万年筆を英語で言うと fountain pen、直訳すれば「泉のペン」です。fountain は泉や噴水を指す語で、そこに「万年」にあたる意味はどこにもありません。
では日本語の「万年」は、どこから来たのでしょうか。じつは直訳にあたる「泉筆(せんぴつ)」という呼び名も、明治の日本で確かに使われていました。正確なほうの訳語が消えて、大げさなほうの名前だけが今日まで残っています。
名前の年表と、物の年表は別々に走っている

この話がややこしくなるのは、「ペンそのものが日本に来た時期」と「万年筆という言葉が生まれた時期」がぴったり重ならないからです。二本の線を並べて置くと、名前だけが先に走り出していたことが見えてきます。
| 年 | 物の側(ペンそのもの) | 名前の側(呼び名) |
|---|---|---|
| 1809年 | イギリスでインクを内蔵するペンの特許が取られたと伝わる | — |
| 1884年 | ウォーターマンが毛細管現象を使う方式で特許を取得 | 横浜の商会が針先式のペンを輸入。「針先泉筆」の名で売られる |
| 1885年 | — | 丸善の広告に「万年筆」の文字。同年10月の新聞に「大野徳三郎、萬年筆と名づく」 |
| 1888年 | — | 「泉筆」の呼び名も使われている |
| 1895年 | 丸善がウォーターマンの万年筆を輸入販売 | — |
| 1905年 | — | 特許書類に「高木式萬年筆」の名 |
| 1908年 | 公文書で鋼ペンとインキの使用が認められる | — |
| 1912年 | — | 夏目漱石が万年筆をめぐる随筆を書く |
| 1949年 | 万年筆が日本の工業規格になる | 呼び名は「万年筆」で固まる |
右の列だけを縦に読むと、明治の二十年ほどは名前が揺れっぱなしでした。以下、その揺れがどこで始まり、どこで止まったのかを順にたどります。
直訳の名前は、たしかに存在した

fountain pen は「泉のペン」
湧き続けるものにたとえた名前
英語の fountain は、噴水や泉のことです。ペン軸の中にインクをためておき、書いているあいだ切れ目なく供給される。その様子を「泉」になぞらえたのが fountain pen という呼び名でした。
つまり英語の名前は、インクが湧き出る場所を指しています。時間の長さではなく、空間のたとえです。
最初に横浜へ来たのは、万年筆ではなかった
1884年(明治17年)ごろ、横浜の商会がアメリカ製のスタイログラフィック・ペンを輸入します。これは今の万年筆のような二股のペン先ではなく、細い針で穴をふさぐ構造の筆記具でした。
※ スタイログラフィック・ペンとは、先端の小さな穴に細い針が入っていて、紙に押しつけると針が動いてインクが出る仕組みの筆記具です。線の太さが変わらないため、製図などに向いていました。
ちなみに輸入元の商会名は、資料によって「バンダイン商会」「バンスタイン商会」と表記が揺れています。この時期の記録は、細部がそろわないまま伝わっているものが少なくありません。
「泉筆」「針先泉筆」は実際に使われていた
輸入時の商品名が直訳だった
このスタイログラフィック・ペンは、当初「針先泉筆」の名で売られたと伝えられます。針の先から泉のようにインクが出る筆、というわけです。英語の比喩をそのまま漢語に置き換えた、素直な訳語といえます。
1888年にも「泉筆」の名が残っている
万年筆の専門サイトが集めた記録によれば、1888年(明治21年)の段階でも「泉筆」という呼び名が使われていました。「万年筆」が新聞に現れた1885年より後です。二つの名前は、しばらく並んで生きていたことになります。
名前が決まらなかった、二十年ほどの空白
特許書類に並ぶ、奇妙な名前たち
明治期には、インクを内蔵する筆記具がばらばらの名前で特許を取っていました。同じ道具を指しているのに、命名の発想がまったくそろっていません。
| 当時の呼び名 | 字が指しているもの |
|---|---|
| 泉筆/針先泉筆 | fountain(泉)の直訳 |
| 自在泉筆/竹穂泉筆 | 「泉」に別の語を足したもの |
| 吐墨筆 | 墨を吐く |
| 貯汁筆 | 汁をためる |
| 軽便含墨筆 | 手軽で、墨を含んでいる |
| 便利ペン軸 | 便利な軸 |
| 萬徳筆 | 徳が多い |
| 如意軸 | 思いのままになる軸 |
| 萬年筆 | 年が尽きない |
墨を「吐く」と言うか、汁を「ためる」と言うか。名前の付け手が、その道具の何を新しいと感じたかがそのまま出ています。
この一覧をどこまで信じるか
ただし右の一覧は、万年筆を扱う専門サイトが特許記録から拾い上げたものです。国の機関がまとめた一次資料の写しではありません。読みも資料によって一定しないため、ここでは表記のまま並べています。
「万年」はどこから来たのか

