うさぎを「1羽」と数えるのは、獣の肉を口にできない僧が二本足で立つうさぎを鳥に見立てたからだという説と、長い耳を鳥の羽に見立てたという説が有力です。イカの「1杯」は、袋のような胴が液体を入れる器に似ているところから来たとされます。どちらも今は、生きている姿なら「匹」で数えるのがふつうです。助数詞(数のあとに付けて物の種類を示すことば)の由来を、魚・チョウ・箪笥・神様まで順にたどります。
うさぎはなぜ「羽」で数える?

うさぎを「羽」で数える理由ははっきりせず、言い伝えに近い説がいくつか並ぶだけです。数え方の研究者である飯田朝子さん(中央大学教授)は、そのうち二つを有力な説として紹介しています。
僧が鳥に見立てて食べたという説
仏教では獣の肉を食べることが戒められていました。そこで肉を食べたい僧が、後ろ足で立ち上がるうさぎを「これは鳥だ」と言い張り、鳥と同じ「羽」で数えるようになったという話です。鳥なら口にしてもよいという理屈のこじつけで、真偽を確かめる記録は残っていません。
長い耳を羽に見立てた説
もう一つは見た目からの説明です。ぴんと立った大きな耳が、鳥の羽のように見えたというもの。左右に並んだ2枚の耳は、たたんだ翼に見えなくもありません。僧の話より素朴ですが、こちらも決め手となる資料はありません。
「うさぎ」の「さぎ」は鳥の鷺?
名前の側から説明する話もあります。「うさぎ」の「う」は兎を指す古い言葉で、残りの「さぎ」の出どころはわかっていません。うさぎを意味する梵語(古代インドの言葉)の「舎舎迦(ささか)」が変わったという説や、朝鮮語に結びつける説が出されてきました。
そのなかに、「さぎ」を水辺の鳥の鷺と重ねる俗説があります。「兎鷺」と書けば鳥の仲間のように見えるので、「羽」で数えるのもうなずける、という筋立てです。語源としての裏付けはなく、数え方とうまくかみ合うよう後から作られた話と見るほうが自然でしょう。
今のうさぎは「匹」で数えてよい

クイズでは「1羽」が正解とされがちですが、いまの日本語でうさぎを「羽」で数える場面はかなり減りました。ふだんは犬や猫と同じ「匹」で十分です。
鳥と一緒に数えるときだけ「羽」が残る
飯田さんの整理では、うさぎを「羽」で数えるのは鳥と一緒にまとめて数える場合くらいです。たとえば猟で獲れた獲物を、キジやカモとあわせて「5羽」と言うような使い方。小学校の飼育小屋やペットのうさぎなら、「2匹」と言って間違いではありません。
ペットショップでは「頭」も使われる
ペットショップの店頭では「1頭」と書かれた札も見かけます。辞書編集者の神永曉さんも、動物を数える語なのでうさぎに使っても誤りではないという見方です。つまり羽・匹・頭のどれを選んでも通じるわけで、うさぎは数え方の選択肢がとびきり多い動物といえます。
イカの「杯」は胴の形から

イカを「1杯、2杯」と数えるのは、胴の形が液体を入れる器に似ているからという説が有力です。読みも「いっぱい・にはい・さんばい」と、ご飯やお酒の「杯」と同じ変わり方をします。
「杯」は液体を入れる丸い器の字
「杯」はもともと、酒や水を入れる丸みのある器を表す字です。イカの胴は先がとがった袋のようになっていて、中身を抜けば水をためられる形をしています。器に見立てられる物が「杯」で数えられた、というのがこの説の骨組みでした。
イカ飯とイカ徳利が見立てを裏付ける
器に見えるのは理屈の上だけではありません。北海道の駅弁で知られるイカ飯は、胴にもち米を詰めて煮た料理です。干したイカの胴を徳利の形に整えた「イカ徳利」は、そのまま熱燗を注いで飲む酒器になります。イカの胴は実際に物を入れる器として使われてきたわけです。
「貝(ばい)」から来た説が弱いわけ
別の説に、イカやタコを貝の仲間と見て「貝(ばい)」で数えたのが始まり、というものがあります。イカもタコも貝と同じ軟体動物なので、分類としては筋が通って見えます。ただ、実際には「1ばい、2ばい」とは数えません。読みの変わり方が器の「杯」と同じなので、飯田さんは字の「杯」に着目する説のほうを有力と見ています。
生きているイカは「匹」、店先では「杯」

イカの数え方は、海の中にいるか売り物になったかで切り替わります。泳いでいるイカは「1匹」、市場や魚屋に並んだイカは「1杯」です。
市場に並ぶと数え方が変わる
海で群れをつくって泳ぐスルメイカは「何百匹」と言います。同じイカが水揚げされて市場に並ぶと、「何杯」と数えられるようになります。生きものとして見るか、器の形をした食材として見るかの違いが、そのまま数え方に出ているわけです。
タコ・カニ・アワビも「杯」で数える
「杯」はイカだけの数え方ではありません。タコはイカにならって「杯」で数えるようになったとされます。カニは丸い甲羅が、アワビは貝殻が器に見えることから、やはり「1杯」と数えることがあります。鮮魚店で「ズワイガニ1杯」と書かれた札を見かけるのはこのためでした。
売り物を「1匹」と呼ぶのは活きのよさの宣伝
売り物になったイカを「1匹」と数えても間違いではありません。ただしその場合は、まるで生きているような鮮度を伝えたいときに限られる、と飯田さんは書いています。「朝どれのイカ、1匹まるごと」という呼び込みには、ただの食材ではなく泳いでいた姿を思わせるねらいがあるのです。
魚は姿と料理で数え方が変わる

