「ねぶた」と「ねぷた」。濁点があるかないか、たったそれだけの差は、もとをたどれば津軽弁の訛(なま)りにすぎません。ところが青森市では見上げるほど大きな武者人形が、弘前市では扇の形をした灯籠が街を練り歩きます。同じ根から生まれた夏祭りが、市ごとにまったく別の姿へ育っているのです。呼び名・形・掛け声、この三つを並べて見ていきます。
三つの祭りを一目で見る

青森県には「ねぶた」「ねぷた」と呼ばれる祭りが各地にありますが、規模の大きいものは青森市・弘前市・五所川原市の三つ。違いは大きく〈呼び名〉〈形〉〈掛け声〉の三層に表れます。まずはその対応を一覧にしておきましょう。
| 祭り | 呼び名 | 山車の形 | 掛け声 | 開催日 |
|---|---|---|---|---|
| 青森ねぶた祭 | ねぶた(濁る) | 立体の人形 | ラッセラー | 8月2日〜7日 |
| 弘前ねぷたまつり | ねぷた(澄む) | 扇形 | ヤーヤドー | 8月1日〜7日 |
| 五所川原立佞武多 | ねぷた(澄む) | 縦に高い人形 | ヤッテマレ | 8月4日〜8日 |
ここから、なぜこの三つが同じ祭りでありながら別々の顔を持つのか。呼び名・形・掛け声の順にたどってみましょう。
呼び名が「ねぶた」と「ねぷた」で割れる理由

結論からいえば、両者はもともと同じ言葉で、地域による訛りの違いで濁ったり澄んだりしているだけと考えられています。どちらかが正しくどちらかが間違い、という関係ではありません。
元は同じ「眠り流し」から来た言葉
「ねむり」が転(うつ)って「ねぶた」に
青森ねぶた祭の公式サイトによれば、「ねぶた」という呼び名は、眠り流し(ねむりながし)の「ねむり」が転訛したものと考えられています。夏の農作業を妨げる眠気を、灯籠とともに川や海へ流す——その「ねむり流し」が言葉として縮まり、変化していったという見立てです。
同じ系統の行事は東北にかぎりません。信越地方の「ネンブリ流し」、関東地方の「ネムッタ流し」なども親戚筋にあたるとされ、「ねむい」を語源に持つ点で共通しています。
睡魔を追い払う夏の行事だった
眠り流しは、稲作の忙しい盛りに襲ってくる睡魔を「祓(はら)うべき穢(けが)れ」ととらえ、水に流して無病息災を願う民俗行事でした。今でこそ観光客を集める華やかな祭りですが、出発点は農村の切実な願いだったわけです。灯籠が大型化し、人形や扇の形をとるようになって、現在のねぶた・ねぷたへと発展したと言われています。
濁る青森、澄む弘前——津軽弁の揺れ
1722年には「祢ふた」「祢むた」が並んでいた
古い記録をたどると、1722年の時点で「祢(ね)むた」「祢ふた」「祢ふた流し」といった複数の表記が並んで使われていたことがわかっています。つまり「ねぶた」「ねぷた」の揺れは近年始まったものではなく、三百年前からすでにあったということです。
口語と文語で使い分けた、という説
なぜ地域で濁音と清音が分かれたのか、その理由ははっきりしていません。話し言葉では「ねぷた」、書き言葉では「ねぶた」と使い分けていたという説もありますが、確定はしていないとされています。明治以降になって「ねぷた」という表記が刊行物に登場し、戦後に一般化したという経緯も知られています。地域の言葉が長い時間をかけて枝分かれした結果、と考えるのが穏当なようです。
青森ねぶた——立体の「人形」が街を練る

三つのうち最も知名度が高いのが、青森市の青森ねぶた祭です。最大の特徴は、山車が武者や神仏をかたどった立体の人形になっている点にあります。
人形ねぶたの形と大きさ
幅9メートル級の大型人形
大型のねぶたは幅がおよそ9メートル。針金で骨組みを組み、和紙を貼って内側から照らします。歴史上の合戦や歌舞伎、神話の一場面などを立体で再現するため、下絵から完成まで何か月もかかる大仕事です。一台あたりの製作費は400万〜500万円ほどとされ、専門の「ねぶた師」が腕をふるいます。
跳人(はねと)と「ラッセラー」
青森ねぶたのもう一つの主役が、跳人(はねと)と呼ばれる踊り手です。「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに、その場でぴょんぴょんと跳ねながら山車を先導します。正式な衣装さえ用意すれば誰でも飛び入りで参加できるのが特徴で、この開放感が祭りの熱気を生んでいます。
企業がつくり、観光が育てた
スポンサー方式で大型化した
青森ねぶたが巨大化した背景にあるのが、企業や団体がスポンサーとなって運行を支える仕組みです。潤沢な資金があってこそ可能になる、大型で精巧な人形。それが観光客を呼び、集まった熱気がまた祭りを大きくしていきました。全国区の知名度は、この観光化路線と切り離せないものです。
開催は8月2日から7日
青森ねぶた祭は毎年8月2日から7日まで、日付を固定して行われます。見どころは最終日。受賞したねぶたを船に載せて海上を運行し、花火を打ち上げます。これは、灯籠を水に流した「ねぶた流し」の名残を今に伝える場面でもあるのです。
弘前ねぷた——扇形に絵を描く「町会の祭り」

