「虫の知らせ」「腹の虫」——日本語に「虫」の言葉が多いのはなぜか

言葉と論理の話
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「虫の知らせ」で胸がざわつき、「腹の虫」が治まらずに腹を立て、「虫の居所が悪い」と不機嫌になる。日本語には、まるで体の中に小さな虫が棲んでいて、その虫が気分や体調を左右しているかのような言い回しがたくさんあります。

なぜ日本語には「虫」を使った感情の言葉がこれほど多いのでしょうか。じつはそこには、体内に虫が住みつくと本気で信じられていた、とても古い考え方が横たわっています。

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「体の中の虫」がこんなにいる

虫取り網を持つ子どものイラスト

まずは、体の中に虫がいるかのような言い回しを並べてみましょう。意味はばらばらでも、そこには共通した手ざわりがあります。

言い回し今の意味「虫」が担っているもの
虫の知らせよくない予感・胸騒ぎ理性の外から来る直感
腹の虫が治まらない怒りが収まらない抑えきれない感情
虫の居所が悪い機嫌が悪い気分のむら
虫が好かないなんとなく嫌い理由のない好き嫌い
疳の虫子どもの夜泣き・かんしゃく制御できない衝動
弱虫・泣き虫・本の虫その人の性質・のめり込み棲みついた癖

並べてみると、共通点が浮かびます。どれも「自分の意思ではうまく御せない何か」を、体の中の小さな生き物のしわざとして言い表しているのです。怒りや予感や好き嫌いは、頭で理屈をつける前に湧いてきます。その正体を、昔の人は虫に託しました。

そもそも「虫」は昆虫だけではなかった

カエルのイラスト

今の私たちが「虫」と聞いて思い浮かべるのは、チョウやカブトムシのような昆虫です。ところが昔の「虫」は、もっとずっと広い範囲を指す言葉だったのです。

目に見える小動物はみんな「虫」

蛇は「長虫」、蛙も虫の仲間

かつての「虫」は、獣・鳥・魚を除いた小さな生き物のほとんどを含みました。蛇は「長虫(ながむし)」と呼ばれ、蛙も虫のうちに数えられていました。「蛙」「蛇」「虹」といった漢字に虫偏が付くのは、その広い意味の名残です。

漢字の「虫」も広い意味を持っていた

もとになった中国でも、「蟲(ちゅう)」は生き物全般を大きく分ける言葉でした。動物を毛のもの・羽のもの・鱗のものなどに分ける古い分類があり、人間さえ「裸の虫(裸蟲)」に含めることがあったほどです。「虫」はそれだけ守備範囲の広い、あいまいな言葉だったのです。

目に見えない体内の「虫」

病も気分も虫のしわざ

広い意味の「虫」は、やがて目に見えないものにまで広がります。原因のわからない腹痛や、子どものぐずり、わけもなく落ち込む気分。こうした説明のつかない不調は、体の中にひそむ虫の仕業だと考えられました。子どもの夜泣きを指す「疳の虫(かんのむし)」や、漠然とした体調不良を意味した「虫気(むしけ)」は、その発想から生まれた言葉です。

だから感情の言葉にもなじんだ

体の中に見えない虫がいる、という前提があれば、話は感情にも自然につながります。急にわいた怒りも、理由のない胸騒ぎも、「虫が起こした」と言えばしっくりくる。「虫」という言葉のあいまいさと広さが、そのまま感情表現の受け皿になったわけです。

ちなみに、「蛙」「蛇」「虹」に虫偏が付くのも同じ広さの名残です。漢字の側から見た「虫」の範囲については、こちらで詳しく書いています。
「蛙」はなぜ虫偏なのか——「虫」はもともとヘビの形だった

体内の虫を最も具体的に語った「三尸」信仰

見ざる言わざる聞かざるの三猿のイラスト

体の中の虫という考えを、もっとも具体的に描き出したのが、道教から伝わった「三尸(さんし)」という虫の話です。日本でも平安時代から広く信じられ、江戸時代には庶民の習わしにまでなりました。

三尸とは——人を見張る三匹の虫

上尸・中尸・下尸の三匹

人の体には生まれつき三匹の虫が棲んでいて、それぞれ体の上・中・下を受け持つとされました。害するとされる場所や好むものには諸説がありますが、おおむね次のように語られます。

名前棲む場所いたずらの中身
上尸(じょうし)頭・首から上目や頭の不調を起こすとされる
中尸(ちゅうし)腹・内臓食欲を乱し内臓を病ませるとされる
下尸(げし)足・下半身欲を募らせ寿命を縮めるとされる

