「あいうえお、かきくけこ」という並びは、日本語の都合で決まったものではありません。もとをたどれば、インドの文字を並べた表の順番です。
表を作ったのも、子どもに文字を教えたい人ではありませんでした。お経を正しく読みたい平安時代の僧侶たちです。私たちが小学校で最初に習うあの表は、千年前の学問の道具が、めぐりめぐって教科書に落ち着いたものでした。
五十音図は、縦と横で出どころが違う

五十音図は一枚の表に見えますが、横の並びと縦の並びは別々の理由で決まっています。二つの軸に分けて、それぞれ何が順番を決めたのかを先に置いておきます。
| 見る向き | 並び | 順番を決めたもの |
|---|---|---|
| 横の並び(段) | あ・い・う・え・お | インドの梵字の字母表にある母音の順 |
| 縦の並び(行) | か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ | 音を作る位置。口の奥から前へ進む |
| 表そのもの | 子音×母音のマス目 | 漢字の発音を仮名で書き表すための工夫 |
| 使われ方 | 学校で最初に習う順番 | 明治以降。それ以前の手習いは「いろは」 |
順番そのものは輸入品で、マス目の発想は漢字を読むための道具。この二つが平安時代に重なって、いまの表の形ができあがりました。
「あいうえお」はインドの字母表の順番

段の並びは、梵字(ぼんじ)の字母表である悉曇章(しったんしょう)の母音の順をなぞったものとされています。日本語の音を耳で聞き比べて決めた並びではありません。
梵字の母音の並びをそのまま写した
基本の母音のうしろに、二次的な母音が続く
梵語(サンスクリット)の基本の母音は「a ā i ī u ū」の順に並びます。そのあとに「e ai o au」という、二つの音が合わさってできた母音が置かれる仕組みです。
長い音と二重母音を落とすと、五つが残る
日本語には母音の長短を字で区別する習慣がなく、ai や au にあたる音も単独の母音とは扱いません。線を引いた長音と二重母音を外すと、残るのは a・i・u・e・o の五つ。並べ替えを一度もしないまま「あいうえお」ができあがります。
「あいうえお」に理屈っぽさを感じないのは当然で、これは日本語のために設計された順序ではなく、借りてきた順序をそのまま使ったものだからです。
僧侶が外国の文字を熱心に学んだ理由
真言や陀羅尼は、音そのものに意味があった
密教の真言や陀羅尼(だらに)は、訳してしまうと力を失うと考えられ、梵語の音のまま唱えられてきました。意味を訳せない以上、僧侶にとって発音の正確さは信仰の中心にかかわる問題です。インドの文字と発音を学ぶ必要が、そこから生まれました。
悉曇学という、文字そのものの学問
この勉強は日本で悉曇学として体系化され、平安時代の学問の一分野になりました。母音と子音を組み合わせて音を組み立てるという発想も、そこで身についたものです。
※ 悉曇(しったん)とは、古代インドで用いられた梵字(ブラーフミー系の文字)とその音の学問のことです。仏教とともに中国を経て日本へ伝わりました。
「かさたなはまやらわ」は口の奥から前へ進む

