夜中に台所の明かりをつけた瞬間、長い脚の虫が壁をさっと横切っていく。あれがゲジ、昔からの呼び名でいうゲジゲジです。正体はムカデの親戚で、家の中ではゴキブリなどを捕まえて食べるため、百科事典にも「益虫」と書かれています。人を咬むことはまずなく、「頭をなめられるとハゲる」という言い伝えも迷信です。
ゲジゲジはムカデに近い別の仲間

ムカデ綱の中のゲジ目というグループ
ゲジは節足動物のうち、ムカデと同じムカデ綱(唇脚綱)に入ります。そのなかで「ゲジ目」という独立したグループを作っており、世界に約130種、日本には2種しかいません。名古屋市の解説によると、日本のムカデ綱はゲジ目・イシムカデ目・オオムカデ目・ジムカデ目の4つに分かれ、あわせて約150種が知られています。
日本にいるのはゲジとオオゲジ
家でよく見かけるのは、体長2.5〜3cmほどのゲジ(学名 Thereuonema tuberculata)です。くすんだ黄緑色の背中に、暗い色の縦筋が3本走っています。北海道から南西諸島まで分布しますが、北海道では北へ行くほど少なくなります。
もう1種のオオゲジは体長4cm前後とひと回り大きく、背中が黒っぽいのが目印です。こちらは関東より南の暖かい地域に多く、もともと熱帯に仲間が多い種類とされています。
見分ける決め手は体の形と脚の長さ
ムカデの体は平たく、短い脚が体の横にずらりと並ぶ形。ゲジの体は棒のように丸みがあり、脚が体よりずっと長く伸びているので、全体がふわっと大きく見えます。東京都の資料も、ムカデとゲジは見た目が似ていても別の動物で、注意が必要なのは人を咬む大型のムカデのほうだと区別しています。
なぜ益虫と呼ばれるのか?

家の中で食べるのはゴキブリや小さな虫
ゲジは肉食で、食べものは自分より小さな虫です。日本大百科全書は、屋内ではゴキブリやナンキンムシ(トコジラミ)を食べる益虫だと説明しています。名古屋市の解説が挙げるのはカとゴキブリ。米国ペンシルベニア州立大学の解説では、シミ・カツオブシムシの幼虫・クモなども獲物に入っています。
狩りのときは長い脚を何本も使って獲物を押さえます。そこへ毒のある顎をかけて仕留める、という手順です。
昼は隠れて夜に動く
昼は湿った薄暗い場所に身をひそめ、夜になると出てきて獲物を探します。人が寝静まった時間に台所や浴室で出くわしやすいのは、この暮らし方のせいです。ゴキブリも夜に動く虫なので、ちょうど同じ時間帯に同じ場所を歩き回っていることになります。
よく見かけるのは餌がいるという合図
ペンシルベニア州立大学の解説は、家の中でゲジがたくさん見つかるなら、その餌になる虫が別に住みついているしるしだと指摘しています。ゲジだけを追い出しても、もとの虫が残っていれば話は終わりません。益虫と呼ばれる一方で、家の虫の多さを知らせる「見張り役」でもあるわけです。
人に害はある?

毒の顎はあっても人には向けない
ゲジの口には、毒腺につながる顎肢(がくし)が1対あります。ただ、これは小さな虫を仕留めるための道具です。名古屋市の解説は「ゲジはムカデと違い咬むことがない」としていて、ペンシルベニア州立大学も人には無害(harmless)と書いています。
※ 顎肢(がくし)とは、ムカデの仲間の頭のすぐ後ろにある、脚が変化してできた牙のような器官のことです。先端に毒腺の出口があります。
嫌われる理由は、害よりも見た目と動きにあります。長い脚を波打たせて壁や天井を走る姿が、多くの人にとって不気味に映るのです。
「頭をなめられるとハゲる」は迷信
ゲジゲジに頭をなめられると髪が抜ける、という言い伝えがあります。世界大百科事典は「迷信」、日本大百科全書は「事実ではない」と書き、名古屋市も根拠のない誤りとしています。
この話、じつはかなり古くからあるものです。幕末から明治にかけて活躍した博物学者、伊藤圭介の『錦窠蟲譜(きんかちゅうふ)』にも「世俗に云ふ、此の虫になめらるれば毛髪脱す」と書き留められていました。150年以上前にはすでに広まっていた俗説です。
脚は30本、生まれたときは8本

