夏の夜、台所の窓ガラスにおなかを見せて張りつく小さな影。田んぼの水路の底で、じっと動かない黒い背中。名前はよく似ていますが、窓の影がヤモリで、水の中にいるのがイモリです。イモリはカエルと同じ両生類、ヤモリはトカゲと同じ爬虫類。一字違いの名前とは裏腹に、生きものとしてはかなり遠い間柄です。
イモリは両生類、ヤモリは爬虫類

見た目は四本足に長い尾で、ほとんど同じ形。それでも分類のうえでは、魚から陸へ上がった最初のグループ(両生類)と、乾いた陸に適応したグループ(爬虫類)に分かれます。
カエルの仲間とトカゲの仲間
イモリは両生類の有尾目(ゆうびもく)イモリ科に属し、サンショウウオやカエルの親戚にあたります。日本で単に「イモリ」と言えば、ふつうは本州・四国・九州にすむ日本固有のアカハライモリのこと。一方のヤモリは爬虫類の有鱗目(ゆうりんもく)ヤモリ科で、トカゲやヘビの仲間です。家のまわりで見かけるのは、たいていニホンヤモリでしょう。
しっとりした肌と、うろこの肌
両生類の皮膚にはうろこが無く、いつも湿っています。水を通しやすいぶん、乾いた場所に長くいると体の水分を失ってしまいます。爬虫類の体は細かなうろこに覆われていて、乾燥に強いのが持ち味。ヤモリが日の当たる家の壁でも平気なのに、イモリが水辺や湿った落ち葉の下を離れないのは、この肌の違いによるものです。
水の中で育つか、生まれた時から親の形か
イモリの卵は、水草に1粒ずつ産みつけられます。かえった幼生は水中で暮らし、その年のうちに変態して陸へ。陸で数年を過ごし、3歳ごろに大人になると、今度は水の中に留まるようになると考えられています。
ニホンヤモリの産卵は年に1〜2回。1回に2個ずつ、壁などにくっつけて産みます。殻のある卵から出てくるのは、小さいながら親と同じ姿の子どもです。水の中を通らずに一生を陸で終えられること自体が、爬虫類らしさと言えます。
見分けるにはどこを見る?

手がかりは、おなかの色・指先の形・いる場所の三つです。体の仕組みの違いと、目で見て分かる違いを一つの表に並べました。
| 項目 | イモリ(アカハライモリ) | ヤモリ(ニホンヤモリ) |
|---|---|---|
| 仲間 | 両生類(カエル・サンショウウオ) | 爬虫類(トカゲ・ヘビ) |
| 肌 | うろこが無く湿っている | 細かなうろこで乾いている |
| 卵と育ち方 | 水草に1粒ずつ・幼生は水中 | 壁などに2個ずつ・親と同じ形で生まれる |
| おなか | 赤に黒いまだら | 赤くない |
| 指先 | 細い指 | 先が平たく広がる |
| よくいる場所 | 田んぼ・池・溝などの水辺 | 家の壁・窓・灯りのまわり |
上の三行は図鑑の分類の話で、下の三行が庭先で役に立つ違いです。見かけたその場で確かめるなら、下の三行だけで足ります。
赤いおなかはイモリの目印
アカハライモリの背中は黒っぽい茶色ですが、おなかは赤い地に黒い斑紋が散っています。「赤腹」の名はこの色から来ました。全長は7〜14cmほど。毒を持つ生きものには目立つ色をしたものが多く、この赤も「食べるとまずい」と知らせる警告の色だと考えられています。
指先が丸く広がっていればヤモリ
ニホンヤモリは全長10〜12cmで、そのうち約半分が尾です。指の先はへらのように平たく広がり、裏側にはひだ状の板が十数列並んでいます。窓ガラスの外側から見上げると、この指先がよく見えます。
まばたきをせず、舌で目をなめるヤモリ
ヤモリの仲間は、まぶたが動きません。下まぶたが変化した透明なうろこが目を覆っていて、汚れたときは長い舌でその表面をぬぐいます。目をぺろりとなめる仕草が見えたら、それはヤモリです。ただしトカゲモドキと呼ばれる一部のグループは、例外的にまぶたを閉じることができます。
「井守」と「家守」は何を守る?

