男性の脳と女性の脳は、平均するとたしかに大きさが違います。男性のほうが1割ほど大きい。けれども、そこから先の「だから考え方が違う」という説明は、この40年の研究でほとんど支持されなくなりました。
脳梁(のうりょう)が太いから女性は察しがいい。男性は左脳型だから理屈っぽい。こうした言い方は、どれも一度は科学の顔をして広まったものです。一つずつ元の研究に当たってみると、残ったものと消えたものの線引きは意外なほどはっきりしていました。
よく聞く五つの説を、研究と突き合わせる

街でよく聞く言い方には、丸のつくものと消えたもの、条件つきのものが混ざっています。先に答え合わせを済ませ、そのうえで一つずつ中身を開けていきましょう。
| よく聞く説 | 研究が示していること | 判定 |
|---|---|---|
| 男性の脳は大きい | 平均で約1割大きい。体格と連動しており、知能検査の平均にはっきりした差は出ていない | おおむね正しい |
| 女性は脳梁が太く、左右をつなぐ | 1980年以降の49研究をまとめ直したところ、有意な差は出なかった | 支持されていない |
| 人には左脳型と右脳型がある | 1,011人分の画像解析で、そうした個人の「型」は見つからなかった | 支持されていない |
| 女性は言語が得意 | 幼児期のわずかな差は成長とともに縮み、成人で一貫した差は見えない | ほぼ支持されていない |
| 男性は地図や立体が得意 | 心的回転の課題に中くらいの平均差がある。ただし訓練で縮む | 条件つきで正しい |
五つのうち、無条件で残ったのは大きさだけでした。しかも大きさは、いちばん「使えない」差でもあります。
大きさの違いは本当にある。ただし「だから」の先が続かない

脳の体積に平均差があること自体は、繰り返し確かめられてきた事実です。争点になるのは、その差が何を意味するかのほうにあります。
平均で1割、けれど分布はほとんど重なる
5,216人分の画像が見せた景色
英国のUKバイオバンクという大規模研究のデータを使い、2018年に5,216人(女性2,750人・男性2,466人、44〜77歳)の脳画像が比較されました。補正をかけない生の全脳体積では男性が明確に大きく、効果量にして1.41。統計の世界では大きい部類に入ります。
※ 効果量(Cohen’s d)とは、二つのグループの平均がどれくらい離れているかを、データのばらつきを物差しにして表した数値です。0.2なら小さい、0.5で中くらい、0.8以上で大きいというのが慣例的な目安です。
ところが同じ論文は、男女の分布が広く重なっていたことも報告しています。平均は離れていても、一人ひとりを並べれば大半は同じ帯の中にいる。皮質の厚みに至っては、多くの部位で女性のほうが厚く、その効果量は0.22にとどまりました。
体の大きさとつながっている
脳の大きさは、身長や体格とゆるやかに連動します。背の高い人は心臓も肺も大きい。脳もその延長線上にあり、男女の体格差を考慮に入れると1割の差はかなり縮みます。ただし体格で割り切れる部分ばかりではなく、補正しても差が残るという報告もあります。「男性の脳が大きい」という文は、相当の部分まで「男性の体が大きい」と重なっている、というあたりが妥当な読み方でしょう。
大きさが「説明してしまう」もの
部位ごとの差は、全体の差で消えることが多い
2021年、リーズ・エリオットらは30年ぶんの脳画像研究を総ざらいした総説を発表しました。600本を超える研究と616件の文献を突き合わせた大部の論文です。結論は、性別が脳の形の個人差を説明する割合は1%に満たない、というものでした。扁桃体や海馬が「男性で大きい」と言われてきた部位も、全体の体積で補正すると差はおおむね消えます。
※ メタ分析とは、同じテーマを扱った過去の研究を集め、統計的にまとめ直して全体の傾向を出す手法です。個々の研究に紛れ込む偶然のブレを打ち消せるため、単独の研究より確からしいとされます。
反対側の主張もある
この点は決着していません。同じ2021年にはウィリアムズらが逆の結論を出し、2022年にはデカシアンらが「全体サイズを補正してもなお再現性のある局所差がある」と報告しています。ただし彼らも、その差は小さいか中くらいだと述べています。「差はゼロだ」と「差は大きい」の両極ではなく、「小さい差をどう呼ぶか」で専門家が割れている、と捉えるのが実態に近いところです。
「脳梁が太い」説はどこで生まれたのか