脱皮のたびに脚が増える
大人のゲジの脚は15対、合わせて30本です。ところが卵からかえったばかりの幼虫には4対しかありません。脱皮をするたびに体の節が増え、脚は4対から5対へ、そのあとは2対ずつ増えて13対に達します。最後の脱皮で15対がそろう仕組みです。
脱皮のたびに体節を足していくこの育ち方は、増節変態(ぞうせつへんたい)と呼ばれるもの。いちばん後ろの1対は特に長く、ペンシルベニア州立大学の解説では、欧米の仲間のメスで体長の2倍近くに達するとされています。
大人になるまで2〜3年、寿命は5〜6年
成体になるまでの年数は、事典によって少しずつ違います。日本大百科全書と名古屋市は約2年、世界大百科事典は「ほぼ3年目」、ブリタニカ国際大百科事典は「普通3年」です。寿命はブリタニカと名古屋市がそろって5〜6年としています。
体長3cmほどの虫としてはかなり長生きです。冬は幼虫か成虫のまま越し、野外では洞穴の中に集まって冬を越すこともあると日本大百科全書は書いています。
卵は1個ずつ泥で包んでおく
産卵は夏から秋にかけて行われます(日本大百科全書は6〜11月ごろ、ブリタニカは7月上旬〜11月上旬)。メスは卵を1個ずつ泥でくるみ、地面の割れ目などに置いていきます。卵はおよそ3週間でかえり、親が世話をすることはありません。
脚を自分で切って逃げる

切れる場所は決まっている
ゲジは敵につかまれると、その脚を自分で切り離して逃げます。トカゲのしっぽ切りと同じ「自切(じせつ)」です。つまんだら脚だけが残って本体がいなくなった、という経験がある人もいるかもしれません。
2024年に学術誌 Frontiers in Zoology に載った研究は、欧米に住む仲間のイエゲジ(Scutigera coleoptrata)を調べています。それによると、脚は付け根に近い決まった関節で切れ、内側の3層の膜がすぐに傷口をふさぎます。体液をほとんど失わずにすむ仕組みです。
次の脱皮で丸ごと生え戻る
同じ研究では、失った脚がたった1回の脱皮で元どおりの形に生え戻ることが確かめられました。研究者はこれを「爆発的な再生」と呼んでいます。
ただし間に合うのは、脱皮の少し前までに失った場合だけです。その境目は幼虫で脱皮の約2日前、成体で約7日前でした。それより早い時期に失うと、生え戻りはずっとゆっくりになります。
目は昆虫に似ているが別もの

ムカデの仲間では珍しい大きな目
多くのムカデは小さな単眼しか持たないか、ジムカデの仲間のように目そのものがありません。ところがゲジの頭の両わきには、トンボの目のように細かい粒が集まった大きな目がついています。日本大百科全書の表現では「昆虫に似た大きな複眼」。
「偽複眼」と呼ばれるのはなぜ?
世界大百科事典は同じ目を「偽複眼」と呼び、マイペディアは「複眼に似た眼」としています。同じ目なのに名前が割れているのは、つくりの由来に理由があります。
2000年代はじめに研究者たちが電子顕微鏡で調べたところ、ゲジの目は昆虫の複眼から受け継いだものではありませんでした。ムカデの仲間がもともと持っている単眼が寄り集まり、あとから複眼のような形に組み直されたと考えられています。見た目は複眼でも、生い立ちが違うので「偽」が付くのです。
名前は陰陽道の「下食」から来た?

「ゲジゲジ」のほうが古い名前
図鑑の正式な名前は「ゲジ」ですが、世界大百科事典によると、ゲジゲジは古い呼び名がそのまま俗称として残ったものです。伊藤圭介の『錦窠蟲譜』でも見出しは「ゲジゲジ」で、漢字の「蚰蜒」や「多脚虫」が別名として添えられていました。
天狗星が下界へ降りて食事をする日
名前の由来として世界大百科事典が挙げるのは、陰陽道の「下食(げじき)」です。天狗星の精が下界に降りて食事をすることを指す言葉で、暦の上ではこの日を「下食日」として避けごとをしました。その不吉な響きと、ゲジの怪しげな姿が結びついたのではないか、という説明です。
事典の書き方は「と思われる」で、確定した語源ではありません。それでも「げじき」と「ゲジ」の音の近さは、偶然とは言い切れない重なりです。
家で見つけたらどうする?

そっと外へ出すのがいちばん手軽
害がないと分かっていても、家の中を走られるのは落ち着かないもの。動きが速いので、コップをかぶせて下に厚紙を差し込み、そのまま外へ逃がすのが手軽です。つまむと脚を切って逃げてしまうので、手でつかむのは避けたほうが無難でしょう。
湿気と隙間を減らすと寄りつきにくい
ペンシルベニア州立大学の解説が勧めるのは、餌・隠れ場所・湿気の3つを減らすことです。挙がっているのは、壁や床の隙間をふさぐこと・排水口に網をかけること・除湿機で湿気を下げることなど。段ボールも隠れ場所になりやすいので、床に積みっぱなしにしないのが効きます。餌になる虫が減れば、ゲジも自然と姿を見せなくなります。
見た目で損をしているゲジゲジですが、夜の台所でしていることはゴキブリ退治です。暦の上の不吉な日から名前をもらった虫は、実際には家の中の虫を減らしてくれる、なかなか縁起のいい同居人なのかもしれません。
参考
- コトバンク「ゲジ」(世界大百科事典・日本大百科全書ほか)
- 名古屋市「ムカデ・ゲジ」
- Penn State Extension「House Centipedes」
- Barutia & Sombke「Explosive regeneration and anamorphic development of legs in the house centipede Scutigera coleoptrata」Frontiers in Zoology(2024)
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