マミズクラゲは、真水にすむ傘の直径1〜2センチほどの透明なクラゲです。流れのある川の中ではほとんど見られず、ため池やダム湖、防火水槽のように水が動かない場所に夏から秋にかけて突然現れます。戦後は学校の防火水槽やプールで生徒が見つけた記録が多く、発見者の多くは小・中・高校生でした。
マミズクラゲはどんなクラゲ?

傘は1〜2センチで色はない
魚津水族館の報告によると、傘の直径は大きなもので約20ミリ。富山県の池で採れた個体も、多くは10〜20ミリほどでした。傘はほぼ真ん丸で、体は無色透明。水に浮かんでいると、気泡やゴミと見分けがつきにくいほどです。
4本の管と数百本の触手
傘の内側には4本の管が十字に走り、それに沿って4つの生殖腺が垂れ下がっています。上から見ると十字の模様が透けて見えるのはこのためです。傘のふちには細い触手がびっしり並び、星野さんが直径1センチほどの個体を数えたところ平均で約315本ありました。
触手の表面には小さな突起があり、そこに毒針の入った袋(刺胞)が集まっています。これでミジンコや輪虫のような小さな生き物を捕らえて食べます。発生した水槽にミジンコがたくさん泳いでいた、という記録も残っているほどです。
ヒドラに近い仲間
クラゲといっても、海水浴で見かけるミズクラゲとは系統が少し違います。マミズクラゲは「ヒドロ虫」の仲間で、池でよく知られるヒドラと同じグループに入ります。淡水にすむクラゲはごく少なく、日本で今ふつうに見つかるのはこの1種だけです。
※ ヒドロ虫とは、刺胞動物のうちヒドラやカツオノエボシなどを含むグループのことです。多くは小さなポリプとクラゲの二つの姿をもちます。
川で見かけることはある?

好むのは流れのない水
流れのある川の本流で見つかることは、まずありません。魚津水族館の報告は、出現する場所を「ダム湖やため池等の淡水止水域」とまとめています。川をせき止めたダム湖なら「川のクラゲ」と呼べなくもありませんが、水が動かないことが条件です。
富山県で2010〜2020年に見つかった4か所は、どれも日当たりのよい閉じた池でした。水は緑色に濁り、藻が増えてやや栄養の多い状態。ブルーギルやニシキゴイなど、ほかの生き物も多くすんでいました。
水温30度を超えても平気
暑さにはかなり強いクラゲです。富山県の池では水面の温度が32〜33度のときにも、ふつうに泳いでいました。古い調査では、よく現れるのは水温25〜31度とされています。神奈川県の防火水槽で調べた例では、いちばん多く出たのは27度のときでした。
出るのは8〜10月が中心
見られる時期は6〜11月ですが、多いのは8〜10月です。7月中旬ごろに気づかれ、8月に入ると数がぐっと増えます。多いときは水面が灰色っぽく見えるほどの数が、浮いたり沈んだりを繰り返すそうです。秋が深まると急に減り、11月にはすっかり消えてしまいます。
学校のプールや防火水槽に出たのはなぜ?

神奈川では学校の記録がずらり
神奈川県で最初の記録は1946年7月下旬、横浜市金沢区にあった関東学院の旧制中学部です。校舎の玄関脇にある長さ約9メートルの防火用貯水槽で、生物部の生徒が見つけました。このとき中学4年生だった星野憲三さんは、のちにその体験をもとに県内の記録をまとめています。
その一覧には学校の名前がずらりと並びます。
- 1951年 小田原市の城東高校(防火用水槽)
- 1951年 横須賀市の六浦中学校
- 1954年 川崎市の川崎高校
- 横浜市の都岡小学校(1970年に報告)
- 1985年 平塚市の豊田小学校
目立つのは防火用水槽です。校内の水槽は日当たりがよく、水もほとんど動きません。池と同じ条件が、校舎のすぐそばにそろっていたことになります。
使われていないプールに30数匹
富山県では1954年の夏、魚津高校の使われていなかった水泳プールで30数匹が見つかっています。泳ぐ人がいなくなり、水がたまったまま温まったプールは、ため池とよく似た環境です。2010年には高岡市の緑地の池で地元の小学生が採集し、魚津水族館が初めて展示するきっかけになりました。
見つけるのは子どもたち
星野さんの論文は「マミズクラゲの発見は小・中・高校生に多い」と書いています。毎日のように同じ水槽やプールをのぞく生徒の目は、親指の先ほどの透明なクラゲにも気づきやすいのでしょう。論文は、中学・高校の生物部の研究テーマにも向いていると勧めています。
突然現れて消えるのはなぜ?

