ういろうは、米粉と砂糖と水というシンプルな材料から作られる蒸し菓子です。名古屋名物として知られる一方で、小田原・山口など各地に独自の形で根付いています。「ういろう」という名前のルーツには、かつて万能薬として知られた「外郎薬(ういろうやく)」が関係しているのです。
ういろうの歴史——年表
名前の由来から現代にいたるまでの流れをまとめます。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 室町時代 | 中国・明から外郎家が渡来。外郎薬(漢方薬)とともに蒸し菓子を提供し「外郎」の名が広まる |
| 江戸時代 | 外郎菓子が将軍家・大名への献上品として定着。各地の和菓子店でも似た製品が作られるようになる |
| 明治〜大正時代 | 名古屋で交通網の発展とともに駅売店などで販売され、土産菓子として定着が進む |
| 昭和期 | 「ういろう=名古屋名物」のブランドが全国に確立。白・黒糖・抹茶など味のバリエーションが広がる |
| 現代 | スーパー・通販でも入手しやすくなる。昭和レトロ和菓子として再評価され若い世代にも浸透 |
外郎家の薬と菓子が一体だった時代から、地域ごとに独自に発展した現代まで、ういろうは長い歴史を持ちます。
名前の由来——「外郎家」の薬から菓子へ
「外郎(ういろう)」とはもともと何のこと?
「外郎(ういろう)」とは、もともと中国・元の時代にあった役職名や姓です。日本には南宋からの渡来人・陳宗敬(ちんそうけい)を祖とする「外郎家」が伝えたとされます。この外郎家が日本で販売していたのが「外郎薬」と呼ばれる漢方薬で、当時非常に有名な薬でした。
菓子の名前として定着した背景
外郎家は薬だけでなく、接待用に供していた蒸し菓子も評判となり、次第に「外郎」といえばその菓子を指すようになりました。薬と菓子に同じ名前がついていたというユニークな背景が、現代に残る「ういろう」という名前の源になったのです。
米粉・砂糖・水だけのシンプルな材料
ういろうの基本材料は米粉(上新粉など)・砂糖・水という極めてシンプルな構成です。これを混ぜて型に流し入れじっくり蒸すだけですが、しっとり・もっちり・ぷるんとした食感を出すには材料の配合と蒸し時間が鍵になります。
型と厚みで食感が変わる
薄く作ればぷるぷるとした食感が際立ち、厚めに作ればもっちりとした食べ応えが生まれます。同じ材料でも型と厚みの違いが見た目と食感を大きく変えるのです。
起源と発祥地——小田原と名古屋、それぞれのういろう
発祥の地・小田原「ういろう本舗」
「ういろう発祥の地」としてよく名前が挙がるのが神奈川県小田原市です。ここには今も「ういろう本舗」という老舗があり、外郎薬と外郎菓子の両方を伝統的に扱っています。これは非常に珍しい例で、ういろうが医食同源の考えに基づいた食品であった可能性も示しているのです。
名古屋名物として全国区に
一方、名古屋では大正から昭和初期にかけて米菓としてのういろうが独自に発展しました。昭和期には名古屋駅の定番土産として全国的に知られるようになり、「ういろう=名古屋」のイメージが定着していったのです。
名古屋・小田原・山口——各地のういろう
名古屋のういろうは、白・黒糖・抹茶・さくらなど豊富な味があり、棒状で切って食べるスタイルが主流です。小田原では上品な小分けスタイルの外郎菓子が伝統的に作られています。山口県のういろうはわらび粉を使ったぷるぷる食感が特徴で、同じ名前でも地域ごとに別物ともいえる多様性があります。
地元のういろうを守る菓子店
かつては東京や大阪でも地元のういろうが販売されていましたが、現在では名古屋ブランドが圧倒的に知られるようになりました。それでも各地で独自の製法や味を守り続けている和菓子店があり、「地域のういろう」としてひそかにファンを集めているのです。
豆知識——「外郎売り」と歌舞伎の早口言葉
「ういろう」の名は菓子以外にも文化的な足跡を残しています。歌舞伎の有名な演目「外郎売り」は、外郎家の薬売りが全国を行商していた時代の姿をもとにしたものとされます。「拙者親方と申すは…」から始まるその台詞は、日本最古級の早口言葉ともいわれているのです。
薬から派生した菓子が文化になった
外郎薬の行商と早口言葉が結びついて歌舞伎の演目になり、その菓子が地域ごとに独自に発展して今に続く——という流れは、日本の食文化の柔軟さを示しています。薬から始まり菓子へ、菓子から芸能へと波及したういろうのストーリーは、他の和菓子には見られない特異な歴史といえます。
ういろうは、米粉と砂糖と水というシンプルさの中に、外郎家の渡来・薬の歴史・地域文化の多様性が詰まった菓子です。名古屋・小田原・山口、それぞれのういろうを食べ比べると、同じ名前でも異なる歴史の積み重ねが味に表れているのがわかります。