魚もイカと同じく、生きているか・どんな形か・どこまで手を加えたかで数え方が細かく分かれます。釣り上げてから食卓に届くまでの順に並べると、次のようになります。
| 魚の状態 | 助数詞 | 例 |
|---|---|---|
| 泳いでいる | 匹 | 水槽のメダカ10匹 |
| 釣りの成果 | 尾 | アユを20尾釣った |
| 細長い姿のまま | 本 | サンマ・イワシ・タチウオ |
| 平たい姿のまま | 枚 | ヒラメ・カレイ |
| 開いて干す・焼く | 枚 | アジの干物・うなぎの蒲焼き |
| 串に刺して干す | 連 | イワシの目刺し |
| 刺身・握りの切り身 | 切れ | マグロの刺身3切れ |
スーパーの売り場で同じアジが「1尾」と「1枚」の札に分かれているのは、丸のままか開いて干したかの違いです。表の上から下へ進むほど、生きものから料理へと見る目が移っていく並びです。
生きた魚は「匹」、釣果は「尾」
泳いでいる魚は「匹」で数えます。釣りや漁で獲った魚は「尾」で数えることが多く、釣り情報のサイトで「アジ50尾」といった書き方をよく見かけます。同じ魚でも、水槽で泳いでいれば「匹」、釣り上げれば「尾」と呼び名が変わるわけです。
細長いサンマは「本」、平たいカレイは「枚」
丸のままの魚は、姿の形で数え方が決まります。サンマ・イワシ・タチウオのような細長い魚は鉛筆と同じ「本」。ヒラメやカレイのような平たい魚は紙と同じ「枚」です。開いて干したアジやうなぎの蒲焼きも平たくなるので「枚」になり、イワシを並べて刺した目刺しは「連」で数えます。
マグロは「丁」「ころ」「さく」と小さくなる
大きなマグロは、さばく段階ごとに数え方が変わります。頭と中骨を取った半身をさらに切り分けたものが「1丁」、そこから切り出した塊が「ひところ」。さらに鮨屋のガラスケースで見かける長方形の身になると「ひとさく」と数えられます。スーパーまで含めれば最後は「1パック」、口に入る直前は「1切れ」です。
チョウを「1頭」と数えるのはなぜ?

小さな昆虫のチョウを、牛や馬と同じ「頭」で数えるのは英語の影響だという説が有力です。昆虫の標本や研究の世界では、いまも「1頭、2頭」と数えるのが慣例になっています。
英語では家畜を head で数えた
英語には、牛などの家畜を「five head of cattle(牛5頭)」のように head で数える言い方があります。この数え方は動物園の動物にも広がり、種類を問わず head で数えるようになりました。やがて昆虫学者も、論文の中でチョウの標本を同じように head で数え始めます。
20世紀の初めに head を「頭」と訳した
20世紀の初め、この head が日本語にそのまま「頭」と訳されました。飯田さんはこれを「誤訳」と呼んでいます。英語の head は大きさに関係なく使える数え方でしたが、日本語の「頭」は大きな動物向けの語だったので、チョウに付くと急にちぐはぐに聞こえるわけです。
標本の頭と狩りの獲物という別の説
ほかにも二つの説があります。チョウの標本は頭が欠けていないことが大切にされるので「頭」で数えるという説。もう一つは、昆虫採集がもともと狩りの一種と考えられていたので、獲物として動物と同じ数え方をしたという説です。研究や収集の場を離れれば、チョウもふつうは「匹」で数えます。
「頭」は明治の終わりに広まった数え方

牛や象を数える「頭」は古くからありそうに見えますが、飯田さんによれば広く使われ出したのは早くても明治の終わりごろです。それまで大きな動物を数えていたのは「匹」でした。
「匹」はもともと二つで一組の字
「匹」の字には、二つが対になる、肩を並べるという意味があります。実力が同じくらいであることを表す「匹敵」がその名残です。織物で布2反をまとめて「1匹」と数えるのも、二つで一組という意味の表れです。
馬の後ろ姿と引き綱から動物の数え方へ
この字が動物に使われたのは、馬がきっかけとされます。昔いちばん身近な働く動物だった馬は、引いて歩くと後ろ姿がよく目に入ります。左右に分かれたお尻の形が「対」の意味と重なり、綱で「引く」動物でもあったことから、馬を「匹」で数えるようになりました。『源氏物語』や『今昔物語集』にも使われ、やがて生きもの全般へと広がっていきます。
漱石の時代にはまだ一般的でなかった「頭」
夏目漱石が小説を書いていたころ、「頭」はまだ一般的な数え方ではありませんでした。広まったのは、チョウと同じく英語の head が論文の中で「頭」と訳されてからです。馬や牛が「頭」で数えられるなら、ほかの大きな動物も同じだろうと考えられ、ほかの大きな動物にも広がっていきました。その結果「匹」は大きな動物から退き、小さな動物を数える語に落ち着いたのです。
箪笥と羊羹はなぜ「棹」?

