「4年に1度」という覚え方は、ほとんどの年で当たります。外れるのは400年のうち3回だけです。
地球が太陽のまわりを一周するのにかかる時間は、約365.2422日。1年を365日と数えると毎年6時間近くが余ります。その余りを4年ためて1日にするのがうるう年で、ためすぎを防ぐための例外が二段構えで乗っています。
うるう年になる年・ならない年の早見表

2001年から2400年までの400年間で、4で割り切れるのにうるう年にならない年は2100年・2200年・2300年の3回しかありません。その3回を先に名指ししたうえで、判定の規則を並べます。
| 強さ | 条件 | 結果 | あてはまる年 |
|---|---|---|---|
| 基本 | 4で割り切れない | 平年(365日) | 2026年・2027年 |
| 1段目 | 4で割り切れる | うるう年(366日) | 2024年・2028年 |
| 2段目 | 100で割り切れる | 平年に戻す | 1700年・1800年・1900年 |
| 3段目 | 400で割り切れる | うるう年に戻す | 1600年・2000年・2400年 |
下の段ほど強く、上の段を打ち消します。2000年は4でも100でも400でも割り切れますが、いちばん下の条件が効いてうるう年になりました。逆に1900年は3段目に届かないため、100年に一度の例外がそのまま適用されました。
1年365日では足りない約5時間49分

うるう年の出どころは、暦の都合ではなく地球の公転周期の端数です。その端数がどれくらいの大きさなのかを、まず時間の単位で見ておきます。
地球が一周するのにかかる365.2422日
国立天文台は、地球が太陽のまわりを一回りするのにかかる時間を約365.24219日と説明しています。小数点以下の0.24219日を時分秒に直すと、約5時間48分45秒、およそ5時間49分です。1年ごとにこれだけの時間が、暦の365日からはみ出していきます。
※ 回帰年(かいきねん)とは、太陽が春分点を出てふたたび春分点に戻るまでの時間のことです。季節が一巡する長さで、暦の1年はこれに合わせて作られます。
4年ぶんためると、0.24219日×4で約0.9688日。時間に直せば約23時間15分で、1日にわずかに足りない量です。この「ほぼ1日」を4年目の2月に押し込むのが、うるう日の正体になります。
調整をやめた暦が季節から離れる速さ
うるう日を一切入れないとどうなるか。1年あたり約0.2422日ずつ、暦が季節を追い越していきます。
124年で1か月、755年で季節が半分入れ替わる
30日ぶんずれるのに必要な年数は、30÷0.2422で約124年。半年ぶんの約183日なら約755年です。うるう年を捨てた暦を800年ほど使い続けると、カレンダーの1月に真夏が来ることになります。
暦が農事と祭りの予定表だった時代
季節とのずれが致命的だったのは、種まきや収穫の時期を暦から読んでいたからです。宗教行事の日取りも同じで、春の祭りが夏に来てしまえば暦そのものの信用が崩れます。うるう年は、その信用を保つための保守作業でした。
紀元前45年に始まった4年に1度
4年に1日を足す方式は、ユリウス・カエサルが紀元前45年から施行したユリウス暦で確立しました。それ以前のローマ暦では、神官が必要に応じてうるう月を差し込む運用になっており、政治的な思惑で年の長さが伸び縮みしていたとされます。
カエサルはこの裁量を廃し、4年に1度という機械的な規則に置き換えました。1年の平均は365.25日。当時の観測精度から見れば十分な近似で、この暦はその後1600年以上にわたって使われ続けます。
ユリウス暦が1600年でためた10日のずれ

