川が曲がりくねって流れるのは、カーブの外側の岸が削られ、内側に砂や泥がたまり続けるからです。外を削って内を埋めるので、小さな曲がりはひとりでに大きくなります。曲がりすぎると洪水のときに近道ができ、取り残された曲線が三日月湖になります。仕組みの中心にあるのは、カーブで生まれる「らせん状の流れ」です。
カーブの外側はなぜ削られる?

外側は崖、内側は川原になる
蛇行する川を岸から眺めると、カーブの外側と内側で景色がまるで違います。外側の岸は切り立った崖で、そのすぐ前の川底は深くえぐれたまま。内側には、なだらかな砂利の川原が広がっています。ひとつのカーブの中で、外側は削られ、内側には土砂が積もっているのです。
※ 攻撃斜面とは、カーブの外側で水に削られる岸のこと。滑走斜面とは、内側で土砂がたまってなだらかになった岸のことです。
水面は外へ、川底は内へ流れる
カーブを曲がる水には、外へ振られる力(遠心力)がかかります。日本機械学会の流体工学部門は、水路の実験でこの様子を見せています。水面に浮かべた紙くずは、外側へ流れていきました。ところが水を吸わせて沈めた紙くずは、川底を這うように内側へ動きました。
川底の近くは底との摩擦で流れが遅く、遠心力も弱くなります。そのため水面では外へ向かい、底では内へ戻る輪のような流れが生まれるのです。前へ進む流れと合わさると、水はらせんを描きながらカーブを下っていく。これがカーブの水の正体です。
らせんの流れが外を削り内に運ぶ
このらせん状の流れ(二次流)が、外側と内側の違いを生みます。水面で外へ押し寄せた水は、外側の岸に沿って下へもぐり込み、岸と川底を削っていく。底を内側へ向かう流れは、削った砂や小石を内側へ運んで置いていきます。外で削る仕事と内へ運ぶ仕事を、同じ流れがひと続きにこなしているわけです。
「外側が速い」は半分だけ正しい
よく「外側は流れが速いから削られる」と説明されます。ただ先の実験では、カーブの入り口の水面はむしろ内側のほうが速く流れていました。外側が相対的に速くなるのは、カーブが続いて遅い底の水が内側へ寄せられてからです。
同じ学会の解説は、外と内のどちらが速いかに関係なく、二次流があれば土砂は内側にたまるとしています。速さの違いは結果の一つで、根っこにあるのはらせんの流れです。
小さな曲がりは自分で大きくなる

削る岸と埋まる岸が同時に動く
外側の岸が後ろへ下がり、内側の川原が前へせり出す。この二つが同時に進むので、川は幅をほぼ保ったまま、カーブの外側へ少しずつ移っていきます。曲がりがきつくなれば流れはいっそう外へ振られ、外側の岸はさらに削られます。いちど生まれた小さな曲がりが、自分の力で育っていく仕組みです。
カーブの先には逆向きのカーブができる
カーブを抜けた水は、勢いのまま対岸へぶつかります。今度はそこが削られる側になり、反対向きのカーブが育ち始めます。右へ曲がれば次は左へ、左へ曲がれば次は右へ。こうして曲がりが連なり、地図で見るとヘビが体をくねらせたような線になります。「蛇行(だこう)」という名前は、この姿から来ています。
川は止まらずに形を変え続ける
人が護岸で岸を固めないかぎり、蛇行は止まりません。洪水のたびに外側の岸は削られ、カーブ全体が少しずつ下流や外側へずれていきます。川の位置は何十年、何百年という単位で動いていて、いま見ている川筋も通過点のひとつにすぎません。
蛇行が育つのはどんな場所?

急な上流は下へ削ってV字の谷に
山あいの上流では川の勾配が急で、流れも速くなります。水の力は横へ広がるより先に、川底を下へ下へと削ることに使われます。そのため上流の谷は断面がV字形になり、流れも比較的まっすぐです。国土交通省の久慈川の資料も、上流や中流で中心になるのは川底を低くする「下方侵食」だと説明しています。
平野に出ると横へ削り始める
大きな川が平野に入って流れが遅くなると、川は側面を削るようになり蛇行が起こる。同じ資料の説明です。勾配がゆるむと下へ削る力は弱まり、岸を横へ削る働きが主役に変わります。平野の土は川が運んできた砂や泥でできていてやわらかく、岸は崩れやすい。曲がりが育つ条件がそろうのは、ここからです。
短く急な日本の川では育ちにくい
日本は山がちで川が短く、勾配も急です。広い平野が少ないぶん、大陸の大河のような大きな蛇行は育ちにくいといえます。それでも石狩川の平野や久慈川の下流のように、ゆるやかな土地では蛇行やその跡がはっきり見られるのです。日本に川が多い理由そのものは、こちらの記事でくわしく取り上げています。

三日月湖はどうやってできる?

