「姑息(こそく)」の本来の意味は「一時しのぎ」「その場しのぎ」で、「卑怯(ひきょう)」という意味はもともと含まれていません。「姑」はしばらく、「息」は休むを表します。しばらくの間息をつくことから、一時の間に合わせにすることを指すようになりました。
ところが文化庁の2021年度の調査では、「姑息な手段」を「ひきょうな手段」と受け取る人が73.9%にのぼりました。本来の意味とされる「一時しのぎ」を選んだ人は17.4%です。4人に3人近くが、辞典とは違う意味でこの言葉を覚えていることになります。
「姑息」はもともとどんな意味?

姑息はもともと、根本から片づけずにその場を間に合わせることを言う言葉です。精選版 日本国語大辞典は「しばらくの間、息をつくこと」を出発点に置き、そこから一時のまにあわせに物事をする意味が生まれたと説明しています。
「姑」はしばらく、「息」は休む
二つの漢字は、どちらも日常でよく見る意味とは別の意味で使われています。姑は「嫁と姑」のしゅうとめではなく、息も呼吸のいきではありません。
姑にはしゅうとめのほかに「しばらく」の意味がある
「姑」の意味として、デジタル大辞泉の漢字項目はしゅうとめ(夫の母)と並んで「しばらく」「一時的」を挙げています。その例として示されているのが「姑息」です。
平凡社の『字通』によると、平安時代末の漢字辞書『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』は、姑の読みにヲバ・シバラク・シウトメを並べています。少なくとも平安時代の終わりには、姑をシバラクと読むことが知られていたわけです。
息は「いき」だけでなく「やすむ」
「息」も同じ辞典で、いき・生きるのほかに「休む」「いこう」の意味を持つ漢字として説明されています。休息や安息の息がこの意味です。姑息の二文字を訓で読めば「しばらく休む」となり、語の成り立ちがそのまま見えてきます。
辞典の語釈は「一時の間に合わせ」
国語辞典を引くと、姑息の語釈はどれも「その場をしのぐ」ことが中心です。
精選版と大辞泉が載せる語釈
デジタル大辞泉は「一時の間に合わせにすること」とし、言い換えに「一時のがれ」「その場しのぎ」を添えています。精選版 日本国語大辞典の語釈も「一時しのぎ」「その場のがれ」です。どちらの語釈にも、ずるさや卑怯さを表す言葉は入っていません。
明治の小説『金色夜叉』の「姑息して」
精選版が用例に挙げる尾崎紅葉の『金色夜叉』後編(1897〜98年)には、「期限内にだに返弁せば何事もあらじと姑息して」という一節があります。期限までに返しさえすれば何も起こるまいと、その場しのぎで済ませたという意味です。ここでは「姑息する」と、動詞のようにも使われています。
本来の「姑息な手段」はその場しのぎの手段
大辞泉の例文「姑息な手段をとる」も、本来の意味で読むと印象がかなり変わります。
問題の根っこには手をつけない手段
本来の意味での姑息な手段は、根本的な解決を先送りにして当面をしのぐやり方です。雨漏りの下にバケツを置き続ける、足りないお金を別の借金で埋める、といった対処がこれに当たります。
相手をだます意味は含まれない
一時しのぎは褒められたやり方ではありませんが、誰かを出し抜く行為とは限りません。本来の姑息は、やり方が場当たり的だと評しているだけです。ずるいかどうかは、語の意味に入っていないのです。
本来の意味と広まった意味は、そもそも何を問題にしているのかが違います。
| 観点 | 本来の意味 | 広まった意味 |
|---|---|---|
| 何を問題にするか | 対処が一時しのぎであること | やり方がずるく卑怯であること |
| 「姑息な手段」の読み | その場しのぎの手段 | ひきょうな手段 |
| 近い言葉 | その場しのぎ・弥縫策・泥縄 | 卑怯・卑劣・ずるい |
| 辞典での扱い | 語釈の中心 | デジタル大辞泉が補説で紹介 |
「卑怯」の意味で受け取る人はどれくらいいる?