4年に1度という規則には、逆向きの欠点がありました。うるう日を入れすぎていたのです。
365.25日と365.2422日の差、約11分14秒
ユリウス暦の1年は平均365.25日で、回帰年より0.0078日ほど長くなります。1年あたりに直すと約11分14秒。1回では誰も気づきませんが、暦は世代をまたいで使われる道具です。
128年で1日というたまり方
1÷0.0078で約128年。この速さで暦が季節を追い抜いていきます。人ひとりの一生では1日にも届かないため、誰かが困り始めるまで数百年かかりました。
325年から1582年までの1257年
基準になったのは、325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定めたときの暦です。そこから1582年までの1257年を128で割ると、およそ10日。16世紀の春分は、暦の上の3月21日より10日ほど早く訪れるようになっていました。
※ ニカイア公会議とは、325年に現在のトルコで開かれたキリスト教の会議です。復活祭の日取りを決める基準として、春分を3月21日とする扱いが定着しました。
1582年10月4日の翌日が10月15日になった日
ローマ教皇グレゴリウス13世は1582年、たまった10日を一度に削る改暦を布告しました。1582年10月4日の木曜日の翌日が、10月15日の金曜日になります。曜日は連続したまま、日付だけが10日飛んだわけです。
この改暦は各国で足並みがそろいませんでした。イギリスが採用したのは1752年で、このときは差が11日に広がっており、9月2日の翌日が9月14日になっています。ロシアにいたっては1918年で、削った日数は13日にのぼりました。
春分の位置にこだわった理由
改暦の動機は天文学というより、教会の実務にありました。
復活祭の日取りが春分から逆算される
キリスト教で最も重い祝日である復活祭は、春分のあとの満月の次の日曜日という決め方をします。起点の春分が10日もずれていれば、祝日の日付そのものが動いてしまいます。暦のずれは、そのまま教会暦の破綻を意味していました。
戻す先を制定時ではなく325年に置いた判断
削る日数は、ユリウス暦が始まった紀元前45年ではなく、325年の状態に戻す量として計算されました。基準を公会議の年に置いたため、削除は13日ではなく10日で済んでいます。改暦の目的は季節の復元ではなく、教会の取り決めの復元だったわけです。
400年に3回の例外はどう決まっているのか

10日を削っただけでは、同じずれがまたたまります。グレゴリオ暦が加えたもう一つの仕掛けが、100年と400年の例外でした。
100で割り切れて400で割り切れない年
規則の文面はごく短いものです。西暦年が4で割り切れる年をうるう年とし、100で割り切れて400で割り切れない年は平年に戻す。書かれているのはこれだけで、例外の理由は一言も添えられていません。
1700年・1800年・1900年が平年だった
この規則により、18世紀から20世紀にかけての3つの世紀の変わり目には2月29日がありませんでした。1900年2月は、4で割り切れる年でありながら28日で終わっています。
2000年だけが例外の例外になった
400で割り切れる2000年は、100年ごとの例外を打ち消してうるう年になりました。前回の該当年は1600年で、次は2400年。400年に1度しか出番のない条件のため、当時は「2000年はうるう年です」という注意喚起がわざわざ出されています。
400年に97回という設計
4年に1度なら400年に100回。そこから3回を引いた97回が、グレゴリオ暦のうるう年の数です。
400年=146,097日という総量
365日×400年に97日を足すと146,097日。400で割った平均が365.2425日で、回帰年の365.24219日にかなり近い値になります。97という半端な数は、この平均値を作るために逆算されたものです。
残る誤差は約3,200年で1日
365.2425日と365.24219日の差は、1年あたり約0.0003日。秒に直すと約27秒で、1日ぶんたまるまでにおよそ3,200年かかります。ユリウス暦の128年と比べれば、精度は25倍ほどに上がった計算です。
| 暦 | 1年の平均 | 回帰年との差 | 1日ずれるまで |
|---|---|---|---|
| うるう年なし | 365日 | 約0.2422日 | 約4年 |
| ユリウス暦 | 365.25日 | 約0.0078日 | 約128年 |
| グレゴリオ暦 | 365.2425日 | 約0.0003日 | 約3,200年 |
うるう年が8年来ない期間
100年ごとの例外には、意外な副作用があります。2月29日の間隔が、そこだけ4年ではなく8年に開くのです。
直近の例は1896年で、次のうるう年は1900年を飛ばした1904年でした。8年間、2月29日が一度も来ない時期があったことになります。
同じことが2096年から2104年にかけて起こります。1900年の空白を経験した人はもうほとんど残っていませんが、2100年の空白は、いま生きている世代の一部が立ち会う可能性のある例外です。
うるう日はなぜ2月に足すのか