カーブの付け根が細くくびれる
蛇行が進むと、大きく張り出したカーブは輪に近い形になります。カーブの入り口と出口がだんだん近づき、その間の陸地は細い首のようにくびれていくのです。久慈川の資料はこの段階を、上流側と下流側の湾曲部が接近する、と表現しています。川はぐるりと遠回りしながら、すぐ隣に自分の下流を抱えている状態です。
洪水の水が首を突き抜けて近道になる
大雨で水かさが増すと、あふれた水は遠回りせず、細い首を越えてまっすぐ流れようとします。蛇行が大きくなりすぎると、洪水のときに水が直線的に流れようとする。国土交通省江戸川河川事務所の解説にも、そうあります。首が切れて新しい流れができれば、川はそちらを本流にして進むようになるわけです。
取り残された曲線が湖として残る
近道ができると、もとの大きなカーブは本流から切り離されます。残った水はカーブの形のまま湖になり、これが三日月湖です。昔の川筋がもとになった湖は「河跡湖(かせきこ)」とも呼ばれ、形から「牛角湖(ぎゅうかくこ)」の名もあります。英語では牛のくびきに見立てて「オックスボウ湖」と呼びます。
取り残された湖はやがて埋まる

流れが止まると泥がたまっていく
本流から切り離された三日月湖には、もう川の流れが通りません。水がよどむと栄養分がたまり、水草やプランクトンが増えていきます。『世界大百科事典』は、本流とのつながりが薄れるにつれ、湖は粘土のような細かい泥で埋められていくと説明しています。湖の寿命は、川がつくった時点から少しずつ縮み始めるのです。
湿地から田畑や公園へ姿を変える
泥がたまった三日月湖は、浅い沼から湿地へと変わり、やがて陸になります。平野の田んぼの中に弓なりの細長い区画や、カーブした用水路が残っていることがあります。航空写真でそれが見えたら、昔の川筋の名残かもしれません。人の手で公園や釣り場に整えられ、湖のまま残されている場所もあります。
石狩川の名は「曲がりくねった川」

アイヌ語の「イ・シカラ・ペツ」
日本で蛇行の跡がよく残る川といえば、北海道の石狩川です。国土交通省の解説によると、名前はアイヌ語の「イ・シカラ・ペツ」に由来し、「非常に曲がりくねった川」という意味だとされています。かつての石狩川は、泥炭の広がる低い湿地を縦横に蛇行し、氾濫を繰り返していました。名前そのものが、川の姿を言い当てていたわけです。
明治31年の大洪水が治水の始まり
転機は1898年(明治31年)9月の大洪水でした。氾濫した面積は約1,500平方キロメートル、亡くなった人は112人。水が引くまでに約1か月かかったと記録されています。この洪水をきっかけに岡﨑文吉(おかざきぶんきち)が欧米の川を視察して治水の調査報告をまとめ、1910年(明治43年)に第1期の治水工事が始まりました。
大正7年から29か所で近道を掘る
曲がりをまっすぐ結ぶ近道の水路を「捷水路(しょうすいろ)」といいます。石狩川では1918年(大正7年)から1969年(昭和44年)までの約半世紀に、29か所の捷水路が掘られました。川が自然に起こす「首の切断」を、人の手でまとめて起こしたようなものです。
短くなった長さは、国土交通省の資料で「約58km」とも「約60km」とも書かれています。前者は低い平地を流れる区間が約190kmから約132kmになったという数字で、後者はそれを丸めた表現と読めます。
切り離された旧川は渡り鳥の休み場に
捷水路で切り離されたカーブは、いくつもの三日月湖(旧川)として石狩平野に残りました。いまは公園として使われている場所もあり、月形町の皆楽公園はその一つです。大陸と行き来する渡り鳥の中継地にもなっていて、地域の人の憩いの場でもあります。洪水を防ぐために切った曲がりが、別の役目を持つ場所に生まれ変わりました。
人がまっすぐにした川にも湖は残る?

久慈川の「粟原の溜」は釣り堀に
人が蛇行を切った場所にも、三日月湖は残ります。茨城県の久慈川では、常陸太田市粟原にある釣り堀が地元で「粟原の溜(たまり)」と呼ばれています。国土交通省の資料によると、ここは河川改修で蛇行をまっすぐにした際に、三日月形に残った沼です。最近までは、昔の川筋だった低地も湿地として残っていたといいます。
市の境界がいまも昔の川筋をなぞる
粟原の溜には、もう一つおもしろい点があります。この場所は行政区の境界でもあったため、釣り堀はいまも那珂市と常陸太田市の両方に接しているそうです。川が境目になっていた時代の線が、流れが移ったあとも地図に残っているわけです。川と境界の関係は、こちらの記事でも取り上げています。

山の中を曲がる穿入蛇行

深い谷ごと曲がりくねる川
蛇行は平野だけのものではありません。山の中にも、深い谷ごと曲がりくねって流れる川がある。こうした川の流れ方が「穿入蛇行(せんにゅうだこう)」で、平野を自由に曲がる「自由蛇行」とは区別されています。平野で曲がっていた川が、土地の隆起などで川底を深く削り込み、曲がりを保ったまま谷に刻まれたものと考えられています。
谷の断面で二つの型を見分ける
穿入蛇行は、さらに二つの型に分けられる。下へ削るだけで進んだ「嵌入蛇行(かんにゅうだこう)」は、谷の断面が左右ほぼ対称です。横へも削りながら下へ進んだ「生育蛇行」では、外側が急な崖になります。内側はゆるい斜面や階段状になるため、断面は左右で違う形です。平野の川と同じ「外を削り内に積もる」仕組みが、山の中でも働いているのでしょう。
四万十川や大井川に見られる
辞典が穿入蛇行の例に挙げるのは、高知県の四万十川・静岡県の大井川・紀伊半島の熊野川などです。『日本大百科全書』は、これらを生育蛇行の例としています。山あいの川が谷ごとくねる景色は、昔の平野の曲がりを高い場所へ持ち上げた姿ともいえます。
地図で見る川のうねりは、気まぐれに描かれた線ではありません。カーブで生まれるらせんの流れが外を削り内に積もらせ、曲がりを育て、ときに切り落としてきた結果です。まっすぐな川を見かけたら、それは人の手が入った区間かもしれません。自然のままの川ほど、いまも少しずつ身をよじり続けています。