文化庁の「国語に関する世論調査」では、2003年度・2010年度・2021年度のいずれの回も「ひきょうな」を選んだ人が7割前後にのぼりました。本来の意味とされる「一時しのぎ」は、どの回も2割に届いていません。
3回の調査で「ひきょう」が7割前後
3回とも同じ例文「姑息な手段」を示し、「一時しのぎ」と「ひきょうな」のどちらの意味だと思うかを尋ねています。本来の意味を選ぶ人は少しずつ増えていますが、18年たっても2割の手前にとどまっています。
| 選んだ意味 | 2003年度 | 2010年度 | 2021年度 |
|---|---|---|---|
| 一時しのぎ(本来の意味) | 12.5% | 15.0% | 17.4% |
| ひきょうな | 69.8% | 70.9% | 73.9% |
| 両方 | 4.7% | 2.9% | 5.9% |
| 全く別の意味 | 1.7% | 2.1% | 1.7% |
| 分からない(2021年度は無回答) | 11.4% | 9.2% | 1.1% |
2003年度と2010年度は個別面接
2003年度の調査は2004年1月から2月に行われ、2,206人が個別面接で答えました。2010年度は2011年2月の実施で、回答者は2,104人です。どちらも調査員が一人ひとりに対面で質問する方式でした。
2021年度は郵送で3,579人が回答
2021年度の調査は2022年1月から2月にかけて郵送で行われ、3,579人が回答しました。文化庁は、方法が変わったため過去の結果は参考値で、比較には注意が必要だと断っています。3回の数字は、傾向をつかむ目安として読むのが適切です。
2010年度は20代の86.7%が「ひきょう」
2010年度の結果の概要には年代別のグラフがあり、どの年代でも「ひきょうな」が「一時しのぎ」を大きく上回っています。グラフの数値を年代ごとに書き出すと、次のとおりです。
| 年代(2010年度) | 一時しのぎ | ひきょうな | 分からない |
|---|---|---|---|
| 16〜19歳 | 3.8% | 80.0% | 11.3% |
| 20代 | 7.3% | 86.7% | 2.7% |
| 30代 | 12.4% | 80.9% | 2.1% |
| 40代 | 10.8% | 82.6% | 2.6% |
| 50代 | 15.9% | 73.7% | 5.6% |
| 60歳以上 | 19.5% | 57.6% | 16.9% |
59歳以下はどの年代も7割を超える
「ひきょうな」を選んだ割合がいちばん高いのは20代の86.7%で、40代の82.6%、30代の80.9%が続きます。16〜19歳でも8割が「ひきょうな」を選び、「一時しのぎ」はわずか3.8%でした。
60歳以上は「分からない」も16.9%
60歳以上では「一時しのぎ」が19.5%と、年代別で最も高くなりました。いっぽうで「ひきょうな」は57.6%にとどまり、「分からない」と答えた人が16.9%いたのもこの年代です。本来の意味が多いというより、どちらとも決めかねた人が多い年代だといえます。
2021年度も40代以下で60ポイント以上の差
2021年度の結果の概要でも、すべての年代で「ひきょうな」が「一時しのぎ」を上回りました。
若い年代ほど差が開く傾向は変わらない
文化庁は、40代以下では二つの選択肢の差が60ポイント以上あると書いています。2010年度も差が大きかったのは40代以下で、60歳以上では38ポイントでした。10年あまりたっても、上の世代より若い世代で差が大きい形はそのままです。
両方の意味があると考える人は5.9%
「一時しのぎとひきょうの両方」を選んだ人は、2010年度の2.9%から2021年度は5.9%になりました。調査方法の違いを差し引いて見る必要はあります。それでも、二つの意味が並んで通じる言葉だと感じる人は、少しずつ出てきているようです。
なぜ「卑怯」の意味が広まった?