家具の箪笥と和菓子の羊羹は、どちらも「1棹(ひとさお)」と数えます。同じ字を使っていても、たどっていくと理由は別々です。
「棹」は箪笥を担ぐための棒
『精選版 日本国語大辞典』は「棹」の意味の一つに、箪笥や長持(衣類を入れる大きな木の箱)の上に付けて担ぐための棒を挙げています。助数詞としての「棹」はこの意味から来たというのが辞典の説明です。昔の箪笥や長持には棒を通す金具を付けたものがあり、そこへ棒を通して二人で担いで運びました。江戸東京博物館の収蔵品の記録では、ひな祭りに飾る小さな箪笥まで「1棹」と数えられています。
羊羹は細長い「棹物菓子」
羊羹のほうは、細長い棒のような形から「棹物(さおもの)菓子」と呼ばれる仲間です。辞典でも「棹」は羊羹やそれに似た棹物菓子を数える語とされ、「練り羊羹一棹」のように使います。外郎(ういろう)なども同じ仲間で、切り分ける前の長い1本が「1棹」というわけです。
神様は「柱」、箸は「膳」で数える

人の暮らしに近いものほど、数え方には意外な字が残っています。神様の「柱」と箸の「膳」は、その代表といえるでしょう。
古事記は「三柱の神」、日本書紀は漢文で「神」
日本の神様は「ひとはしら、ふたはしら」と数えます。『古事記』には、天地のはじめに現れた神々を「この三柱の神は」と述べるくだりがあります。ほぼ同じころにできた『日本書紀』は漢文で書かれているため、神を「二神」のように数字と「神」の字で記し、「柱」は使いませんでした。
なぜ「柱」なのかに定説はありません。木に神が宿ると考えられたからという説や、柱を立てて神を招く祭りに由来するという説が出されています。諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)のように、神事で柱を立てる習わしはいまも各地に残っています。
箸2本で1膳、ご飯も1膳
「膳」はもともと、食事を載せる脚つきの台やそこに並んだ料理を指す言葉です。そこから、茶碗に盛ったご飯や、2本で一組の箸を数える語になりました。「ご飯をもう1膳」と「箸を5膳」が同じ字なのは、どちらも一人分の食事にまつわる物だからです。
対の片方だけなら「隻」と数える
二つで一組になる物には、ほかにも専用の数え方があります。靴や靴下は「1足」、手袋や一対の屏風は「1双」です。反対に、対の片方だけを数えるときは「隻(せき)」を使い、六曲一双の屏風の片方は「1隻」と呼ばれます。「隻」はもともと鳥1羽を表す字で、つがいでいることの多い鳥の片割れから「片方」の意味になりました。
鳥の「10羽」はじっぱと読む?

うさぎの話に出てきた「羽」には、読み方にも小さな落とし穴があります。10羽をどう読むかは、試験と日常会話で答えが分かれるところ。
試験や放送の読みは「じっぱ」
国語や日本語の試験の解答やアナウンサーが読む原稿では、10羽は「じっぱ」とされ「じゅうわ」も認められています。100羽は「ひゃっぱ」、1000羽は「せんば」です。それでも鳥を数えるとき、多くの人は何も考えずに「じゅっぱ」と言っています。飯田さんも、日常の会話で「じゅっぱ」と言うのを誤った日本語とまでは考えていません。
「羽」はもとは「は」と読んだ
読みが揺れるのは、「羽」がもともと「は」と読む数え方だったからです。「本」が「いっぽん・にほん・さんぼん」と変わるように、「は」で始まる数え方は前の数字で音が変わります。いまは「わ」と読むのがふつうになり、変化は薄れました。それでも「三羽烏(さんばがらす)」のような決まった言い回しには、古い「ば」の音が残っています。
クイズで「うさぎは何と数える?」と聞かれたら、答えは「1羽」で正解です。ただ、いまは「匹」でも「頭」でも間違いではなく、イカも泳いでいれば「匹」になります。助数詞の正解は一つに決まっているものではありません。それが生きものなのか、器なのか、売り物なのか。数える人の目に何に映ったかで、ことばの後ろに付く一字が変わってきたのです。
参考
- ジャパンナレッジ 飯田朝子「数え方の辞典」コラム:なぜイカやカニは「1杯」と数える?
- ジャパンナレッジ 飯田朝子「数え方の辞典」コラム:ウサギは鳥の一種?名前と数え方の由来の謎
- ジャパンナレッジ 飯田朝子「数え方の辞典」コラム:「匹」と「頭」の意外なルーツ
- コトバンク「竿・棹」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)
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