「ファーストペンギン」は、天敵が潜んでいるかもしれない海へ、群れの中で最初に飛び込む一羽のことです。そこから転じて、危険を引き受けて誰よりも先に動く人や企業を指す言葉として使われています。
ただ、南極の氷の縁で実際に起きていることを追うと、絵に描いたような光景ばかりではないと分かってきます。言葉の意味、由来になった行動、そして「最初に飛び込むと本当に得なのか」という問い。順にほどいていきましょう。
語られ方と、確かめられること

この言葉は、意味よりも由来の物語のほうが先に広まりました。そのぶん「よく語られる説明」と「観察や資料で確かめられる部分」が混ざりやすいのです。まずは両者を左右に並べて仕分けておきます。
| 項目 | よく語られる説明 | 確かめられるところ |
|---|---|---|
| 言葉の意味 | リスクを取って最初に動く人・企業 | ビジネス用語として定着。要は「一番手であること」に焦点がある |
| 由来の行動 | 天敵のいる海へ最初に飛び込む勇敢な一羽 | 群れが水際でためらい、一羽が入ると一斉に続く行動は広く記録されている |
| 勇敢な一羽 | 勇気ある個体が意を決して飛び込む | 報告に出てくるのは「飛び込む個体」と「押されて落ちる個体」の両方 |
| 突き落とし説 | 安全を確かめるため仲間を生贄にする | 混み合った縁での押し合いとして描かれ、意図までは確かめられていない |
| 英語での出どころ | 英語圏で古くから使われる成句 | はっきり跡をたどれるのは米国の大学で1998年に始まった賞の名前 |
| 日本での広まり | 昔からあるビジネス用語 | 2015年の連続テレビ小説「あさが来た」で一気に知られた |
「ファーストペンギン」という言葉が指すもの

ビジネスの場面で使われるときの意味は、はっきりしています。前例のない場所へ、最初に踏み出す役のことです。
ビジネス用語としての意味
前例のない場所に最初に入る役
誰も手をつけていない市場、実績のない技術、前例のないサービス。そうした場所へ最初に入っていく企業や人が、この言葉で呼ばれます。うまくいけば市場そのものを自分の形に作れる一方で、参考にできる先例がひとつもない状態で判断を重ねることになります。ルールがまだ整っていない分野なら、法律の解釈から自分で確かめて進むことにもなるでしょう。
使われ方はほぼ褒め言葉です。「彼はうちのファーストペンギンだ」と言えば、失敗の可能性を承知で先に動いた人への評価になります。
「パイオニア」との違いは、順番へのこだわり
似た言葉にパイオニア(開拓者)があります。こちらは新しい分野を切り拓いた人全般を指し、必ずしも一番乗りである必要がありません。対してファーストペンギンは、名前のとおり「最初の一羽」であることと、危険を承知で身を投げ出す身振りのほうに重心があります。
まわりに置かれた言葉たち
セカンドペンギン——無事を見届けてから続く二羽目
一羽目が飛び込んで無事だとわかってから続く個体を、セカンドペンギンと呼び分けることがあります。危険がないと確認できてから動けるぶん、失うものは小さくて済むわけです。ただし、そのころには一番おいしい場所を一羽目が押さえているかもしれません。
経営の言葉に翻訳すると「先行者利益」と「ファストフォロワー」
同じ構図を経営の用語で言い換えたのが、先行者利益とファストフォロワー戦略です。前者は最初に入った者が受け取る取り分、後者は先行企業の成否を見てから素早く追いかける立ち回りを指します。どちらが有利かという問いには、あとで実際のデータをあてます。
※ 先行者利益(せんこうしゃりえき)とは、新しい市場や商品にいち早く参入した企業が得られる有利さのことです。顧客を先に囲い込める、価格競争に巻き込まれにくい、といった利点が挙げられます。
由来になった行動——氷の縁で起きていること