1885年の新聞に出てくる「まんねんふで」
名づけたのは、日本橋の時計商だった
1885年(明治18年)10月の新聞に、こんな趣旨の記事が載っています。日本橋本石町(ほんこくちょう)の時計商・大野徳三郎が一種の筆を発明し、これを「萬年筆」と名づけた——。
注目したいのは読み方です。記事では「まんねんふで」とふられていました。翌1886年(明治19年)の都新聞に出た広告でも、やはり「まんねんふで」。今の「まんねんひつ」という読みが主流になるのは明治の末とされ、生まれたときの呼び名は和語まじりだったわけです。
日付も紙名も、資料によって食い違う
この記事の日付は、10月13日とする資料と10月23日とする資料があります。新聞の名も「東京横浜毎日新聞」「横浜毎日新聞」で揺れます。同じ出来事を指しているとみられますが、細部までは固まっていません。
通説になっている内田魯庵説は、年が合わない
「末永く使える」という意味を与えた人
百科事典のたぐいでよく見かけるのは、作家の内田魯庵(うちだろあん)が「末永く使える」という意味で万年筆という訳語を与えた、という説明です。これが通説とされています。
魯庵が丸善に入るのは1901年
ところが魯庵が丸善の書籍部顧問になったのは1901年(明治34年)で、社の雑誌『學鐙(がくとう)』の初代編集長になったのも同じ年です。先ほどの新聞記事より、十六年ほど後になります。
年表を並べるかぎり、魯庵が最初の名づけ親だとするのは苦しい。とはいえ彼が万年筆と深く関わっていたことは確かで、そこがこの説の生まれた土壌なのでしょう。
人の名前から来たという説もある
「万さん筆」が転じたという話
丸善で輸入を担当した金沢万吉という人物にちなみ、「万さん筆」がなまって万年筆になったという説があります。販売に尽力した人の店の名から取った、という異説も残っているようです。
商品名から広がったという説
明治末期に福井商店が輸入していた筆記具を「NY万年ペン」と呼んでおり、そこから同種の道具にこの名が付いたという説もあります。どれも決め手を欠いたまま、名前だけが定着しました。
毛筆の国では、「万年」のほうが効いた

それまでの筆記具は、何度も浸すものだった
硯とインク壺の往復
毛筆なら硯(すずり)へ、つけペンならインク壺へ。当時の書き手は、一行を書き終えないうちに何度も手を止めて先を浸していました。書く速さを決めていたのは、頭の回転よりこの往復だったともいえます。
売りは「浸さなくていい」だった
新しい筆記具の価値は、そこにありました。インクが泉のように湧くかどうかより、買い手にとっては「途切れずに、ずっと書ける」ほうが響きます。「万年」という誇張は、その売り文句としてよく効いたはずです。
規格は「自動的に伝わる機構」と書いている
JISが定める万年筆の条件
現在のJIS S 6025(万年筆及びそのペン先)は、適用範囲をこう書きます。ペンポイントを溶着したペン先と、「胴内に保有するインキがペン先に自動的に伝わる機構」をもつ万年筆について規定する、と。名前の由来はともかく、道具の定義は「自動的に伝わる」の一点に絞られています。
※ JIS(Japanese Industrial Standards、日本産業規格)とは、工業製品や材料などについて国が定めている規格のことです。万年筆は1949年に「JIS S 6616」として制定され、のちにペン先の規格と統合されました。
出たインクと同じだけ、空気を入れている
同じ規格は、ペン芯をこう定義しています。毛細管作用でペン先までインキを引き出し、出たインキ量だけ外部の空気を軸内に導き入れる役目をもつ部品である、と。
インクが減った分だけ、空気が入れ替わる。万年筆の細い溝は、出口であると同時に入口でもあるわけです。泉というより、静かに呼吸している装置に近いのかもしれません。
1908年、役所がインクを認めた
閣令第四号という転機
1908年(明治41年)11月7日、閣令第四号によって公文書への鋼ペンとインキの使用が正式に認められます。それまで役所の書類は毛筆が原則でした。
※ 閣令(かくれい)とは、戦前に内閣総理大臣が発した命令のことです。現在の内閣府令にあたります。
ここから毛筆と入れ替わっていく
役所が認めれば、学校も会社も続きます。国産メーカーが相次いで立ち上がるのもこの時期で、1911年(明治44年)に呉でセーラーが、1918年(大正7年)に並木製作所(のちのパイロット)が生まれました。名前が固まる前に物が普及するのではなく、名前と物がほぼ同時に足場を得た格好です。
では、本当に万年もつのか