その場しのぎのやり方を「ずるい」と感じる受け止め方から、卑怯の意味が生まれたと考えられています。デジタル大辞泉の補説によれば、「その場だけの間に合わせ」であることから「ひきょうなさま・正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがあるそうです。
その場しのぎは「ずるい」に見えやすい
一時しのぎで切り抜けた人は、周りから見ると「きちんと向き合わずに逃げた」ように映ります。やり方への評価が、いつのまにかその人の態度への評価へ移っていったのでしょう。
責任逃れの場面で使われてきた
国立国語研究所の「病院の言葉」委員会は、日常語の姑息の使い方として「姑息な手段で責任を逃れた」という文を挙げています。責任を逃れるための一時しのぎは、見ている人にとってはずるいやり方そのものです。こうした場面で繰り返し使われるうちに、言葉の中心がずるさの側へ寄っていったと考えられます。
辞書サイトのコラムも同じ見立て
辞書・事典サイト「ジャパンナレッジ」の連載コラム「日本語、どうでしょう?」(2011年)も、その場だけの間に合わせをずるいと感じて生じた意味だろうと推測しています。同じコラムは、「新しい用法」と断ったうえで「ひきょうな」の意味を載せる国語辞典が出始めている、とも紹介していました。
江戸時代から悪い意味で使われていた
姑息はそもそも、褒め言葉として使われてきた言葉ではありません。精選版 日本国語大辞典の語誌によると、江戸時代には儒教の立場から否定的な語として用いられていました。
中江藤樹『翁問答』の「姑息の愛」
精選版が最も早い用例に挙げるのは、儒学者の中江藤樹(なかえとうじゅ)が著した『翁問答(おきなもんどう)』(1650年刊)です。「子のねがひのままに育てぬるを、姑息の愛と云」という一節があります。子どもの望むままに育てることを、姑息の愛と呼んでいるのです。
「一時のがれ」の意味が広まったのは江戸時代の末
同じ語誌は、姑息が一般に広く「一時のがれ」の意味で使われるようになるのは近世末からだとしています。甘やかしを戒める儒学の言葉が、江戸時代の終わりごろにその場しのぎを表す日常の言葉へ広がっていったことになります。
明治の流行語になった「因循姑息」
明治維新のころには、姑息を含む「因循姑息(いんじゅんこそく)」が流行語になりました。デジタル大辞泉は、文明開化期の流行語だったと補説に書いています。
古い習慣に頼ってその場をしのぐこと
因循姑息は、古いしきたりにこだわって改めず、一時のがれをすることです。精選版は1868年の『新令字解(しんれいじかい)』を初出に挙げています。「因循」も昔からのやり方に従うことを表すので、四字全体で変わろうとしない態度への批判になります。
「半髪頭をたたいてみれば因循姑息の音がする」
国立国会図書館のレファレンス協同データベースによると、「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という文句は、1871年(明治4年)5月の『新聞雑誌』第2号に載って流行しました。四字熟語を知る辞典は、この歌の最初の文句が「半髪頭をたたいて見れば、因循姑息の音がする」だったと紹介しています。半髪頭はちょんまげのことで、古い時代の頭をたたくと因循姑息の音がする、というからかいです。
「姑息」のもとになった中国の故事とは?

姑息の出どころは、儒教の古典『礼記(らいき)』の檀弓(だんぐう)上篇です。孔子の弟子の曾子(そうし)が、死の間際に「小人物は姑息によって人を愛する」と語った場面に出てきます。
死の床で敷物を替えさせた曾子
紀元前5世紀の春秋時代、曾子は重い病で床についていました。寝台のそばには弟子の楽正子春(がくせいししゅん)、足元には息子の曾元(そうげん)と曾申(そうしん)が座り、部屋の隅では童子が灯りを持っていました。
童子が気づいた大夫用の敷物
童子は「華やかでつややかです。大夫の簀(さく)でしょうか」と口にします。簀は竹で編んだ敷物で、曾子が敷いていたのは魯の有力者である季孫(きそん)から贈られた品でした。大夫という高い身分の人が使う敷物で、曾子の身分には合わないものだったのです。