言葉のもとになっているのは、南極などで見られるペンギンの入水前の様子です。海へ向かって歩いてきた群れが、水際で止まってしまう光景がよく知られています。
すぐに飛び込まない理由
水面から下は、まったく見えない
ペンギンにとって海は食料庫であると同時に、天敵の待ち伏せ場所でもあります。ヒョウアザラシやシャチ、オットセイの仲間が氷の縁の近くで待ち構えていることも珍しくありません。氷の上に立っている側からは、その姿は見えません。
危険があるかどうかは、入ってみるまで分からない。この「確かめようがなさ」こそが、群れを足踏みさせている正体です。
緊張は体にも出る
南極で長く撮影を続けてきた写真家ポール・ニックレン氏は、ロス海での観察をこう記しています。群れは水際の手前でいったん立ち止まり、入水を前にして心拍数が毎分200を超えていく、と。氷の上でじっとしているように見えても、体のほうはすでに走り出す寸前まで来ているわけです。
一羽が入ると、あとは早い
無事だと分かった瞬間の連鎖
先に入った個体が襲われずに泳いでいれば、そこは「今のところ安全」だという情報になります。すると後続が次々に飛び込みはじめる。他人の行動を手がかりに自分の行動を決めていく連鎖は、経済学で情報カスケードと呼ばれる型によく似ています。
※ 情報カスケードとは、自分では判断材料を持たない人が先に動いた人の行動を手がかりに同じ選択をし、それが次々に連鎖していく現象を指す言葉です。
一斉に入るほうが、一羽あたりは安全
まとまって飛び込むことには、それ自体に意味があるとされています。捕食者は次々に落ちてくる相手を一度には捕らえられません。数が多いほど自分が狙われる確率は下がる。この考え方は希釈効果と呼ばれ、群れをつくる動物の身の守り方として広く説明されてきました。
ためらいの長さと、飛び込みの速さ。この落差は、群れが臆病だから生まれるのではありません。むしろ、いつ入るかを揃えるための待ち時間だと考えると筋が通ります。
最初の一羽は、本当に勇敢なのか

ここが、この言葉のいちばん微妙な部分です。観察の記録を読むと、一羽目の飛び込みは必ずしも決断の結果として描かれていません。
記録に出てくるのは、二通りの一羽目
飛び込む一羽と、押される一羽
米国の自然保護団体オーデュボン協会の記事は、アデリーペンギンの群れの様子をこう説明しています。狩りに向かう一団は氷の縁に密集し、勇敢な一羽が飛び込むか押されて落ちるのを待つ——と。勇者の登場と、事故のような落下。どちらも同じ一行の中に並んで書かれています。
実際、縁に何十羽も詰めかけて体を押しつけ合えば、先頭の個体が自分の意思とは関係なく落ちることは十分に起こり得るでしょう。
「生贄にする」という説明は、どこまで確かか
この押し合いから、「仲間を安全確認の生贄として突き落とす」という話がよく語られます。ただ、記録に残っているのは押し合いの結果として個体が落ちるという事実までで、そこに「試すため」という意図があったかどうかまでは確かめようがありません。残酷な作戦なのか、ただの混雑なのか。外から見分ける手立てが、いまのところないのです。
誰も動かないと、全員が飢える
待つほうが得だから、みんな待つ
一羽ずつの立場で考えると、待つ判断は理にかなっています。誰かが先に入ってくれれば、危険の有無をただで知ることができるからです。けれど全員がそう考えれば、群れはいつまでも氷の上に立ったままになります。この形はゲーム理論でボランティアのジレンマと呼ばれてきました。
※ ボランティアのジレンマとは、誰か一人が小さな犠牲を払えば全員が得をするのに、その役を引き受けたくないばかりに全員が他人の犠牲を待ってしまう状況を表すモデルです。見張り役に立つミーアキャットが例として挙げられます。
それでも、群れは最後には海に入る
足踏みが永遠に続かないのは、陸の上に食べ物がないからです。ペンギンの餌は魚やオキアミで、いずれも海の中にしかありません。待つほど空腹は深くなり、待たされた時間そのものが背中を押していきます。勇気の問題である前に、締め切りの問題でもあるわけです。
言葉の出どころ——賞の名前と、朝ドラ

