辞書で「南京錠」を引くと、別名の欄に「西洋錠」という言葉が並んでいます(精選版 日本国語大辞典)。東の都市の名を冠した錠に、まったく反対の方角の別名が付いている。どちらかが間違っていそうに見えますが、じつは二つとも間違っていません。
「南京」も「西洋」も、産地を記録した言葉ではないからです。どちらも「うちの外から来たもの」という意味の札で、貼られた時代が違うだけでした。しかも錠そのものは、その札より千年以上前から日本にあります。
この錠には、名前が四つある
呼び名を全部並べると、きれいに二つの組へ分かれます。形を言っているものと、出どころを言っているものです。

| 呼び名 | 名乗っているもの | 中身 |
|---|---|---|
| 南京錠 | 出どころ(東) | 近世に外来品へ冠した「南京」を付けた名 |
| 西洋錠 | 出どころ(西) | 精選版 日本国語大辞典が別名として載せる |
| 海老錠 | 形 | 半円に曲がったツルを海老の背に見立てた名 |
| 巾着錠 | 形 | 本体のふくらみが巾着に似ることから |
| 挂鎖・荷包鎖(中国語) | 動作と形 | 「掛ける錠」「巾着の錠」。地名は入らない |
出どころを名乗った二つは、指している方角が正反対です。いっぽう形を名乗った二つのうち「海老錠」は、奈良時代の日本にすでにあった言葉でした。名前の四つが、そのまま四つの時代を指しています。
「南京」は、南京市のことではない
この「南京」は、中国江蘇省の都市そのものを指す言葉として付いたわけではありません。辞書はこれを、物の名の頭に付く接頭語として別立てで説明しています。

辞書は「南京」を二つの意味に分けている
ひとつめは「中国から来たもの」
精選版 日本国語大辞典は、接頭語的な「南京」の第一の意味を「中国産の意」としています。例に挙がるのは南京米や南京繻子(なんきんじゅす)で、いずれも中国から入った品です。この用法だけを見れば、産地の表示として素直に読めます。
ふたつめは「珍しいもの・小さくてかわいいもの」
問題は第二の意味のほうです。同じ辞書が、南京玉や南京鼠を例に「珍奇なもの、または小さくてかわいらしいもの」という用法を立てています。ここまで来ると産地の情報は薄れ、残っているのは「見慣れない」「小さい」という手ざわりのほう。南京鼠は体長7センチほどのハツカネズミの飼育変種で、江戸時代から愛玩用に飼われていました。中国原産ではあるものの、名前が伝えたかったのは産地よりも、その小ささだったと考えられます。
二つの図書館が、同じ一冊に行き着いている
近畿大学と岡山市立、別々の質問への同じ答え
「南京錠の語源を知りたい」という質問は、レファレンス協同データベースに二件登録されています。回答したのは近畿大学中央図書館(2009年登録)と岡山市立中央図書館(2011年登録)。館も登録年も別々です。それでも結論は同じで、どちらも山口佳紀編『暮らしのことば新語源辞典』(講談社・2008年)を根拠に「外国から渡来した錠前の意で命名された」と答えています。
※ レファレンス協同データベースとは、全国の図書館が受けた調べもの相談とその回答を、国立国会図書館が集めて公開している仕組みのことです。
「江戸初期には渡来していた」という記載
岡山市立中央図書館の回答には、江戸初期にはすでに渡来していたという記載も添えられています。ただし辞書が拾っている用例のほうはぐっと新しく、精選版 日本国語大辞典が引くのは明治44年(1911年)の東京日日新聞の記事です。物が入ってきた時期と、その名前が新聞に載るほど普通の言葉になった時期には、それなりの開きがあったことになります。
その前の外来印は「唐」だった
唐傘・唐茄子・唐辛子
『暮らしのことば新語源辞典』の説明で見逃せないのは、外来のものには古く「から(唐・韓)」を冠するのが一般的だった、という一節です。唐傘も唐茄子も唐辛子も、この癖の産物でした。近世に入って、その位置に「南京」が座った。外来印そのものが世代交代したわけです。
落花生の別名に残る「唐人豆」「異人豆」
交代の痕跡は、落花生の別名にそのまま残っています。南京豆のほかに唐人豆・異人豆・地豆といった呼び名があり、「唐人」も「異人」も産地名ではありません。要するに、どれも「よそから来た豆」と言っているだけ。同じ一つの豆に、外来印が三種類も貼られていたことになります。
名前の地名と、本当の出どころは合っていない
外来印は産地の記録ではない、と言われても実感が湧きにくいかもしれません。実際に名前と原産地を突き合わせると、ずれ方の大きさがよく見えます。

