コンビニの前で、若い人だけが「うるさい」と顔をしかめ、大人は何ごともなかったように通り過ぎていく——そんな場面を生むのが「モスキート音」です。17キロヘルツ前後のとても高い音で、若い耳にははっきり届くのに、年を重ねた耳にはほとんど無音になります。同じ音が、聞く人の年齢で「騒音」と「静けさ」に分かれてしまうのはなぜなのでしょう。
モスキート音とは、17キロヘルツ前後の「とても高い音」

モスキート音は、蚊(英語でmosquito)の羽音のように甲高い、17キロヘルツ(17,000ヘルツ)前後の高周波音を指します。どの高さまで聞こえるかは年齢とともに下がっていくため、聞こえた周波数からおおよその「耳年齢」を見当づけることができます。下の数字は、スマートフォンの音源アプリなどを使えば自分の耳でも試せる、ひとつの目安です。
| 聞こえる上限の目安 | 耳年齢の目安 |
|---|---|
| 8キロヘルツ | ほぼ全ての年代で聞こえる |
| 12キロヘルツ | おおむね50代まで |
| 15キロヘルツ | おおむね30〜40代 |
| 17キロヘルツ | おおむね10〜20代(18〜24歳前後) |
| 18キロヘルツ以上 | 10代前半でないと難しい |
人の耳が聞ける範囲は20〜2万ヘルツ
上限の2万ヘルツは「若く健康な耳」の話
人が聞き取れる音の高さは、およそ20ヘルツから2万ヘルツの範囲とされています。低いほうの20ヘルツは地響きのような重低音、高いほうの2万ヘルツは金属的な甲高い音です。ただしこの上限は、若く健康な耳での話にすぎません。加齢とともに天井は少しずつ下がり、モスキート音の17キロヘルツはちょうどその「下がっていく境目」に位置しています。
なぜ「蚊」の音と呼ぶのか
耳もとで蚊が飛ぶときの「プーン」という羽音は、およそ数百ヘルツ程度で、モスキート音そのものよりずっと低い音です。それでも「不快でまとわりつくような高い音」というイメージが蚊と重なり、この呼び名が定着しました。実際の羽音より高い周波数ですが、「思わず耳をふさぎたくなる」感覚はよく似ています。
「聞こえた周波数=耳年齢」はあくまで目安
機器や環境で大きくぶれる
耳年齢テストの数字は、そのまま鵜呑みにはできません。再生する機器や音量、周囲の騒がしさによって、聞こえ方は大きく変わるからです。イヤホンの性能が低いと高い音がうまく出ず、「本当は聞こえるのに聞こえない」と判定されることもあります。年齢の推定はざっくりした目安として楽しむくらいがちょうどよく、正確な聴力は耳鼻科の検査でしか分かりません。
聞こえなくても病気とは限らない
30代を過ぎて17キロヘルツが聞こえなくなっても、それ自体は病気ではありません。高い音から少しずつ聞こえにくくなるのは、誰にでも起こる自然な加齢の変化です。会話に使う音域はもっと低いところにあるため、モスキート音が届かなくなっても日常生活に支障が出ることはまずありません。
なぜ年をとると高い音から消えていくのか

高い音から先に聞こえなくなる理由は、音を感じ取る耳の奥の構造にあります。カギを握るのは、蝸牛(かぎゅう)という器官に並ぶ「有毛細胞」です。
音を電気信号に変える「有毛細胞」
片耳に約1万5千個・壊れると再生しない
有毛細胞は、その名のとおり細い毛のような突起を持つ細胞で、片耳におよそ1万5千個が並んでいます。音の振動でこの毛が揺れると、細胞が興奮して振動を電気信号に変え、脳へ送り出します。困ったことに、この細胞は一度壊れると二度と再生しません。加齢性難聴の治療が難しく、補聴器で補う形になるのはこのためです。
蝸牛はかたつむり型の器官
有毛細胞が収まっている蝸牛は、その名前どおりかたつむりの殻のようにぐるぐると巻いた、渦巻き状の管です。中はリンパ液で満たされ、鼓膜から伝わった振動が液を通じて奥へと進んでいきます。この「巻いた管のどこで振動が伝わるか」が、音の高さを聞き分けるしくみの中心になっています。
蝸牛は「入口が高音・奥が低音」
入口の細胞ほど生涯にわたり酷使される
蝸牛は、担当する音の高さが場所ごとに決まった器官です。入口に近い側が高い音、奥へ進むほど低い音を受け持ちます。音の振動はまず入口から入るため、入口付近の有毛細胞は、あらゆる音の振動を最初に浴び続けます。つまり高音を担当する細胞ほど、生涯よく働く疲れやすい場所にいるわけです。
だから高音を担う細胞が先に傷む
酷使された入口側の細胞から先にすり減っていくため、聞こえにくくなるのも高い音からになります。加齢性難聴(老人性難聴)が「高音域から始まる」のはこの順番によるものです。高い音が欠けはじめると、実は会話にも影響が出ます。「さ行」や「か行」など息の混じった子音は高い周波数の成分を含むため、話し声が「ぼやけて聞き取りにくい」と感じやすくなるのです。
「たむろ防止装置」になったモスキート音

