「肴」を「さかな」と読むのは、この語がもともと「酒(さか)」と「菜(な)」を合わせた言葉だからです。「な」はおかず全般を指したので、酒に添えるものなら野菜でも木の実でも肴でした。室町時代ごろには歌や踊り、座を盛り上げる話題まで「さかな」と呼んでいます。魚がこの名を手に入れたのは江戸時代以降のこと。順番は「魚→肴」ではなく「肴→魚」だったわけです。
「さか」は酒が形を変えた音

「さかな」の頭の「さか」は、酒のことです。精選版日本国語大辞典も「さか」は「さけ(酒)」だと説明しています。
酒屋・杯・酒盛りも「さか」で始まる
酒屋(さかや)・杯(さかずき)・酒盛り(さかもり)・酒場(さかば)。どれも「さけ」ではなく「さか」で始まります。日本語では、後ろに別の語がつくと前の語の終わりの母音が入れ替わることがあるためです。「さかな」の「さか」も、この仲間です。
※ 転音(てんおん)とは、二つの語が結びついて一語になるとき、前の語の母音が別の音に変わる現象のことです。母音交替とも呼ばれます。
雨具・船旅・風上も同じ仕組み
同じ変化は身のまわりにたくさんあります。雨(あめ)は雨具(あまぐ)や雨戸(あまど)に、船(ふね)は船旅(ふなたび)に。風(かぜ)が風上(かざかみ)、金(かね)が金物(かなもの)になるのも同じ型です。
「さかな」の頭には、まぎれもなく酒が乗っています。魚の気配は、この時点ではまだどこにもありません。
「な」は何を指していた?

後ろの「な」は、ご飯や酒に添える副食物をまとめて呼ぶ言葉でした。野菜専用の語ではありません。
菜っ葉・惣菜に残る「な」
「な」には「菜」の字が当てられます。青菜・菜っ葉・惣菜(そうざい)といった言葉に、その名残があります。今は「菜」と聞くと野菜を思い浮かべますが、それは意味が狭まったあとの姿です。
肉も魚も野菜も、みんな「な」
世界大百科事典は、鳥獣の肉・魚貝・野菜など、副食物にするものはすべて「な」と呼んだと説明しています。つまり「酒のな」は、干した貝でも木の実でも成り立ちました。主食ではないもの、という大ざっぱなくくりです。このゆるさが、のちの意味の引っ越しを可能にしました。
室町までの肴は干物が中心
同じ事典によれば、室町時代ごろまでの肴は、干物のような魚貝の乾物が多かったとされます。冷蔵の手段がない時代に、酒の席へ気軽に出せるのは日持ちのするものでした。生の魚が肴の顔になるのは、まだ先の話です。
出陣の肴は鮑・栗・昆布

武家の時代には、儀式の席に出す肴に決まりごとがありました。その代表が、戦に出る前の肴です。
「打って・勝って・喜ぶ」の三品
室町将軍家の料理を担った大草家の伝書には、出陣の肴として打ち鮑(うちあわび)・勝ち栗・昆布を組み合わせると書かれていたそうです。「打って、勝って、喜ぶ」という語呂合わせの縁起担ぎでした。鮑は貝、栗は木の実、昆布は海藻。三品そろって、魚は一匹も入っていません。
打ち鮑は「のし」とも呼ばれた
打ち鮑は、鮑の身を薄くむいて干し、のばしたものです。この品は「のし」とも呼ばれていました。祝儀袋の右上につける「のし」の名も、この干し鮑に由来すると言われています。出陣の肴は、今もご祝儀の袋の上に小さく残っているわけです。
箸をつけない儀式の肴
室町期の武家では、主君を迎える席で盃を三度めぐらせる「式三献(しきさんこん)」が行われました。そこに出す肴には箸をつけず、実際には食べなかったとされます。肴は食べ物である前に、席の格を示すしるしでもあったのです。結婚式の三三九度は、この作法が形を残したものと言われています。
踊りや噂話も「さかな」だった

肴の範囲は、とうとう食べ物の外にまで広がりました。酒の席を楽しくするものなら、皿に乗っていなくても肴だったのです。
「肴舞」という言葉まであった
世界大百科事典によると、酒席で歌や舞を披露したり隠し芸を見せたりすることも「さかな」と呼ぶようになりました。そこから生まれたのが、肴舞(さかなまい)という言葉です。宴の途中で誰かが立ち上がって舞えば、それも一品の肴として数えられたのでしょう。
「噂を肴に」は古い意味の名残
今も「人の噂を肴に飲む」「思い出話を肴にする」と言います。辞書にも、酒席に興を添える歌や踊り、話題が「さかな」の意味として載っています。比喩で新しく生まれた表現というより、食べ物以外も肴と呼んだ時代の使い方が生き残ったものと見るのが自然でしょう。いつもの言い回しの中に、昔の宴席がひとつ埋まっています。
魚が「さかな」になったのはいつ?

