雨あがりの庭先で、カタツムリとナメクジに出会うことがあります。背中に殻を背負っているのがカタツムリ、殻がなくてぬめっとしているのがナメクジ。見分けるのは簡単そうに思えます。
では、カタツムリの殻を取ったら、ナメクジになるのでしょうか。答えはノーです。二匹はたしかに近い仲間ですが、殻を外したカタツムリは死んでしまいます。この一見シンプルな違いの奥には、進化をめぐる意外な物語が隠れているのです。
「殻があるかないか」だけの違いではない
まず、両者の特徴を並べて整理します。見た目のほかにも、体のつくりや弱点に共通点と違いがあります。
| 項目 | カタツムリ | ナメクジ |
|---|---|---|
| 殻 | ある | ない(退化した) |
| 分類 | 陸に上がった巻貝 | 陸に上がった巻貝 |
| 体の水分 | 多い | 約9割が水分 |
| 隠れ方 | 殻に引っこむ | すき間にもぐる |
| 弱点 | 乾燥・塩 | 乾燥・塩 |
※ 巻貝(まきがい/腹足類(ふくそくるい))とは、体をらせん状に巻いた殻を持つ貝の仲間。もともとは海の生きもので、その一部が陸へ進出したのがカタツムリやナメクジです。

どちらも「陸に上がった巻貝」
カタツムリもナメクジも、生物の分類では同じ陸貝(りくがい)の仲間です。祖先をたどれば、海にいた巻貝にいきつきます。やがて陸へ上がり、乾燥に耐えながら暮らすようになりました。
つまり両者は、まったく別の生きものというわけではありません。カエルとヘビほど遠くはなく、むしろ親戚のような近さです。殻のあるなしは、その親戚づきあいの中で生まれた差にすぎません。
「殻を取ればナメクジ」は間違い
よくある誤解が、「カタツムリの殻を外せばナメクジになる」というものです。ところが、これは正しくありません。殻の中には、心臓や肺といった大事な内臓が収まっているからです。
殻はいわば、背負った部屋であると同時に体の一部でもあります。無理に外せば、カタツムリは生きていけません。宿を借りているだけのヤドカリとは、そこが決定的に違います。
ナメクジは「殻を捨てた」カタツムリの仲間
ナメクジは、はじめから殻を持たない別系統というわけではありません。進化の途中で、殻を手放す道を選んだ巻貝なのです。

進化の途中で殻を手放した
大昔のナメクジの祖先は、カタツムリのように殻を背負っていました。ところが長い時間をかけて、その殻はしだいに小さくなり、やがて表からは見えなくなります。これを退化(たいか)といいます。
殻を失ったぶん、体はやわらかく、自由になりました。今のナメクジの姿は、殻を捨てるという思い切った選択の結果なのです。
「ナメクジ」という一つの種はいない
意外なことに、「ナメクジ」はひとつの種の名前ではありません。いくつものカタツムリの系統が、それぞれ別々に殻を失い、似た姿になっただけなのです。こうした現象を収斂進化(しゅうれんしんか)と呼びます。
言いかえれば、殻を捨てた者たちが、あちこちの家系から独立に現れた。それをまとめて「ナメクジ」と呼んでいるわけです。血筋は一本ではありません。
なぜ殻を捨てたのか——身軽さという戦略
殻は身を守る鎧(よろい)です。その便利な鎧を、なぜわざわざ手放したのでしょうか。そこには、身軽になることで得られる利点がありました。
| 観点 | 殻を持つ(カタツムリ) | 殻を捨てる(ナメクジ) |
|---|---|---|
| 守り | 外敵・乾燥に強い | 弱くなる |
| 動ける場所 | すき間に入りにくい | 狭いすき間にもぐれる |
| 栄養の使い道 | 殻づくりにも回す | 体の成長に集中できる |

狭いすき間に隠れられる
殻があると、体の幅より狭い場所には入れません。殻を捨てたナメクジは、石の下やわずかな割れ目にも、するりともぐりこめます。鎧を脱いだ身軽さが、そのまま隠れ場所の多さにつながりました。
敵に見つかりにくく、乾燥からも逃げこみやすい。守りの鎧を失うかわりに、隠れ場所の豊富さを手に入れたわけです。トレードオフの上に成り立つ生き方といえます。
栄養を体づくりに回せる
殻の主な成分は炭酸カルシウムです。カタツムリはこれを補うため、コンクリートやブロック塀をなめて、カルシウムをとることが知られています。殻を保つには、それなりの元手がいるのです。
ナメクジは殻をつくらないぶん、その元手を体そのものの成長に回せます。維持費のかかる家を手放して、身ひとつで生きる。そんな割り切りの戦略ともいえるでしょう。
ナメクジにも殻の名残がある
殻を完全に捨てたように見えるナメクジですが、じつは名残をとどめている種も少なくありません。よく見ると、過去の面影がひそんでいます。

背中に小さな殻を持つ仲間
コウラナメクジの仲間は、背中の一部に小さな殻を残しています。甲羅(こうら)を思わせるその名のとおり、殻がぺたりと張りついたような姿です。殻を失う途中で立ち止まった、といった風情があります。
こうした種を見ると、ナメクジが「もとは殻を持っていた」ことがよくわかります。退化は、一足飛びには進まないのです。
体に埋もれた殻の板
見た目に殻がないナメクジでも、体の中に殻の板が埋もれて残っていることがあります。小さくなり、皮膚の下にしまいこまれた、忘れ形見のような殻です。
完全に消えたわけではなく、痕跡として受け継がれている。その小さな板に、進化の道すじが刻まれています。
塩と寄生虫——身近な誤解と注意
カタツムリとナメクジには、身近な言い伝えや、知っておきたい注意点もあります。二つだけ、おさえておきましょう。

塩で「溶ける」のではなく水が抜ける
ナメクジに塩をかけると、みるみる縮みます。溶けているように見えますが、実際に溶けているわけではありません。体の外側の塩分が濃くなることで、浸透圧(しんとうあつ)によって体内の水分が引き出されるのです。
ナメクジの体は、およそ9割が水分といわれます。だから水が抜けると、一気にしぼんでしまいます。これはカタツムリでも起こる現象で、ナメクジだけが特別に弱いわけではありません。
素手で触ったら手を洗う
カタツムリやナメクジには、広東住血線虫(こうとうじゅうけつせんちゅう)という寄生虫がひそんでいることがあります。これが体に入ると、まれに髄膜炎(ずいまくえん)などの重い症状を起こす場合があります。
触れること自体を過度にこわがる必要はありませんが、さわったあとは石けんでよく手を洗いましょう。這ったあとの野菜を生で食べるときも、しっかり洗うのが安心です。子どもが触ったときは、とくに気をつけてあげてください。
殻があるか、ないか。その差は「別の生きもの」ではなく、同じ巻貝が選んだ二つの生き方の分かれ道でした。片方は鎧を守り、もう片方は身軽さをとった。殻の奥にも、ナメクジのぬめりの下にも、陸へ上がった巻貝たちの長い時間が静かに折りたたまれているのです。