「朝になったら替えましょう」と止めた息子
曾子はそれを聞くと、簀を替えるよう曾元に命じました。曾元は「父上の病は重く、今は動かせません。幸い朝を迎えられたら、つつしんで替えましょう」と答えます。弱った父を今夜は休ませたいという、息子としてもっともな気づかいでした。
「細人の人を愛するや姑息を以てす」
曾子は息子の申し出を退け、次のように言いました。書き下しは平凡社『字通』の引用を参考にしています。
爾(なんじ)の我を愛するや彼に如(し)かず。君子の人を愛するや徳を以てし、細人の人を愛するや姑息を以てす。吾何をか求めん。吾正を得て斃(たお)れなば、斯(すなわ)ち已(や)まん。(『礼記』檀弓上)
君子は徳で、小人物は一時の安らぎで人を愛する
おまえが私を思う気持ちは、あの童子に及ばない。立派な人物は徳によって人を愛し、小人物は一時の安らぎによって人を愛する。前半はそういう意味です。息子の「今夜はこのまま休ませたい」という気づかいこそが、ここで言う姑息でした。
正しさを得て死ねばそれでよい
後半は「私は何を求めようか。正しくあって死ねるなら、それで十分だ」という言葉です。周りの者が曾子を抱え上げて簀を替え、寝床に戻しました。曾子は落ち着く間もなく息を引き取ったと、礼記は伝えています。
死に際を表す「易簀」も同じ場面から
この場面からは、姑息のほかにもう一つ言葉が生まれています。敷物を取り替えたこと自体が、一つの言葉になりました。
易簀は学徳の高い人の死
「易簀(えきさく)」は簀を易(か)えるという意味で、デジタル大辞泉によると学徳の高い人の死、または死に際をいう語とされます。精選版 日本国語大辞典が挙げる用例は、室町時代の1415年ごろのものです。
牧野富太郎の文章にも「易簀」
故事成語を知る辞典は、植物学者の牧野富太郎が『植物一日一題』(1953年)で、ある人物の死を「忽焉(こつえん)易簀せられた」と書いた例を載せています。昭和の文章でも、敬う人の死を表す言葉として生きていたことが分かります。
中国語の「姑息」はどんな意味?

現代の中国語で姑息(gūxī)は、「甘やかす」「寛大に取り扱う」という意味の動詞です。小学館の中日辞典 第3版は、「汚職で腐敗した人を決して許してはならない」と訳された例文を載せています。
礼記の「姑息で愛する」に近い意味
中国語の意味は、曾子が戒めた「一時の安らぎで人を愛する」にそのままつながっています。相手に厳しくしないことが、かえって相手のためにならないという含みです。
汚職を大目に見るのも姑息
辞典の例文で姑息の対象になっているのは、汚職をした人です。厳しく処分せずに見逃すことを、中国語では姑息と言います。一見やさしい態度でも、悪い状態を長引かせる甘さとして退けられているわけです。
日本語の「一時しのぎ」とは別の方向へ
日本語は「しばらく息をつく」から一時しのぎへ、中国語は「一時の安らぎを与える」から甘やかしへ意味を伸ばしたと見ることができます。日本でも『翁問答』の「姑息の愛」は甘やかしを指していました。少なくとも江戸時代の儒学者は、中国の古典に近い意味でこの言葉を使っていたわけです。
中国語の「姑且」は「しばらく」
「姑」を「しばらく」の意味で使う言葉は、今の中国語にもふつうに残っています。
姑且は「ひとまず」を表す副詞
中日辞典 第3版によると、「姑且(gūqiě)」は「しばらく」「ひとまず」を意味する副詞です。「この意見はしばらく保留にする」「その点にはしばらく触れない」といった文に使われます。姑息の姑と同じ字が、同じ意味で日常の言葉に使われているわけです。
日本語でも「姑く」と書いて「しばらく」
日本語で、姑一字の「しばらく」を目にすることはほとんどありません。それでもデジタル大辞泉の「しばらく」の見出しには、「暫く」「姑く」「須臾」の三つの表記が並んでいます。辞典の中には、この読み方が今も残っているのです。
病院で聞く「姑息的治療」は悪い治療?

