虹が7色とされるのは、17世紀のニュートンが光の帯を音楽の7つの音になぞらえて区切ったからです。虹の色は切れ目なく移り変わるので、いくつに数えるかは人が決めています。アメリカでは1940年代から藍を外した6色が教科書に広まり、アフリカ南部のショナ語のように、基本の色の名前3つで虹を分ける言語もあります。
虹の色に境目はない

光の帯はなめらかにつながっている
虹は、太陽の光が雨粒の中で折れ曲がり、波長ごとに分かれて並んだものです。波長は赤から紫まで少しずつ短くなっていくだけで、途中に段差はありません。赤と橙のあいだのどこに線を引くかは、自然の側では決まっていないのです。
※ スペクトルとは、光をプリズムなどで波長ごとに分けたときに現れる色の帯のことです。虹は、空にできた自然のスペクトルといえます。
プリズムで分けても7つには割れない
キヤノンの子ども向け科学サイトは、プリズムで太陽の光を分けても色は7つにくっきり分かれず、境目のあいまいな帯になると説明しています。見方によっては青緑や黄緑も見えるので、数えようと思えば7色より多くなります。ニュートン自身も、色が本当は無数にあることを知っていたそうです。
空の虹は3〜4色に見えることが多い
実際の空の虹はもっと淡いものです。色彩学者の金子隆芳は『色彩の科学』(1988年)で、虹は大ざっぱに言えば赤・黄・青の3色で、緑を足してもせいぜい4色だと書いています。虹を図案にするときも7色を使うことはまれだといいます。7色は目で数えた数ではなく、覚えた知識の数なのかもしれません。
ニュートンはなぜ7色にした?

最初に挙げたのは5色だった
ニュートン(1643〜1727年)以前のヨーロッパでは、虹は3色か5色と考えられていました。ニュートンもはじめは光の帯を赤・黄・緑・青・紫の5色に分けています。今の7色と比べると2色足りません。
あとから橙と藍を足した
そのあとニュートンは、赤と黄のあいだに橙(だいだい)を、青と紫のあいだに藍(あい)を加えました。こうしてできたのが「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の並びです。1704年に出した著書『光学(オプティクス)』には、この7色で光の帯を分ける実験がくわしく書かれています。
色の幅を弦の長さの比で測った
『光学』でニュートンは、色の帯の区切りが「音楽の弦」を分ける比と同じになると述べています。1・8/9・5/6・3/4・2/3・3/5・9/16・1/2という音階の弦の長さの比を並べ、そのすき間を7つの色の幅に当てはめました。ドレミの7音と虹の7色を、一つの調和の中に置こうとしたのです。
キヤノンのサイトによると、音階のミとファ・シとドのあいだは半音で、ほかより狭くなっています。橙と藍の帯が狭いというニュートンの観察と、ここがちょうど重なると考えられました。
境目を引いたのはニュートンではなかった

目のいい助手に線を引かせた
『光学』を読むと、色と色の境目に線を引いたのはニュートン本人ではありません。紙に映した光の帯に、「色を見分ける目が自分より確かな助手」が線を引いたと書かれています。何度くり返しても結果はよく合ったといいますが、7つに分けるという前提は最初から決まっていました。
当時は音楽も学問の一つだった
光と音を結びつける発想は、今から見ると少し不思議に感じます。けれども当時のヨーロッパでは音楽も学問の一つとされ、自然の現象を音楽と結びつけることが大切にされていました。キヤノンのサイトは、それが当時は「かっこよく感じられた」のだろうと推測しています。
日本はいつから7色になった?

鎌倉時代の記録には「五色の虹」
一橋大学附属図書館の資料紹介によると、江戸時代の終わりごろまで、日本の文献で虹の色を「七」と書いたものは見つかっていません。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』には1218年の「五色虹」が出てきますが、色は上から黄・赤・青・紅梅・赤。赤系の色が2回出てくる、今とはまるで違う並びです。
蘭学の本がプリズムの七色を伝えた
西洋の物理学を日本ではじめてまとめて紹介した本に、蘭学者の青地林宗(あおちりんそう)が訳した『気海観瀾(きかいかんらん)』(1827年序)があります。その「色」の項には、プリズムに日光を通すと七色が映ると書かれています。ただし色の内訳は赤・深黄・淡黄・緑・石青・紫・紺で、黄色が2つ入っていて橙と藍はありません。
「赤橙黄緑青藍紫」は学校で覚えた形
今の「赤橙黄緑青藍紫」は、西洋の科学が入ってきたあと、学校の理科で覚えるものとして広まった並びです。一橋大学の資料も、多くの人は自分の目で7色を見たのではなく、学校で暗記して知っているだけではないかと問いかけています。日本の7色は、意外に新しい常識なのです。
アメリカはなぜ6色になった?