一生の大半は1ミリ前後のポリプ
ふだんのマミズクラゲは、クラゲの形をしていません。長さ1ミリ前後の「ポリプ」という姿で、水底の泥や落ち葉にくっついて暮らしています。形はびんのようで触手はなく、いくつかがつながって小さな群れをつくることもある、という目立たない存在です。
※ ポリプとは、水底に貼りついて過ごすクラゲの仲間のもう一つの姿のことです。イソギンチャクを小さくしたような形をしています。
ポリプの脇からクラゲが芽を出す
水温や餌の条件がそろうと、ポリプの脇にふくらみができ、そこから小さなクラゲが離れていきます。植物が芽を出すような増え方で、生まれたばかりのクラゲの触手はわずか8本。泳ぎながら育ち、触手を増やしていきます。条件のそろった時期にあちこちのポリプが一斉に芽を出すため、ある日いきなり大量に現れたように見えるわけです。
同じ場所に毎年出るとは限らない
クラゲが出るのは毎年決まってではなく、数年間まったく現れないこともあります。星野さんによると、狭い貯水槽では1年ほどで消えてしまう例が多く、周りの環境が安定した池では数年続けて出ることがあるといいます。関東学院の水槽では生徒がポリプごと校内のほかの水槽へ移し、1953年まで8年間発生が続きました。
一つの池にはオスかメスだけ

両方がそろう場所はほとんどない
マミズクラゲにはオスとメスがあります。ところが、ひとつの発生場所にいるのはオスだけかメスだけのことがほとんどです。日本の記録はオスが多く、関東学院の水槽の個体もすべてオスでした。メスだけの例は東京の狛江や兵庫の稲美町など、4か所ほどしか知られていません。
みんな同じ一匹から増えた分身
性がそろうのは、ポリプが分身をつくって増えるからです。一つの池のクラゲはもとをたどると同じポリプの子孫で、同じ性になります。オスとメスが出会えないので、卵と精子による繁殖は起こりにくくなります。星野さんの論文が書かれた1992年の時点で、日本ではこの有性生殖の報告はまだありませんでした。
性を調べるには、クラゲを裏返して生殖腺を少し切り取り、顕微鏡で見ます。オスなら精子がつくられる様子が見えるそうです。論文は、次に見つかったときには必ずオスかメスかを確かめてほしいと呼びかけています。
離れた池へはどうやって移る?

乾燥に耐える「シスト」
泳ぐ力の弱いクラゲが遠くの池へ広がれるのは、ポリプが休眠できるからです。冬や乾燥で環境が悪くなると、ポリプは小さな細胞のかたまりになり、硬い膜に包まれた「シスト」に変わります。この状態なら、水が干上がっても生き延びられるとされる。それがシストの強みです。
水鳥の足や泥に乗って運ばれる
シストやポリプは、水鳥の足についた泥や水草にくっついて運ばれると考えられています。しものせき水族館「海響館」の解説では、休眠したシストが40年後に目を覚ましたという報告も紹介されています。何十年も出なかった池に突然現れても、不思議ではないわけです。
戦後わずか30年余りで全国へ
日本での発見は1928年のあと18年間途絶え、終戦翌年の1946年に東京と横浜の3か所で突然始まりました。その後は毎年のように各地で見つかり、1987年ごろまでに全国211か所に達しています。動物学者の内田亨(うちだ・とおる)は、中国からの引き揚げ者や進駐軍の荷物にシストがついて持ち込まれたのではないかと推測しました。
原産は中国、最初の記録はロンドン