イモリは井戸を、ヤモリは家を守るもの、というのが名前の由来としてよく知られる説です。ただしヤモリの漢字「守宮」には、中国から伝わった少し物騒な由来話がついています。
井戸や水場にいるからイモリ
イモリは「井守」の意味だといわれています。昔の暮らしで水を得る場所だった井戸や水場に、いつもいる生きもの。そう考えると覚えやすい名前です。ただ、辞典も「といわれる」と書くにとどめており、確かな語源とまでは言えません。
人家に住みつくからヤモリ
ヤモリは「家守」。夜になると灯りに寄ってくる虫やクモを食べ、家の壁や軒下をすみかにします。家の守り神として親しまれてきたのも、人の暮らしのすぐそばにいる生きものだからでしょう。
漢字の「守宮」は後宮を見張る話から
ヤモリを「守宮」と書くのは中国から来た表記です。江戸時代の『大和本草(やまとほんぞう)』は、これを「宮中を守る」意味だと説明しています。中国の陶弘景(とうこうけい)の説として伝わるのは、丹砂(たんさ)という赤い鉱物で育てたヤモリを粉にして女性の腕に塗る話。赤い印は消えずに残るものの、男性と交わると消えるとされました。後宮の女性を見張る術になったので「守宮」と呼んだ、というわけです。
一方、平安時代の辞書『和名抄(わみょうしょう)』が引く唐の蘇敬(そけい)の説はずっと穏やかで、「いつも家の壁にいるから守宮」としています。同じ二文字に、見張りの術と暮らしぶりという二つの説明が並んでいるわけです。
昔はトカゲ・ヤモリ・イモリの名が入れ替わっていた

今では当たり前の三つの呼び分けは、実は江戸時代の少し前に固まったものです。それまでは文献ごとに名前と生きものの組み合わせがばらばらでした。
平安時代の「トカゲ」はヤモリのことだった?
『和名抄』は「守宮」の和名を「止加介(とかげ)」としています。東北大学のグループは古文書を調べ直し、平安時代ごろには「トカゲ」という言葉が今のヤモリを指していた可能性があると報告しました。「ヤモリ」という名前が文献に初めて現れるのは、1603年に長崎で出た『日葡辞書(にっぽじしょ)』です。
草むら・壁・水場で呼び分けていた
表記は混ざっていても、昔の人が三者を見分けていなかったわけではありません。草地にいるのが今のトカゲ、建物の壁にいるのが今のヤモリ、水場にいるのが今のイモリ。すむ場所による区別はあったようです。名前が今の形にそろうのは、1603年以降のことでした。
「イモリの黒焼き」は取り違えから生まれた?
イモリを黒焼きにして想う相手に振りかけると心が通じる、という惚れ薬の俗信は広く知られています。辞典によると、これは先ほどの中国の「守宮」の話と混同されて生まれたという説があります。名前も姿も似ているうえ、イモリの赤いおなかが丹砂の朱色を連想させたのかもしれません。
イモリの毒はどこから来る?

アカハライモリはフグと同じ毒を体に持っています。その毒を自分で作っているのか、外から取り込んでいるのかは長く分かっていませんでしたが、2026年に一つの答えが出ました。
フグと同じテトロドトキシン
環境省のレッドデータブックは、アカハライモリを「強い神経毒をもつ」と書いています。毒の正体はフグ毒として知られるテトロドトキシンです。ヤモリには、こうした毒はありません。見た目がそっくりな二匹の、大きな違いの一つです。
※ テトロドトキシンとは、フグの肝臓や卵巣などに含まれることで知られる毒のことです。神経の信号を止める働きがあり、ごく少量でも人の命に関わります。
毒のもとは土の中の小さなダニ
2026年5月、法政大学・北里大学などの研究グループが、イモリの毒の出どころを突き止めたと発表しました。野外のイモリの胃からはダニが多く見つかり、すみかの土にいるササラダニの仲間2種からテトロドトキシンが検出されています。このダニを33日間与えたイモリでは、尾に含まれる毒の量が増えました。
卵や水中の幼生にはほとんど毒が無く、陸で暮らす時期に入ってから大きく増えることも分かっています。陸の落ち葉の下でダニを食べる数年間が、イモリが毒を蓄える期間だったことになります。
触ったあとは手を洗う
フグと同じく、口に入れば危ない毒です。子どもが捕まえたときは、遊び終えたらすぐ手を洗い、その手で目や口に触れないようにしておくと安心です。それでも天敵がいないわけではなく、鳥やウシガエル、マムシがイモリを食べることが知られています。
目のレンズを18回作り直したイモリ

イモリは、失った体の一部を作り直す力が並外れて強い生きものです。ヤモリの尾も生え変わりますが、その使い方はまるで違います。
16年間で18回、レンズを再生
1994年に捕まえたアカハライモリの目から水晶体(レンズ)を取り除き、再生させる実験が16年間で18回繰り返されました。2011年7月に科学誌『Nature Communications』に載った結果では、17回目と18回目に再生したレンズも、形や遺伝子の働きが比べた個体のものと変わりませんでした。年を重ねても、作り直す力は衰えなかったのです。
手足も骨ごと元どおりに
イモリは切れた手足も、骨や筋肉を含めて作り直します。人の再生医療につながる手がかりとして、筑波大学などで仕組みの研究が続いています。一度きりではなく、失うたびに何度でも作り直せるのがイモリの強みです。
ヤモリの尾は切って逃げるためのもの
ヤモリの尾は自分から切り離しやすく、これを自切(じせつ)と呼びます。敵に尾をつかまれたら、尾を置いて逃げるわけです。尾は後から生えてくるので、野外では再生した尾を持つ個体が多く見られます。イモリは失った部分を作り直し、ヤモリは差し出して身を守る。同じ「生え変わり」でも、役目は正反対です。
ヤモリはなぜガラスを登れる?

