「苗字」と「名字」はどっちが正しい?戸籍に書く言葉は別にある

言葉と論理の話
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役所の申請書で「名字」と書いたあと、年賀状の宛名ソフトに「苗字」と出てきて手が止まった経験はないでしょうか。意味はどちらも同じ「家の名前」で、どちらを書いても誤りではありません。ただ新聞や公文書は「名字」にそろえています。国の常用漢字表が「苗」に「みょう」という読みを認めていないためです。言葉としても「名字」のほうが古く、法律の条文はさらに別の「氏(うじ)」という語を使っています。

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どちらを書いても間違いではない

青い文字で「漢字」と書かれたイラスト

辞書では同じ言葉の別の書き方

『日本国語大辞典』は「みょうじ」を「名字」の見出しで立て、「苗字とも書く」としています。指すのは一家に代々受け継がれる家の名で、鈴木・佐藤・高橋などがその例です。意味の上で使い分ける決まりはなく、どちらを選ぶかは書き手の好みに任されています。

新聞や教科書は「名字」にそろえる

2010年に告示された現行の常用漢字表を開くと、「名」の字の読みに「ミョウ」があり、その例として「名字・本名・大名」が並んでいます。表がそのまま例に挙げている言葉です。常用漢字表に沿って書く新聞・教科書・公用文は、迷わず「名字」を選ぶことになります。

「苗」をミョウと読むのは表の外

同じ表で「苗」に認められている読みは、ビョウ(種苗)・なえ(苗木)・なわ(苗代)の三つだけです。「みょう」は漢和辞典には古い音として載っていますが、常用漢字表には入っていません。このため「苗字」は表の外の読みを使った書き方になり、公の文章では避けられています。

※ 常用漢字表とは、一般の社会生活で漢字を使うときの目安として国(内閣告示)が定めた表です。2,136字の字と読みを示しています。

古いのは「名字」のほう

直衣を着て笏を持つ平安貴族の男性のイラスト

奈良時代の記録にすでに出てくる

『日本国語大辞典』は「名字」の古い用例として、奈良時代の歴史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』の天平宝字2年(758年)の記事を挙げています。ここでの名字は、天皇が一族に与える氏の名と称号を合わせた呼び名を指していました。今の家の名とは少し意味がずれますが、言葉そのものは1,200年以上前から使われています。

平安時代、同じ氏が増えすぎた

平安時代には源・平・藤原・橘の四つの氏が大きく栄え、宮廷に同じ「藤原」がひしめくようになりました。誰の家の者か分からなくなるため、住む土地や役職を添えて呼び分ける工夫が生まれます。藤原氏の一族が国名と「藤」を組み合わせた加藤・佐藤・遠藤・近藤は、その代表的な例とされています。

武士は土地の名を家の名にした

地方の武士たちは、自分の住む場所や支配した田地の名を家の名として名乗りました。源氏から出た新田・足利、平氏から出た千葉・梶原がよく知られています。家の名の由来となった土地は「名字の地」と呼ばれ、一族が守るべき本拠地でもありました。

平凡社の『百科事典マイペディア』は、こうした家の名が居所や名田(みょうでん)にちなんで生まれたと説明しています。名田とは、開いた人や持ち主の名を付けて呼ばれた田地のこと。平安時代の中ごろから見られる仕組みです。

「苗」の字はどこから来た?

田んぼで苗を植える女性のイラスト

苗には「子孫・血筋」の意味がある

「苗」というと田植えの苗を思い浮かべますが、漢字としては「子孫」「血筋」という意味も持っています。遠い子孫を表す「苗裔(びょうえい)」という言葉がその例です。苗が育って次の世代の稲になるように、家の血筋が受け継がれていく。苗字の字には、そうした意味が重ねられていると説明されます。

江戸時代は「苗字」が主流になった

中世までは「名字」と書くのが普通でしたが、江戸時代になると「苗字」と書くことが多くなったとされます。武家の身分を表す「苗字帯刀(みょうじたいとう)」という言葉も、この時代の書き方です。土地にちなんだ名から、家の血筋を受け継ぐ名へ。武士の家が代々の家柄を重んじた時代に、子孫を表す字がよく合ったのかもしれません。

苗字帯刀は武士に準じる特権

苗字帯刀とは、公の場で苗字を名乗り、刀を差すことを許された身分のことです。武士なら当然の権利でした。一方で庄屋や名主のような村の有力者や、藩に多額の献金をした商人にも、特別に許される場合があります。苗字だけを許す場合と刀まで許す場合があり、得やすかったのは苗字のほうでした。

江戸の庶民に苗字はなかった?

縞の着物を着た江戸時代の町人の男性のイラスト

持ってはいたが公には名乗れない

「江戸時代に苗字があったのは武士だけ」という話を、国立公文書館は誤解だと説明しています。武士以外の人々も苗字を持っており、室町時代に農民が苗字を名乗っていた記録も残っています。決まりとして禁じられていたのは、役所に出す書類などの公の場で名乗ることだけでした。

武士だけの特権になったのは江戸の初め

中世には、豊かな農民や地侍が自分の判断で苗字を名乗り、刀を持つことも珍しくありませんでした。流れが変わったのは、豊臣秀吉の刀狩から江戸初期にかけて武士と農民の身分を分けた兵農分離のころです。この過程で、苗字と帯刀は武士の身分を示すしるしとして扱われるようになりました。

明治8年に全員が名乗る決まりになった

村役場の建物のイラスト

1870年に平民も名乗れるようになる

明治政府は身分による区別をなくす方針のもと、1870年(明治3年)9月19日に太政官布告第608号「平民苗字許可令」を出しました。平民も公に苗字を名乗ってよいとする布告で、今の「苗字の日」(9月19日)はこの日にちなんでいます。法令の名前も「苗字」の書き方でした。