弘前市の弘前ねぷたまつりは、青森ねぶたと同じ根を持ちながら、まったく違う姿をしています。主役は立体の人形ではなく、扇を大きく広げたような形の「扇ねぷた」です。
扇ねぷたの構造
前は勇壮な鏡絵、後ろは物悲しい見送り絵
扇ねぷたは、扇形の大きな面の表と裏で絵柄が異なります。進行方向の前面には合戦などを描いた勇壮な「鏡絵(かがみえ)」を、後ろの見送る側には美人画などの物悲しい「見送り絵」を配するのが伝統です。前から見るときと見送るときで印象が変わる、という凝った作りになっています。
骨組みを再利用し、製作費は約50万円
扇形は人形より構造がシンプルで、骨組みを翌年以降も使い回せます。そのため一台あたりの製作費はおよそ50万円。青森ねぶたの十分の一ほどに収まる計算です。この手ごろさが、後で触れる「町会単位」の運営を支えています。
跳人のいない、静かな熱気
掛け声は「ヤーヤドー」
弘前ねぷたには、青森のように跳ね回る跳人はいません。笛と太鼓のお囃子に合わせ、「ヤーヤドー」という掛け声が城下町に響きます。跳ねる祭りではなく、絵と音を味わう祭り——この落ち着いた雰囲気が、青森ねぶたとの大きな違いです。
町会単位で、城下町を練り歩く
弘前は企業主導で大型化する道をとらず、町会(町内会)ごとにねぷたを出す形を守ってきました。地域コミュニティの行事としての性格が濃く、参加団体が数十にのぼる年もあります。開催は毎年8月1日から7日まで。弘前城の城下町という舞台立ても、この祭りの情緒を支えています。
五所川原立佞武多——見上げる23メートル

三つめの五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、青森・弘前とはまた別の方向に振り切った祭りです。人形型という点は青森と同じですが、とにかく「縦」に大きいのが身上です。
なぜ「立(たち)」佞武多なのか
高さ約23メートル・重さ約19トン
大型の立佞武多は、高さがおよそ23メートル、重さは約19トンにもなります。ビルの7階ほどの高さの人形が夜の街を進む光景は圧巻で、「立」の字はこの立ち上がった巨大な姿を表しています。「佞武多」は「ねぷた」の音に漢字を当てた表記です。
電線と大火で消え、約80年ぶりに復活
巨大なねぷたは明治40年(1907年)頃の記録に現れます。しかし市街地に電線が張られたことや戦中戦後の大火によって作られなくなり、やがて姿を消しました。転機は1993年、当時の設計図が見つかったことです。これをもとに1996年、およそ80年ぶりに巨大立佞武多が復活し、1999年から現在の祭りの形になりました。今ある巨大さは、いったん途絶えた伝統をよみがえらせたものなのです。
「ヤッテマレ」の突き上げ
津軽弁「やってしまえ」から
立佞武多の掛け声は「ヤッテマレ、ヤッテマレ」。これは津軽弁で「やってしまえ」を意味する言葉に由来すると言われています。青森の「ラッセラー」、弘前の「ヤーヤドー」と聞き比べると、同じ県内でも掛け声がまるで違うことに気づきます。
開催は8月4日から8日
五所川原立佞武多が行われるのは、毎年8月4日から8日まで。前日の8月3日には花火大会も開かれます。青森・弘前とあわせて「青森県三大佞武多」とも呼ばれ、開催日が少しずつずれているため、日程しだいでは三つをはしごすることもできます。
もう一歩深く——七夕とねぶたの意外な血縁

形も掛け声も違う三つの祭りですが、さかのぼれば意外な共通の祖先に行き着くのです。その正体が、七夕(たなばた)でした。
すべては「眠気を流す」七夕から始まった
ねぶた・ねぷたは、奈良時代に中国から伝わった七夕の行事と、津軽に古くからあった習俗が結びついて生まれたと考えられています。七夕には、7月7日の夜に穢れを川や海へ流して無病息災を祈る「禊(みそぎ)」の意味がありました。その灯籠流しが精霊送り(しょうりょうおくり)や虫送りといった地元の行事と一体化していったのです。紙・竹・ろうそくが広まると灯籠は大きくなり、やがて人形や扇の形へと姿を変えていきました。
青森ねぶた最終日の海上運行が「ねぶた流し」と呼ばれるのは、この灯籠を水に流した名残にあたります。眠気を流し、穢れを流す。派手に見える夏の祭りの底に、静かな祈りの行事が今も流れているわけです。
濁点があるかないか、人形か扇か、跳ねるか見上げるか。違いを一つずつ数えていくと、かえって「同じ眠気を流す」という一本の根がくっきり見えてきます。ねぶたとねぷたは、対立する二つの祭りではありません。同じ願いが津軽の土地土地でそれぞれの形に育った、いわば兄弟のような存在なのです。


