親指・人差し指・中指・小指——どれも「見たまま」の名前なのに、四番目の指だけはなぜか「薬指」。薬をつける指でもないのに、と不思議に思ったことはないでしょうか。じつはこの名前、昔の人の暮らしと、ちょっとした体のしくみが関わっています。
この記事では、薬指の由来を中心に、五本の指それぞれの名前がどこから来たのかをたどります。さらに、薬指が独立して動かしにくいわけや、結婚指輪をこの指にはめる理由まで見ていきましょう。自分の手を眺めながら読むと、いっそう腑に落ちるはずです。
まず、五本の指の名前の由来

細かい話に入る前に、五本の指の名前と、その由来をまとめておきます。あわせて、病院などで使われる医学的な呼び名も添えました。
| 指 | 名前の由来 | 医学的な呼び名 |
|---|---|---|
| 親指 | いちばん太い「親」分 | 母指(ぼし) |
| 人差し指 | 人や物を指し示す | 示指(じし) |
| 中指 | 手の真ん中にある | 中指(ちゅうし) |
| 薬指 | 薬を溶いたり塗ったりした | 環指(かんし) |
| 小指 | いちばん小さい | 小指(しょうし) |
まずは「見たまま」の四本から

薬指の話に入る前に、ほかの四本を片づけておきましょう。どれも、形や位置、はたらきをそのまま名前にした素直なものばかりです。
親指——いちばん太い「親」
太くて短い、頼れる一本
親指は、五本のなかでいちばん太くて力強い指です。その存在感から、指の「親分」として「親指」と呼ばれるようになりました。ほかの四本と向き合って物をつかめるのも、この指ならではの役割です。
医学では「母指」
病院などでは、親指を「母指(ぼし)」と呼びます。「親」が「母」に変わるだけで、いちばん大きく頼れる一本、という見立ては共通しています。英語の thumb も、ほかの指を指す finger とは別の単語が当てられているほど、特別あつかいの指なのです。
人差し指——指し示す指
人や物を指すから
人差し指は、その名のとおり、人や物を指し示すときに使う指です。方向を教えたり、何かを選んだり。いちばん器用に動く指なので、指し示す役目が自然と定着したのでしょう。
別名は「食指」や「塩舐め指」
この指には、面白い別名がいくつもあります。中国由来の「食指(しょくし)」もその一つで、「食指が動く」という言い回しは、食欲や欲がわくことを表します。また、料理の味加減をこの指で確かめたことから「塩舐め指」と呼ばれた時代もありました。
中指と小指——位置と大きさから
中指は手の真ん中で、いちばん長い
中指は、五本のちょうど真ん中にあることから、そのまま「中指」です。位置だけでなく、長さも五本でいちばん。名前の由来としては、これ以上ないほどわかりやすい一本といえます。
小指はいちばん小さいから
小指は、見てのとおりいちばん小さくて細い指なので「小指」と名づけられました。約束のときに絡める「指切り」でおなじみの指でもあります。四本は、このように形や位置がそのまま名前になっている。だからこそ、薬指の「薬」だけが浮いて見えるわけです。
本題——薬指はなぜ「薬」なのか

ではいよいよ本題です。四番目の指が「薬」を名乗るのには、昔の暮らしにさかのぼる理由がありました。
薬を扱うのに使った指
薬を溶き、混ぜ、塗る
もっとも有力なのが、この指で薬を扱ったから、という説です。粉薬を水に溶いたり、練った薬を肌に塗ったりするとき、昔の人は四番目の指を使いました。そこから「薬をつける指」、つまり薬指と呼ばれるようになったのです。
ふだん使わず、清潔とされた
なぜ、わざわざ四番目の指なのでしょうか。理由の一つは、この指がふだんの作業ではあまり単独で使われないこと。よく動かす人差し指などに比べて汚れにくく、口に入れる薬や目もとに塗る薬を扱うのに「清潔な指」とされたと考えられています。この「動かしにくさ」には、あとで触れる体のしくみが関わっているのです。
もう一つの説——薬師如来
仏さまの指の形から
別の説もあります。病を治すとされる薬師如来(やくしにょらい)の仏像は、右手の四番目の指を軽く曲げた形をしています。そこからこの指を「薬師の指」と呼んだ、という言い伝えです。薬にまつわる仏さまと、四番目の指。信仰と結びついた、味わいのある説です。
由来は一つに決めきれない
このように、薬指の由来には複数の説があり、どれか一つに断定できるわけではありません。ただ、いずれも「薬」と深く関わっている点は共通しています。昔の人にとって四番目の指は、薬や癒やしを連想させる特別な指だった。そう考えると、名前の重みが伝わってきます。
じつは、名前が移り変わってきた指

