「森」と「林」を分ける決まりは、日本の法律のどこにもありません。森林法にあるのは「森林」というひとつの言葉だけで、どこからが森でどこまでが林か、という線は引かれていないのです。
それでも私たちは、ほとんど迷わず使い分けています。神社の裏手は森、スギの植林地は林。この感覚はどこから来たのでしょうか。手がかりは漢字ではなく、「もり」「はやし」という和語のほうにありました。
木の数でも広さでもない——消去法で残る違い

違いの候補としてよく挙がるものを、先に一つずつ外していきます。最後に残るのが、この記事の答えです。
| よく言われる違い | 実際のところ |
|---|---|
| 木の本数(森は三本、林は二本) | 漢字の成り立ちの話。日本語で使い分ける理由そのものではない |
| 広さ・規模の大小 | 「密林」「熱帯雨林」のように、広大でも林と呼ぶ例がいくらでもある |
| 法律上の区分 | 森林法に「森」「林」の定義はない。定義されているのは「森林」だけ |
| 語源のちがい | もり=盛り上がったもの、はやし=生やしたもの。ここに違いの芯がある |
つまり分かれ目は、木の量ではなく人との関わり方の側にあります。自然に盛り上がってできたものが「もり」、人が生やしたものが「はやし」。以下、その語源をそれぞれたどっていきます。
「もり」は盛り上がったもの

「もり」は「盛り」と同じ語源だとされています。木がこんもりと茂って高まっている、その様子そのものを指した言葉でした。
「盛り」と同じ根を持つ言葉
高まった場所を指していた
ごはんを茶碗に盛る、土を盛る。あの「盛る」と「もり」は地続きだと考えられています。注目したいのは、この語が木の種類にも本数にも触れていないこと。周囲より高く盛り上がって見える、という外からの見え方だけを言い表しているのです。
山そのものを「モリ」と呼ぶ土地
この「高まり」の感覚は、山の名前にはっきり残っています。秋田県の森吉山(もりよしざん)は標高1,454メートル。高知県の梶ヶ森(かじがもり)は標高1,400メートル。東北や四国には、山でありながら名に「森」を抱く峰が点在します。木の集まりというより、土地の隆起そのものを「モリ」と呼んだ名残と見られています。
目印になる森、神が宿る杜
港の目印だった「青い森」
県名にまでなった例が青森です。弘前藩が1624年に港町の建設を始めたとき、現在の青森市本町のあたりに青々とした松の森があり、港へ入る船の目印になっていたと伝えられています。海から見上げて目を引くほどの高まりだったわけで、「盛り」との近さがそのまま地名になったかたちです。
「杜」はもともと別の木の字
神社の森には「杜」の字が当てられます。鎮守の杜(ちんじゅのもり)、仙台の別名である杜の都。ところがこの漢字、中国では本来ヤマナシという木を指し、「閉ざす」の意味も持つ字でした。神社を表す「社」と形が似ていたこと、そして植物の字であったことから、日本で社を囲む木立に当てられるようになったと考えられています。字面から神聖さがにじむのは、この取り合わせの副産物でした。
「はやし」は生やしたもの