この「若い人にしか聞こえない」性質は、実際に商品として使われたことがあります。若者のたむろを防ぐための装置「モスキート」です。
きっかけと仕組み
2005年、イギリスで生まれた
この装置は2005年、イギリスのハワード・ステープルトンという人物が考案しました。自分の娘が店の前にたむろする年上の若者たちに絡まれたことがきっかけだったと伝えられています。若い世代にだけ届く音を店先で鳴らせば、大人の客には気づかれないまま若者だけを遠ざけられる、という発想でした。
17.4キロヘルツ・最大108デシベル
装置が出す音はおよそ17.4キロヘルツで、一般に25歳より下の年代にしか聞こえないとされます。音量は最大で108デシベルに達し、これはロックのライブ会場に近い大きさです。数秒おきに鳴ったり止んだりを繰り返す設計で、聞こえる若者にとってはかなり耳ざわりに感じられます。多くの人に聞こえる8キロヘルツの設定も備えた機種もあります。
「若者だけを狙う」ことへの批判
無差別に若者を対象にするという指摘
この装置には強い批判もありました。悪いことをしていない若者や子どもまで、年齢というだけで一律に不快な音を浴びせられるからです。おとなしく通りかかっただけの中高生や、乳幼児にも音は届いてしまいます。「若い」というだけで狙い撃ちにする点が、差別ではないかと問題視されました。
2010年、欧州評議会が禁止を勧告
こうした声を受けて、2010年には欧州評議会が、この種の装置の使用を禁止するよう勧告を出しました。子どもの権利や差別の禁止をうたう国際的な人権の考え方に反するおそれがある、という理由です。便利な技術が、使い方しだいで人権の問題に触れてしまう——モスキート音は、その一例になりました。
若者が逆用した——先生に聞こえない着信音

大人が若者を遠ざけるために使った音は、やがて若者の側に逆用されました。授業中、教師には聞こえない着信音として広まったのです。
授業中のメール音に化けた
教師に届かない着信音として
先ほど触れたとおり、この音は大人には届きません。その性質を逆手にとって、生徒たちは携帯電話の着信音にモスキート音を設定しました。授業中にメッセージが届いても、鳴っているのに気づくのは若い生徒だけで、年上の教師にはまったく聞こえないというわけです。教室のなかに、大人には入り込めない「音の秘密の通路」ができたことになります。
「ティーン・バズ」として商品化
この使い方は評判を呼び、「ティーン・バズ(Teen Buzz)」という着信音として実際に売り出されました。若者を追い払うために開発された音が、数年のうちに若者の道具へと立場を変えたのです。同じ一つの音が、追い払う側と隠れる側で正反対に使われたのは、なんとも皮肉なめぐり合わせでした。
携帯のスピーカーは2万ヘルツ超も出せる
だから着信音として成り立った
この逆用が成り立ったのは、携帯電話の小さなスピーカーが、人の可聴域の上限である2万ヘルツを超える音まで出せるからです。人間が聞き取れる範囲を機械はあっさり超えて再生できるため、17キロヘルツの着信音を鳴らすのは造作もないことでした。技術のほうが人の耳より広い音域を扱えるという事実が、この「隠し音」を可能にしたのです。
立場が入れ替わる面白さ
防犯装置では、聞こえる若者が「弱い立場」に置かれました。ところが着信音では、聞こえる若者が「情報を受け取れる強い立場」に回ります。聞こえる・聞こえないという同じ一線が、場面によってまったく逆の意味を持つのが面白いところです。年齢による聞こえ方の差は、使う人しだいで武器にも弱点にもなります。
若い人でも油断できない「イヤホン難聴」