「さかな」が魚そのものを指すようになったのは、江戸時代以降です。その前、魚は「いを」「うを」と呼ばれていました。
宴会料理の主役が魚になった
ブリタニカ国際大百科事典は、江戸時代中期以後に宴会料理が発達すると、肴が一般に魚類を指すようになったと説明しています。酒の席に並ぶ皿の多くが魚なら、「肴を持ってきて」で魚が出てくるのは自然な流れです。よく出てくる中身が、器の呼び名を乗っ取ってしまった形と言えます。
「うお」に取って代わったのは明治以降
入れ替わりは一気には進みませんでした。精選版日本国語大辞典の語誌によれば、江戸時代以降に「さかな」がしだいに魚の意味へ入り込み、明治時代以降に「いを」「うを」に取って代わったとされます。数百年がかりの、ゆっくりした交代劇でした。
二つの意味は今も同居している
古い意味は追い出されていません。「今日のさかなは鰤(ぶり)」なら魚のことですが、「枝豆を肴に一杯」なら魚ではない。同じ音の言葉が、酒に添えるものと魚類の二つの意味を抱えたまま使われ続けています。字で書き分ければ「肴」と「魚」になるのも、この二重生活のおかげです。
「魚」をさかなと読めるのは1973年から

話し言葉では明治以降に広まった「さかな」ですが、国の漢字の表が追いついたのはずっとあとでした。
1948年の表には「ギョ」と「うお」だけ
1948年(昭和23年)の当用漢字音訓表では、「魚」の読みは「ギョ」と「うお」しか載っていませんでした。「さかな」の訓が加わったのは、1973年(昭和48年)の改定です。この読みは今の常用漢字表にも引き継がれています。表のうえでは、魚を「さかな」と読む歴史は半世紀ほどしかありません。
※ 当用漢字音訓表(とうようかんじおんくんひょう)とは、日常で使う漢字の読み方の目安として国が示した表のことです。のちの常用漢字表に引き継がれました。
読みが二つあると教室で迷う
読みが増えると、今度は迷いが生まれます。教科書会社の教育出版は、小学校低学年の音読で「魚」を「うお」と「さかな」のどちらで読むかという疑問が出ていると紹介しています。決め手がなければ「さかな」と読んでよい、というのが同社の答えでした。
「肴」の字は「肉」の仲間
一方の「肴」は中国生まれの漢字で、部首は魚偏ではなく肉(にくづき)です。もとは調理した肉を表す字で、音読みはコウ。酒肴(しゅこう)・佳肴(かこう)といった熟語に残っています。日本語の「さかな」に、あとからこの字が当てられました。常用漢字には入っておらず、名づけに使える人名用漢字の一つです。
「うお」はどこに残っている?

主役の座を譲った「うお」ですが、消えたわけではありません。古くに定着した言葉や地名、それに地域の話し言葉に残っています。
魚河岸・魚市場・魚沼
魚河岸(うおがし)や魚市場(うおいちば)は、「さかながし」とは読みません。星座のうお座、「魚心あれば水心」ということわざも同じです。新潟の魚沼(うおぬま)や富山の魚津(うおづ)のように、地名にも「うお」が刻まれています。看板や地図に残った読みは、流行に流されにくいのです。
西日本は「うお」、関東は「さかな」
教育出版の解説によると、西日本では「うお」や「いお」が使われ、関東では「さかな」が用いられているようです。全国的には「さかな」を魚の総称とする人が多数派だとも紹介されています。川を泳ぐのは「うお」で皿の上は「さかな」という区別がよく語られますが、同社は水の中の魚をどちらかに決めることはできないとしています。
「あて」「つまみ」とどう違う?

酒に添えるものの呼び名は、肴だけではありません。由来の違う三つの言葉を並べてみます。
| 呼び名 | もとになった言葉 | 主に使う地域 |
|---|---|---|
| 肴(さかな) | 酒(さか)+菜(な) | 全国 |
| あて | 酒に「あてがう」もの | 大阪など関西 |
| つまみ | 指で「つまむ」もの | 全国 |
「あて」は関西のことば
「あて」は、酒にあてがう添えものという意味から来た言葉とされます。大阪弁や和歌山弁の辞書に載る、関西を中心とした言い方です。人形芝居の楽屋言葉でおかずを「あて」と呼んだのが始まりだとする記述もあり、出どころは一つに絞れていません。
「つまみ」は指でつまめる軽いもの
「つまみ」は動詞の「つまむ」から来た語です。デジタル大辞泉は、酒の肴として指でつまんで食べられる簡単な食べ物と説明しています。枝豆やするめ、豆菓子のように、腰を据えて食べる料理ではないものが本来の守備範囲でした。今は煮込みや天ぷらが「つまみ」と呼ばれても、誰も気にしません。
「な」の正体にはほかの説もある

ここまで「酒菜」説を軸に見てきましたが、語源に確定はつきものではありません。「な」が何だったのかには、別の見方も伝わっています。
「な」は魚のことだとする説
「な」を魚と見て、「さかな」は「酒の魚」だったとする説があります。ただ、「な」が肉も野菜も含む副食物の総称だったことを踏まえると、魚だけを取り出す読み方は少し窮屈です。踊りや話題まで肴と呼んだ広がりも、この説ではうまく説明できません。
「なぐさむ」から来たとする説
酒の席をなぐさめ、楽しませるものという意味で、「なぐさむ」に結びつける説もあります。余興まで肴と呼んだ事実とは相性のよい説明です。それでも辞典や教科書会社の解説が軸に置くのは、「酒+な(副食物)」の説のほうでした。
魚が「さかな」の名を手に入れたのは、味がよかったからでも栄養があったからでもありません。酒の席に、いつもいたからです。名前は、そこにいた時間の長さで決まっていくのかもしれません。
この先、酒の席の主役がまた入れ替わることもあるでしょう。そのとき「さかな」が何を指すかを決めるのは辞書ではなく、その日その席で杯を傾けている人たちです。
参考
- コトバンク「肴」(精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典ほか)
- 教育出版「Q28 「魚(うお)」と「魚(さかな)」はどう読み分けるか」
- Weblio辞書「式三献」
- Weblio辞書「つまみ」(デジタル大辞泉ほか)
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