一方の「はやし」は「生やし」から来たとされます。ここに、森との決定的な差が潜んでいました。
「生える」ではなく「生やす」
他動詞が名前になった
「生える」は木のほうが主語です。「生やす」は人のほうが主語になります。木が勝手に生えたのではなく、誰かが生やした——そう名づけられた場所が「はやし」でした。「映やす」「栄やす」を語源に挙げる説もありますが、いずれにせよ人の営みが語のなかに残っている点は共通しています。
人工林、屋敷林、雑木林
言われてみれば、人の手が入った木立はたいてい「林」と呼ばれています。材木のために植えた人工林、家を風から守る屋敷林、薪や炭を採るために管理してきた雑木林。どれも樹種や樹齢がそろいやすく、見た目にも人の意図が透けます。「林」の字が木を二本ならべた形なのも、そろって立っている情景と噛み合っているのが面白いところ。
それでも例外はいくらでもある
密林も熱帯雨林も原生林も「林」
語源で説明がつくのはここまでで、実際の言葉づかいはもっと自由です。人跡未踏の熱帯雨林、誰も手を入れていない原生林、うっそうとした密林。人の手が入っていないほど「林」の字を使う例が並びます。これらはいずれも漢語系の熟語で、和語の「はやし」とは別の道筋をたどって日本語に入ってきた言葉だからでしょう。
人がつくった「明治神宮の森」
逆向きの例で最も有名なのが明治神宮でしょう。あの深い木立は自然林ではなく、1915年から造営が始まった完全な人工の森です。全国や海外から約10万本の献木が集まり、延べ11万人の青年たちが植えていきました。当初植えられたのは約365種12万本。語源にならえば堂々たる「はやし」ですが、誰も明治神宮の林とは呼びません。
全国にある「市民の森」「〇〇県民の森」も同じで、人が整備してつくった施設ばかりです。名づける側は語源ではなく語感を選びます。「森」のほうが豊かに、奥ゆかしく響くから——理由はおそらくそれだけ。語源は説明の助けにはなっても、ルールではないのです。
法律にあるのは「森林」だけ

では公の側はどう線を引いているのか。答えは冒頭のとおりで、そもそも「森」と「林」を分けていません。
森林法が決めているもの
条文は「木竹が集団して生育している土地」
1951年制定の森林法は第二条で、森林を「木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹(りゅうぼくちく)」、および「木竹の集団的な生育に供される土地」と定めています。木竹とは樹木と竹のこと。密度も面積も樹高も書かれておらず、森と林の区別に至ってはひとことも触れられていません。
リンゴ畑もミカン畑も森林ではない
同じ条文には除外規定が続きます。「主として農地又は住宅地若しくはこれに準ずる土地として使用される土地」は森林に含めない、というものです。この規定により、木が集団で生えていてもリンゴ畑・ミカン畑・ブドウ畑は森林から外れます。公園や公共施設の敷地も同様。法律が見ているのは木の姿ではなく、その土地が何に使われているかのほうでした。
地図記号にも「森」はない
植生の記号は、どれも「林」
国土地理院の地形図で、木の生えた場所に使われる記号は次の6種類です。
- 広葉樹林(シイ・カシ・ブナ・ナラなど)
- 針葉樹林(マツ・スギ・カラマツなど)
- 竹林
- ハイマツ地
- 笹地
- ヤシ科樹林
ひとつも「森」がありません。屋久島の原生林も、鎮守の杜も、地図の上では広葉樹林か針葉樹林のどちらかに収まります。目安となる樹高は2メートル以上。ちなみに植林地なら2メートル未満でも針葉樹林の記号で表されます。
「農水省が森と林を定めている」という話
ネット上では「農林水産省が人工林を林、自然林を森と定めている」という説明をよく見かけます。ただ、森林法にも林野庁の統計にもそうした区分は見当たりません。行政自身が「市民の森」を整備し、人が植えた木立を「人工林」と呼んでいる時点で、線引きとしては噛み合わないことになります。語源から導かれるイメージが、いつのまにか公式の定義として語られるようになったものと考えたほうが自然でしょう。
世界は「森林」を数字で線引きしている