高い音がちゃんと聞こえるのは若さの証、と安心してもいられません。近年は、加齢とは別の理由で高い音が聞こえにくくなる若者が増えています。イヤホンの使いすぎによる「イヤホン難聴」です。
大音量・長時間で有毛細胞が壊れる
医学的には「音響性難聴」
イヤホンやヘッドホンで大きな音を長く聴き続けると、音の振動を受け止める有毛細胞が少しずつ傷んでいきます。これが医学でいう「イヤホン難聴」で、正式には音響性難聴と呼ばれます。
※ 音響性難聴(おんきょうせいなんちょう)とは、大きな音を浴びることで内耳の有毛細胞が傷つき、聞こえにくくなる難聴のことです。一度に強い音を受ける場合と、大きすぎる音を長く聴き続ける場合があります。
初期症状は高い音から
やっかいなのは、イヤホン難聴もまた高い音から進むことです。加齢性難聴と同じく、酷使に弱い高音担当の細胞から傷んでいくため、初期には高い音が聞き取りにくくなります。つまり若くしてモスキート音が聞こえなくなっていたら、耳を使いすぎているサインかもしれません。しかも痛みなどの自覚がないまま進むことが多く、気づいたときには戻せないところまで来ている場合もあります。
WHOが鳴らす警鐘
世界で11億人の若者がリスク
世界保健機関(WHO)は、世界の12〜35歳のおよそ半数にあたる11億人が将来的に難聴のリスクにさらされていると警告しています。手軽に音楽を楽しめるスマートフォンの普及で、大音量・長時間の使用が当たり前になったことが背景です。ごく身近な習慣が、静かに耳をむしばんでいるというわけです。
「80デシベルで週40時間」が目安
WHOは耳に負担をかけない目安を示しています。大人は80デシベル以下、子どもは75デシベル以下で、いずれも週40時間までが望ましいとされます。80デシベルは、走行中の車内や騒がしい街角くらいの音量です。ときどきイヤホンを外して耳を休ませる。音量を上げすぎない。そんな小さな心がけが、有毛細胞の消耗を遅らせてくれます。
ここまで見てきた二つの難聴は、原因も進み方も異なります。両者の違いを整理してみましょう。
| 項目 | 加齢性難聴 | イヤホン難聴(音響性難聴) |
|---|---|---|
| 主な原因 | 加齢による有毛細胞の自然な衰え | 大音量・長時間の音の浴びすぎ |
| 多い年代 | 中高年以降 | 若い世代にも起こる |
| 進み方 | ゆっくり・誰にでも | 使い方しだいで早まる |
| 共通点 | まず高い音から聞こえにくくなり、傷んだ細胞は再生しない | |
人間より高い音を聞く動物たち

2万ヘルツで頭打ちになる人間の耳は、動物の世界ではむしろ聞こえる範囲が狭いほうです。イヌが聞き取れる音は4万ヘルツほどまで届き、人には聞こえない「犬笛」はこの差を利用した道具です。飼い主には無音でも、犬にはピーッと鳴って聞こえています。
さらに上を行くのがコウモリやイルカで、10万ヘルツを超える超音波を聞き分け、自分で発した音のはね返りで暗闇や水中の獲物をとらえます。人間が「高すぎて聞こえない」と感じる音は、生き物全体で見れば、ごくありふれた会話の道具なのです。モスキート音の17キロヘルツも、彼らからすればまだ低いおしゃべりの範囲に入ります。
同じ音を前にして、聞こえる人と聞こえない人がいる。その境目は、耳の奥の細胞が刻んできた時間そのものです。聞こえる音域は年齢とともに、そして耳の使い方しだいで、静かに移り変わっていきます。今の耳に届く高い音を少しでも長く保つには、大きすぎる音から耳を遠ざけておくのがいちばんです。それはいつか、未来の自分の耳への、ささやかな贈りものになります。


