「うだつが上がらない」のうだつは、家のどこにあるのか

言葉と論理の話
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うだつは、町家(まちや)の屋根の両端で一段高くなっている小さな壁のことです。隣の家との境目に立ち、上には小さな屋根と瓦が載っています。

もとは、隣から燃え移る火を止めるための壁でした。ただし土を塗り重ねて漆喰(しっくい)で仕上げ、瓦まで葺くとなると、それなりの金がかかります。上げられるのは商売の当たった家だけでした。そこから「うだつが上がらない」という言い方が生まれた、と説明されています。

もっとも、この言葉の出どころは一つに決まっていません。「うだつ」という語には、屋根の壁とはまったく別に、梁(はり)の上へ立てる短い柱という意味もあるからです。

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うだつは家のどこにある壁か

言葉としては知られていても、実物の位置を答えられる人はそう多くありません。うだつは屋根の上、しかも決まった場所にしか立ちません。

屋根の両端だけが階段のように高い

町家を正面から見ると、屋根の左右の端だけが一段持ち上がっている家があります。その持ち上がった部分がうだつです。壁の頭には瓦を葺いた小屋根が載り、雨で土が流れないようになっています。

漆喰を塗り、頭に瓦を載せる

国土交通省が公開している観光地の解説文データベースは、うだつを「耐火性の漆喰を塗り、その上に瓦を載せた構造」と説明しています。木と紙と板でできた家のなかで、そこだけが土と焼き物でできている。そういう作りです。

屋根に載る「本うだつ」、横へ張り出す「袖うだつ」

屋根の上へそのまま載るものを本うだつ、1階と2階のあいだから横へ張り出すものを袖うだつと呼び分けることがあります。袖うだつは道から見上げたときに目立ちやすく、看板に近い働きもしました。

立つ場所は必ず隣家との境

うだつは家の真ん中には立ちません。隣と接する側、つまり壁を突き合わせている側に立ちます。町家は敷地いっぱいに建ち、横は隣家とぴたりと連なるからです。

『精選版 日本国語大辞典』は卯建を「京阪地方などで、道路に面する連接家屋で、隣家との境につける卯字形の防火壁」と説明しています。連なって建っていることを前提にした部材なのです。

二軒で一枚のうだつを分け合う

美濃市の町並みの解説では、建物を共有している家どうしが一つのうだつで両側の2軒を守るのが一般的だった、と説明されています。壁は一枚でも、火を止める向きは両側にあるわけです。

小屋根には鬼瓦や家紋の瓦が載る

うだつの小屋根には、家紋の入った瓦や鬼瓦(おにがわら)が置かれることがありました。鬼瓦は火事・雷・悪いものから家を守るとされてきた飾りで、防火の壁の頭に載せるにはうってつけの意匠です。

鏝絵をまとった二層のうだつ

徳島県つるぎ町の貞光(さだみつ)には、二段になったうだつの並ぶ通りがあります。正面には鏝絵(こてえ)と呼ばれる漆喰細工の絵が施され、寿福を願う図柄が置かれています。防火設備というより、もはや壁いっぱいの工芸品です。

うだつは何のために立てられたのか

飾りに見えるうだつにも、始まりには実用の理由がありました。ただし、その理由は一つだけではありません。

屋根伝いに走る炎を遮る

壁を接した家が並ぶ通りでは、一軒の火事がそのまま町の火事になります。火は屋根の面を伝い、風に押されて軒から軒へ移っていくからです。屋根より高く突き出した壁は、その道筋をひとつ塞いでくれるわけです。

境目の一枚だけを厚い土壁にする

家全体を土蔵のように塗り込めれば火には強くなります。しかし費用も重さも跳ね上がります。境目の一枚だけを分厚い土壁にするやり方は、限られた金でいちばん効く場所を選んだ折衷案でした。

風で屋根が飛ぶのを防ぐ働きもあった

辞典によっては、うだつを防火と防風の両方に役立つものとして説明します。『家とインテリアの用語がわかる辞典』も、瓦や漆喰を施したうだつが防火・防風に役立ったと書いています。屋根の端は風にあおられて最初に剥がれる場所で、そこに壁が立っていれば風は入りにくくなるわけです。

防火が先か、防風や飾りが先か。この順序については見方が割れており、装飾としての性格が強まったのは江戸時代の中ごろからだ、とする説明も見られます。

江戸が瓦と土壁を許した享保5年の町触

東京消防庁の解説によれば、享保5年(1720)、8代将軍・徳川吉宗の時代に防火建築の町触(まちぶれ)が出されました。それまで町家では禁じられていた瓦葺き・土蔵造り・塗屋造りが、このとき許され、奨励へ転じます。

※ 町触(まちぶれ)とは、江戸時代に町奉行などが町人へ向けて出した、いまでいう法令や通達にあたるお触れのことです。

公役銀5か年免除と10か年賦の拝借金

奨励は掛け声だけではありませんでした。公役銀(くやくぎん)の5か年間免除、10か年賦の拝借金といった助成が添えられています。拝借金はいまのローンにあたります。防火のための建て替えは、それだけ金のかかる話でした。

