ステンレスは、錆びない金属ではありません。表面をわざと酸化させ、そこにできた膜で内部を守っている金属です。
その膜の厚さは、わずか数ナノメートル。1ミリの100万分の1を単位にした世界です。しかも、こすっても削っても、空気に触れればひとりでに戻ります。この「戻る」という性質こそが、メッキとステンレスを分ける決定的な差になっています。
錆びにくさの正体は、クロムがつくる膜

答えを一語でいえばクロムです。ただし、守っているのはクロムという金属そのものではありません。クロムが空気中の酸素と結びついてできる、ごく薄い膜のほうが主役です。この膜を不動態(ふどうたい)皮膜と呼びます。
※ 不動態皮膜とは、金属の表面にできる緻密な酸化物の膜のことです。膜そのものが酸素や水を通しにくいため、内部の金属がそれ以上反応しなくなります。
同じ「金属の表面にできるもの」といっても、性質は正反対といっていいほど違うのです。膜という一点で並べると、四者の運命が分かれる場所が見えてきます。
| 材料 | 表面にできるもの | 膜の性質 | 傷がついたら |
|---|---|---|---|
| ふつうの鉄・鋼 | 赤錆(酸化鉄) | もろく多孔質 | 剥がれてさらに奥へ進む |
| ステンレス | クロムの酸化物 | 緻密で数ナノメートル | 酸素があれば再生する |
| アルミニウム | 酸化アルミニウム | 緻密で透明 | 同じく再生する |
| トタン(亜鉛メッキ) | 亜鉛の層 | 厚いが有限 | 亜鉛が身代わりに減っていく |
鉄が錆びるとき、表面で起きていること

クロムの膜の話に入る前に、比べる相手を見ておきます。鉄が錆びて困るのは、錆びること自体ではなく、錆が止まらないからです。
赤錆が内部まで進んでしまう理由
スカスカの膜は盾にならない
赤錆の主成分は酸化第二鉄(Fe₂O₃)です。赤褐色で粉っぽく、内部に細かい隙間を大量に抱えた多孔質の構造をしています。水も酸素もそこを素通りしてしまうため、表面が錆で覆われても下の鉄は守られません。
膨らみ、浮き上がり、剥がれる
錆びた鉄は元の鉄より体積が増え、表面から浮き上がるとされています。古い橋やガードレールで、錆が層になってペリペリと剥がれているのを見たことがあるかもしれません。剥がれた下からは新しい鉄の面が現れ、そこがまた錆びていきます。この繰り返しが、鉄を内側までボロボロにする正体です。
同じ鉄でも「黒錆」は守る側にまわる
四酸化三鉄という別の顔
鉄の錆には黒錆もあります。こちらの主成分は四酸化三鉄(Fe₃O₄)で、黒っぽく、赤錆と違って緻密です。いったんできあがると内部の鉄を酸素と水から遮り、それ以上の腐食を抑える働きをします。錆が悪者かどうかは、成分と構造しだいというわけです。
中華鍋や南部鉄器の「育てる」作業
鉄のフライパンや中華鍋を買うと、最初に空焼きをして油をなじませるよう説明書に書かれています。あれは黒錆の層をつくり、その上に油膜を重ねる作業です。南部鉄器の表面が黒いのも同じ理屈で、鋳物を高温で焼いて黒錆をまとわせています。ステンレスがクロムに任せている仕事を、鉄では人の手で作ってやる必要があるということです。
クロムの膜は、いったい何が違うのか