日本語が語感で分けているあいだ、国際社会のほうは正反対の道を進みました。森林かどうかを、数字で決めてしまったのです。
FAOが定めた三つの条件
※ FAO(Food and Agriculture Organization、国連食糧農業機関)とは、世界の食料や農林水産業について調査・支援を行う国連の専門機関です。
0.5ヘクタール・樹冠率10%・樹高5メートル
FAOによる森林の定義は「樹冠(じゅかん)の投影面積が10%以上・広さが0.5ヘクタール以上・成木になれば樹高5メートル以上になる樹種の樹林」というもの。あわせて、農地など森林以外の目的に使われていない土地であることも条件に入ります。樹冠とは、上から見たときに枝葉が覆っている部分のこと。空から撮った写真の10分の1が緑で覆われていれば、それは森林です。
日本が国際報告に使う基準は0.3ヘクタール
興味深いのは、日本がFAOへ報告する際の基準がこれと少しずれていることです。日本は森林法の定義をもとに、最小面積を0.3ヘクタールとして報告しているとされます。国ごとに国土の条件も林業の歴史も違うため、国際基準には一定の幅が認められているためです。同じ「森林面積」という数字でも、その裏には国の数だけ線引きがあることになります。
| 基準 | 最小面積 | 樹冠率 | 樹高 |
|---|---|---|---|
| FAOの定義 | 0.5ヘクタール以上 | 10%以上 | 成木で5メートル以上 |
| 日本がFAOに報告する定義 | 0.3ヘクタール以上 | — | — |
| 日本の森林法 | 規定なし | 規定なし | 規定なし |
国土の67%が森林の国
2,502万ヘクタールという面積
林野庁の統計によれば、2022年3月31日現在の日本の森林面積は約2,502万ヘクタール。国土面積約3,730万ヘクタールに対する森林率は67%にのぼります。国土のおよそ3分の2が木に覆われている計算で、これは先進国のなかでも指折りの高さです。
その4割は、人が植えた「林」
同じ統計で、人工林の面積は約1,009万ヘクタール、人工林率は40%です。日本の森林の4割は、誰かが苗を植えて育てたもの。語源にならえば、この1,000万ヘクタールこそ文字どおりの「生やし=林」ということになります。窓の外に広がる緑のうち、およそ4割が人の手による風景だと知ると、見え方が少し変わってくるかもしれません。
英語の forest も、もとは木の話ではなかった

木立を人との関わりで呼び分ける発想は、日本語だけのものではありませんでした。英語の forest の来歴が、それをよく物語っています。
「外側」を意味していた言葉
forestis silva ——法の外に置かれた土地
forest の語源は、後期ラテン語の forestis silva だとされています。forestis は「戸外の、外側の」を意味し、ラテン語で扉を指す fores と関わる語。つまり「中心から外れた土地」であり、通常の法が及ばない場所という含みがありました。カール大帝が狩猟に使った土地に用いられた表現と伝えられています。
木のない荒地でも forest だった
この語を英語に持ち込んだのは、1066年にイングランドを征服したノルマン人でした。ウィリアム1世は森林法(Forest Law)を敷き、当初はイングランドの約3分の1にあたる土地を王の狩猟地として囲い込んだといわれます。ここでいう forest は法的な区分であり、植生とは無関係でした。木のない荒れ地も、草地も、耕作地までもが forest だったのです。木の生えた場所を指す普通の英単語は wood のほうで、forest は制度の言葉として出発したことになります。
森羅万象の「森」は木ではない
木を三つ書く理由
漢字のほうにも寄り道しておきましょう。「林」は木を二つ、「森」は三つならべた会意文字です。ただし三本という本数を表しているわけではありません。漢字の世界で「三」は、しばしば「たくさん」の代名詞として使われます。石が三つで「磊」、火が三つで「焱」。木を三つ重ねた「森」も、数えきれないほど茂っている状態を示す形でした。
数限りなく並ぶ、という意味
その証拠が「森羅万象」という言葉です。宇宙のあらゆる物事を指すこの四字熟語に、木は一本も出てきません。「森羅」とは限りなく並び連なることで、樹木が果てしなく茂り立つ情景から転じた表現とされています。「森厳」「森閑」も同じ流れの語。中国語の「森」はもともと、木そのものより「びっしり並んで薄暗い」という様子を担う字だったわけです。
森と林に公的な定義がないのは、決めそこねたからではありません。役所が土地を測って条文が線を引くよりずっと前から、人はそこに立って木立を見上げ「もり」なのか「はやし」なのかを口にしてきました。基準が存在しないのではなく、基準のほうが法律より古いのです。そうして呼ばれてきた名前が、いまも山名や地名として各地に残っています。森と林の違いとは、つまるところ、その古さの記録なのでしょう。
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