「姑息(こそく)」の本来の意味は「一時しのぎ」で、「卑怯(ひきょう)」の意味はもともとありません。「姑」はしばらく、「息」は休むを表します。しばらく息をつくことから、その場を間に合わせる意味になりました。ところが文化庁の2021年度の調査では、「姑息な手段」を「ひきょうな手段」と受け取る人が73.9%にのぼっています。
「姑息」はもともとどんな意味?

姑息は、根本から片づけずにその場を間に合わせることを言う言葉です。二つの漢字は、どちらも日常でよく見る意味とは別の意味で使われています。
姑にはしゅうとめのほかに「しばらく」の意味
デジタル大辞泉の漢字項目は、「姑」の意味としてしゅうとめ(夫の母)と並んで「しばらく」「一時的」を挙げています。その例として示されているのが、ほかならぬ「姑息」です。
平凡社の『字通』によると、平安時代末の漢字辞書『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』は、姑の読みにヲバ・シバラク・シウトメなどを並べています。姑をシバラクと読むことは、900年あまり前から知られていたわけです。
息は「いき」だけでなく「やすむ」
「息」には呼吸のいきのほかに、「休む」「いこう」の意味があります。休息や安息の息がこの意味です。姑息の二文字を訓で読めば「しばらく休む」となり、語の成り立ちがそのまま見えてくるはずです。精選版 日本国語大辞典が語釈の出発点に置くのも、「しばらくの間、息をつくこと」でした。
辞典の語釈は「一時の間に合わせ」
デジタル大辞泉は「一時の間に合わせにすること」とし、言い換えに「一時のがれ」「その場しのぎ」を添えています。精選版の語釈も「一時しのぎ」「その場のがれ」です。どちらにも、ずるさや卑怯さを表す言葉は入っていません。
精選版が用例に挙げる尾崎紅葉の『金色夜叉』(1897〜98年)には、「期限内にだに返弁せば何事もあらじと姑息して」という一節があります。期限までに返しさえすれば何も起こるまいと、その場しのぎで済ませたという意味です。
本来の「姑息な手段」に、だます意味はない
本来の意味での姑息な手段は、根本的な解決を先送りにして当面をしのぐやり方です。雨漏りの下にたらいを置き続ける、足りないお金を別の借金で埋める、といった対処がこれに当たります。褒められたやり方ではありませんが、誰かを出し抜く行為とは限りません。本来の意味と広まった意味は、問題にしている点がそもそも違います。
| 観点 | 本来の意味 | 広まった意味 |
|---|---|---|
| 何を問題にするか | 対処が一時しのぎであること | やり方がずるく卑怯であること |
| 「姑息な手段」の読み | その場しのぎの手段 | ひきょうな手段 |
| 近い言葉 | その場しのぎ・弥縫策・泥縄 | 卑怯・卑劣・ずるい |
| 辞典での扱い | 語釈の中心 | デジタル大辞泉が補説で紹介 |
「卑怯」の意味で受け取る人はどれくらいいる?

文化庁の「国語に関する世論調査」では、3回とも「ひきょうな」を選んだ人が7割前後にのぼりました。本来の意味とされる「一時しのぎ」は、どの回も2割に届いていません。
3回の調査で「ひきょう」が7割前後
2003年度・2010年度・2021年度の調査は、どれも例文「姑息な手段」を示して、どちらの意味だと思うかを尋ねています。本来の意味を選ぶ人は少しずつ増えましたが、18年たっても2割の手前です。
| 選んだ意味 | 2003年度 | 2010年度 | 2021年度 |
|---|---|---|---|
| 一時しのぎ(本来の意味) | 12.5% | 15.0% | 17.4% |
| ひきょうな | 69.8% | 70.9% | 73.9% |
| 両方 | 4.7% | 2.9% | 5.9% |
| 全く別の意味 | 1.7% | 2.1% | 1.7% |
| 分からない(2021年度は無回答) | 11.4% | 9.2% | 1.1% |
2021年度から面接をやめて郵送に
2010年度の調査は2011年2月に個別面接で行われ、2,104人が答えました。2021年度は2022年1月から2月にかけての郵送調査で、回答者は3,579人です。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、面接から郵送へ切り替えられました。
文化庁は、方法が違うため過去の結果は参考値で、比較には注意が必要だと断っています。表の3回分の数字は、傾向をつかむ目安として読むのが適切です。
若い世代ほど「ひきょう」と答える

