万年筆の「万年」は、インクを何度もつけ直さずにいつまでも書き続けられることを誇った、日本独自の名前です。英語の fountain pen は「泉のペン」で、明治の日本にも直訳の「針付泉筆(はりつきせんぴつ)」という呼び名がありました。「万年筆」の文字は1885年(明治18年)に現れますが、だれが名づけたのかは今もはっきりしていません。
「万年」は書き続けられることを誇った名前

英語の fountain は「泉」の意味
英語の fountain は、泉や噴水を指す言葉です。軸の中にためたインクが、書いているあいだ途切れずにペン先へ湧いてくる。その様子を泉にたとえたのが fountain pen という呼び名でした。英語の名前が見ているのは、インクが湧き出る「場所」のほうです。時間の長さを表す言葉は、どこにも入っていません。
「万年」は時間の長さに置きかえた言葉
日本語の「万年」は、同じ道具を時間の側から言い表しています。国語辞典や百科事典の多くは、末長く使える筆という意味で付いた名前だと説明します。泉という場所のたとえが、万年という時間の誇張に入れかわったわけです。「万年雪」「万年床」のように、万年には「いつまでも続く」という含みがあります。売り物の名前としても、覚えやすい響きでした。
浸さずに書けることが新しかった
それまでの筆記具は、書くたびに墨やインクを補うものでした。毛筆なら硯(すずり)へ、1871年(明治4年)に日本へ入ってきた鋼ペンならインク壺へ。一行を書き終えないうちに、何度も手を止めて先を浸していたのです。軸にインクを抱えたペンは、この往復をなくしました。「手を止めずに、ずっと書ける」という売りが、万年という大きな数字に込められたと考えられます。
最初に日本へ来たのはどんなペン?

1884年に届いたスタイログラフィックペン
日本に最初に入ってきたのは、今の万年筆とは仕組みの違うペンでした。1884年(明治17年)ごろ、横浜の商会がアメリカ製のスタイログラフィックペンを輸入し、東京・日本橋の丸善などで売られます。丸善自身も、この年を万年筆の輸入販売の始まりとして紹介しています。
※ スタイログラフィックペンとは、先端の細い管に針が通っていて、紙に押しつけると針が動いてインクが出る筆記具です。線の太さが変わらないため、製図などに向いていました。
直訳の名前は「針付泉筆」
このペンは「針付泉筆」と呼ばれました。「針先泉筆」とも書かれます。針の先から泉のようにインクが出る筆、という意味です。英語の fountain をそのまま「泉」に置きかえた、素直な訳語でした。題名の「泉筆」は、この直訳の系統に連なる呼び名です。割れたペン先で書く今の形の万年筆は、この時点ではまだ日本に来ていませんでした。
「万年筆」の文字が現れたのは1885年

丸善の引き札に載った「万年筆」
「万年筆」という文字が確かめられる早い例は、1885年(明治18年)の丸善の引き札(ひきふだ)です。引き札は、店が配った広告のちらしのこと。日本筆記具工業会の年表によると、当時は針先のペンも金ペン付きのペンも、まとめて「万年筆」と呼んでいました。物の種類より先に、名前のほうが売り場で一つにまとまっていたわけです。
同じ年の新聞「名づけて万年筆と云ふ」
同じ1885年の10月13日には、新聞にもこの名前が登場しました。国立国会図書館のレファレンス事例が紹介する記事には、ある人物が「一種の筆を発明し名づけて万年筆と云ふ」とあります。ちらしと新聞の両方に同じ年に出てくるので、この名前は1885年には世に出ていたと見てよさそうです。
最初の「万年筆」は毛筆に近かった?
平凡社の『世界大百科事典』は、もう少しさかのぼった話を載せています。1828年(文政11年)、鉄砲鍛冶の国友藤兵衛(くにともとうべえ)が、軸に墨をためる「懐中筆」を作りました。1885年にも同じような筆が「万年筆(まんねんふで)」として発表されたものの、どちらも広まらなかったといいます。名前に「筆」の字が入っているのは、毛筆の延長として考えられた道具の名残なのかもしれません。
名づけ親は内田魯庵なのか?