五つの説のうち、いちばん息が長いのが脳梁の話でしょう。左右の半球をつなぐ神経の束が女性で太く、だから女性は感情と論理を行き来できる、という筋書きです。出どころははっきりしています。
出発点は1982年の一報
論文自身が「予備的な観察」と書いていた
1982年、科学誌『Science』に脳梁の後ろの膨らみ(膨大部=ぼうだいぶ)が女性でより丸く大きい、とする報告が載りました。要旨の一行目は「予備的な観察は性差を示唆する」。書いた本人たちが、これは足がかりの段階だと断っていたわけです。
断り書きだけが落ちて広まった
ところが伝わる過程で、留保は削られました。太い脳梁は「左右の連携がいい」に、連携のよさは「察しがいい」「同時に複数のことができる」に翻訳されます。元の論文は視空間認知の左右差との関連を可能性として述べただけで、日常のふるまいには何も言っていません。
49本を集めて出た答え
補正してもしなくても、差は出なかった
1997年、ビショップとウォールステンが1980年以降の49研究をメタ分析にかけました。膨大部の大きさと形について、脳全体の大きさで補正した場合もしない場合も、有意な性差は認められていません。論文の副題は「神話か現実か」。彼らの答えは前者でした。
それでも通説が生き延びる理由
否定のメタ分析が出ても、俗説はなかなか死にません。「太い束=よくつながる」という比喩がわかりやすすぎるからです。いったん腑に落ちた説明は、後から届いた訂正より強い。脳梁の話は、その典型例として今も引き合いに出されます。
「左脳型・右脳型」はどうなったか

男女の話に入る前に、そもそも人を左脳型と右脳型に分けられるのか。ここが崩れると、「男は左脳型で女は右脳型」という言い方は土台ごと消えます。
偏りは実在する。人の「型」は実在しない
機能ごとの左右差はある
言語に関わる領域が左半球に偏っていること自体は、古くから知られた事実です。右利きの人ではおよそ9割以上が左優位とされます。注意の切り替えに関わる働きは、逆に右側へ寄る傾向がある。ここまでは教科書どおりです。
1,011人を調べても「型」は出てこない
2013年、ユタ大学のグループが7〜29歳の1,011人ぶんの安静時脳活動データを解析しました。左に偏るハブと右に偏るハブは確かに見つかります。ただし、ある人の脳全体が左寄りで別の人は右寄りといった個人差のパターンは、検出されませんでした。偏りは局所の性質であって、人格の型ではなかったのです。
二つの俗説が掛け合わされるとき
「男は左脳・女は右脳」の成り立ち
この言い方は、支持されていない二つの説の掛け算でできています。人は左脳型と右脳型に分かれるという前提が一つ。その型が性別と対応するという前提がもう一つ。どちらも単独で崩れているため、掛け合わせた結論だけが立っていることはありません。
当たっているように感じる仕組み
それでも診断結果を読むと当たっている気がします。人は自分に当てはまる部分を拾い、外れた部分を読み飛ばすからです。「理屈っぽい男性」を見れば説の証拠に数え、地図の得意な女性に会っても例外として処理する。型は、証拠の集め方のほうを変えてしまいます。
この思い込みは、教える側にも広く共有されてきました。2012年に英国とオランダの教員242人を対象に行われた調査では、約9割が「左脳型か右脳型かの違いは学習者の個人差を説明する」に同意しています。学校で使われる説明ほど、訂正が行き渡るまでに時間がかかるのでしょう。
差が「ある」項目も、固定されてはいない

ここまで消えた説ばかり並びましたが、平均差が繰り返し確認されている項目もあります。ただしその差は、生まれつき配線が違うから動かない、という種類のものではありませんでした。
地図と立体、いわゆる心的回転
平均差の大きさは中くらい
頭の中で立体を回して照合する課題を心的回転と呼びます。1995年のメタ分析では、男性有利の効果量は全体で0.56、代表的なテストに絞ると0.67でした。ばらつきを考えれば、女性の上位層は男性の平均を上回ります。「女性は地図が読めない」ではなく「平均の位置が少し違う」が正確な言い方です。
10時間の練習で縮んだ
2007年、トロント大学のグループが実験をしました。ふだんゲームをしない学生にアクションゲームを10時間プレイしてもらったところ、空間的注意の性差はほぼ消え、心的回転の差も縮んだのです。伸び幅は女性のほうが大きく、アクション以外のゲームをした対照群では変化がありませんでした。差の一部は、経験の差だったことになります。
数学の差は、国境をまたぐと変わる
69か国・49万人の答案
2010年、国際学力調査のTIMSSとPISAを使って、69か国・493,495人(14〜16歳)の数学の成績が比較されました。全体の平均差はごく小さいものでしたが、国ごとのばらつきは大きい。差が残る国もあれば、ほぼ消えている国もあり、その分布は女性の進学や就労の機会と関係していました。
生まれつきだけでは説明が合わない
脳の配線だけが原因なら、差の大きさは国境をまたいでも似た値に落ち着くはずです。実際には、ほぼ消えている国と無視できない差が残る国が混在していました。同じ研究では、女子が理数系へ進む道がどれだけ開かれているかといった社会の側の条件と、差の大小が関係することも示されています。
心の性差を全部並べてみると
46のメタ分析を並べ直した結果
2005年、ジャネット・ハイドは心理学の性差を扱った46のメタ分析を集約しました。報告されていた性差のうち78%は、小さいかゼロに近いものだったといいます。「男女は違う」を裏づけるはずのデータが、集めてみると似ていることの証拠になっていたわけです。
大きく出るのは身体寄りの項目
例外もあります。ボールを投げる距離や垂直跳びといった運動能力の一部では、差が標準偏差1つぶんを超えました。逆にいえば、そこまで大きく開く心理的な項目はほとんどなかった。よく語られる共感性や言語能力は、いずれも小さな差の側に並びます。言語能力に至っては、通常の集団で一貫した差は見いだせないとする総説さえあるほどです。
「男女で脳が違う」という記事が生まれる仕組み