では、この比喩を最初に言葉として広めたのは誰なのでしょうか。英語圏と日本とで、たどれる道筋が違います。
英語圏——失敗に贈られた「ファーストペンギン賞」
大きく賭けて失敗したチームに、ぬいぐるみを
米カーネギーメロン大学のランディ・パウシュ教授は、1998年に始めた「Building Virtual Worlds」という授業で、学期末にぬいぐるみのペンギンを贈っていました。受け取るのは、新しい技術やアイデアに最も大胆に賭けて、そして目標に届かなかったチームです。名前は「First Penguin Award」。栄光ある失敗を称える賞でした。
もとの名前は「最優秀失敗賞」だった
この賞、当初は「Best Failure Award(最優秀失敗賞)」と呼ばれていたと本人が明かしています。さすがに響きが悪すぎたため名前を変えたところ、受賞者は「負けた人」ではなく「見どころのある人」として見られるようになった、と。パウシュ氏が末期がんの告知を受けたのちに行った講義をまとめた著書『最後の授業』にも、「Be the First Penguin」と題した章が置かれています。
日本——テレビが運んできた言葉
2015年「あさが来た」の五代友厚
日本でこの言葉が一般に知られたきっかけは、2015年度のNHK連続テレビ小説「あさが来た」です。ディーン・フジオカ氏が演じた五代友厚(ごだいともあつ)が、慣れない事業に挑む主人公あさを「ファーストペンギン」と呼びました。そこから言葉だけが番組を離れ、ひとり歩きを始めます。
2022年には、タイトルそのものに
2022年には、日本テレビ系で「ファーストペンギン!」というドラマが放送されました。主人公のモデルは、山口県萩市で漁師をまとめて萩大島船団丸(はぎおおしませんだんまる)を立ち上げ、朝どれの魚を箱で直送する事業を軌道に乗せた坪内知佳(つぼうちちか)氏です。比喩の借り物だった言葉が、番組名として通用するところまで来ていた、ということになります。
最初に飛び込むと、得なのか

一番乗りは有利だ、というのが素朴な感覚です。ところが市場のデータを長期で追った研究は、そこに強い留保をつけています。
パイオニアは、思ったほど勝っていない
ほぼ半数が、市場から消えていた
マーケティング研究者のゴールダー氏とテリス氏は1993年、50の商品カテゴリー・約500ブランドの歴史をさかのぼる調査を発表しました。論文の題は「先行者優位——マーケティングの論理か、それとも伝説か」。結果は後者に厳しいものでした。市場を最初に開いた企業のうち、およそ半数(47%)がその市場から姿を消していたのです。
過去の研究が先行者に有利な数字を出しやすかったのは、生き残った企業だけを調べていたためだ、とも指摘されています。消えた側は、そもそも調査票に答えられません。
13年遅れて入った企業のほうが伸びた
同じ調査では、長期にわたって市場を率いた企業がその市場を開いた当事者ではなく、パイオニアから平均して13年ほど遅れて入ってきていたことも示されました。海が安全だと分かってから泳ぎだした側が、結果として最も多くの魚を得ていた計算になります。
それでも、一羽目がいないと始まらない
二番手が使う「安全な水面」は、誰かが作ったもの
数字の上で分が悪いからといって、一羽目が要らないわけではありません。セカンドペンギンが泳ぐ水面は、一羽目が身をもって「今日は大丈夫らしい」と示した水面です。誰も入らなければ、二番手の有利さも生まれません。
称えられるのは、結果ではなく役回り
パウシュ教授の賞が失敗したチームに贈られていたのは、この点を突いています。評価されているのは成功の有無ではなく、確かめようのないものを確かめに行った役回りのほうです。言葉が褒め言葉として残ったのも、そこに理由がありそうです。
もう一歩——この言葉をめぐる小話

英語でも通じるが、濃さは日本のほうが上
英語圏にも first penguin という言い方はあり、上の賞のように使われてきました。ただ、日常のビジネス会話に何度も顔を出す決まり文句かというと、日本での使われ方のほうが濃いように見えます。海外の相手に持ち出すときは、由来の一言を添えたほうが話が早いかもしれません。
水族館のプールでも、縁を歩き回る
ためらう姿は水族館でも見られます。天敵のいないプールなのに、飛び込む前にしばらく縁を行ったり来たりする個体は珍しくありません。あの逡巡(しゅんじゅん)に南極の氷の縁で積み上がってきた時間が入っているのだと思うと、見え方が少し変わってきます。
一番乗りの称号は、岸の上にしか残らない
ちなみに、いちばん先に飛び込んだ一羽が、そのあと群れを率いるわけではありません。海に入ってしまえば序列も何もなく、みな同じように魚を追いはじめます。称号が残るのは、岸の上で見ていた側の記憶の中だけです。
勇敢だったのか、単に押されただけだったのか。飛び込んだ本人にも、その区別はついていないかもしれません。それでも、後ろで息を詰めていた群れにとっては同じことです。水面が割れて、何も起こらなかった。たったそれだけの事実が、次の一羽を動かします。
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