医療で使う「姑息的治療」は、手を抜いた治療のことではありません。病気の原因を取り除くかわりに、痛みなどの症状を和らげる治療を指す言葉です。
症状を和らげる治療のこと
国立国語研究所の「病院の言葉」委員会は、姑息的療法を「病気の原因を取り除くのではなく、痛みなどの症状を和らげる治療法」と説明しています。「姑息的治療」「姑息治療」とも言うそうです。
対症療法と同じ意味
委員会の提案では、姑息的療法は対症療法の関連語として載っていて、「『対症療法』と同じ意味です」と書かれています。対症療法は、痛み・発熱・せきのような症状を和らげたりなくしたりする治療法です。
原因を治す「根治療法」と対になる
対になるのは、原因を取り除いて病気を根本から治すことを目指す「根治療法(こんじりょうほう)」です。症状を抑える治療と根本から治す治療という組み合わせは、日常語の「一時しのぎ」と「根本的な解決」の関係によく似ています。
「患者には使わない方がよい」とされた言葉
「病院の言葉」委員会は2007年10月から2009年3月まで活動し、医療者が患者に説明するときの言い換えや説明の工夫を提案しました。姑息的療法には、はっきりした注意書きが付いています。
悪い意味に解釈される危険がある
提案は、日常語の姑息はマイナスイメージが強いと指摘しています。医療者が使う「姑息的」は患者に悪い意味で受け取られる危険があるので、患者には使わない方がよい言葉だというのが結論です。治療の目的を説明しても、二文字の印象だけで「ごまかしの治療」と聞こえかねないということでしょう。
一時しのぎと喜ばれない対症療法
同じ提案は対症療法についても、患者は症状を楽にするだけの治療を一時しのぎや単なる痛み止めと受け止め、喜ばないことも多いと書いています。そのうえで、生活の質をよくするために対症療法も大変効果があることを伝えたい、としています。本来の意味の姑息でさえ、病院では前向きに受け取ってもらいにくいのです。
「姑息」を誤解されずに使うにはどうする?

姑息を本来の意味で使うこと自体は、正しい日本語です。気をつけたいのは、7割を超える人が違う意味で受け取るかもしれない点にあります。
「姑息な対策」は二通りに読まれる
会議の資料や報告書で「姑息な対策」と書くと、書き手と読み手で意味がずれることがあります。
書き手は「その場しのぎ」のつもり
たとえば「臨時の借り入れで赤字を埋めるのは姑息な対策だ」と書いた人は、根本的な改善になっていないと言いたいはずです。本来の意味どおりの、正しい使い方です。
読み手は「ずるいやり方」と受け取る
ところが読み手の多くは、同じ文を「卑怯な手を使った」という非難として読みます。担当者が不正をしたかのように伝われば、指摘の中身より言葉の強さのほうが印象に残ってしまいます。
一時しのぎを伝えるなら「その場しのぎ」
誤解を避けたいときは、姑息を辞典の類語で置き換えるのがいちばん手軽です。
「その場しのぎ」「当座しのぎ」は取り違えにくい
デジタル大辞泉が類語に挙げる「一時しのぎ」「その場しのぎ」「当座しのぎ」は、意味を取り違えられる心配がほとんどない言葉です。「場当たり」「付け焼き刃」も、準備のないまま間に合わせる様子を表せます。
改まった文章なら「弥縫策」
書き言葉では「弥縫策(びほうさく)」が近い意味です。精選版 日本国語大辞典は「一時的にとりつくろうはかりごと」と説明し、菊池幽芳の小説『己が罪(おのがつみ)』(1899〜1900年)の用例を挙げています。やや硬い語なので、読み手を選ぶ点には注意が要ります。
ずるさを言いたいなら「卑怯」「卑劣」
反対に、相手のずるさを責めたいときに姑息を使うと、本来の意味を知る人には意図がまっすぐ届きません。
「姑息な奴」は本来の意味だと「その場しのぎの人」
「姑息な奴」を本来の意味で読むと、その場しのぎばかりする人のこと。ずるい人だと言いたいのなら、「卑怯」「卑劣」「ずるい」のほうが、どの世代にも同じ意味で届きます。
大辞泉の類語欄には「卑怯」も並ぶ
姑息の類語欄を大辞泉で見ると、「弥縫」「泥縄」と同じ並びに「せこい」「卑怯」まで載っています。辞典の中でも、二つの意味はすでに隣り合って暮らし始めているのかもしれません。
曾子が退けたのは、弱った父をひと晩休ませたいという息子のやさしさでした。姑息は始まりのときから、目の前の苦しさを和らげるだけで根本に向き合わない態度を指す言葉だったのです。
字のとおりに読めば、姑息は「しばらく息をつく」こと。とはいえ言葉を選ぶ前にひと息つくのは、その場しのぎではなく、立派な休息です。
参考
- 文化庁 令和3年度「国語に関する世論調査」の結果の概要
- 文化庁 平成22年度「国語に関する世論調査」の結果について
- コトバンク「姑息」(精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉・字通)
- 国立国語研究所「病院の言葉」を分かりやすくする提案「対症療法」
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