辞書の通説は作家の内田魯庵
国語辞典や百科事典でよく見るのは、作家の内田魯庵(うちだろあん)が「末長く使える筆」という意味で名づけた、という説明です。『デジタル大辞泉』も『日本大百科全書』も、これを「通説」として紹介しています。魯庵は丸善と縁の深い文学者で、万年筆を広める側にも立った人でした。
魯庵の丸善入社は1901年で年が合わない
ただ、魯庵が書籍部門の顧問として丸善に入ったのは1901年(明治34年)です。1885年のちらしや新聞より、16年ほど後になります。年表を並べるかぎり、魯庵を最初の名づけ親とみるのは難しそうです。広めた人としての印象の強さが、いつのまにか名づけ親の話に重なっていったのでしょう。
大野徳三郎が名づけたという説
別の説では、1884年に輸入品をまねて国産の万年筆を作った大野徳三郎という人物が「萬年筆」と名づけたといいます。語源の辞典が紹介している説で、1885年のちらしや新聞記事と時期がよく合います。魯庵説より古い時代の話なので、少なくとも年の上では無理がありません。
「万吉筆」と「NY万年ペン」から来た説
人の名前や商品名から来たという説もあります。『日本大百科全書』は、丸善の輸入担当者の名にちなむ「万吉筆」が転じたという説を紹介しました。明治末期に大阪の福井商店が輸入した筆記具が「NY万年ペン」と呼ばれ、そこから同じ種類の道具に名前が広がったという説もあります。どれも決め手がないまま、名前だけが定着しました。
初めの読みは「まんねんふで」だった

明治末期までは「マンネンフデ」が多数派
今は「まんねんひつ」と読みますが、明治のあいだは「まんねんふで」が広く使われていました。『日本国語大辞典』は、明治末期まで「マンネンフデ」が多く、その後「マンネンヒツ」が優勢になったと説明します。国立歴史民俗博物館の研究報告も、初期には「まんねんふで」と呼ばれたらしいと書いています。
鉛筆は「ぴつ」で万年筆は「ひつ」
鉛筆は「えんぴつ」と半濁音になるのに、万年筆は「ひつ」のままです。この違いを尋ねた質問が、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに残っています。「ん」の後ではハ行がパ行に変わりやすいという説明はあるものの、どちらも「ん」の後に続くので決め手になりません。書籍からはっきりした理由は見つからなかった、というのが回答でした。
「泉筆」の名はなぜ消えた?

1895年、ウォーターマンのペンが届く
転機は1895年(明治28年)です。丸善がアメリカのウォーターマン社の万年筆を輸入し、店頭で売り始めました。こちらは今と同じ、割れた金属のペン先を持つペンです。針で書くペンと、ペン先で書くペン。仕組みの違う二つの種類が、同じ店に並ぶことになりました。
「針万年筆」と「ペン付き万年筆」の呼び分け
二つが並ぶと、呼び分けが生まれます。『世界大百科事典』によると、針で書くほうは「針万年筆」、ウォーターマン型は「ペン付き万年筆」と呼ばれました。明治末期にはペン付きのほうが広まり、呼び名も「万年ペン」「万年筆」に落ち着きます。泉のたとえは、この呼び分けの中で表舞台から消えていきました。
売り場では大きな数字が強かった
「泉筆」は、意味の上ではむしろ正確な訳でした。それでも残ったのは、確かめようのない大きな数字を掲げた名前のほうです。買い手にとって大事なのは、インクの湧き方より手を止めずに書けること。売り文句としての強さが、名前の生き残りを決めたと考えられます。
1908年、役所がインクを認めた