カボチャは一つで外国の名を四つ持っている
カボチャ・ぼうぶら・南瓜・唐茄子
「カボチャ」はカンボジア産のウリという意味で、当初は「カボチャ瓜」と呼ばれました。「ぼうぶら」はポルトガル語のabóbora(アボボラ)から。漢字の「南瓜」は南蛮渡来のウリの意で、「唐茄子」は唐から来たナスの意です。そのうえ関西では、この野菜そのものを「なんきん」と呼びます。
原産は南北アメリカ大陸
ところがカボチャの原産地は、カンボジアでも南京でもありません。南北アメリカ大陸です。メキシコの洞窟では、紀元前7000〜5500年の地層から種が見つかっています。日本へは天文(てんぶん)年間(1532〜55年)に豊後(現在の大分県)へ漂着したポルトガル人がもたらし、大名の大友義鎮(よししげ/宗麟)に種を献上したという説が有力とされています。五つの名前のうち、原産地を当てているものは一つもありません。
南京豆の原産地は南アメリカ
「南京」は通り道の名前
落花生も南アメリカ原産で、江戸時代初期に中国を経て日本へ入ったため南京豆と呼ばれました。この場合の「南京」は、産地ではなく経由地を指しています。惜しいところまでは合っている、という言い方もできそうです。
南京玉すだれは、日本で生まれた芸
本当の名は「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」
大道芸の南京玉すだれは、もともと「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ(とうじんおらんだなんきんむそうたますだれ)」と称されていました。意味は「唐人にも阿蘭陀にも二つとない小さな玉すだれ」。名前のなかで「唐人」と「阿蘭陀」は比較の相手を務め、「南京」だけが小ささを表す側に回っています。辞書が立てていた第二の意味――珍奇で小さくかわいらしいもの――が、そのまま芸の名に化石のように残っているわけです。
発祥は富山県という説
日本南京玉すだれ協会は、発祥を富山県とし、同県の民謡こきりこ節に使われる「ささら」を原型としています。明の大都市だった南京の名を借りた狙いは、すだれの希少さを強調して芸の価値を高めることにあったと推定されています。異国の地名を二つも三つも冠した芸が、じつは国内で生まれた芸でした。
| 名前に入っている地名 | 本当の出どころ | ずれ方 |
|---|---|---|
| 南京錠 | 錠の形式は欧州・中国の双方で古くから発達 | 産地ではなく「外来」の印 |
| 南京豆(落花生) | 南アメリカ原産・中国経由で渡来 | 経由地は合っている |
| なんきん(カボチャ) | 南北アメリカ大陸原産・ポルトガル人が伝来 | 産地も経由地も外れ |
| 南京玉すだれ | 日本発祥(富山県とする説) | そもそも国内産 |
錠のほうは、「南京」より千年早く日本にあった
名札の話が長くなりましたが、中身の錠にも歴史があります。半円のツルを本体に差し込んで留めるあの形は、日本では奈良時代からありました。