年代別に見ると、「ひきょうな」の割合は若い世代ほど高くなります。2010年度の調査では、59歳以下のどの年代でも7割を超えました。
2010年度は20代の86.7%が「ひきょう」
2010年度の結果の概要には年代別のグラフがあり、どの年代でも「ひきょうな」が「一時しのぎ」を大きく上回っています。いちばん高いのは20代の86.7%で、16〜19歳では「一時しのぎ」がわずか3.8%でした。グラフの数値を書き出すと、次のとおりです。
| 年代(2010年度) | 一時しのぎ | ひきょうな | 分からない |
|---|---|---|---|
| 16〜19歳 | 3.8% | 80.0% | 11.3% |
| 20代 | 7.3% | 86.7% | 2.7% |
| 30代 | 12.4% | 80.9% | 2.1% |
| 40代 | 10.8% | 82.6% | 2.6% |
| 50代 | 15.9% | 73.7% | 5.6% |
| 60歳以上 | 19.5% | 57.6% | 16.9% |
60歳以上は「分からない」も16.9%
60歳以上では「一時しのぎ」が19.5%と、年代別で最も高くなりました。いっぽうで「ひきょうな」は57.6%にとどまり、「分からない」と答えた人が16.9%いたのもこの年代です。本来の意味を選ぶ人が多いというより、どちらとも決めかねた人が多い年代だといえます。
2021年度も40代以下は60ポイント以上の差
2021年度の結果の概要でも、すべての年代で「ひきょうな」が「一時しのぎ」を上回りました。文化庁は、40代以下では二つの選択肢の差が60ポイント以上あると書いています。2010年度の60歳以上の差は38ポイントなので、若い世代ほど差が大きい形は10年あまり変わっていません。
「両方の意味がある」を選んだ人は、2010年度の2.9%から2021年度は5.9%になりました。調査方法の違いを差し引いても、二つの意味が並んで通じる言葉だと感じる人は少しずつ出てきているようです。
なぜ「卑怯」の意味が広まった?

その場しのぎのやり方を「ずるい」と感じる受け止め方から、卑怯の意味が生まれたと考えられています。辞典も、この変化を記録し始めました。
その場しのぎは「ずるい」に見えやすい
一時しのぎで切り抜けた人は、周りから見ると「きちんと向き合わずに逃げた」ように映ります。やり方への評価が、いつのまにかその人の態度への評価へ移っていったのでしょう。
国立国語研究所の「病院の言葉」委員会は、日常語の姑息の使い方として「姑息な手段で責任を逃れた」という文を挙げています。責任を逃れるための一時しのぎは、見ている人にはずるいやり方そのものです。こうした場面で繰り返し使われるうちに、言葉の中心がずるさの側へ寄っていったのでしょう。
大辞泉は補説で「ひきょう」を紹介
大辞泉の補説によれば、「その場だけの間に合わせ」であることから近年は「ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがあるそうです。語釈の本文ではなく補説に置いたところに、まだ新しい使い方だという見方がうかがえます。
類語欄には「卑怯」も並ぶ
同じ大辞泉の類語欄には、「弥縫」「泥縄」「付け焼き刃」と一緒に「せこい」「さもしい」「卑怯」まで載っています。間に合わせを表す言葉からけちくさい言葉へ、さらにずるさを表す言葉へ。意味の広がりが、そのまま一列に並んでいるかのようです。
江戸・明治の「姑息」は戒めの言葉