クロムの酸化物が赤錆と決定的に違うのは、密度と薄さ、そして再生することの三つです。順番に見ていきます。
厚さ数ナノメートルという薄さ
ナノメートルはどのくらいか
1ナノメートルは1ミリの100万分の1です。ステンレス協会の解説によれば、不動態皮膜の厚さは数ナノメートル程度とされています。髪の毛の太さは0.05〜0.1ミリ、ナノメートルに直せば5万から10万です。膜はその数万分の1しかありません。
目に見える光の波長よりずっと短いので、膜は色を持ちません。シンクや鍋がくすまず金属の地肌のまま光って見えるのは、そこに膜が無いからではなく、膜が薄すぎて見えないからです。
膜の中身はクロムと酸素と水
この膜は、主にクロムに酸素と水酸基が結合した非常に緻密な層だと説明されています。密着性が高く、赤錆のような隙間がありません。酸素も水も塩分も通しにくい、いわば目の詰まった一枚布です。厚さで守るのではなく、目の細かさで守っている点が鉄の錆との違いになります。
10.5%という境目
クロムが足りなければステンレスではない
ステンレス協会は、鉄に約10.5%以上のクロムを含む合金をステンレス鋼としています。この数字を下回ると、膜が連続した層にならず、守りが成立しません。クロムを増やせば膜の安定性は増し、耐食性はさらに上がっていきます。台所で使うステンレスの多くは18%前後を含んでいます。
1913年、12.8%からはじまった
最初にこの鋼にたどりついたのは、英国シェフィールドの研究者ハリー・ブレアリーです。1913年、彼が試作したのはクロム12.8%・炭素0.24%という配合でした。もともとは銃身が摩耗しにくい鋼を探す研究で、錆びない鋼を狙っていたわけではありません。捨て置いた試料だけが錆びずに残っていた、というのが発見の入口だったと伝えられています。
削っても戻る、というのが最大の武器
傷ついた瞬間から作り直しが始まる
不動態皮膜のいちばんの強みは、この自己修復性です。包丁で切りつけようが、たわしで磨こうが、露出した面はすぐ空気中の酸素と反応して新しい膜になります。ステンレスの鍋を研磨剤でゴシゴシ洗っても平気なのは、この作り直しが常に働いているからです。工業の現場では、この性質を積極的に使います。加工したあとのステンレスを硝酸などに浸し、表面に残った鉄分を溶かして膜を整えなおす。不動態化処理(パシベーション)と呼ばれる工程です。
メッキは剥がれたら終わる
ここがメッキとの分かれ道です。トタンは鉄に亜鉛をかぶせたもので、傷がついても亜鉛が先に溶けて鉄を守ります。ただし身代わりの亜鉛は減る一方で、尽きればそこまでです。スズをかぶせたブリキはさらに事情が厳しく、傷がつくと今度は鉄のほうが先に腐食してしまいます。表面材が有限なメッキに対し、ステンレスは素材そのものが膜を作り続けます。
じつは、この守り方をする金属はステンレスだけではありません。身近な例がアルミニウムです。表面に酸化アルミニウムの緻密な膜ができ、壊れればまた再生します。アルミサッシや弁当箱に使われるアルマイトは、この膜を電気の力で人工的に厚く育てたものです。
それでもステンレスは錆びる

ステンレスは「錆びない」ではなく「錆びにくい」金属です。膜が破られる条件がそろえば、ちゃんと錆びます。代表的なものを並べておきます。
| 現象 | きっかけ | よく起きる場所 |
|---|---|---|
| もらい錆 | 付着した鉄粉や鉄製品が錆びる | 台所のシンク、屋外の手すり |
| 孔食(こうしょく) | 塩化物イオンが膜を破る | 海沿い、融雪剤のかかる場所 |
| すきま腐食 | 隙間に液が滞留し酸素が届かない | パッキンの下、板の重ね目 |
| 粒界腐食(りゅうかいふしょく) | 550〜900℃前後に加熱された部分 | 溶接の周辺 |
| 応力腐食割れ | 塩化物イオン+引っ張られる力 | 配管や締結部 |
いちばん多いのは「もらい錆」
犯人はヘアピンと空き缶
台所や洗面所で見かける茶色い点の多くは、もらい錆です。シンクに置きっぱなしにした空き缶の縁、洗面台に転がったヘアピン、開封したばかりの缶詰のふた。こうした鉄が水気の中で錆び、その錆がステンレス側に移ります。
錆びているのは相手のほう
もらい錆という名前のとおり、この錆はステンレスが腐食して出たものではありません。外から来た錆が乗っているだけなので、早いうちなら磨けば落ちます。ただし放置すると、錆の下で不動態皮膜が働けなくなり、ステンレス自身の腐食に発展することがあります。
塩化物イオンは膜に穴をあける
海辺と融雪剤と漂白剤
ステンレスにとっての難敵が塩素です。塩化物イオンは緻密な膜を局所的に突き破り、そこから針で刺したような穴を掘り進めます。これが孔食です。海沿いの建物、冬に凍結防止剤がまかれる道路まわり、そして塩素系漂白剤を長時間ためたシンク。いずれも同じ理屈で穴があきます。
そこでモリブデンの出番
塩分に強くしたステンレスがSUS316です。一般的なSUS304にモリブデンを2〜3%ほど加えた鋼種で、孔食への抵抗力が高くなります。海沿いの建築金物、プールまわりの設備、船の部品などで選ばれるのはこのためです。値段は上がりますが、環境に合わせて鋼種を選ぶという考え方そのものが、ステンレスの使い方の基本になっています。
熱と隙間という、もう二つの弱点
溶接の周りが弱くなる
ステンレス協会によれば、粒界腐食はおよそ550〜900℃に加熱された部分で起こります。この温度域を通ると結晶の境目にクロムの炭化物ができ、その周囲だけクロムが足りなくなるためです。鋭敏化(えいびんか)と呼ばれる現象で、溶接した継ぎ目の脇が先に錆びるのはこれが理由です。対策として炭素を減らしたSUS304Lのような鋼種が用意されています。
酸素が届かない場所は苦手
膜の材料は酸素です。裏を返せば、酸素が届かない場所では膜を作り直せません。パッキンの下・ボルトの座面・板を重ねた合わせ目。こうした狭い隙間に水がとどまると、そこだけ腐食が進みます。すきま腐食と呼ばれる現象で、屋外の設備では設計段階から水の抜け道が検討されます。
台所のステンレスを長持ちさせるには