美濃の町並みは享保8年の大火のあとにできた

岐阜県美濃市の説明では、いま残る町並みは享保8年(1723)の大火のあとに形づくられたとされています。うだつの並ぶ景色は、町が一度焼けた記憶の上に建っているわけです。

なぜ裕福な家にしか上げられなかったのか

うだつが「上げられるかどうか」の話になったのは、それが安くない設備だったからです。金額の記録はほとんど残っていませんが、手順を追うと事情は見えてきます。

土を塗り、漆喰をかけ、瓦を葺く手間

うだつは壁を一枚立てて終わりではありません。下地を組み、土を何度も塗り重ねて乾かします。漆喰で仕上げたら、その頭にもう一つ小さな瓦屋根を作ります。左官と瓦職人の仕事が重なる部分です。

しかも場所は屋根の上です。足場を組み、屋根の一部を作り直す必要もあります。彫りや鏝絵が入れば、そのぶん日数は延びていきます。

防火の壁が、家の格を見せる場所になった

費用がかかるということは、上げられた家には余裕があるということです。やがてうだつは、火を止める設備であると同時に、財力を示す看板になりました。

『改訂新版 世界大百科事典』は、うだつを「富や格式の高さを象徴する一つの方法」と説明しています。設備が先にあり、象徴があとから重なった。順番としてはそう読めます。

紙で稼いだ商人が高さを競う

美濃は美濃和紙の集散地でした。先の解説文データベースには、美濃の紙商人たちがより高く、より豪華な飾りのうだつを競い合ったとあります。競争の単位が「高さ」だったところに、この言葉のその後がよく表れています。

表通りから見えることが肝心だった

うだつは裏手には立ちません。人の通る表の道に面した屋根に立ちます。見えなければ意味がない。そういう部分が、この壁には最初から含まれていました。

間口の広さもまた格を示した

美馬市の観光案内によると、脇町南町の町家50戸のうち、間口4間半(約9メートル)以上の規模を持つ家が22戸あるといいます。敷地の奥行きが80メートルを超えるところもあります。うだつは、そういう家のいちばん高いところに載っていました。

「うだつが上がらない」はどの説から来たのか

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに載る調査事例は、小学館『日本大百科全書』を引いて二つの説を並べています。どちらも建築の言葉ですが、指しているものが違います。

呼び名梲(うだち)卯建(うだつ)
呼ばれた時期古く、平安のころから中世末から
ある場所梁の上屋根の両端・隣家との境
形棟木を支える短い柱小屋根の載る壁
役割建物を支える構造材防火・防風、のちに装飾
語源説の筋道「梲を上げる」=棟上げ=志を遂げる立派な壁=格式の高い家=立身

隣家との境の「卯の字形の防火壁」から

一つめは、ここまで見てきたうだつです。京阪地方では隣家との境に卯の字形の防火壁をつけ、これを卯建と呼びました。この壁をつけた家は格式が高い。そこから立身する意味になった、という説明です。

「上げる」という動詞が素直につながる

この説の強みは、動詞のつながり方にあります。壁は文字どおり屋根より高く「上げる」ものだからです。語のかたちと実物の動きが一致しているぶん、説明としての収まりがよくなります。

棟木を支える短い柱「梲」から

もう一つは、建物の骨組みの部材から来たとする説です。古くは梁の上に立てて棟木(むなぎ)を支える短い柱を、宇太知(うだち)・宇立(うだち)と呼びました。屋根の上の壁ではなく、屋根裏に隠れている柱のほうです。

「梲を上げる」は大工仲間で棟上げのこと

大工仲間で「梲を上げる」といえば、家を建てて棟上げをすることを指した、と『日本大百科全書』は伝えています。一軒建てられれば一人前。そこから志を遂げる意味へ転じた、という筋道です。

上から棟木に押さえつけられた柱

同じ部材から、正反対の向きの説明も出ています。棟束は上から棟木に押さえつけられている。だから「梲が上がらない」は、いつも押さえつけられて出世できない状態を指すのだ、という読み方です。

二つの説は、たぶん一本には絞れない

この二つは、もともと排他的な関係でもありません。平安のころは「うだち」と呼ばれ、室町以降に「うだつ」と訛(なま)っていきました。そして中世末からは、妻の壁で屋根より上に突き出す部分もまた卯建と呼ばれるようになります。

つまり、同じ音がひとつの建物のなかで二か所を指していた時期があるわけです。慣用句が育った江戸の町には、どちらの「うだつ」もありました。

当てられた漢字も一つに定まらない

梲・卯建・卯立・宇立・宇太知。同じ音にこれだけの字が当てられているのは、語のほうが先にあって、漢字があとから追いかけたことをうかがわせます。字が揺れている語ほど、由来のほうも揺れやすいものです。

