返報性(へんぽうせい)の法則は、人から何かを受け取ると、同じようなものを返さずにいられなくなる心理です。親切や贈り物だけでなく、歩み寄りや冷たい態度にも働きます。ところがその力は長続きしません。1997年の実験では、コーラをおごられてから1週間たつと、お返しの効果は統計的に意味のある差として残りませんでした。
コーラ1本のおごりで人はどこまで動く?

コーラをもらった学生はくじ引き券を2倍買った
1971年、アメリカの大学で「美術作品の評価」という実験に参加した学生がいました。同じ部屋で作業していた青年ジョーは、休憩から戻ると缶のコーラを2本持っていて、1本を「ついでに買ってきたよ」と差し出します。作業のあと、ジョーは1枚25セントのくじ引き券を買ってくれないかと切り出しました。コーラをもらった学生は、もらわなかった学生のおよそ2倍の枚数を買っています。
10セントのコーラが25セントの券に化けた
ジョーは、研究者の側の協力者でした。心理学者デニス・リーガンが1971年に発表したこの実験では、ジョーがコーラを渡す組と手ぶらで戻る組を作り、くじ引き券の売れ行きを比べています。コーラをもらった組は、もらわなかった組のおよそ2倍を買いました。当時のコーラは1本10セントほどで、くじ引き券は1枚25セントです。小さな贈り物が、それを上回る額の買い物に化けたことになります。
借りを返す気持ちが好き嫌いを押しのけた
もう一つ目を引くのが、ジョーへの好感度との関係です。コーラをもらわなかった組では、ジョーを好きな人ほど多く買っていました。ところがコーラをもらった組では、好き嫌いと買った枚数がほとんど結びつかなくなります。借りを返す気持ちが、相手を好きかどうかを押しのけたわけです。
返報性の法則とはどんな心理?

好意にも敵意にも働く4つの形
返報性の法則は、受け取ったものと同じ種類のものを返したくなる心理です。形は違っても、ほぼどの社会にも「お返しの決まり」として見られます。返すのは物だけではありません。心理学の解説では、受け取るものの種類によって4つに分けて紹介されることが多いようです。
| 種類 | 受け取るもの | 身近な例 |
|---|---|---|
| 好意の返報性 | 親切・贈り物・ほめ言葉 | おみやげをくれた同僚に、次の旅行で買って帰る |
| 譲歩の返報性 | 相手の歩み寄り | 値引きしてもらったので、もう1品買う |
| 自己開示の返報性 | 打ち明け話 | 相手が失敗談を話すと、自分も話したくなる |
| 敵意の返報性 | 冷たい態度・攻撃 | そっけなくされると、こちらもそっけなくなる |
では、なぜ返さずにいられないのでしょう。何かをもらったまま返していない時間は、どこか落ち着かないものです。高価なお祝いをもらって「お返しはどうしよう」と気にかかるのはこのためで、返してはじめて貸し借りのない対等な関係に戻れます。
1960年、グールドナーが論じた「互酬性の規範」
この心理を学問の言葉で広く示したのが、アメリカの社会学者アルヴィン・グールドナーです。1960年の論文「互酬性の規範」で、彼はこの決まりが形を変えてほぼすべての社会に見られると論じました。グールドナーによれば、この規範には二つの柱があります。助けてくれた人を助けること。そして、助けてくれた人を傷つけないことです。返す力の弱い幼い子どもや高齢者には、全面的には当てはまらないとも書いています。
※ 互酬性(ごしゅうせい)とは、贈り物や手助けを互いにやりとりし合う関係のことです。英語の reciprocity の訳語で、心理学では「返報性」、社会学や人類学では「互酬性」と訳されることが多い言葉です。
モースの『贈与論』が示した三つの義務
さらにさかのぼると、フランスの人類学者マルセル・モースが1925年の『贈与論』で世界各地の贈り物の習慣を比べています。モースが見いだしたのは「与える」「受け取る」「返す」の三つの義務でした。差し出された手みやげを「お気持ちだけで」と押し返すと気まずくなるのは、受け取りを断ることが関係そのものを断ることに近いからでしょう。
見知らぬ人からのカードにも返事を出す?
クリスマスカードの返事は20%から2%へ
1976年には、社会学者フィリップ・クンツらが一風変わった実験を発表しました。会ったこともない578人に、クリスマスカードを送りつけたのです。差出人に心当たりはないはずなのに、およそ20%の人がカードを返してきました。手書きのメッセージや家族写真を添えた返事もあったといいます。
ところが2014年12月、アメリカの心理学者ブライアン・マイヤーが同じ種類の実験をやり直すと、届いた755通のうち返事は15通でした。わずか2%です。
知らない人の郵便を怪しむ人ほど返事を出さない
2016年の論文でマイヤーは続く調査も報告しており、知らない人からの郵便を怪しむ人やメールをよく使う人ほど、返事を出す気が薄いという結果が出ています。返報性が40年で消えたと読むのは早すぎるでしょう。見知らぬ人のカードが「親切」として受け取られにくくなった、と読むほうが自然です。
お返しの気持ちはいつまで続く?