面白いことに、薬指はずっと「薬指」だったわけではありません。時代によって、いくつもの名前で呼ばれてきた、変わり者の指なのです。
もともとは「名無し指」だった
奈良〜鎌倉のころは「ナナシユビ」
古い時代、この指には決まった名前がなく、「名無し指(ななしゆび)」と呼ばれていました。奈良時代から鎌倉時代にかけての文献に、その呼び方が見られます。ほかの四本にはっきりした役目があるのに、四番目だけは「これといった名前がない指」だったわけです。
世界でも「名前のない指」あつかい
名前に困っていたのは、日本だけではありません。中国語では、薬指を「無名指(むめいし)」、つまり「名前のない指」と書きます。役割のはっきりしない四番目の指は、洋の東西を問わず、名づけに苦労されてきたようです。
時代とともに呼び名が変わった
鎌倉〜江戸は「薬師指(くすしゆび)」
やがて、薬と結びついた呼び名が広まっていきます。鎌倉から江戸の前期にかけては「薬師指(くすしゆび)」と呼ばれました。これがのちに、私たちの知る「薬指(くすりゆび)」へと変わっていきます。
室町末〜明治は「紅差し指(べにさしゆび)」
さらに別の呼び名も重なります。室町時代の末から明治にかけては、「紅差し指(べにさしゆび)」とも呼ばれました。女性が口紅やお歯黒をつけるのに、この指を使ったからです。薬に紅にと、四番目の指は「何かを塗る指」として愛されてきたのがわかります。
なぜ薬指は、独立して動かしにくいのか

「薬指は単独で使いにくい」と先ほど書きました。試しに、机に手のひらをつけて中指を折り曲げ、薬指だけを持ち上げてみてください。ほとんど動かないはずです。これには、はっきりした体のしくみがあります。
指を伸ばす「腱」のしくみ
親指・人差し指・小指には専用の腱
指を伸ばすのは、腕から伸びる「腱(けん)」のはたらきです。親指・人差し指・小指には、その指だけを伸ばすための専用の腱が備わっています。だから、これらは比較的かんたんに一本だけ立てられます。
薬指は両隣と腱でつながっている
ところが薬指には、その指だけの専用の腱がありません。中指や小指の腱と、腱膜(けんまく)でしっかり結びついているのです。そのため薬指を動かそうとすると、両隣までつられてしまう。これが、薬指だけが独立して動かしにくい正体です。
動かしにくさが「薬」につながった
ふだんの作業では出番が少ない
この動かしにくさゆえに、薬指は日常の細かな作業では、単独ではあまり使われません。物をつまむのも、字を書くのも、主役は親指と人差し指です。薬指は、いわば控えめな脇役の指なのです。
だからこそ「特別な指」に
あまり使われない指は、そのぶん汚れにくく、特別なものにも思えます。薬を扱う指に選ばれたのも、次に見る結婚指輪の指に選ばれたのも、この「特別あつかい」と無縁ではないでしょう。控えめであることが、かえって大切な役目を呼び込んだわけです。
結婚指輪は、なぜ薬指なのか

薬指といえば、結婚指輪。じつはこの習わしにも、はるか昔の言い伝えが関わっています。
古代エジプトの言い伝え
薬指から心臓へ、血管が通じる?
古代エジプトでは、左手の薬指から心臓へ、まっすぐに太い血管が通じていると信じられていました。心臓は、感情や愛が宿る場所。だからこの指を、命や心と直接つながる特別な場所と考えたのです。
「愛の静脈」ヴェナ・アモリス
この考えは、アレクサンドロス大王のエジプト征服をきっかけに、古代ギリシャへと伝わります。心臓につながるその血管は、ラテン語で「ヴェナ・アモリス(愛の静脈)」と呼ばれました。大切な誓いを立てるとき、左手の薬指に指輪をはめる習わしは、ここから広まったとされています。
※ ヴェナ・アモリスとは、ラテン語で「愛の静脈」を意味する言葉です。左手薬指から心臓へ直通する血管があるという古代の考えを指します。
今は否定、それでもロマンは残る
そんな血管は、実はない
もっとも、現代の医学から見れば、薬指だけが特別に心臓とつながっているわけではありません。「愛の静脈」は、あくまで昔の人の思い込みだったのです。体のつくりとしては、ほかの指と大きな違いはありません。
それでも指輪は薬指に
それでも、指輪を左手の薬指にはめる習わしは、世界じゅうに残りました。事実ではないとわかっても、そのロマンチックな言い伝えが人の心をつかんで離さなかったのでしょう。薬を塗る指が、愛を誓う指になる。四番目の指は、つくづく物語をまとうのが上手な指です。
親指は太さから、人差し指ははたらきから、中指と小指は位置と大きさから。そして薬指は、薬や紅、そして愛の言い伝えから。五本の指の名前は、昔の人の暮らしや願いが刻まれた、手のひらの上の小さな地図のようなものです。ふと自分の手に目を落として、それぞれの指が持つ物語を思い出してみる。すると見なれた自分の手も、もうただの手ではなくなっているはずです。