姑息は、そもそも褒め言葉として使われてきた言葉ではありません。精選版 日本国語大辞典の語誌によると、江戸時代には儒教の立場から否定的な語として用いられていました。
中江藤樹『翁問答』の「姑息の愛」
精選版が最も早い用例に挙げるのは、儒学者の中江藤樹(なかえとうじゅ)が著した『翁問答(おきなもんどう)』(1650年)です。「子のねがひのままに育てぬるを、姑息の愛と云」とあり、子どもの望むままに育てることを姑息の愛と呼んだ一節です。
同じ語誌は、姑息が一般に広く「一時のがれ」の意味で使われるようになるのは近世末からだとしています。甘やかしを戒める儒学の言葉が、江戸時代の終わりごろに日常の言葉へ広がっていったという流れです。
文明開化の流行語になった「因循姑息」
「因循姑息(いんじゅんこそく)」は、古い習慣に頼ってその場をしのごうとすることです。大辞泉の補説によると、文明開化期の流行語でした。精選版が初出に挙げるのは、1868年の『新令字解(しんれいじかい)』です。「因循」も昔からのやり方に従うことなので、四字全体で変わろうとしない態度への批判になります。
ちょんまげ頭は「因循姑息の音がする」
「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という文句は、明治の初めに流行しました。四字熟語を知る辞典によると、この歌には「半髪頭(はんぱつあたま)をたたいてみれば因循姑息の音がする」という文句もあったそうです。半髪頭はちょんまげのこと。古い時代の頭をたたけば因循姑息の音がする、というからかいでした。
もとは『礼記』の曾子の故事

姑息の出どころは、儒教の古典『礼記(らいき)』の檀弓(だんぐう)上篇です。孔子の弟子の曾子(そうし)が、死の間際に「小人物は姑息によって人を愛する」と語った場面に出てきます。
曾子の病床に敷かれた大夫用の敷物
紀元前5世紀の春秋時代、曾子は重い病で床についていました。そばには弟子の楽正子春(がくせいししゅん)と息子の曾元(そうげん)・曾申(そうしん)が控え、部屋の隅では童子が灯りを持っていました。
童子は、曾子の敷いている簀(さく)が華やかで、大夫の使う物ではないかと口にします。簀は竹で編んだ敷物で、魯の有力者である季孫(きそん)から贈られた品でした。大夫という高い身分の人が使う物で、曾子の身分には合わなかったのです。
「朝になったら替えましょう」と止めた息子
曾子はそれを聞くと、簀を替えるよう曾元に命じました。曾元は、父の病は重く今は動かせないので、朝を迎えられたら替えましょうと答えます。弱った父を今夜は休ませたいという、息子としてもっともな気づかいでした。
「細人の人を愛するや姑息を以てす」
曾子は息子の申し出を退け、立派な人物は徳によって人を愛し、小人物は姑息によって人を愛すると言いました。原文は次の一節です。
君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。(『礼記』檀弓上)
小人物は、一時の安らぎを与えることで相手を思いやる。息子の「今夜はこのまま休ませたい」という気づかいこそが、ここで言う姑息でした。
死に際を表す「易簀」も同じ場面から
周りの者が曾子を抱え上げて簀を替えると、曾子は寝床に戻って落ち着く間もなく息を引き取りました。この場面から生まれたのが「易簀(えきさく)」です。デジタル大辞泉によると、学徳の高い人の死、または死に際をいう語とされます。
精選版が挙げる用例は、室町時代の1415年ごろのものです。故事成語を知る辞典は、植物学者の牧野富太郎が『植物一日一題』(1953年)で、ある人物の死を「忽焉(こつえん)易簀せられた」と書いた例を載せています。
中国語の「姑息」は「甘やかす」

現代の中国語で姑息(gūxī)は、「甘やかす」「寛大に取り扱う」という意味の動詞です。曾子が戒めた「一時の安らぎで人を愛する」に、そのままつながっています。
汚職を大目に見るのも姑息
小学館の中日辞典 第3版は、「汚職で腐敗した人を決して許してはならない」と訳された例文を載せています。厳しく処分せずに見逃すことを、中国語では姑息と言うわけです。一見やさしい態度でも、悪い状態を長引かせる甘さとして退けられています。
日本語の「一時しのぎ」とは別の方向へ
日本語は「しばらく息をつく」から一時しのぎへ、中国語は「一時の安らぎを与える」から甘やかしへ意味を伸ばしたと見ることができます。日本でも『翁問答』の「姑息の愛」は甘やかしを指していました。江戸時代の儒学者は、中国の古典に近い意味でこの言葉を使っていたのです。
「姑且」「姑く」に残る「しばらく」
中日辞典によると、中国語の「姑且(gūqiě)」は「しばらく」「ひとまず」を意味する副詞です。「この意見はしばらく保留にする」のような文に使われ、姑の字が今も同じ意味で生きています。
日本語で姑一字の「しばらく」を目にすることは、ほとんどありません。それでもデジタル大辞泉の「しばらく」の見出しには、「暫く」「姑く」「須臾」の三つの表記が並んでいます。
病院で聞く「姑息的治療」は悪い治療?