うだつの残る町はどこにあるのか

うだつの並ぶ通りは、いまも各地に残っています。とくに知られた三つは、いずれも江戸から明治にかけて何かの集散地として栄えた町です。

町重伝建の選定面積栄えた品
岐阜県美濃市美濃町1999年5月13日約9.3ヘクタール美濃和紙
徳島県美馬市脇町南町1988年12月16日約5.3ヘクタール阿波藍
徳島県つるぎ町貞光選定地区ではない—葉タバコ

※ 重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)とは、古い町並みを一区画まるごと守るために国が選ぶ地区のことです。建物ひとつではなく、通りや石垣を含めた景観ごと保存の対象になります。

岐阜県美濃市美濃町

美濃市の中心部にある町並みで、1999年5月13日に重要伝統的建造物群保存地区へ選ばれました。面積は約9.3ヘクタール。観光の呼び名は、そのものずばり「うだつの上がる町並み」です。

金森長近が開いた上有知の町から

この町は、金森長近(かなもりながちか)が築いた城下町・上有知(こうずち)に始まります。江戸時代を通じて商業都市として育ち、和紙の取引で栄えました。

「目の字型」の街路が残っている

文化庁の解説は、江戸初期以来の独特な目の字型の街路構成を良好に保つ点を特徴に挙げています。卯建のほか、多彩な格子や虫籠窓(むしこまど)、庇の上に置かれた火防(ひぶせ)の神も見どころです。

徳島県美馬市脇町南町

吉野川の北岸にある町で、選定は1988年12月16日。面積は約5.3ヘクタールで、阿波藍(あわあい)の集散地として江戸期から栄えました。本瓦葺きの重厚な町家に、漆喰塗りのうだつが並びます。

430メートルの通りに85棟

美馬市の観光案内によれば、東西に通る道の長さは約430メートル。伝統的建造物は当初88棟で、傷みによりいまは85棟とされています。最も古い町家に残るのは、宝永4年(1707)の棟札(むなふだ)です。

徳島県つるぎ町貞光

脇町から吉野川をさかのぼった貞光には、二層のうだつが約700メートルの商店街に残っています。単層と二層が入り混じり、小屋根の葺き方や鬼瓦・鏝絵・懸魚(げぎょ)の意匠も一軒ずつ別物です。

藍の町と、葉タバコの町

貞光は江戸中期以降、葉タバコの産地として栄えた町だと紹介されています。藍で栄えた脇町とあわせ、吉野川中流域の二大商業地を成していました。稼ぎの出どころは違っても、稼ぎの見せ方は同じだったわけです。

うだつの理屈は今の決まりにも残っているか

うだつそのものは、いまの家には作られません。ただし「面から突き出した壁で火を止める」という考え方のほうは、条文のなかにそのまま生き残っています。

外壁から50センチ突き出した袖壁

建築基準法施行令の防火区画の規定(第112条第16項)は、防火区画に接する外壁について、幅90センチメートル以上を準耐火構造にするよう求めています。ただし、外壁面から50センチメートル以上突き出した準耐火構造のひさし・床・袖壁などで防火上有効に遮られている場合は、この限りではありません。

※ 準耐火構造とは、火災のあいだ一定時間は燃え抜けないよう、法令で定めた性能を満たす壁や床の作りのことです。

火は面を伝って広がる。だから面から突き出したもので道を断つ。江戸の町家が屋根の上でやっていたことと、理屈は同じです。条文が使う「袖壁」という語も、うだつを説明するときの言葉とそっくり重なります。

経験則が「50センチ」で固まった

うだつの高さに決まりはなく、財力と見栄のぶんだけ高くなりました。いまの条文は、そこを数字で切ります。町が何度も焼けて覚えたことが、50センチという寸法に落ち着いた形です。

「うだつが上がる」という言い方は残ったのか

慣用句としては、否定形が圧倒的です。「うだつが上がらない」はよく使われるのに、「うだつが上がった」はめったに聞きません。けなす側だけが残り、ほめる側は落ちてしまった言葉です。

肯定形は町の看板として生き延びた

ところが、地名の側では話が逆になります。美濃市は「うだつの上がる町並み」を名乗り、つるぎ町は「二層うだつの町並み」を掲げています。肯定形は、人ではなく町のほうに残りました。

町でうだつを見分ける三つの手がかり

見分けるのはさほど難しくありません。次の三つがそろっていれば、まずうだつと見てよいでしょう。

  • 屋根の左右の端だけが、一段高くなっている
  • その頭に、小さな屋根と瓦が載っている
  • 高くなっている位置が、隣の家との境にあたる

歩いてみると、片側にしかうだつの無い家も見つかります。二軒で分け合った名残なのか、片側で力尽きたのか。答えの書かれていない家のほうが、かえって記憶に残ります。

火を止めるための壁が、いつのまにか身代の大きさを測る目盛りになりました。上げれば通りじゅうから見え、上げられなければ、上げられないことも通りじゅうから見えます。

「うだつが上がらない」という言い方がこれだけ長く残ったのは、その見えやすさのせいかもしれません。隣の屋根を見上げていた人たちは、あの白い壁に何を見ていたのでしょうか。

参考

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