仕組みが分かれば、手入れの理由も腑に落ちるはずです。要するに、膜が働ける状態を邪魔しないこと。それに尽きます。
膜に仕事をさせる
洗って、乾かして、空気に当てる
使ったあとに洗って水気を拭くのは、汚れを取るためだけではありません。表面を酸素に触れさせ、膜の再生を助ける作業でもあります。濡れたふきんをシンクに敷きっぱなしにする、洗い桶を置いたまま何日も動かさない。こうした状態が、いちばん膜の仕事を邪魔します。
鉄と同居させない
鉄のフライパン、缶詰の空き缶、スチール製の水切りかご。これらをステンレスの上に濡れたまま置くと、もらい錆の下地ができます。鉄製のたわしやスチールウールも、削った鉄粉が表面に残ります。同じたわしを使うなら、ステンレス用と表示のあるものやナイロン製が無難です。
錆びてしまったときは
早いほど簡単に落ちる
もらい錆は乗っているだけなので、クリームクレンザーとスポンジで軽くこすれば取れることが多いものです。落としたあとは水でよく流し、乾かします。深く進んだ錆は素地まで傷んでいる場合があり、そこまで来ると家庭での完全な回復は難しくなります。
塩素系の薬剤は置きっぱなしにしない
塩素系漂白剤のボトルには、ステンレスへの長時間の使用を避けるよう注意書きがあるものが少なくありません。孔食を招くからです。つけ置きが必要なときは容器を別にし、シンクに直接ためない。使ったあとは薄めず流すのではなく、たっぷりの水で洗い流します。
もう一歩踏み込むと

「錆びない」ではなく「染みない」という名前
stain(染み)+less(ない)
stainless steelのstainは、錆ではなく「染み・汚れ」を指す語です。ブレアリー自身は当初、この鋼をrustless steel、つまり「錆びない鋼」と呼んでいました。日本語で「ステンレス=錆びない」と理解されているのは、じつは最初の呼び名のほうの訳語に近いことになります。
名付けたのは刃物屋のほう
stainlessという語感の良い呼び方を提案したのは、地元シェフィールドのカトラリー製造業者アーネスト・スチュアートだったと伝えられています。ブレアリーが思い描いていたのは、食べ物や飲み物で黒ずまないテーブルナイフでした。銃身の研究から生まれた鋼が、食卓の名前をもらって世界に広まったわけです。
磁石がつくステンレス、つかないステンレス
SUS304とSUS430
規格記号のSUSは、Steel Use Stainlessから来た日本独自の表記です。よく使われるSUS304はクロム18%・ニッケル8%前後の組成で、磁石にはつきません。一方のSUS430はニッケルを含まないぶん安価で、磁石にしっかりつきます。安い鍋が磁石につくのはこのためで、錆びやすさの目印というより組成の違いを見ているにすぎません。
※ SUSとは、JIS(日本産業規格)でステンレス鋼材に付けられている記号です。300番台はクロムとニッケルを含む系統、400番台はクロムが主体の系統を表します。
曲げた角にだけ磁石がつく
面白いのはここからです。本来は磁石につかないSUS304も、強く曲げたり絞ったりした部分だけ磁石を引き寄せるようになります。加工の力で結晶の構造が変わるためで、加工誘起マルテンサイト変態と呼ばれます。ステンレスのボウルで、平らな面はつかないのに縁だけ磁石がくっつく。そんな現象に出会ったら、それは不良品ではなく、金属が加工された記録が残っている印です。
1930年のニューヨークに立つ18-8
クライスラー・ビルディングの尖塔
ニューヨークのクライスラー・ビルディングは、18-8ステンレス鋼を最初に大量に使った建築として知られています。1930年に高さ38メートルの尖塔が据えられ、全高319メートルで完成しました。扇形に重なる先端部が今も光を反射しているのは、あの膜が90年以上ずっと作り直され続けているからです。
18-8という呼び名
18-8はクロム18%・ニッケル8%を意味し、現在のSUS304にあたる組成です。台所のボウルやスプーンの裏に「18-8」と刻まれているのを見たことがある人もいるでしょう。摩天楼の尖塔と食器棚のスプーンが同じ材料だというのは、ちょっと愉快な事実です。
ステンレスの表面では、膜が壊れては作り直される小さな出来事が、今日も途切れずに続いています。シンクを洗うたびに、数ナノメートルの層はいったん傷つく。そしてまた元へ戻ります。何十年も光ったままの流し台は、丈夫な金属というより、修理をやめない金属の姿なのだと思います。
関連記事