5分後と1週間後で比べた1997年の実験
ささやかな親切への「お返ししなきゃ」は、1週間ほどで目立たなくなります。ジェリー・バーガーのグループは、1997年にこんな実験をしています。協力者が参加者にコーラを1本おごり、その5分後か1週間後に「この封筒を経理課まで届けてくれない?」と頼みました。経理課は歩いて5分ほどですが、学生がふだん通らない方向にあります。引き受けた人の割合を並べると、落ち方がよく見えます。
| 条件 | 引き受けた割合 | 人数(引き受け/断り) |
|---|---|---|
| コーラの5分後に頼む | 93.8% | 30人/2人 |
| コーラの1週間後に頼む | 75.8% | 25人/8人 |
| コーラなしで頼む | 65.6% | 21人/11人 |
1週間後はコーラなしの組と差がなくなった
5分後の組は、何ももらっていない組をはっきり上回りました。一方で1週間後の組とコーラなしの組の差は小さく、統計的に意味のある違いとは言えません。論文はこれを、お返しの決まりには「ほどよい期間のうちに返せばよい」という暗黙の期限があるためだと解釈しています。
1週間でコーラのことを忘れただけでは、という疑問も残ります。そこで2つ目の実験では、場面を想像して答えてもらう方法を取りました。忘れる心配のない想像の中でも、親切から時間がたつほど「お返しをする」と答える人は減っています。
病院への寄付でも30日で3割減った
実験室の外でも、同じ傾向が見つかっています。2018年、ペンシルベニア大学ウォートン校の研究チームは、ある大学病院グループが元患者に郵送した1万8,000件あまりの寄付依頼を分析しました。
調べたのは、初めての受診から依頼の手紙が届くまでの日数です。その間隔が30日延びると、寄付してもらえる見込みは約30%下がっていました。治療を受けた恩でさえ、月単位で薄れていくのです。研究チームは論文の中で、お返しの気持ちを当てにするなら早く頼むことが大切だと述べています。
誰も見ていなくても、何十年たってもお返しはする?
2009年、水のボトルを渡してから頼んだ実験
人がお返しをするのは「恩知らずと思われたくないから」なのでしょうか。2009年、サンタクララ大学のジェリー・バーガーらはこの疑問を確かめています。協力者が一部の学生にだけ思いがけず水のボトルを渡し、あとで「アンケートを持ち帰って、2〜3日後に指定の場所へ届けてほしい」と頼んだのです。
届けたか知られなくても水の恩は返された
工夫したのは届け先でした。半分の学生には頼んだ本人が受け取りに来ると伝え、残りには本人はその場にいないと伝えます。後者では、届けたかどうかを頼んだ側は知りようがありません。
それでも、水をもらった学生のほうがアンケートを届ける割合は高くなりました。お返しは評判のための演技ではなく、心の中に根づいた決まりとして働いている。研究チームはそう読み解いています。
エチオピアがメキシコへ送った50年越しの救援金
小さな借りは1週間で薄れても、大きな恩は話が別のようです。1985年にメキシコシティを大地震が襲ったとき、エチオピアは5,000ドルの救援金を送りました。当時のエチオピアは深刻な飢饉と内戦のさなかにあり、援助を受ける側の国でした。
理由は50年前にさかのぼります。1935年にイタリアがエチオピアへ侵攻したとき、メキシコはエチオピアの側に立って支援していたのです。心理学者ロバート・チャルディーニは著書『影響力の武器』でこの話を紹介し、お返しの義務が距離も困窮も越えた例として挙げています。
譲歩にもお返しは働く?