1年の途中である2月に日を足すのは、考えてみれば不自然です。理由は、2月がかつて年の終わりだったことにあります。
2月がもともと1年の最後の月だったころ
ローマの暦は、はじめから12か月そろっていたわけではありません。
10か月しかなかった最初のローマ暦
伝承上の最古のローマ暦には、現在の1月と2月にあたる月が存在しませんでした。年は3月に始まり、冬のあいだは月の名前が与えられない空白期間だったとされます。9月から12月を表す英語のSeptemberからDecemberが、ラテン語の7から10に由来しているのはこの名残です。
ヌマ暦で末尾に加えられた2月
その後の改暦で1月と2月が追加されますが、2月は「2番目の月」ではなく1年の最後の月として置かれました。年末に日数の調整役を置くのは自然な発想で、うるう月もこの2月の後ろに差し込まれています。年始が1月に移ってからも、調整の場所だけが動かずに残りました。
2月だけ28日で止まっている理由
国立天文台の説明によれば、当時の各月は29日か31日で構成されており、2月にあたるFebruariusだけが28日でした。この月が祓(はら)いと清めの月とされ、忌まれる偶数の日数でも差し支えないと考えられていたためだといわれています。
ユリウス暦への移行でも、宗教上の理由からこの日数は動かされませんでした。2月が短いのは日数を他の月に取られたからだという話が広まっていますが、少なくとも公的な解説では、はじめから短い月として設計されていたと説明されています。
かつてのうるう日は2月24日だった
いまの2月29日という置き場所も、実は後から決まったものです。
同じ日付を2回数える方式
ユリウス暦では、うるう年に2月24日を2回繰り返していました。月末に新しい日付を作ると、それ以降に固定されている祭礼の日付がすべて1日ずれてしまいます。日付を増やさず同じ日を重ねる方式なら、祭りの日取りは動きません。
英語のbissextileに残った痕跡
英語にはうるう年を指す語としてleap yearのほかにbissextileがあり、これは「6番目の日が2回ある」という意味のラテン語表現に由来します。2月24日は、3月1日から逆に数えて6番目の日にあたります。使われなくなった置き場所の記憶が、単語のかたちで残っているわけです。
日本のうるう年を決めている明治の勅令

日本のうるう年は、西暦の規則をそのまま輸入したものではありません。根拠になっているのは、100年以上前に出された1本の勅令です。
明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日
太陽暦の採用は、明治5年(1872年)に出された太政官布告(だじょうかんふこく)第337号によります。
2日で終わった明治5年12月
布告は、明治5年12月2日をもって旧暦を廃し、翌日を明治6年1月1日とすると定めました。1か月がわずか2日で打ち切られた計算になります。告知から実施までがひと月ほどしかなく、当時は暦を刷り直す商いが大きな打撃を受けたと伝えられています。
「四年毎ニ一日ノ閏ヲ置」としか書かれていなかった
この布告のうるう年の規定は、4年ごとに1日を置くという趣旨の一文だけでした。100年と400年の例外が書かれていないため、文字どおり読めば1900年もうるう年になってしまいます。採用したはずのグレゴリオ暦と食い違う穴が、条文の側に残っていたわけです。
1900年を前に出された明治31年勅令第90号
この穴は、1900年の2年前になってようやく塞がれました。1898年(明治31年)5月11日公布の勅令第90号「閏年ニ関スル件」です。
皇紀から660を引いて100で割る
条文は西暦ではなく、神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)を基準に書かれています。紀元年数が4で割り切れる年をうるう年とし、そこから660を引いた数が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする、という組み立てです。
※ 神武天皇即位紀元(皇紀)とは、神武天皇の即位を元年とする年の数え方です。西暦に660を足した数にあたり、西暦2026年は皇紀2686年になります。
西暦の規則と結果が一致する仕組み
660を引くという操作は、皇紀を西暦に戻す計算にほかなりません。式の見た目は違っても、判定の結果はグレゴリオ暦とぴたりと一致します。この勅令によって、1900年は平年であることが法令の上ではっきりしました。
今も効力を持つ明治の法令
驚かれるかもしれませんが、この勅令は廃止されていません。参議院法制局の解説によれば、日本国憲法の施行にあわせて出された昭和22年の法律により、法律としての効力を持ったまま現在に至るとされています。
日本には、西暦を公式の紀年法と定めた法律がありません。長い年数を法令の文面で扱う枠組みとしては皇紀が残っているため、うるう年の判定も形式上は皇紀を経由していることになります。ふだん誰も意識しない場所で、明治の条文がいまも動いているわけです。
2月29日生まれの人はいつ年を取るのか