行の並びを決めているのは、その音を口のどこで作るかです。奥で作る音から始まり、だんだん唇のほうへ移っていきます。
息を強く止める音は、奥から前の順に並ぶ
か行はのどの奥、ま行は唇
「か」と言うとき、舌の後ろが上あごの奥に触れます。「さ」「た」「な」では舌先が歯ぐきのあたりへ移り、「は」「ま」になると唇が仕事をする。声に出して順に言ってみると、音の作り場所がゆっくり前へ動いていくのがわかります。
同じ位置の音では、鼻に抜ける音があとになる
「た」と「な」は、どちらも舌先を歯ぐきにつけて作る音です。違いは息が鼻へ抜けるかどうかで、鼻に抜けるほうを後ろに置く決まりがありました。「は」と「ま」の関係も同じで、この規則が「たな」「はま」という並びを生んでいるとされます。
残りの三行は、母音に近い音のグループ
や・ら・わは口をあまり閉じない
や行・ら行・わ行の子音は、息の流れをほとんどせき止めません。母音に半分足を突っ込んだような音で、半母音や接近音と呼ばれます。強く止める音のグループを並べ終えたあとに、この弱い音のグループが続く。ここでもやはり奥から前の順です。
| 行 | 音を作るおもな場所 | 口の中の位置 |
|---|---|---|
| か行 | 舌の後ろと上あごの奥 | いちばん奥 |
| さ行・た行・な行 | 舌先と歯ぐき | 中ほど |
| は行・ま行 | 唇(は行は現在はのど寄り) | いちばん前 |
| や行・ら行・わ行 | 息をせき止めない弱い子音 | 奥から前へもう一巡 |
表を眺めると、口の中の地図になっている
アルファベットのABCの並びに音声上の意味はなく、古代の文字の順がそのまま受け継がれたものです。五十音図はそこが違い、縦は口のどこで音を作るか、横は口をどれだけ開くかで整理されています。千年前の表が、そのまま発音の見取り図として通用してしまう。
ただし、は行だけは少し事情が複雑です。昔の「は」はp音やf音に近かったと考えられており、唇の音として並べられた当時の位置と、いまの発音は必ずしも一致しません。
作ったのは学者僧、狙いは漢字の読み方だった

五十音図は、仮名を覚えるための表として生まれたわけではありません。漢文のお経に出てくる漢字を、正しい音で読むための道具でした。
反切という、発音の書き表し方
二つの漢字で一つの音を示す
発音記号のない時代、中国では漢字の読みを別の漢字二つで示していました。一字目から頭の子音を、二字目から残りの部分を取って組み合わせる方法です。韻書『広韻』が「東」の音を「徳紅切」と記すのがその例で、「徳」の頭の音と「紅」の残りを足すと「東」の読みになります。これを日本語でやろうとすると、子音と母音を切り分けて考える枠組みが要ります。
※ 反切(はんせつ)とは、漢字の発音を別の二つの漢字の組み合わせで表す方法のことです。中国の辞書などで古くから使われてきました。
明覚の『反音作法』が、仮名で反切を説いた
平安後期の天台宗の僧・明覚(みょうかく)が1093年(寛治7年)に著した『反音作法(はんおんさほう)』には、同じ子音を同じ行に、同じ母音を同じ段にまとめる方法が説かれていました。縦横のマス目さえあれば、行と段を指で追うだけで音を合成できます。表は暗記の対象ではなく、計算尺のような実用の道具でした。
現存する最古の音図は「いおあえう」の順
『孔雀経音義』の「キコカケク」
いま残っているいちばん古い音図は、醍醐寺(だいごじ)が伝える『孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ)』に書き添えられたものです。成立は1004年から1028年ごろとされ、そこに並ぶのは「キコカケク シソサセス」という見慣れない順でした。段が「いおあえう」の順に組まれていたわけです。
完全な形で残る最古は、1079年の写本
いまの並びに近い形で全体が残る最古の例は、1079年(承暦3年)の『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)』とされています。つまり五十音図は、生まれたときから完成品だったのではありません。何通りもの並べ方が試され、そのうちの一つが生き残ったということになります。
七百年のあいだ、表舞台にいたのは「いろは」