ここからは少し角度を変えます。研究がここまで慎重なのに、なぜニュースはいつも断定的なのか。その落差が生まれる過程を、実例で追ってみましょう。
2013年、あの配線図が世界を回った
男性は前後、女性は左右
ペンシルベニア大学のグループが8〜22歳の949人(男性428人・女性521人)の神経線維を解析しました。男性は半球の内側で、女性は半球をまたいでつながりが強い——そう報告されたのです。青と橙で塗り分けられた配線図が世界中の新聞に載り、ある英紙は「男女の脳、その真実」という見出しを打ちました。
批判は図の描き方に向かった
翌年、ダフナ・ジョエルらが同じ雑誌に反論を寄せました。指摘は主に三点です。
- 95×95で調べた接続のうち、何本に差が出たのかが示されていない
- 効果量の報告がなく、男女の分布がどれだけ重なるのかを読者が判断できない
- 脳全体の体積で補正していない
男女どちらも前後の接続と左右の接続を持っているのに、量の差が質の差のように描かれた——それが批判の核心でした。
「差はなかった」は見出しにならない
報道の非対称
差を見つけた研究は記事になり、差がなかった研究はほとんど記事になりません。この非対称が積み重なると、読者の側には「差があった」という報告だけが降り積もります。実際、脳梁のメタ分析が世間の話題になったという記憶は、ほとんどの人にないはずです。
日本語圏の受け皿
日本でこの図式が広く共有された背景には、一冊の翻訳書があります。2000年4月に主婦の友社から出た『話を聞かない男、地図が読めない女』です。副題は「男脳・女脳が『謎』を解く」。国内で200万部を超えたとされ、「男脳・女脳」という言葉そのものを日常語にしました。原著は1998年のオーストラリア。刊行から四半世紀が過ぎ、根拠として引かれていた研究の多くは、その後の検証で姿を変えています。
脳は「二種類」ではなく、一人ずつのモザイク

では、個々の脳は男女どちらかに分類できるのか。2015年、ダフナ・ジョエルらがこの問いを正面から検証しました。
分類できるための条件を先に決める
「一貫していること」を求めた
研究チームはまず、男女で平均が最も離れている領域を選び出しました。そのうえで一人ひとりの脳を見て、選んだ領域がすべて男性寄りか、すべて女性寄りかを数えます。「男性脳」と呼ぶからには、その脳の中で特徴が揃っているはずだ、という発想です。
揃っていたのは6%
結果は、内部が一貫していた脳が6%。男性寄りの特徴と女性寄りの特徴を混在させた脳が35%でした。神経線維の接続に絞った解析では、一貫していた人がゼロで、およそ半数がモザイクだったといいます。多数派は、どちらか一方に揃っていない脳のほうでした。
この研究にも反論がある
分類器なら当てられる
翌2016年、同じ雑誌に複数の反論が載りました。デル・ジュディーチェらは、判定の基準が厳しすぎて大きな差でも検出できないと批判します。別のグループは同じデータに機械学習を通し、高い精度で男女を言い当ててみせました。統計的に区別できることと、一人の脳を型に当てはめられることは別問題ですが、この論争自体はまだ続いています。
それでも共有されている一点
対立する双方が認めているのは、差が「小さい」ことです。差はあると主張する側も、効果量は小〜中程度だと明記しています。心臓や腎臓に男女差があるのと同じ意味では脳にも差がある、けれど別種の臓器と呼べるほどではない。この温度感が、現在の研究の中心にあります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1982 | 脳梁の膨大部が女性で大きいとする「予備的観察」が発表される |
| 1995 | 空間能力のメタ分析。心的回転で中くらいの平均差が確認される |
| 1997 | 49研究のメタ分析で、脳梁の性差は支持されないと結論 |
| 2000 | 『話を聞かない男、地図が読めない女』日本語版が刊行される |
| 2005 | 46のメタ分析を集約。心理的性差の78%は小さいかゼロに近いと報告 |
| 2007 | 10時間のゲーム訓練で空間課題の性差が縮むことが示される |
| 2013 | 左脳型・右脳型の個人差は見つからないとする1,011人の解析 |
| 2015 | 脳は男女に分類できずモザイクだとする研究。翌年に反論が相次ぐ |
| 2021 | 30年ぶんの総説が「大きさを超える差はわずか」と結論。反証も同年に |
モザイク画は、離れて見れば一つの絵柄に見えます。近づくと、タイルは一枚ずつ色も形も違う。男女の脳をめぐる40年は、遠くから見た絵柄に名前をつけては、近づいて数え直す作業の繰り返しでした。目の前の一人が何を得意とするかは、結局その人のタイルを見るしかありません。
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