許可だけでは届け出が進まない

ところが、苗字を届け出る人はなかなか増えませんでした。国立公文書館は一説として、届け出ると税金が増えるのではないかという警戒感があったと紹介しています。長く名前だけで暮らしてきた人にとって、急に家の名を決めること自体が身近ではなかったのでしょう。

1875年の苗字必称義務令

そこで政府は1875年(明治8年)2月13日、太政官布告第22号「平民苗字必称義務令」を出し、すべての国民に苗字を名乗るよう義務づけました。祖先以来の苗字が分からない者は、新しく付けるように定めています。2月13日は今も「苗字制定記念日」と呼ばれます。

寺や役場が名前を考えた村も

義務化は各地で混乱を招きました。国立公文書館によると、寺に頼み込んで苗字を付けてもらった例や、役場が総がかりで村の全世帯の苗字を考えた例が記録に残っています。祖先の名を知らない家にとって、苗字は一から決める新しい名前でした。

「姓」や「氏」とは何が違う?

戸籍謄本の書類のイラスト

書類の欄には、名字のほかに「姓」や「氏」という言葉も出てきます。今はどれも同じ家の名を指しますが、もとの意味をさかのぼるとそれぞれ別のものでした。よく見かける場面の順に並べると次のとおりです。

言葉今よく見かける場所もとの意味
名字新聞・公用文・役所の案内氏の名と称号の総称、のちに家の名
苗字手紙・小説・江戸の文書子孫に受け継ぐ家の名
姓申込書の「姓・名」欄朝廷が氏族に与えた称号(かばね)
氏民法・戸籍血縁でつながる一族の集団

右の「もとの意味」の列は四つともばらばらです。それが明治の戸籍づくりを経て、一つの家の名に重なりました。

古代の氏と姓は別のもの

古代の「氏」は蘇我・物部のような血縁でつながる一族の集団で、「姓(かばね)」は朝廷がその氏に与えた臣(おみ)・連(むらじ)などの称号でした。684年には天武天皇が八色の姓(やくさのかばね)を定めています。ただ奈良時代にはほとんどの有力氏族が「朝臣(あそん)」になり、称号としての意味は薄れていきました。

明治の戸籍で一つにまとまる

『山川 日本史小辞典』によると、1872年(明治5年)につくられた壬申戸籍(じんしんこせき)で姓(かばね)は廃止されました。氏の名と家の名はどちらも苗字に一本化され、戸籍に登録された名がそのまま苗字になります。昔からの氏の名でも家の名でも、新しく考えた名でもかまいませんでした。

法律の条文は「氏」を使う

今の民法は、名字も苗字も使いません。夫婦の名字を定めた第750条は次のように書かれています。

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

民法第750条(夫婦の氏)

戸籍の欄も「氏」と「名」に分かれています。婚姻届で「婚姻後の夫婦の氏」を選ぶのは、この条文に沿った書き方です。日常で名字と呼んでいるものが、法律の上では「氏」という名前になっています。

ローマ字では姓を先に書く

英語の書類などで名前をローマ字にするとき、国の機関は2020年1月1日から「姓、名」の順を原則にしています。2019年10月の関係府省庁の申合せによるもので、姓と名をはっきり分けたいときは「YAMADA Haruo」のように姓をすべて大文字にする決まりです。ここでも使われている言葉は「姓」です。

萩藩の侍は字の書き違いに抗議した

刀を差した袴姿の侍のイラスト

当て字だらけの江戸の文書

名字と苗字のように、同じ読みに別の字を当てることは江戸時代には珍しくありませんでした。山口県文書館によると、萩藩(長州藩)の記録では、同じ家臣の苗字や通称が文書ごとに違う字で書かれていることがよくあります。読みさえ合っていれば、字の違いを気にしない時代だったと言えそうです。

1843年、三つの家が訂正を願い出る

それでも家臣たちは、家の名の誤字には黙っていませんでした。天保14年(1843年)8月には倉増・三須・津野の三家が、相次いで願書を出しました。藩の家臣名簿に「蔵増」「三洲」「都野」と書かれているのは間違いだ、という訴えです。津野家は「以前から『津』を正しい字として使ってきた」と主張し、三家の願いはいずれも受け入れられました。

「東条」か「東條」かで縁組が止まった

弘化4年(1847年)には、東條文左衛門という藩士が孫娘の縁組の願書を出したところ、名簿の「東条」と字が違うという理由で受け付けてもらえませんでした。文左衛門は、先祖が安芸国(あきのくに)の東條村に住んだことから苗字にしたと由来を説明し、本来は「條」が正しいと訴えます。この主張も認められ、名簿は書き直されました。

結局どちらを使えばいい?

筆で手紙を書く年配の女性のイラスト

仕事や役所の書類なら「名字」

会社の文書や学校のプリント、自治体の案内のように、常用漢字表に沿うことが求められる場面では「名字」と書くのが無難です。読み手が迷わず、表記をそろえる手間も省けます。申請書の欄に「氏」や「姓」とあれば、その言葉に合わせればよいだけです。

私的な文章ではどちらも自由

常用漢字表は「目安」であり、個々人の表記にまで及ぼすものではないと表自体の前書きに記されています。手紙や小説、自分のブログで「苗字」と書いても誤りにはなりません。家の血筋を受け継ぐ名という意味を込めたいなら、あえて「苗」の字を選ぶのも一つの考え方です。

奈良時代の記録に残る「名字」が古い根で、江戸時代に「苗」の字が芽を出し、明治の布告でようやく全員の家に植えられた。そう見ると二つの書き方は、同じ一本の木の幹と枝のようなものです。どちらの字で書いても、その家の名はきちんと根を張っています。

参考

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