土用の丑の日にうなぎを食べるのは、丑の日に「う」のつくものを食べると夏負けしないという言い伝えに、うなぎがぴたりと当てはまったからです。夏痩せにうなぎがよいという考えは奈良時代の『万葉集』にすでにあり、丑の日の習慣として江戸で広まったのは安永・天明のころ(1770〜80年代)と記録されています。平賀源内が張り紙で仕掛けたという話は有名ですが、確かな裏づけは見つかっていません。
土用の丑の日はいつ来る?

土用は季節の変わり目の約18日間
土用は夏だけのものではありません。立春・立夏・立秋・立冬の直前にあるそれぞれ約18日間を指し、年に4回めぐってきます。国立天文台の暦の解説では、太陽の位置(黄経)が297度・27度・117度・207度に来た日がそれぞれの土用の入りです。夏の土用は、おおむね7月19日ごろに始まります。
※ 雑節(ざっせつ)とは、二十四節気とは別に、季節の移り変わりの目安として日本の暦に加えられた日のことです。土用のほか、節分・彼岸・八十八夜などがあります。
夏の土用は体を休める時期だった
4回のうち名前がよく知られているのは、立秋前の夏の土用です。暑さがいちばんこたえる時期で、昔から体調をくずしやすいとされてきました。ジャパンサーチの解説によると、土用の丑の日には牛に水浴びをさせて休ませる風習が各地にありました。人も薬湯に入ったり海水浴をしたりすれば、病気にかからないと考えられていたそうです。
丑の日は12日ごとにめぐる
「丑」は十二支の丑のことです。十二支は年だけでなく日にも順番に割り当てられていて、子・丑・寅と12日で一巡します。土用の期間中にめぐってきた丑の日が、土用の丑の日というわけです。期間はおよそ18日あるため、年によっては丑の日が2回入ります。先の日が「一の丑」、あとの日が「二の丑」です。
丑の日は「う」のつく物で夏負けを防ぐ

梅干し・瓜・うどんも同じ仲間
夏の丑の日に「う」の字がつくものを食べると夏負けしない、という民間の言い伝えがあります。梅干し・瓜(うり)・うどんなどがその例です。どれもさっぱりしていて、食欲の落ちる暑い日でものどを通りやすい食べ物でした。ジャパンサーチの解説も、ウリや梅干しを例に挙げてこの言い伝えを紹介しています。
うなぎは「う」と食べごたえを兼ねていた
うなぎは名前が「う」で始まるうえ、梅干しや瓜とちがって脂ののった食べごたえのある魚です。言い伝えの条件に合い、しかも体力をつけてくれそうに見える。丑の日の食べ物としてうなぎが選ばれていった背景には、この重なりがあったと考えられています。言い伝えのほうが先にあり、うなぎはそこへうまく収まった形です。
夏痩せにうなぎは万葉集から

大伴家持が痩せた友人にすすめた歌
夏とうなぎの組み合わせは、奈良時代にまでさかのぼります。『万葉集』巻十六には、大伴家持(おおとものやかもち)が痩せた友人の石麻呂(いしまろ)をからかった歌が2首並んでいます。1首目は「石麻呂に吾れ物申す夏痩せに良しといふものぞ鰻捕り食せ」。夏痩せによいというから、うなぎを捕って食べなさい、と呼びかけています。
2首目は「川に流されるな」という冗談
続く2首目は「痩せていても生きていればいいのだから、うなぎを捕ろうとして川に流されるなよ」とまぜ返す歌です。真面目な忠告と見せて茶化す、仲のよい友人どうしの戯れ歌です。当時すでに「夏痩せにはうなぎ」という考えが知られていたからこそ、冗談として成り立ったのでしょう。
江戸の習慣より約千年古い
家持が活躍したのは8世紀です。土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が江戸で広まるのは18世紀後半なので、そのあいだにはおよそ千年の開きがあります。丑の日のうなぎは江戸で突然生まれたものではありません。古くからの夏の知恵に、暦の行事があとから重なったものと見ることができます。
平賀源内の張り紙説は本当?

張り紙で店が繁盛したという筋書き
よく知られているのは、夏にうなぎが売れずに困っていた店が、発明家の平賀源内(1728〜1780)に相談したという話です。源内は「本日、土用の丑の日」と書いた紙を店先に貼るよう勧めました。これが当たって店は大繁盛し、ほかの店もまねをして江戸じゅうに広まったと語られています。
当時の記録による裏づけはない
ただし、源内がこの張り紙を考えたことは、当時の記録で裏づけられた話ではありません。広く知られてはいるものの、真偽は定かでないとされています。一軒の店の張り紙から全国の習慣が生まれたという筋立ても、少しできすぎています。後の時代に語られるようになった逸話として受け止めるのが穏当なところです。
源内はうなぎの名所を書き残している
一方で、源内がうなぎに無縁だったわけでもありません。ジャパンサーチの解説では、源内が「風来山人(ふうらいさんじん)」の筆名で書いた『里のをだまき評』に、江戸・深川の黒江町がうなぎで名高いと記されていることが紹介されています。うなぎの名所を知る人物だったことも、逸話の主役に選ばれた一因かもしれません。
習慣が広まったのは安永・天明のころ