1940年までは教科書も7色だった
欧米の人に聞くと虹は6色以下と答えることが多く、日本との文化の違いとして語られてきました。ところが科学教育史家の板倉聖宣(いたくらきよのぶ)によると、アメリカの小中学校の理科の教科書は、1940年まではどれも「虹は七色」と書いていたそうです。
1941年の理科の本がきっかけ
流れを変えたのは、シカゴ大学の実験学校の教師バーサ・モリス・パーカーが1941年に書いた『Clouds, rain, and snow(雲と雨と雪)』です。虹を7色とみるのは無理があり、6色と考えたほうがよいという説明を、ほかの教科書も取り入れていきました。アメリカの6色は、国民性より教科書の書き方から来た数だったわけです。
外されたのは見分けにくい藍
6色にするとき抜けたのは藍でした。英語版ウィキペディアの「Rainbow」の項によると、ニュートンが「インディゴ(藍)」と呼んだ色は今なら「青」、彼の「青」は今の「シアン(水色)」にあたるという指摘があります。昔の言葉で引いた区切りが、今の色の呼び方と合わなくなっていたのです。
基本の色名3つで分ける言語もある

ショナ語の3つの色名
ジンバブエなどで話されるショナ語では、光の帯を cipswuka・citema・cicena の3つの基本の色名で区切ると紹介されてきました。アメリカの言語学者グリースンが1955年の入門書で取り上げた例で、日本では丸山圭三郎『ソシュールの思想』(1981年)が引いて広く知られています。
リベリアのバサ語は2つ
丸山の本には、西アフリカのリベリアで話されるバサ語が hui と zĩza の2つで分ける例も出てきます。中央アフリカのサンゴ語も2つです。同じ空の虹が、言葉によって7つにも3つにも2つにも区切られることになります。
細かい色の言葉がないわけではない
ここで気をつけたいのは、3つや2つというのは基本の色の分け方の話だという点です。グリースン自身が、ショナ語にもバサ語にも細かい色を表す言葉がたくさんあると書いています。色が見えていないわけでも、言葉が貧しいわけでもありません。
色の数を決めているのは言葉?

言語学者が好んで使った虹の例
連続したものに言葉がどう区切りを入れるかを説明するとき、言語学では虹やスペクトルがよく例に使われてきました。ソシュールの考えを紹介した丸山圭三郎も、色の区切り方に世界共通の根拠はなく、人はそれぞれの言葉を通して世界を見ていると説明しています。
色の名前が少ないと帯も少なく見える
英語版ウィキペディアの「Rainbow」の項は、色の言葉が少ない言語を話す人ほど、虹の中に見分ける帯の数も少なくなるという研究を紹介しています。日本語には藍という色名があるので、藍の帯を数えやすい。虹の色数は、目と同じくらい言葉で決まっているのかもしれません。
色の数は違っても順番は変わらない

いつも見る虹は外側が赤で内側が紫
何色に数えるかは違っても、色の並ぶ順番はどこでも同じです。よく見る虹(主虹)は、波長の長い赤が外側、短い紫が内側に並びます。これは光が雨粒で曲がる角度で決まるので、言葉や文化では入れかわりません。
外にかかる二本目の虹は色が逆
主虹の外側に、うすい二本目の虹(副虹)が見えることがあります。ニュートンは『光学』で、副虹は雨粒の中で光が2回反射してできるため、色の並びが主虹と逆になると説明しました。2本の虹は赤どうしが向き合う形になります。
隣の人とは別の虹を見ている
虹は空の決まった場所にかかっているわけではありません。太陽を背にして立ったとき、自分の影の頭の方向から約42度離れた位置にある雨粒の光が、集まって見えているものです。目の位置が少しでも違えば光を届ける雨粒も変わるので、隣に立つ人が見ている虹は、厳密には自分の虹とは別のものになります。
空にかかる虹は、どの国でも同じ順番に並んだ一続きの光の帯です。それを7つに分けたのは300年前の科学者の音楽好きで、6つに減らしたのはアメリカの教科書でした。3つで足りる言葉もあります。虹の色を数えるとき、私たちは空と一緒に自分の言葉ものぞき込んでいるのでしょう。
参考
- Isaac Newton『Opticks』第4版(1730年)Project Gutenberg
- キヤノン サイエンスラボ・キッズ「ニュートンが虹の色を『7色だ』と決めたって、ほんと?」
- 一橋大学附属図書館『TZ〈ほんの窓〉』第9号「虹は本当に七色か?」(2006年)
- Wikipedia(英語版)「Rainbow」
関連記事