奈良時代の「海老錠」
板バネで留める仕組み
海老錠は、海老のように曲がった錠前です。奈良文化財研究所の解説によれば、左右に開く扉の把手や、唐櫃(からびつ)などの家具に取り付けられました。バネ仕掛けになっていて、鍵穴に鍵を差し込んでバネをせばめると外れる。開け方の理屈は、いまの南京錠とほとんど変わりません。
もう一種類の鍵「鑰(やく)」
奈良時代には、もうひとつ「鑰(やく)」と呼ばれる鍵がありました。別名をクルル鉤といい、先端がフック状になった細長い鉄の棒をL字に曲げた形をしています。扉の鍵穴へ差し込み、建物の内側にある閂(かんぬき)を引っかけて外す道具でした。錠を開ける鍵と、閂を外す鍵。奈良時代の戸締まりは、この二本立てだったことになります。
鍵があったのは、役所と寺だけ
民家はつっかい棒と紐
これらの錠が使われたのは、平城京の役所や寺で、大事な品を納めた建物の戸締まりでした。奈良時代の民家に鍵はなく、つっかい棒や紐で扉を固定していたと考えられています。錠前とは長らく、守るべき財を持っている場所の設備だったわけです。
民家に鍵が広まったのは明治から
ふつうの家に鍵が普及するのは明治に入ってからとされます。おもしろいのは反対側の話で、奈良の寺では今も同じ様式の鍵が現役で使われているという指摘があること。千三百年前の仕組みが、観光客の歩くすぐ横で働いています。
江戸の錠は、本当の産地を名乗っていた
江戸時代の日本には「和錠(わじょう)」と呼ばれる錠前があり、その名前の付け方は南京錠と正反対でした。産地の名を、そのまま名乗っていたのです。

阿波・因幡・土佐・安芸——刃物の産地の名
作ったのは刀鍛冶
名の付いた地方錠の出どころは、そろって刃物の名産地です。
- 土佐錠(高知県)
- 阿波錠(徳島県)
- 因幡錠(鳥取県)
- 安芸錠(広島県)
理由もはっきりしています。戦のない時代が続いて刀の注文が減った刀鍛冶が、副業として錠前を作り始めたためとされます。刀を打つ腕が、そのまま錠の精度になりました。
板バネは最少2枚・最多6枚
和錠の仕組みは板バネで、鍵で板バネを挟むと弦(かんぬき)が抜けて開きます。板バネの数は最少2枚、最多6枚とされ、多いほど複雑で破られにくくなりました。枚数がそのまま防犯の等級だった、と考えるとわかりやすいでしょうか。
蔵の錠は、富の看板でもあった
同じものが二つとない
泰平が続いて財を蓄えた武家や商人は、次々と蔵を建てました。職人たちは腕を競い、複雑な仕掛けと装飾を凝らした名錠を生み出します。和錠は一つ一つが違い、同じものが二つとないとまで言われました。蔵の入り口にぶら下がる錠は、防犯装置であると同時に豪華さの表示でもあったわけです。
産地を名乗った錠と、名乗らなかった錠
ここで名前の話に戻ります。阿波錠の「阿波」は本当に阿波で作られた証で、買い手にとっては品質の保証でもありました。いっぽう南京錠の「南京」は、産地でも保証でもない。前者は「どこの誰が作ったか」を、後者は「うちの外から来た」を名乗っています。同じ錠前の名前でも、伝えたい情報がまるで違いました。
世界のほうでも、生まれた場所は一つに決まらない
では、この形式の錠はどこで生まれたのか。じつはこの問いにも、すっきりした答えがありません。よく似た形が、遠く離れた地域からそれぞれ出土しているためです。

古代から中世まで
ローマと後漢の中国
古代ローマでは紀元前500年から紀元300年ごろに使われた証拠があり、曲がった棒を本体に差し込む構造だったとされます。中国では後漢(25〜220年)の時代に、青銅や真鍮・銀で作られた鍵式の錠があったと伝えられています。さらに、鍵を使わない文字合わせ式の錠も。暗証番号で開ける錠は、二千年近く前からあったわけです。
850年ごろのヨーク
イングランドのヨークにあるヴァイキング居住跡からは、850年ごろのばね式の錠が出土しています。ばねの爪が引っかかって留まる方式で、原理は奈良時代の海老錠とよく似ています。同じ課題に同じ材料で挑むと、離れた土地でも似た答えにたどり着くようです。
量産の時代と、いまの中身
1871年の特許と、1920年代のラミネート型
19世紀半ば、回転する円板を使う「スカンジナビア式」がアメリカへ渡り、1871年にマクウィリアムズ社が特許を取得しました。1920年代初めには、ハリー・ゾレフがマスターロック社を興し、薄い鋼板を重ねて鋲で留める「ラミネート型」の製造を始めます。衝撃に強く、しかも安い。いま金物店に並ぶ南京錠の多くは、この系譜の子孫です。
中身は1861年生まれの仕組み
鍵で開けるタイプの中身は、たいていピンタンブラー錠です。リナス・イェール・ジュニアが1861年に、ぎざぎざの付いた小さな平たい鍵と、長さの違うピンを組み合わせる方式を発明しました。現在使われているものと同じ設計です。海老錠の板バネから数えると、日本人はこの千年で錠の中身をそっくり入れ替えたことになります。
※ ピンタンブラー錠とは、長さの違う何本かのピンが正しい高さにそろったときだけ、内側の筒が回って開く仕組みの錠のことです。玄関の鍵の多くもこの方式です。
底の小さな穴から、パリの橋まで
最後に、身のまわりの南京錠にまつわる話をいくつか。名前以外にも、意外と知られていない事情を抱えた道具です。