1880年、ロンドンの公園の水槽
学術的な最初の記録は1880年のイギリスです。ロンドンのリージェント公園の水槽でソワビー(Sowerby)という人物が見つけ、動物学者のランケスターが科学誌『ネイチャー』に発表しました。学名の「sowerbyi」は、この発見者の名前からとられています。
中国では「桃花魚」と呼ばれた
原産地は中国の揚子江流域とされます。星野さんの論文によると、1250年ごろの南宋の紀行文にこんな一節があるそうです。桃の花が咲くころ、水に落ちた花びらかと思えば珍しい生き物だった、と。そこから「桃花魚」とも呼ばれました。揚子江で学術的に記録されたのは1907年で、その後ドイツやアメリカでも見つかりました。1928年に欧米のものが同じ種とまとめられ、揚子江のものものちに同じ種とされています。
日本初の記録は井戸の「別種」

1921年、津市の民家の古井戸
日本で淡水のクラゲが初めて見つかったのは1921年9月、三重県津市新町の民家の古井戸でした。動物学者の丘浅次郎(おか・あさじろう)らが同じ年に新種として報告しています。ただし触手が少なく、感覚器の形も違うことから、のちに今のマミズクラゲとは別の種「イセマミズクラゲ」とされました。
イセマミズクラゲはその後一度も見つかっておらず、今は絶滅種とされています。日本で記録された淡水クラゲのうち、今も各地で見つかるのはマミズクラゲだけです。
マミズクラゲの初記録は駒場の水槽
今のマミズクラゲが日本で初めて確認されたのは1928年です。東京・駒場にあった旧東京帝国大学農学部の教室の水槽で発生し、雨宮育作(あめみや・いくさく)が翌年に報告しました。こちらはヨーロッパや北アメリカ、中国のものと同じ種です。
狛江の発生地は天然記念物だった

多摩川べりの「砂利穴」に大発生
1946年8月下旬、東京都狛江の多摩川沿いにあった砂利の採掘跡の池で、マミズクラゲが大量に見つかりました。地元で「砂利穴」と呼ばれていた池です。ここの個体はすべてメスで、オスばかりの日本の記録の中では珍しい例として知られています。
1951年に指定、1970年に解除
この池は1951年、「狛江淡水クラゲ発生地」として国の天然記念物に指定されました。ところが指定から3年ほどでクラゲが見られなくなり、その後も現れなかったため、1970年に指定が解除されています。今はもう天然記念物ではありません。
跡地は今の都立狛江高校
皮肉なことに、解除の方針が固まる直前の1969年11月、すぐ隣の浄水場跡の池でクラゲが見つかっていました。それでも新たな指定は見送られ、池は埋め立てられます。跡地に1973年に開校したのが、都立狛江高校です。かつてクラゲの池だった場所は、今は学校になっています。
海の生き物という印象の強いクラゲが、校庭の防火水槽や使われていないプールにふわりと現れる。それを最初に見つけるのは、たいてい水をのぞき込んだ子どもたちでした。夏の終わりに学校の水辺で小さな透明の傘が上下していたら、それは1946年から続く発見の、新しい1ページかもしれません。
参考
- 星野憲三「神奈川県におけるマミズクラゲの発生について」神奈川自然誌資料13号(1992年)
- 不破光大・稲村修「富山県におけるマミズクラゲの出現記録」魚津水族博物館年報31号(2022年)
- Wikipedia「狛江淡水クラゲ発生地」
- しものせき水族館 海響館「真水にすむクラゲ 神出鬼没!?マミズクラゲ現る!!」
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