モスキート音は17キロヘルツ前後のとても高い音で、耳の奥でこの高さを受け持つ細胞が年齢とともに真っ先に減っていくため、若い人にしか届きません。高い音の担当は、音の通り道の入口にいて一生ずっと揺さぶられ続ける場所にあります。聞こえにくさは30代ごろから静かに始まり、自覚のないまま進むのがふつうです。
モスキート音は17キロヘルツ前後の高い音

人の耳が聞ける範囲は20〜2万ヘルツ
人が聞き取れる音の高さは、およそ20ヘルツから2万ヘルツとされます。20ヘルツは地響きのような重低音で、2万ヘルツは金属をこすったような甲高い音。モスキート音の17キロヘルツ(1万7千ヘルツ)は、この範囲の上の端に近いところにあります。届くかどうかの境目に置かれた音だと考えると分かりやすいでしょう。
上限は子どものころから下がりはじめる
2万ヘルツという上限は、若く健康な耳での話です。聞こえる範囲の天井は8歳ごろから少しずつ下がりはじめるとされ、大人になるころには2万ヘルツまで届く人のほうが少なくなります。17キロヘルツは、ちょうどその天井が下りてくる途中にかかる高さでした。
名前の由来は蚊の羽音のイメージ
英語で蚊はモスキート(mosquito)。耳もとで鳴る「プーン」という不快な音のイメージから、この名が付きました。ただし本物の蚊の羽音は数百ヘルツ程度とされ、モスキート音よりずっと低い音です。似ているのは高さではなく、まとわりつくような耳ざわりの悪さのほうです。
なぜ高い音から聞こえなくなる?

音を電気信号に変える有毛細胞
耳の奥には、蝸牛(かぎゅう)というかたつむりの殻のような渦巻きの管があります。その中に並ぶのが、細い毛のような突起を持つ有毛細胞(ゆうもうさいぼう)です。音の振動で毛が揺れると、細胞が振動を電気信号に変えて脳へ送ります。数は片耳におよそ1万5千個。
壊れた有毛細胞は元に戻らない
有毛細胞はいったん壊れると元には戻りません。加齢や大きな音で少しずつ減っていき、減った分だけ音が脳に届きにくくなります。加齢による難聴に決め手となる治療が無く、補聴器で聞こえを補うのが主な対処になっているのは、この性質のためです。
蝸牛は入口が高音で奥が低音
蝸牛の中は、場所ごとに受け持つ音の高さが決まっています。入口に近いところが高い音、渦の奥へ進むほど低い音の担当です。ピアノの鍵盤を渦巻きに丸めて、入口側に高音の鍵を並べた姿を思い浮かべると近いかもしれません。
入口側の細胞が先にすり減る
耳に入った振動は、高い音でも低い音でもまず入口を通ります。入口側の有毛細胞は生まれてからずっと刺激を浴び続けるわけで、傷みやすく加齢の影響も大きく受けます。高音の担当がいちばん酷使される場所にいる。若者にしか聞こえない音が生まれる理由は、この配置にありました。
何歳ごろから聞こえにくくなる?

30代からゆっくり進む
栃木県が言語聴覚士の団体の監修で作った資料では、加齢による難聴は30代からゆっくり進行するとしています。まず高い音から聞こえにくくなり、次第に中低音にも広がっていく流れです。変化がゆるやかなので、本人が気づかないことも少なくありません。
モスキート装置の目安は25歳
後で紹介する若者よけの装置「モスキート」の製造元は、17.4キロヘルツの音はふつう25歳未満にしか聞こえないと説明しています。もっとも、聞こえる上限には個人差がかなりあります。同じ資料では、女性より男性のほうが早く聞こえが悪くなりやすいとも書かれていました。
耳年齢テストの結果は目安どまり
スマートフォンのアプリや動画で「耳年齢」を試せるものがありますが、結果はそのまま信じないほうが無難です。再生する機器や音量、周りの騒がしさで聞こえ方は大きく変わります。イヤホンが高い音をうまく出せず、聞こえるはずの音が鳴っていないこともあるからです。
聞こえなくても会話には困らない
大人になってモスキート音が聞こえなくなっても、それだけで病気というわけではありません。日常の会話は主にもっと低い音域でやりとりされるためです。ただ高い音が欠けるほど、子音の聞き分けがあやふやになって「音は聞こえるのに何を言っているか分からない」と感じやすくなります。気になるときは耳鼻咽喉科で検査を受けると確かです。
若者よけの装置「モスキート」は2005年生まれ

牛乳を買いに出た娘がきっかけ
考えたのは、イギリス・ウェールズのハワード・ステープルトンという人物です。17歳の娘が牛乳を買いに行った店先で、12〜15歳くらいの子どもたちに絡まれたことがきっかけだったとされます。若い世代にだけ届く音を店先で鳴らせば、大人の客には気づかれずに子どもたちだけを遠ざけられる。そんな発想から、2005年に特許を取りました。
音の高さは自分の子どもで決めた
どの高さなら若者にだけ届くのか。ステープルトンは自分の子どもたちに聞かせて、音の高さを決めたそうです。最初に試したのはウェールズのバリーという町の食料品店で、店の前にたむろする10代を減らせたという話が残っています。
17.4キロヘルツ・最大108デシベル
装置が出すのはおよそ17.4キロヘルツの音で、製造元の公称では最大108デシベルに達します。ロックのライブ会場に近い大きさです。後の版では、ほとんどの人に聞こえる8キロヘルツへ切り替えられる機能も加わりました。こちらは年齢を問わず人を遠ざけるための設定です。
「若者だけを狙う」音は許される?

