黒くてくねくねした、あの素朴な「かりんとう」。地味な見た目の奥には、奈良時代に仏教とともに伝わった揚げ菓子から、黒糖・進化系スイーツまで続く長い歴史があります。駄菓子屋の安いおやつでありながら、老舗では贈答用の高級品としても売られている、この二面性はどこから来たのでしょうか。
かりんとうの歴史を早見表でたどる
かりんとうは1000年以上の時間をかけて、少しずつ今の姿になりました。大きな変化を表にまとめます。
| 時代 | できごと |
|---|---|
| 奈良時代 | 仏教とともに唐菓子(からくだもの)が伝来。小麦粉を練って揚げ、蜜をかけた菓子が原型になった |
| 江戸時代 | 材料や製法が簡略化され、町人の間でも作られる菓子になる |
| 明治時代 | 黒糖・上白糖が普及し、駄菓子屋でも買える庶民の味として定着 |
| 現代 | チョコや抹茶をまとった進化系かりんとうが登場し、海外でも紹介されるように |
では、それぞれの時代に何があったのか、もう少し詳しく見ていきましょう。
起源は奈良時代の「唐菓子」、名前の由来は諸説あり
仏教の供物として伝わった揚げ菓子
かりんとうの原型は、奈良時代に中国から仏教とともに伝わった唐菓子(からくだもの)にさかのぼるといわれています。小麦粉を練って油で揚げ、蜜をかけたこの菓子は、寺院での供物や儀式用として使われていました。油で揚げるという製法は当時としては珍しく、保存性の高さも重宝されたようです。
「食べるもの」より先に「供えるもの」として広まったという経緯は、今もかりんとうが法事の引き出物や仏壇のお供え物として選ばれることがある背景にもなっています。

「かりんとう」という名前、漢字はあとからの当て字
「かりんとう」という名前には、正式な漢字表記は存在しません。「花林糖」という表記をよく見かけますが、これは見た目の美しさをイメージしてあてた字とされています。語感の由来も諸説あり、揚げたときの“カリッ”という音からきた説や、中国語「果仁糖」(ナッツ入りの飴菓子)の影響を受けた説などが伝わっています。
江戸〜明治、庶民の味として広まった黒糖かりんとう
簡略化された製法が町人の間に広がる
江戸時代になると、材料や製法が簡略化され、町人の間でも作られる菓子になりました。明治以降は黒糖や上白糖が普及し、味のバリエーションも広がります。安価で手に入りやすいことから、農村部でも人気を集めたといわれています。
黒糖の普及で生まれた「あの色と味」
今のかりんとうらしさを決める黒糖は、明治以降に沖縄や奄美大島から本土に広がったことで一般的になりました。黒糖はコクのある甘さで、コーティングとの相性も良く、独特の濃い茶色とともに「かりんとう」のイメージを形づくっていったのです。
東西で異なる食感、「かりんとう饅頭」という派生形も
かりんとうには地域差もあります。東日本では黒糖の濃い味わいでやや硬めのものが好まれ、西日本では細めで軽い食感の白糖タイプが多い傾向があるようです。関西には「かりんとう饅頭」と呼ばれる揚げまんじゅうもあり、かりんとう文化の広がりがうかがえます。
知っておきたい豆知識
黒さの正体はカラメル化、焦げではない
かりんとうのあの真っ黒な色は、焦げではありません。黒糖に含まれるミネラル成分やカラメル化による自然な発色で、風味の深さを示すサインでもあります。焦げ臭さがないのに濃い色をしているのが、黒糖をしっかり使ったかりんとうの証といえるでしょう。
くねくね形は手作り時代の名残
かりんとうがくねくねとした形をしているのは、生地を手でひねって揚げていた時代の名残です。均一に火が通りやすく、砂糖のコーティングも絡みやすいという実用的な理由がありました。機械で大量生産する今でも、この“手作り風”の形があえて再現されています。
大正天皇にも献上された老舗の記録
東京の老舗和菓子店には、明治・大正期の皇室にかりんとうを献上していたという記録が残るところもあるようです。一時期は“上流階級のおやつ”としての顔も持っていたわけで、今も一部の老舗では贈答品や高級ラインとして扱われています。

進化系かりんとうは海外でも注目
近年は、チョコレートコーティングや抹茶風味といった洋風アレンジを加えた“進化系かりんとう”が登場しています。素材のシンプルさと保存性の高さから、海外でも「ジャパニーズスナック」として紹介される例が増えているようです。
仏教の供物から庶民のおやつへ、そして贈答品や進化系スイーツへ。かりんとうの黒い色と曲がった形には、1000年以上かけて積み重なった日本の食文化が詰まっています。次にかりんとうを手に取ったときは、その奥にある長い旅路にも目を向けてみると、見え方が少し変わるかもしれません。