医療で使う「姑息的治療」は、手を抜いた治療のことではありません。病気の原因を取り除くかわりに、痛みなどの症状を和らげる治療を指す言葉です。
症状を和らげる「対症療法」と同じ意味
国立国語研究所の「病院の言葉」委員会は、姑息的療法を「病気の原因を取り除くのではなく,痛みなどの症状を和らげる治療法」と説明しています。対症療法の関連語として載せ、「『対症療法』と同じ意味です」とも書いています。痛みや発熱、せきを抑える治療がその例です。
原因を取り除く「根治療法」と対になる
対になるのは、原因を取り除いて病気を根本から治すことを目指す「根治療法(こんじりょうほう)」です。同じ委員会は、「根治」は日常語であまり使われないため「原因療法」と言うほうが分かりやすいとしています。症状を抑える治療と根本から治す治療の組み合わせは、日常語の「一時しのぎ」と「根本的な解決」の関係そっくりです。
患者には使わない方がよい言葉
委員会の提案は、日常語の姑息はマイナスイメージが強いと指摘しています。医療者の言う「姑息的」は患者に悪い意味で受け取られる危険があるので、患者には使わない方がよい、というのが結論です。
対症療法についても、患者は症状を楽にするだけの治療を一時しのぎや単なる痛み止めと受け止め、喜ばないことも多いと書かれています。本来の意味の姑息でさえ、病院では前向きに受け取ってもらいにくいのです。
「姑息」を誤解されずに使うにはどうする?

姑息を本来の意味で使うこと自体は、正しい日本語です。気をつけたいのは、7割を超える人が違う意味で受け取るかもしれない点にあります。
「姑息な対策」は二通りに読まれる
たとえば「臨時の借り入れで赤字を埋めるのは姑息な対策だ」と書いた人は、根本的な改善になっていないと言いたいはずです。本来の意味どおりの、正しい使い方です。
ところが読み手の多くは、同じ文を「卑怯な手を使った」という非難として読みます。担当者が不正をしたかのように伝われば、指摘の中身より言葉の強さのほうが印象に残ってしまいます。
一時しのぎなら「その場しのぎ」「弥縫策」
誤解を避けたいときは、大辞泉の類語にある「その場しのぎ」「当座しのぎ」「場当たり」に置き換えるのが手軽です。どれも意味を取り違えられる心配がほとんどありません。
改まった書き言葉なら「弥縫策(びほうさく)」が近い意味です。精選版 日本国語大辞典は「一時的にとりつくろうはかりごと」と説明し、菊池幽芳の小説『己が罪(おのがつみ)』(1899〜1900年)の用例を挙げています。やや硬い語なので、読み手を選ぶ点には注意が要ります。
ずるさを言いたいなら「卑怯」「卑劣」
「姑息な奴」を本来の意味で読むと、その場しのぎばかりする人のことです。相手のずるさを責めたいときに姑息を使うと、本来の意味を知る人には意図がまっすぐ届きません。ずるい人だと言いたいのなら、「卑怯」「卑劣」「ずるい」のほうがどの世代にも同じ意味で届きます。
曾子が退けたのは、弱った父をひと晩休ませたいという息子のやさしさでした。姑息は始まりのときから、目の前の苦しさを和らげるだけで根本に向き合わない態度を指す言葉だったのです。
字のとおりに読めば、姑息は「しばらく息をつく」こと。とはいえ言葉を選ぶ前にひと息つくのは、その場しのぎではなく、立派な休息です。
参考
- 文化庁 令和3年度「国語に関する世論調査」の結果の概要
- 文化庁 平成22年度「国語に関する世論調査」の結果について
- コトバンク「姑息」(精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉・字通)
- 国立国語研究所「病院の言葉」を分かりやすくする提案「対症療法」
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