「音威子府(おといねっぷ)」「妹背牛(もせうし)」「歌志内(うたしない)」。北海道の地図には、漢字をいくら眺めても読み方の見当がつかない地名が並んでいます。読めない理由ははっきりしていて、これらの漢字が意味をまったく担っていないからです。
北海道の市町村名は、約8割がアイヌ語に由来するとされます。アイヌ語はもともと文字を持たない言語で、土地の名は音として受け継がれてきました。その音に、あとから和人が漢字を貼りつけたわけです。だから漢字は「音の記号」でしかなく、意味の手がかりにはなりません。
読めない地名と読める地名は、もとが同じ一語

アイヌ語で「川」を指す語は、地名になるときに三つの行き先に分かれました。同じ一語が、読めない地名にも読める地名にもなりました。この分岐をたどると、難読地名のからくりはほぼ説明がつきます。
| 写し方 | 地名に起きること | 例(もとの語) |
|---|---|---|
| 音を漢字で写す | 漢字は音の記号になり、意味は消える。読みは推測できない | 江別・士別・登別(ペッ=川)/稚内・歌志内(ナイ=川・沢) |
| 意味を日本語に訳す | ふつうの日本語の地名になり、すんなり読める | 滝川・砂川・深川(同じくペッ/ナイ=川) |
| カタカナのまま残す | 音がそのまま残る。意味は分からないが読める | トマム・ニセコ・ポンルルモッペ |
「江別」と「滝川」は、まるで別系統の地名に見えます。ところが出発点はどちらも同じ「川」を意味するアイヌ語でした。片方は音を借り、もう片方は意味を訳した。違いはそれだけです。
漢字が音だけを写すと、意味は読み取れなくなる

北海道の難読地名の大半は、この「音写」の系統です。漢字はカタカナやローマ字と同じ役割しか果たしていません。
「ペッ」と「ナイ」——どちらも川を指す言葉
35市のうち7つが「川」で終わっている
北海道の35市の名前を並べて数えると、「別」で終わるのが芦別・江別・紋別・士別・登別の5市、「内」で終わるのが稚内・歌志内の2市あります。合わせて7市。市の名前の2割が、末尾に「川」という語を抱えている計算になります。
町村まで広げれば、遠別・湧別・津別・木古内・岩内と、数はさらに増えます。北海道の地名が似た響きに感じられるのは、この語尾の反復のせいです。
日本海側は「ナイ」、太平洋側は「ペッ」
同じ「川」でも、地域によって使われる語には偏りがありました。ナイ(nay)が多いのは北海道の日本海沿岸から樺太にかけて。ペッ(pet)は太平洋沿岸から千島列島北部にかけて広がり、千島の北部ではペッだけ、樺太ではナイだけになるという指摘もあります。
地図の上で語尾を塗り分けると、話し手たちの分布がうっすら浮かびます。地名は、その土地に誰がいたかの記録でもあるわけです。
音を借りた漢字は、意味の手がかりにならない
音威子府は「川口が泥の場所」
音威子府は、アイヌ語の「オ・トイネ・プ」に漢字を当てたものとされます。意味は「川口が泥でよごれている所」。音・威・子・府という4文字のどれ一つとして、泥にも川にも関係していません。
読めない地名を前にしたとき、漢字から意味を推理しようとするのは筋の悪い作戦です。手がかりは漢字ではなく、読みの側にあります。
妹背牛は、もとの意味が二つに割れたまま
妹背牛の語源は「モセ・ウㇱ」とされますが、これが厄介な同音異義でした。「イラクサが群生する所」とも「草刈りをいつもする所」とも読めてしまうのです。どちらの意味で呼ばれていた土地なのか、現在では分からなくなっています。
音だけを漢字に移した副作用がここに出ています。表記が音を保存した一方で、意味のほうは記録から抜け落ちてしまいました。
同じ言葉を「訳した」町は、ふつうに読める