閣令第四号で鋼ペンとインキが公文書に
1908年(明治41年)11月7日、閣令第四号によって、公文書に鋼ペンとインキを使うことが正式に認められました。それまで役所の書類は毛筆で書くのが原則です。百科事典の記述でも、このインク解禁のあとに万年筆が毛筆に代わって広まったとされています。
※ 閣令(かくれい)とは、戦前に内閣総理大臣が出した命令のことです。
国産メーカーが次々に生まれる
同じ1908年には、伊藤農夫雄が「スワン」万年筆を売り出しました。1911年(明治44年)には阪田久五郎が広島県呉市で、のちのセーラー万年筆を創業します。並木良輔は1916年(大正5年)に純国産の14金ペン先を完成させ、1918年(大正7年)に並木製作所(のちのパイロット)を設立しました。役所の解禁と国産化が、ほぼ同じ十年の中で進んだことになります。
1912年に漱石が寄せた万年筆の感想
1912年(明治45年)、丸善は『万年筆の印象と図解カタログ』を出し、夏目漱石や幸田露伴らが万年筆についての文章を寄せました。依頼したのは、丸善のPR誌『学鐙(がくとう)』の編集長だった内田魯庵です。漱石は英国製のオノトについて「すらすら書けて愉快であった」と記しています。魯庵自身も同じ年に「萬年筆の過去、現在及び未来」という文章を書き残しました。
本当に万年もつのか?

規格の条件は「自動的に伝わる機構」
いまの日本の工業規格 JIS S 6025(万年筆とそのペン先の規格)は、胴の中にためたインクがペン先へ自動的に伝わる機構を持つものを、万年筆として扱っています。この規格は1961年に制定され、2022年に改正されました。規格が見ているのは仕組みのほうで、何年もつかという約束はどこにも書かれていません。
※ JIS(Japanese Industrial Standards、日本産業規格)とは、工業製品や材料などについて国が定めている規格のことです。
ペン先の先端だけを硬い合金に
紙に当たり続けるペン先の先端には、すり減りにくい合金が付けられています。規格はこれをペンポイントと呼び、耐摩耗性の合金と定義しています。ペン先そのものによく使われるのは14金で、インクの酸に強いことが理由とされてきました。ステンレスや金めっきのペン先も広まっていて、金でなければ書けないわけではありません。
直しながら使い続ける道具
万年筆はもともと、売ったあとも調整や修理をするのが当たり前の道具でした。国立歴史民俗博物館の研究報告は、1970年代まで万年筆が一人1本は持つほどありふれた日用品で、決して使い捨てではなかったと書いています。使ううちに書き手の癖になじんでいくのも、この道具ならではです。「万年」は保証の数字というより、手入れしながら付き合い続ける道具の名前とも読めます。
ウォーターマンの「インクの染み」は作り話?

1884年の特許はインクと空気の入れかわり
ルイス・ウォーターマンは1884年2月12日、「Fountain-Pen」という名の米国特許を取りました。ペン芯の溝を伝ってインクがペン先へ下り、同じ溝を空気がのぼって軸に入る仕組みです。出たインクの分だけ空気が入るので、軸の中が真空にならず流れが安定します。インクが出すぎると空気が多く入って流れを抑える、自動の調整役も兼ねていました。
契約を逃した保険外交員の逸話
万年筆の歴史でよく語られる話があります。保険の外交員だったウォーターマンが、大事な契約の席でペンを差し出すとインクが漏れて書類を汚してしまう。新しい書類を取りに戻っているあいだに、契約は競争相手に取られた。悔しさから漏れないペンを作った、という筋書きです。
会社のカタログには一度も出てこない話
この逸話は、裏づけを欠くとされています。収集家の研究によると、1890年代から1933年までのウォーターマン社のカタログに、この話は一度も載っていません。確認できる最も古い例は1921年の広告業界誌の記事で、本人が亡くなった1901年から20年後のことでした。実際のウォーターマンは、1883年にペン会社の販売員として業界に入った、経験豊かな商売人だったといわれます。
「泉筆」は、英語の意味を正しく写した名前でした。それでも売り場で選ばれたのは、確かめようのない大きな数字を掲げたほうです。手元の一本が本当に万年もつかは分かりません。ただ、この名前が140年あまり生き延びてきたことだけは確かです。
参考
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「鉛筆の筆は「ぴつ」と読むのに、万年筆の筆は「ひつ」なのはなぜか。」
- 日本筆記具工業会「万年筆の歴史」年表
- 小池淳一「国産万年筆研究の課題」『国立歴史民俗博物館研究報告』第170集(2012年)
- L. E. Waterman「Fountain-Pen」米国特許 US293545(1884年)
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