ヤモリが窓ガラスや天井を歩けるのは、指の裏にある無数の細い毛が、分子どうしの引き合う力で壁にくっつくからです。昔は吸盤のしくみだと説明されていました。
指の裏に並ぶ板と細い毛
ヤモリの指の裏には、指下板(しかばん)というひだ状の板が並んでいます。板の表面にはごく細い毛がびっしり生え、その先はさらに枝分かれしています。いちばん先端は「スパチュラ」と呼ばれる、へらのような形です。
吸盤ではなく、分子どうしの引力
日本の辞典の中には、この先端を「吸盤」と説明するものもあります。決着をつけたのは、2002年にアメリカの研究チームが発表した実験でした。水をはじく面と水になじむ面のどちらでも、毛のくっつき方はほとんど変わらなかったのです。水の膜や吸いつきではなく、ファンデルワールス力で貼りついていると結論づけられました。
※ ファンデルワールス力とは、物と物がごく近づいたときに分子どうしの間にはたらく弱い引き合う力のことです。一本ずつは弱くても、数が集まると体を支えるほどの力になります。
フッ素樹脂の面には貼りつけない
同じ実験では、フライパンのコーティングにも使われるフッ素樹脂(テフロン)の板にヤモリを乗せています。結果は、貼りつけませんでした。何にでもくっつくように見える指にも、苦手な面はあったわけです。この仕組みをまねた接着テープの開発も進んでいます。
ヤモリは約3000年前に海を渡ってきた

家の守り神とされてきたニホンヤモリは、もとは日本にいなかった生きものだと考えられています。中国東部にも同じ種がいることから、以前から外来種ではないかと疑われていました。
中国から九州へ、そして人と一緒に東へ
東北大学のグループは、各地のヤモリの遺伝子を広く調べ、古文書の記録と突き合わせました。2022年11月に発表された推定では、ニホンヤモリは約3000年前に中国から九州へ渡ってきたとされます。その後は人の移動や荷物の行き来に便乗し、少しずつ東へ広がりました。
関東に着いたのは江戸時代の終わりごろ
近畿に落ち着いたのは平安時代の終わりまで。そこから一部が東海道を東へ進み、関東に届いたのは江戸時代後期から明治の初めと推定されています。別の系統は戦国時代に北陸へ移り、江戸時代には北前船の港町だった山形県の酒田へ渡りました。
1697年の本にも「関東にはいない」
遺伝子からの推定は、古い記録とも合っていました。1697年の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』には、ヤモリは西日本にはいるが関東では見られない、という記述があります。長く人と暮らしてきた古い外来種を、外来というだけで守る価値が低いとみなすのは適切ではない。研究グループはそうも述べています。
身近なイモリはなぜ減っている?

ヤモリが人の暮らしに乗って分布を広げてきたのに対し、アカハライモリは人の暮らしの変化で数を減らしています。原因は、すみかの水辺が変わったことと、大量の採集です。
環境省のレッドリストで準絶滅危惧
2026年3月に出た環境省の第5次レッドデータブックで、アカハライモリは準絶滅危惧と判定されました。前の版から続けての掲載です。都道府県のリストでは、東京都の区部や埼玉県のように、最も重い絶滅危惧ⅠA類に入れている地域もあります。
※ 準絶滅危惧とは、今すぐ絶滅するおそれは高くないものの、すむ環境の変化しだいで絶滅危惧に移る可能性がある種のことです。
乾いた田んぼとコンクリートの水路
平野では、田んぼの整備で水はけのよい乾田が増え、用水路もコンクリートに変わりました。福岡県の平野部などでは、地域ごとイモリが姿を消した例もあります。山あいでは逆に、耕されなくなった田んぼが陸地になって乾き、そこでも数が減りました。
ペット用に100匹単位で売られる
レッドデータブックは、野外で捕まえた個体がインターネットなどで100匹単位で安く売られている例が多いことも、減少の理由に挙げています。かつては実験用にも大量に捕獲されていました。身近だった生きものほど、減っていることに気づかれにくいものです。
家を守る名のヤモリは、人の家と荷物に乗って三千年かけて日本を東へ広がりました。井戸を守る名のイモリは、人の水辺の使い方が変わって、その水辺から姿を消しつつあります。同じ「守」の字を名に持ちながら、二匹の行く先を分けたのは、人の暮らしとの距離の取り方でした。