音写のとなりには、もう一つの系統があります。意味を日本語に置きかえた地名です。こちらは読めるので難読地名として話題にならず、アイヌ語由来だと気づかれないまま日常に溶けています。
滝川・砂川・深川——意味を日本語に置きかえた名前
滝川=「滝が下る川」
空知川の中流には段差があり、アイヌの人々は「ソー・ラプチ・ペッ」と呼んでいました。滝が下る川、という意味です。滝川市の名は、この呼び名を訳したものとされています。
もし音のほうを採っていたら、この街は読み方の見当もつかない4文字の地名になっていたはずです。訳すか写すかで、地名の見た目は決定的に変わります。
砂川は「砂の多い川」、深川は「深い川」
砂川市の語源は「オタ・ウㇱ・ナイ」。オタが砂、ウㇱが多い、ナイが川です。深川市は、市街の北を流れる大鳳(おおほう)川のアイヌ語名「オホ・ナイ(深い・川)」の意訳という説があります。
石狩川沿いに砂川・滝川・深川・旭川と「川」のつく市が連なっているのは偶然ではありません。もとの地名がどれも川の名だったからです。
旭川には、音写と意訳が両方残っている
忠別川(音写)と旭川(意訳)は同じ川
旭川市を流れる忠別川(ちゅうべつがわ)。この川名は音を漢字に写したもので、読みにくい部類に入ります。ところが同じ川の呼び名を意味の側から訳したのが、市名の「旭川」です。
一つの川に、音写の名前と意訳の名前が並んで残りました。北海道の地名の作られ方が、そのまま化石のように保存された例です。
もとの意味は「秋」だった可能性もある
アイヌの人々が忠別川を「チュクペッ」と呼ぶのを和人が聞き取り、「太陽の川、転じて日が昇る川」と解釈した。そうして1890年(明治23年)に名づけられた、というのが旭川市の説明です。ただし元の語の解釈は一つに定まっていません。
候補として挙がっているのは cup-pet(日・川)・cuk-pet(秋・川)・ciw-pet(波・川)など。もし「秋の川」が正解だったなら、旭川という華やかな地名は聞き違いから生まれたことになります。
三文字・四文字が残ったのは、二字に揃える決まりの外にいたから

難読の要因はもう一つあります。文字数です。本州の地名がきれいに漢字二字で揃っているのに対し、北海道には三字・四字の地名がごろごろしています。これは偶然ではなく、時代の差から来ています。
本州の地名は1300年前に二字へ揃えられた
713年の「好字二字令」
713年(和銅6年)、元明天皇の詔によって、諸国・郡・郷の名は縁起のよい漢字二字で書くよう定められました。風土記の編纂を命じた詔に含まれていたもので、好字二字令(こうじにじれい)などと呼ばれます。
※ 好字(こうじ)とは、意味のよい漢字のことです。当時の先進国だった唐にならい、地名に縁起のよい字をあてる方針が取られたとされます。
二字に押し込めた結果、本州にも難読地名が生まれた
三字や一字だった地名を無理やり二字に詰めたため、本州にも読みと字が食い違う地名が生まれました。一字だった「泉」に字を添えて「和泉(いずみ)」とした例が分かりやすいでしょう。「和」は読まれないまま、字数合わせのためだけに残っています。
北海道だけが特別に難読なのではなく、難読になる事情が違うだけ。読めない地名は全国にあります。
本州の難読は「意味の字に読みを合わせられなかった」型。北海道の難読は「音に字を合わせて意味を捨てた」型。方向が正反対になっています。
北海道の当て字が作られたのは明治になってから
松浦武四郎と永田方正
探検家の松浦武四郎(まつうらたけしろう)は1859年(安政6年)に『東西蝦夷山川地理取調図』を作り、内陸のアイヌ語地名まで書き留めました。1891年(明治24年)には永田方正(ながたほうせい)の『北海道蝦夷語地名解』が刊行され、地名の解釈が体系的に記録されます。
のちに山田秀三が現地を歩いて検証を重ね、『アイヌ語地名の研究』全4巻(1982〜1983年)にまとめました。北海道の地名研究は、この系譜の上に立っています。
それでも二字に縮めた地名はある
すべてが長いまま残ったわけではありません。帯広は「オペレペレケㇷ゚」、美深(びふか)は「ピウカ」がもとになったとされ、長い音を二字に圧縮した例に当たります。
音をどこまで拾い、どこで切り上げるか。当て字を作った人の判断ひとつで、地名の読みやすさが分かれました。
カタカナのまま残った名前