音図が平安時代にできていたのなら、なぜ「あいうえお」を習うのが当たり前になったのは最近なのか。答えは、長いあいだ五十音図が学者の道具にとどまり、庶民の文字の入口は別にあったからです。
手習いの手本は、いろは歌だった
47字を一度ずつ使う、意味のある歌
いろは歌は、仮名を重複させずに47字すべてを使った歌です。成立は10世紀末から11世紀中ごろとされ、内容は『大般涅槃経』の無常偈(むじょうげ)の意訳だと説明されてきました。空海の作という言い伝えは、七五調の歌の形式が空海の時代にはまだ見られないことなどから、現在では否定されています。
意味のある文章になっている強みは大きく、順に唱えれば覚えられます。文字の表としては、五十音図より先に世の中へ広まりました。
ちなみに、この歌が手習いの手本として広まっていったころ、ひらがなとカタカナはそれぞれ別の場所で形を整えていました。二つの仮名の育ち方についてはなぜ日本語には「ひらがな」と「カタカナ」の2種類があるのかで取り上げています。
寺子屋3,065か所のうち、2,347か所
大正期に行われた調査では、対象となった寺子屋3,065か所のうち2,347か所がいろは歌を手習いに使っていたと報告されています。江戸の子どもたちにとって、文字の順番といえば「いろはにほへと」でした。法令の条文を細かく分けるときの見出しが、いまも「イ」「ロ」「ハ」と枝分かれしていくのは、その時代の名残です。
五十音が教室に入るまで
「五十音」という呼び名は江戸時代から
この表は古く「五音(ごおん)」「五音図」などと呼ばれており、「五十音」という言い方が起こったのは江戸時代とされます。「五十音図」という呼称が一般化したのは明治以後です。千年使われてきた表が、いまの名前を得たのは意外に新しい出来事でした。
明治5年の『単語篇』が転機になった
1872年(明治5年)に文部省が作った『単語篇』では、仮名の一覧が現在の五十音図の形式で示されました。学校制度が整えられていく流れのなかで、音のしくみを説明しやすい表が教育の側に選ばれていきます。辞書の見出しの並べ方も、江戸期からじわじわと五十音順が増えていきました。ちなみに、いろは順が当たり前だった時代に五十音順を採った最も古い辞書は、室町時代の『温故知新書』(1484年)とされています。
もっとも、切り替わりは一夜にして起きたわけではありません。明治になってからも『和漢雅俗いろは辞典』のようないろは順の辞書が出され、法令集の索引は大正期までいろは順だったと伝えられています。日本初の近代的な国語辞典とされる大槻文彦の『言海』(1889〜1891年)が約39,100語を五十音順に並べたころ、世の中はまだ二つの順番を行き来していたわけです。
豆知識——五十音図には空席と重複がある

五十のマスに入る仮名は四十五しかない
や行とわ行が、あ行と重なってしまう
や行のイ段・エ段とわ行のウ段には、あ行と同じ「い」「う」「え」が入るか、空白になります。「ゐ」「ゑ」も現代仮名遣いでは使いません。数えてみると、いま実際に置かれる仮名は45字です。五十音という名前は、四十五音の表に付いた少し大きめの看板ということになります。
「ん」には、もともと席がない
「ん」は子音と母音の組み合わせで説明できないため、行にも段にも属しません。音図の伝統からは外れた文字で、表の外に置かれるようになったのは近代に入ってからです。45字に「ん」を足して46字。私たちが数えている仮名の数は、こうしてできています。
明治の教科書には、見慣れない仮名があった
空席を埋めるために作られた字体
明治初期の教科書や掛図には、や行の「イ」「エ」やわ行の「ウ」に専用の字体を当てたものがありました。これらは別の音だと考える音義派(おんぎは)の学者たちが、いろは47字を五十音の枠に移したときに足りない分を補ったものです。
登場したときと同じ速さで消えた
寺子屋から新しい小学校へ移った子どもが、見たことのない仮名に驚いて「印刷の間違いではないか」と本屋へ掛け合った、という話も伝わります。結局この字体は定着せず、あ行と同じ仮名を置く流儀が残りました。表の空席は、埋めようとして埋まらなかった場所なのです。
「五段活用」という名前も、この表から来ている
書か・書き・書く・書け・書こ
「書く」を活用させると、語尾が「か・き・く・け・こ」と動きます。これは、か行を上から下までなぞる動きにほかなりません。ア段からオ段まで五つの段すべてにわたって変化するから、五段活用と呼ばれます。
表がなければ、活用は説明しにくい
いろは順では「か」と「き」は遠く離れた場所にあり、活用の規則は見えてきません。上一段・下一段という名前も、段という縦の座標があってはじめて意味を持ちます。お経を読むために整えられた枠組みが、そのまま日本語文法の物差しとして使われているわけです。
ものごとの初歩を、私たちはいまも「いろは」と言います。習うのは「あいうえお」からなのに、基本を指す言葉のほうは古い順番のまま残った。表の側は梵字の並びと口の中の位置という理屈を千年運びつづけ、言葉の側は意味のある歌の記憶を手放さなかった。五十音図の一マス目に「あ」が座っている理由は、日本語の中にではなく、はるか西の文字の列にあります。