底に開いている穴は水抜き
多くの南京錠は、本体の底に小さな穴が開いています。これは水抜き穴で、内部に水分がたまるのを防いで性能を保つためのもの。屋外にぶら下げて使う道具ならではの装備です。構造上この穴がなくても問題のない製品もあります。
もうひとつ、値段の差が出やすいのがU字のツル(シャックル)です。太くしたもの・焼き入れで硬くしたもの・合金鋼を使ったものはボルトクリッパーで切りにくく、そもそも手を出させない効果があります。錠前としての強さは、鍵の複雑さよりツルの太さで決まる場面が多いわけです。
空港の職員だけが開けられる南京錠
スーツケースでおなじみのTSAロックは、2003年1月にアメリカの空港で手荷物に施錠しないよう通達が出たことをきっかけに広まりました。トラベルセントリー社が認可した錠で、検査官は専用の道具で開けて中を調べ、検査後にまた掛け直します。持ち主の鍵と、当局の合鍵。ひとつの錠に二系統の開け方が用意された珍しい例です。
合鍵は一種類ではありません。同社によれば、ロックにはTSA001からTSA008までのコードが割り当てられており、赤いダイヤモンドのロゴが目印になります。ちなみにTSAロックを製造する権利を持つ会社は世界に2社だけで、トラベルセントリーはそのうちの1社。「鍵は持ち主だけのもの」という前提を、制度の側から少しずらした道具といえます。
45トンの「愛の南京錠」
パリのポンデザール橋には、恋人たちが名前を書いた南京錠を欄干に掛け、鍵をセーヌ川へ投げる習慣がありました。2014年に重みでフェンスの一部が壊れ、パリ市は2015年6月1日から撤去を開始します。対象はおよそ100万個、総重量45トン。愛の重さが橋の構造計算を超えてしまったわけです。
英語のpadlockも、pad の意味がわからない
名前がはっきりしないのは日本語だけではありません。英語のpadlockは15世紀後半に現れた語ですが、前半のpadが何を指すのかは不明とされています。かご(パニエ)用の錠がもとではないか、という推測があるくらい。東でも西でも、この道具は出自のはっきりしない名前を付けられています。
「南京」の札を剥がされた虫
同じ外来印を貼られた仲間のなかには、名札を外されたものもあります。南京虫と呼ばれた昆虫の和名は、いまはトコジラミです。この改名について、英名のbed bugを訳したという説のほか、南京との関係がないため南京虫という名が不適切とされて置き換わったとも言われます。明治期には兵舎で発生したことから「鎮台虫(ちんだいむし)」とも呼ばれました。同じ虫が、時代ごとに三つの名前を着せられたことになります。
江戸の人が品物に「南京」と書いたとき、記録していたのは産地ではありませんでした。書き留めていたのは距離のほうです。海の向こう、自分たちの日常の外側。その一語で足りたのは、外側がひとまとめにできるくらい遠かったからでしょう。
その距離はとっくに無くなり、中身の錠も板バネからピンタンブラーへ入れ替わりました。それでも札だけが貼り替えられないまま、自転車とロッカーと物置にぶら下がっています。私たちは毎日、江戸の輸入品につけられた値札の裏側を握って歩いているわけです。
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