規格は「すり減りにくさ」までは定めている
ペン先の先端は耐摩耗性合金
JISはペンポイントを、イリドスミンなど白金族を含む耐摩耗性合金で、ペン先の先端に溶着したものと定義しています。紙に当たり続ける一点だけを、わざわざ硬い金属に置き換えているわけです。
規格には「切り割」「玉す」といった独特の用語も並びます。前者は先端から中央にかけてペン先を切り割った部分、後者はペンポイントの中に生じた空洞のこと。長く使う道具として、細かく面倒を見られてきた歴史がうかがえます。
金のペン先が使われる理由
高価な万年筆のペン先に金が使われるのは、装飾のためだけではないとされます。金は腐食に強く、しなやかにたわむ。インクの成分に負けにくく、書き手の筆圧になじむという二つの性質が買われてきました。ステンレス製のペン先も広く使われており、金でなければ書けないわけではありません。
先に寿命が来るのは、金属以外の部分
詰まりと乾き
実際に万年筆を使えなくするのは、たいていペン先ではありません。しばらく放っておいたインクが固まり、細い溝をふさいでしまう。ゴムやプラスチックの部品が経年で傷むこともあります。
「万年」は保証ではなく看板
手入れをすれば何十年も使えるとされ、修理を受け付けるメーカーもあります。それでも「万年」が耐用年数を約束した言葉でないことは、字面を見れば明らかでしょう。売り手の意気込みが、そのまま名前として据え置かれています。
豆知識:インクの染みの逸話は、本人の死後に生まれた

ウォーターマンの有名な話
契約を逃した保険外交員
万年筆の歴史でくり返し語られる逸話があります。保険外交員だったルイス・ウォーターマンが大口契約の席でペンを差し出すと、インクが漏れて書類を汚してしまった。書き直しを取りに行っているあいだに、契約は競合他社へ流れた——。悔しさから彼は漏れないペンの開発に向かった、という筋書きです。
特許そのものは1884年に実在する
ウォーターマンが1884年に毛細管現象を応用した方式で特許を取ったのは事実です。この構造が、それまで不安定だった万年筆を実用品へ押し上げました。日本の丸善が彼のペンを輸入するのは1895年(明治28年)のことです。
ただし逸話のほうは、裏づけを欠く
初出は1912年の雑誌記事
英語圏の記録をたどると、このインクの染みの話が活字になったのは1912年5月の雑誌『Pearson’s Magazine』が最初とされます。ウォーターマン自身が亡くなったのは1901年ですから、本人の死から十年以上あとです。
記録に残っているのは、1883年に彼がホランド・ペン社の販売員としてペン業界に入ったことのほう。感動的な失敗談は、会社の物語として後から足された可能性が高いと指摘されています。
漱石は、はじめ万年筆が嫌いだった

1912年には日本でも、夏目漱石が万年筆について随筆を残しています。彼はもともと書き味に不満を抱えていましたが、内田魯庵から贈られた「オノト」を使って気持ちよく書けたと記しました。
名づけ親としては年が合わない魯庵が、万年筆の伝道者としてはしっかり登場する。名前の由来をめぐる説の中で彼の名がくり返し挙がるのも、こうした結びつきの強さゆえかもしれません。
「泉筆」は、意味の上では正しい訳でした。それでも売り場で選ばれたのは、確かめようのない大きな数字を掲げたほうです。手元の一本が万年もつかどうかは誰にも分かりませんが、この名前が百四十年ほど生き延びたことだけは確かめられます。
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