礫岩の仲間です。表面をよく見ると、握りこぶしほどの石が何十個も肌に浮き出ています。一つの塊でありながら、もとが小石の集まりだったことを隠していません。

天然記念物になった、岐阜県揖斐川町の巨岩

さざれ石の名で最も知られているのが、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日にある巨岩です。伊吹山のふもと、笹又(ささまた)と呼ばれる一帯にあります。

重さ約50トンの石灰質角礫巨岩

横5.6メートル、高さ3メートル

岐阜県の指定名称は「笹又の石灰質角礫巨岩」で、通称がさざれ石です。大きさは横5.6メートル、高さ3.0メートル、最大部の厚さ2.7メートル。重さはおよそ50トンと説明されています。数値だけ見ても、小石の集まりという言葉から思い浮かぶ姿とはずいぶん遠い岩です。

雨水が石灰を溶かし、小石を抱き込んだ

成因については、この谷の石灰質の石が長い年月のあいだに雨水で溶け、粘りのある乳状の液になったと説明されています。それが周囲の小石をつなぎ止め、しだいに巨大な塊へ育ちました。地表に姿を現したのは、川の浸食で上の土が削られたためです。歌の文句とは逆に、岩は地面から生えたのではなく、掘り出されるように現れました。

見つけたのは学者ではなく、石を愛した人だった

1961年の「発見」と、その後の働きかけ

この岩が世に出たのは1961年です。地元の愛石家だった小林宗一(号は宗閑)が山中で見つけ、これこそ歌に詠まれたさざれ石だとする自説を発表しました。学術的な調査の結果ではなく、一個人の主張から始まった話です。本人は建白書を出すなどして、各方面へ熱心に働きかけました。

1977年に村と県が天然記念物に指定

その主張は16年をかけて公的な形になります。1977年3月に旧春日村が、同年11月に岐阜県が、この岩を天然記念物に指定しました。指定されたのはあくまで石灰質角礫巨岩という岩石としての価値です。「歌に詠まれた石そのもの」と証明されたわけではない点は、押さえておいたほうがよさそうです。

神社の境内に置かれるようになった理由

いま各地の神社を歩くと、「さざれ石」と札の立った岩に出会います。これは古代から続く風習ではなく、比較的あたらしい流れです。

奉納という形で全国に広がった

下鴨神社や二見興玉神社の例

京都の下鴨神社の境内には、歌の一節とともに紹介されるさざれ石があります。伊勢の二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)にあるのは、2003年に奉納されたものです。鶴岡八幡宮など、ほかの著名な社にも同種の岩が置かれています。据えられた時期はいずれも新しく、多くが近年に運び込まれたものです。

「歌を目で見る」ための石

これらの岩は、参拝者が歌の情景を実物で確かめるための手がかりになります。誰もが口ずさむ歌詞のなかで、さざれ石だけは意味の像を結びにくい言葉です。そこに現物を置けば、言葉が急に手ざわりを持ちます。神社側の解説板が、たいてい歌の引用から始まっているのはそのためでしょう。

宮崎・大御神社の大規模なさざれ石群

2003年に境内で見つかったとされる

宮崎県日向市の大御神社(おおみじんじゃ)には、日本最大級と紹介されるさざれ石群があります。境内の西側で2003年に見つかったとされ、一つの岩ではなく礫岩の地面が広がる規模です。海を望む柱状の岩の上に建つ社で、周囲の地形そのものが見どころになっています。

神座や龍の伝承が重なる場所

この一帯には、周囲30メートルほどの巨石を神座(かみくら)とする言い伝えや、水をたたえたくぼみを龍神の跡とする解釈が伝えられています。いずれも神社が示している由緒であり、考古学的に裏づけられた年代ではありません。石が信仰を集める場所では、こうした物語が岩の周りに積もっていきます。

「巌となりて苔のむすまで」は、どれくらいの時間なのか

歌が願いの長さにたとえるのは、小石が岩になり、その岩に苔が生えるまでの時間です。この時間を実際の物差しで測ると、少し意外な順序が見えてきます。

歌の時間と、岩の時間

千代も八千代も、桁が足りない

「千代に八千代に」は千年や八千年という正確な数ではなく、果てしなく長い時間をあらわす言い回しです。とはいえ数千年という語感で受け取ると、岩ができる時間には遠く及びません。砂礫が積もってから岩になるまでには、ふつう数十万年以上が必要とされます。歌はおおげさに詠んでいるようで、じつは控えめだったわけです。

苔が生えるのは、岩が傷んでから

苔が岩に根づくには、表面が風化してわずかな凹凸と水気を持つ必要があります。つるりとした新しい岩肌には、なかなか広がりません。つまり歌がたどる順序は、石が固まって岩になり、さらにその岩が古びるまでを見届けるというものです。願われているのは完成ではなく、完成したあとの長い時間のほうでした。

石は育つ、という古い感覚

大きな岩は小石が成長したもの

かつての日本には、巨石はもともと小さな石が育ったものだという見方がありました。石を生きたものとして扱う感覚は各地の伝承に残っており、民俗学者の柳田国男もこうした巨石信仰の事例を各地から集めています。歌のさざれ石は、この感覚を前提にすると比喩というより素直な描写に近いのかもしれません。

科学が追いついた、というより行き会った

小石が固まって岩になるという続成作用の説明は、この古い感覚と結果だけがよく似ています。もちろん歌の作者が地質学を知っていたはずはありません。日々の観察から生まれた言い伝えと、後世の学問とが、別の道を通って同じ景色にたどり着いた形です。

もう一歩深く:歌に曲がつき、法律になるまで

千年前の祝いの歌に旋律がついたのは、ようやく明治になってからでした。しかも最初の曲は、いま歌われているものではありません。

最初の作曲者はイギリス人だった

1869年、フェントンの申し出

1869年、軍楽隊の教官として来日していたジョン・ウィリアム・フェントンが、日本に国の歌がないことを惜しんで作曲を申し出ました。これが最初の「君が代」です。しかし歌詞と旋律のなじみが悪く、定着しませんでした。

1880年に現行の旋律へ

作り直しのため、海軍や陸軍の楽長らと宮内省の伶人長・林広守(はやしひろもり)を含む委員が任命されました。1880年に採用されたのが、雅楽の音階に沿った現在の旋律です。実際には広守の長男の広季と、伶人の奥好義(おくよしいさ)がつけた旋律をもとに広守が曲を起こしたと認められています。ひとりの作曲家の作品ではありません。

長いあいだ、法律の裏づけはなかった

事実上の国歌という状態が百年以上

1880年以降、君が代は儀式などで広く演奏されてきました。ただし法令で国歌と定めたわけではなく、慣行として続いていた状態です。この宙ぶらりんな位置づけが、長く議論の的にもなりました。

1999年の国旗国歌法

法的な根拠が与えられたのは1999年です。国旗及び国歌に関する法律が8月13日に公布され、同じ日に施行されました。歌詞が生まれてからおよそ1100年、旋律がついてから119年後のことになります。なお歌詞が世界の国歌で最も古い、あるいは最も短いと紹介されることがありますが、これは比較の仕方によるもので確定した記録ではありません。

入学式でも競技場でも、あの歌はほんの二十数秒で終わります。そのあいだに順に呼び出されるのは、川原の小石・数十万年かけて固まった岩・苔が広がるまでの年月です。歌詞のなかのたった五文字に、それだけの時間が畳み込まれています。