何もしていない子どもにも届く
この装置には強い批判が寄せられました。音は相手を選べないので、悪さをしていない中高生や、ベビーカーの赤ちゃんにまで届いてしまいます。年齢だけを理由に不快な音を浴びせるのは差別ではないか。音の長い影響が医学的に十分調べられていない点も、不安の種になりました。
2010年、欧州評議会の議会が禁止を勧告
2010年、欧州評議会の議員会議は、公共の場でこの種の装置を禁止するよう加盟国に求める勧告を採択しました。子どもの権利をうたう欧州や国連の条約に反するおそれがある、という理由です。勧告そのものに法的な強制力はなく、装置はその後も各地で使われ続けています。
※ 欧州評議会とは、人権や民主主義を守るために1949年に作られたヨーロッパの国際機関のことです。EU(欧州連合)とは別の組織です。
先生に聞こえない着信音として広まった

マンハッタンの教室で試された
2006年6月のAP通信の記事に、ニューヨーク・マンハッタンの教師の話が出てきます。同僚が教室でこの音を鳴らしてみると、1年生の子どもたちは全員が反応したのに、大人2人には何も聞こえなかったそうです。高校生たちは同じ音をインターネットから落とし、授業中のメールの着信音に使っていました。
「ティーン・バズ」として売られた
教師の耳に届かない着信音は「ティーン・バズ(Teen Buzz)」や「モスキート着信音」と呼ばれ、やがて商品としても売り出されました。17キロヘルツ前後なら、携帯電話の小さなスピーカーでも十分に鳴らせます。大人には入り込めない連絡の通り道が、教室の中にできたわけです。
追い払う音が隠れる道具になった
店先の装置では、聞こえる若者が不快な思いをさせられる側でした。ところが着信音になると、聞こえる若者のほうが情報を受け取れる側に回ります。装置が世に出てからわずか1年ほどで、同じ一線がまったく逆の意味を持つようになったのは、なかなか皮肉なめぐり合わせです。
イヤホンで若くても耳は傷む?

85デシベルを超えると細胞が傷つく
有毛細胞を減らすのは年齢だけではありません。厚生労働省のe-ヘルスネットによると、85デシベル以上の音を聞くと、音の大きさと聞いた時間に比例して有毛細胞が傷つきます。100デシベルを超える大音量では、急に聞こえが悪くなることもあるそうです。
※ ヘッドホン難聴(イヤホン難聴)とは、大きな音を長く聞き続けることで有毛細胞が傷ついて起こる難聴のことです。医学的には音響性難聴(おんきょうせいなんちょう)のひとつに数えられます。
初めのうちは気づきにくい
ヘッドホン難聴は両耳の聞こえが少しずつ落ちていくため、初期は自覚しにくいとされます。耳が詰まったような感じや耳鳴りをともなうこともあります。壊れた有毛細胞が戻らないのは加齢の場合と同じで、気づいたときには取り返せない部分が出ているかもしれません。
WHOは若者11億人に危険があると警告
世界保健機関(WHO)は2019年、12〜35歳のほぼ半数にあたる約11億人が、大きな音を聞きすぎて難聴になるおそれがあると発表しました。音楽プレーヤーやスマートフォンで長時間聞く習慣が背景にあります。若いからモスキート音が聞こえる、という前提も、耳の使い方しだいで崩れていくわけです。
大人80デシベル・子ども75デシベルで週40時間
WHOと国際電気通信連合が作った機器の規格は、聞いた音の量を数える目安を2つ設けています。大人は80デシベルで週40時間、子どもは75デシベルで週40時間です。80デシベルは、にぎやかな街角や走る電車の中くらいの大きさ。ときどきイヤホンを外して耳を休ませるだけでも、有毛細胞の負担は軽くなります。
人より高い音を聞く動物たち

イヌは4万5千ヘルツまで聞こえる
2万ヘルツで頭打ちになる人間の耳は、動物の中ではむしろ狭いほうです。イヌはおよそ4万5千ヘルツまで聞き取れるとされ、人には無音の「犬笛」はこの差を利用した道具でした。飼い主には何も聞こえなくても、犬にはしっかり鳴って聞こえているのです。
コウモリは20万ヘルツ級の超音波
さらに上を行くのがコウモリで、種類によっては20万ヘルツ近い音まで聞き取ります。イルカにも10万ヘルツを超える音を聞けるものがいて、自分の出した音のはね返りで暗闇や水中の獲物を探すのが得意です。彼らの耳から見れば、17キロヘルツのモスキート音はまだ低いほうの音にすぎません。
同じ音を前にして、聞こえる人と聞こえない人がいる。その境目に刻まれているのは、耳の入口の細胞が浴びてきた音の量です。年齢は止められませんが、大きすぎる音から耳を遠ざけることはできます。今日届いている高い音は、明日の耳には当たり前に残っていないかもしれない、小さな財産なのです。
参考
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「有毛細胞」
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「ヘッドホン難聴(イヤホン難聴)について」
- 栃木県「加齢性難聴を正しく知ろう」
- WHO「Safe listening devices and systems: a WHO-ITU standard」(2019年)
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