漢字を当てられずに、カタカナのまま定着した地名もあります。数としては漢字表記のほうが圧倒的に多く、カタカナ地名は例外的な存在です。
漢字にしなかった地名
トイトッキ、ルークシュポール、ポンルルモッペ
浦幌町のトイトッキ、厚岸町のルークシュポール、留萌市のポンルルモッペ。いずれも漢字表記が難しく、カタカナで表現された地名です。猿払村には「知来別シネシンコ」のように、漢字とカタカナが同居する住所まであります。
市町村名ではなく、字(あざ)や川・沢の名前にこの手の表記が多く残っています。橋を渡るたびに読めないカタカナの川名が現れる、という光景は道内では珍しくありません。
地名によく出る部品を覚えると読める
アイヌ語地名は、いくつかの語がくり返し組み合わさってできています。部品を知っておくと、初見の地名でもおおよその見当がつきます。
| 語 | 意味 | 地名での姿 |
|---|---|---|
| ペッ | 川 | 登別・江別・紋別の「別」 |
| ナイ | 川・沢 | 稚内・岩内・歌志内の「内」 |
| ポロ | 大きい | 札幌・羽幌・南幌の「幌」 |
| ポン | 小さい | ポンルルモッペ、ポン仁達内 |
| ヌプリ | 山 | ニセコアンヌプリ |
| ウㇱ | 多くある | オタウㇱナイ(砂川)、モセウㇱ(妹背牛) |
ニセコ町——カタカナの自治体名
1964年、狩太町からニセコ町へ
1963年(昭和38年)にニセコアンヌプリ一帯が国定公園に指定され、観光客が増えました。地元では「ニセコ」の名で通っているのに町名は狩太(かりぶと)町。このずれを埋めるため、1964年10月1日に町名がニセコ町へ変更されます。
カタカナの町名としては、滋賀県のマキノ町に次いで全国2番目でした。「ニセコ」の語は「ニセイ・コ・アン・ペッ」(切り立った崖に向かってある川)に由来するとされ、その川名を冠した山がニセコアンヌプリです。
駅名の改称は4年遅れ
町は先に国鉄へ駅名の変更を打診しましたが、カタカナの駅名には前例がないと難色を示されます。そこで町名を先に変え、駅名が「ニセコ駅」になったのは1968年(昭和43年)4月1日。カタカナだけの国鉄駅名としては全国初でした。
いまでは観光地の名として国外にも通じるブランドになりました。改称の順番が逆だったら、この名前は定着しなかったかもしれません。
もう少し深く——地名にまつわる三つの話

「北海道」という名前もアイヌ語をくぐっている
松浦武四郎が出した6つの案
1869年(明治2年)、蝦夷地の新しい名称を問われた松浦武四郎は「北加伊道」「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を政府に提出しました。採用されたのは北加伊道です。
「カイ」は、アイヌの人々が自らの土地を指して使う語だと武四郎が聞き取ったものとされます。政府は古代の東海道・西海道・南海道にならって字を改め、「北海道」となりました。
なお、アイヌ民族が北海道の先住民族であることは、2019年に施行されたアイヌ施策推進法で法律に明記されています。道名の一字にも、その歴史がうっすら残っている格好です。
知床は「地の果て」ではない
シリ・エトクは「大地の突端」
知床の語源は「シリ・エトク」。シリが大地、エトクが突き出た先を指し、意味は「大地の突端」です。地形をそのまま述べただけの、実務的な名前でした。
「地の果て」という訳が広く知られていますが、これは秘境のイメージが後から重ねられたもので、元の語に「果て」の意味はないと指摘されています。地名の意訳には、訳した側の気分が混じることがあるわけです。
難読地名は北海道で途切れない
東北北部にも「ナイ」「ベツ」がある
アイヌ語で説明できる地名は、津軽海峡を越えた先にも散らばっています。太平洋側は仙台付近以北、日本海側は秋田県以北に分布するというのが山田秀三らの見方でした。
ただし南限がどこかについて定説はありません。地名の分布は、国境のようにきれいな線では引けないものです。
読めない地名は、日本語に翻訳されずに残った地名です。滝川や深川のように意味を訳された地名は読みやすくなった代わりに、元の音を失いました。音威子府は読みにくいままですが、そこで呼ばれていた音を今日まで運んでいます。地図の上の読めなさは、欠落ではなく保存の跡だということになります。
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