4年に1度しか誕生日が来ない人は、4年に1歳しか年を取らないのか。法律の答えははっきりしていて、毎年きちんと1歳増えます。
平年でも2月28日の24時に1歳増える
年齢の数え方を定めているのは、明治35年の「年齢計算ニ関スル法律」です。年齢は出生の日から数え始め、応当日の前日が終わった時点で1歳増えるという考え方をとります。
この規則にあてはめると、2020年2月29日生まれの人は2021年2月28日が終わる瞬間、つまり2月28日の24時に満1歳になります。2月29日が存在しない年でも、加齢は止まりません。
実際に祝う日は、うるう年なら2月29日、平年なら3月1日を選ぶ人が多いようです。法律上の加齢と、お祝いの日が1日ずれるという珍しい状態が生まれます。
運転免許証では「2月28日生まれ」とみなす
行政の手続きは、存在しない日付をそのまま扱えません。そこで道路交通法には、2月29日生まれの人の平年における誕生日を2月28日とみなす条文が置かれています。
運転免許証の有効期間は誕生日を基準に決まるので、平年に更新を迎える年は2月28日生まれの人とまったく同じ扱いです。更新できる期間も、うるう年なら1月29日から3月29日、平年なら1月28日から3月28日という具合に1日前へずれます。
例外が現代のソフトに残した痕跡

400年に3回の例外は、めったに発動しないぶん見落とされやすい規則です。その見落としが、いまも身近な道具の中に残っています。
表計算ソフトに存在する1900年2月29日
Excelで1900年2月29日と入力すると、エラーにならず日付として受け付けられます。現実には存在しない日です。
Lotus 1-2-3から引き継がれた前提
マイクロソフトの公式文書は、この挙動を意図的なものだと明記しています。先行して普及していた表計算ソフトのLotus 1-2-3が1900年をうるう年として扱っており、互換性を保つためにその前提ごと引き継いだ、という説明です。
1900年3月1日以降が1日ずれている
存在しない日を1日抱えているため、Excelの内部番号は1900年3月1日以降で実際の暦より1つ多くなっています。日常の計算に影響しないのは、ずれの起点より前の日付をほとんど誰も使わないからです。40年以上前の互換性の判断が、いまも表計算ソフトの奥に固まったまま残っています。
400年で完全に一巡するカレンダー
グレゴリオ暦の400年は146,097日で、これを7で割ると20,871週ちょうど。端数が出ません。
つまり400年たつと、日付と曜日の組み合わせが完全に元へ戻ります。2026年のカレンダーは、2426年のカレンダーと1日の狂いもなく同じものになるわけです。
13日が金曜になる回数の偏り
この周期性のおかげで、400年間に各曜日が何回現れるかを数え上げることができます。13日についてこれを行うと、最も多いのは金曜日でした。13日の金曜日が不吉とされる理由は迷信ですが、他の曜日よりわずかに多いこと自体は暦の構造から出てくる事実です。
4年に1度という規則には、100年ごとの例外と、その例外を打ち消す400年ごとの例外が重ねてあります。ところが下の2段は、ふつうに暮らしていれば一生に一度も発動しません。1900年と2100年のあいだに生まれた人は、規則の全体像を一度も目にしないまま暦を使い終えることになります。
それでも暦が季節とずれないのは、ほとんど使われないその条文が黙って効いているからです。2月29日を見かけたら、動いている条項ではなく、動かないまま出番を待っている条項のほうを思い浮かべてみるのも一興かもしれません。
参考
- 国立天文台「どの年がうるう年になるの?」
- 国立天文台「どうして2月だけ28日しかなくて、日数が変わるの?」
- 参議院法制局「うるう年をめぐる法令」
- Microsoft「Excel では、1900 年が閏年であると誤って想定しています」
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