庚申の夜に天帝へ告げ口する

この三尸には、やっかいな役目がありました。六十日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の夜、人が眠っているすきに体を抜け出し、天の神(天帝)のもとへ飛んでいく。そして、その人が犯した罪や過ちを報告するというのです。告げ口されると寿命が縮められると信じられ、人々はこの虫を恐れました。

眠らせないための「庚申待ち」

六十日ごとの徹夜

告げ口を防ぐ方法は、単純でした。三尸は眠っている間しか体を抜け出せないのだから、その夜だけは寝なければいい。そこで人々は庚申の夜に集まり、飲食や語らいをしながら夜通し起きていました。これを「庚申待ち(こうしんまち)」といいます。信仰と社交を兼ねた、地域の集まりでもありました。

庚申塔として各地に残る

庚申待ちを続けた記念に、人々は石の塔を建てました。これが道ばたに立つ「庚申塔(こうしんとう)」です。青面金剛(しょうめんこんごう)という守り神や、三匹の猿が彫られていることが多く、今も全国の路傍や神社の境内で見かけます。体内の虫をめぐる信仰が、石として現代まで残っているのです。

感情を「虫」に預けることばの働き

腹を立てて怒っている男性のイラスト

体内の虫という発想が根づいたことで、感情を虫に託す言い回しは日本語のあちこちに広がりました。改めて眺めると、その言葉づかいには独特の効き目があります。

御しきれない衝動の受け皿

怒り・予感・好き嫌い

「腹の虫が治まらない」は、理屈では抑えきれない怒りを言います。「虫の知らせ」は、根拠はないのに胸をよぎる予感のこと。「虫が好かない」に至っては、なぜ嫌いなのか自分でも説明できません。どれも、頭で考えるより先に湧き上がる心の動きばかりです。

「自分」と切り離す効き目

感情を虫のしわざにすると、その気持ちを自分から少し切り離せます。「私が怒っている」ではなく「腹の虫が治まらない」と言えば、荒れた感情を客観的に眺めやすい。責任を虫に肩代わりさせることで、気持ちにひと呼吸おく。そんな知恵が、言葉の中にしまい込まれているようにも見えます。

人柄にも棲みつく「虫」

弱虫・泣き虫・本の虫

虫は、一時の感情だけでなく、その人の性質にも棲みつきます。すぐ泣く子は「泣き虫」、臆病な人は「弱虫」、読書に没頭する人は「本の虫」。まるで、その気質を生み出す虫がその人の中に居ついているかのような言い方です。のめり込む対象を「〜の虫」と呼ぶ発想は、今も生きています。

虫がいい・虫が好かない

「虫がいい」は、自分に都合よく振る舞う身勝手さを指します。ここでの虫は、自分本位な欲のようなもの。反対に「虫が好かない」は、相手に対して湧く理由のない拒否感です。良い虫も悪い虫も、その人の内側でうごめく気持ちの比喩として使い分けられてきました。

豆知識——虫の言葉、あれこれ

モンシロチョウのイラスト

体の中の虫にまつわる言葉は、まだまだあります。由来を知ると、日常のひと言が少し違って聞こえてきます。

  • 虫唾(むしず)が走る……胸がむかつくほど嫌なこと。「虫唾」とは、胃から込み上げてくる酸っぱい液のことで、これも虫のしわざと見なされました。
  • 三猿と庚申の縁……「見ざる言わざる聞かざる」の三猿は、庚申塔によく彫られました。庚申の「申(さる)」が猿に通じることや、人の過ちを見聞きしない姿と結びついたためとされます。
  • 獅子身中(しししんちゅう)の虫……仏典に由来する言葉で、獅子の体内にいて獅子を食う虫のこと。味方のふりをして内側から害する裏切り者をたとえます。
  • 虫の息……今にも絶えそうな弱々しい呼吸。ここでも、かすかな命の気配が「虫」になぞらえられています。

ちなみに、体の中の生き物で気持ちを言い表すのは、日本だけではありません。英語には「butterflies in one’s stomach(お腹の中の蝶)」という表現があり、緊張でそわそわする感覚を指します。落ち着かない胸の内を、腹に舞う蝶にたとえるわけです。心の揺れを体内の小さな生き物に重ねる感覚は、案外あちこちに共通しているのかもしれません。

「腹の虫」も「虫の知らせ」も、御しきれない心をよその生き物のせいにしてきた昔の人の名残です。三尸の話を本気で信じる人は、もういないでしょう。それでも、体の中に見えない虫を見た昔の人のまなざしは、いまも私たちの言葉の中に棲みついています。「虫の居所」は、案外こんなところにあるのかもしれません。