『明和誌』が伝える始まりの時期
丑の日のうなぎが記録に現れるのは、江戸時代の後半です。1822年(文政5年)ごろにまとめられた随筆『明和誌(めいわし)』は、寒中の丑の日に紅をつけ、土用の丑の日にうなぎを食べることが家々で行われていると書き留めました。そして、それは安永・天明のころ(1772〜1789年)に始まったと記しています。
源内の晩年と時期が重なる
源内が亡くなったのは安永8年の暮れ、西暦でいえば1780年の初めです。『明和誌』の示す時期は源内の晩年と重なるため、張り紙の逸話と結びつけたくもなります。ただ、この一節が伝えているのは習慣の始まった時期で、誰が始めたかではありません。時期が合うことと源内が仕掛けたことは、分けて考えるべきでしょう。
江戸の名店案内に並ぶ蒲焼き屋
習慣が根づいたあとの江戸のにぎわいは、1824年刊の買い物案内『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』からもうかがえます。その飲食の部には、鰻の蒲焼きの名店が紹介されています。丑の日の言い伝えが広まった背景には、うなぎを焼いて売る店が江戸の町に増えていたこともあったのでしょう。
旬でない夏に食べる意味はある?

天然うなぎの旬は秋から冬
天然のうなぎがもっとも脂をたくわえるのは、川を下って産卵に向かう前の秋から冬にかけてとされます。夏のうなぎは比較的あっさりしていて、味だけでいえば旬とは言いにくい魚です。夏の売れ行きに困った店の話が生まれたのも、この事情と無関係ではないでしょう。
蒲焼き100gのビタミンAは1500μg
栄養の面では、夏にうなぎを食べる理由がちゃんとあります。文部科学省の食品成分データベースによると、うなぎの蒲焼き100gにはビタミンA(レチノール活性当量)が1500μg、ビタミンB1が0.75mg含まれます。ビタミンDも19.0μgと豊富で、エネルギーは285kcalです。疲れやすい時期の食事として、昔の人の経験則は栄養から見ても筋が通っていました。
丑の日に向けて育てる「新仔」
いま店に並ぶうなぎは、ほとんどが養殖です。水産庁の資料によると、一般的なのは稚魚を1年以上かけて育てる「周年養殖」です。一方で、11月〜1月に池へ入れた稚魚を半年ほどで育てる「単年養殖」もあります。こちらは土用の丑の日に向けて「新仔(しんこ)」として出荷されます。丑の日は、養殖の暦まで動かしているのです。
関東は背開き、関西は腹開き

蒸してから焼く関東、直に焼く関西
同じ蒲焼きでも、東西で作り方が違います。関東では背中から包丁を入れて開き、白焼きにしたあと一度蒸してから、たれをつけて焼き上げます。関西では腹から開き、蒸さずにそのまま焼くのが基本です。蒸す関東の蒲焼きはふっくらやわらかく、関西のものは皮が香ばしく身に弾力が残ります。
「切腹を嫌った」説は俗説の域
背開きの理由としてよく語られるのが、武士の多い江戸では腹から開くと切腹を思わせて嫌われた、という説です。商人の町・大坂では、逆に「腹を割って話す」に通じる腹開きが好まれたとも。ただ、蒸すと身がやわらかくなるので串を打ちやすい背側から開いた、という調理上の理由を挙げる見方もあります。
「蒲焼き」の名は串に刺した姿から
蒲焼きという名前の由来には、昔の焼き方が関わっていました。ジャパンサーチの解説によると、江戸後期の風俗誌『守貞謾稿(もりさだまんこう)』は名の由来をこう紹介しています。筒切りにしたうなぎを串に刺した姿が、蒲(がま)の穂に似ていたから「蒲焼き」。背を開いて串に刺して焼く今の形は、江戸時代に定まっていったものです。
いま食べるうなぎはどこから来る?

生まれはマリアナ諸島の近くの海
ニホンウナギは、日本から約2,000km離れたマリアナ諸島付近の海で生まれます。水産庁の資料によると、幼生は海流に乗って東アジアへ向かい、川や河口で5〜15年かけて育ちます。成熟したうなぎは、産卵のために再びマリアナ付近へ戻ると考えられているのです。産卵場が特定されたのは、研究開始から36年後の2011年(平成23年)でした。
養殖も天然の稚魚が頼り
養殖うなぎといっても、卵から育てているわけではありません。川をさかのぼってくる稚魚のシラスウナギを捕り、池で大きくしています。卵から親まで育てる「完全養殖」は2010年に成功しました。ただ、人工の稚魚は1尾約1,800円(2023年度)かかり、天然の稚魚の取引価格(1尾180〜600円)を大きく上回ります。商業化はまだ先の課題です。
国際取引の規制案は2025年に否決
ニホンウナギは2014年、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧IB類に分類されました。2025年のワシントン条約締約国会議では、ウナギ属すべてを取引規制の対象(附属書II)に加える案がEUとパナマから出されました。結果は賛成35か国・反対100か国で否決です。国内の供給量は、2000年の約16万トンから2025年には約6.4万トンまで減っています。
丑の日のうなぎは、源内のひらめき一つで生まれた行事ではなさそうです。「う」の字の言い伝えに万葉の昔からの夏痩せの知恵が重なり、江戸の蒲焼き屋のにぎわいがそれを広めました。張り紙の逸話は確かめられなくても、千年以上前から続く夏の食卓の知恵は、記録のなかにしっかり残っています。
参考
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