断らせてから頼む「ドア・イン・ザ・フェイス」
相手が引き下がってくれたことも、受け取った側には小さな借りです。譲歩へのお返しを使った頼み方に「ドア・イン・ザ・フェイス」があります。先に大きな頼みをして断らせ、次に本命の小さな頼みを出すもので、名前は「目の前でドアをバタンと閉められる」様子から来ています。
1975年の実験では約17%が50%に増えた
1975年、チャルディーニらはアリゾナ州立大学の構内で学生に声をかけました。本命は「非行少年たちの動物園見学に1日付き添ってほしい」という頼みで、いきなり頼むと引き受けたのは約17%です。先に「週2時間を2年間、少年たちのカウンセラーとして働いてほしい」と頼んで全員に断られてから切り替えると、50%が引き受けました。
並べて見せるだけでは25%、2日あけると効果は消える
二つの頼みを並べて説明しただけの組は25%にとどまっています。小さく見えただけでは説明しきれず、頼む側が自分から引き下がって見せたことが効いていたのです。ただしこの効き目も長持ちしません。1984年のメタ分析では、二つの頼みのあいだを2日以上あけると効果はほぼ消えていました。
先に渡す「おまけ」でチップや寄付は増える?

チョコ1粒でチップ約3%増、2粒で約14%増
思いがけない「おまけ」も、受け取った側には小さな借りになります。先に小さなものを渡す工夫は、お店でも見られます。2002年に発表されたデビッド・ストロメッツらの実験は、アメリカのイタリア料理店で、伝票と一緒に客へチョコレートを配るというものでした。何も渡さないときのチップは料金の約19%でした。チョコを1人1粒にすると、チップは約3%増えています。2粒にすると約14%の増加です。
1粒ずつ渡し直すとチップは約21%増えた
一番効いたのは渡し方を変えたときでした。店員はまず1粒ずつ渡して席を離れかけ、振り返ってもう1粒を差し出します。数は同じ2粒なのに、チップは約21%増えました。「わざわざ自分たちのために」という特別感が、お返しの気持ちを大きくしたと考えられています。
名入りの宛名シールで寄付がほぼ2倍に
寄付の手紙にも、同じ仕組みが見られます。チャルディーニが紹介するのは、アメリカの傷痍軍人の支援団体の例です。名入りの宛名シールを手紙に同封したところ、寄付に応じる人の割合がほぼ2倍になりました。どちらの例も、予想していなかった贈り物で、しかも「あなたに」向けられていました。
売り込みの「借り」とどう付き合う?

公務員は利害関係者から贈り物を受け取れない
返報性が強いからこそ、あえて贈り物を禁じている場面もあります。国家公務員倫理規程は、許認可や契約の相手など「利害関係者」から金銭や物品を受け取ることを禁じています。さらに本省の課長補佐級以上の職員は、事業者などから1件5,000円を超える贈与を受けたら報告書を出す決まりです(国家公務員倫理法第6条)。
試食は味わい、買うかは味と値段で決める
個人の暮らしでは、チャルディーニの考え方が参考になります。親切そのものを拒む必要はありません。受け取った後で売り込みの一部だったと気づいたら、それは好意ではなく販売の手法と見てよい、というものです。試食はおいしくいただき、買うかどうかは味と値段で決めればよいわけです。
敵意の往復は一度返さずにおけば途切れる
敵意の返報性にも同じ見方が使えます。きつく言われてきつく返し、相手がまたきつく返す。どこかで一度だけ返さずにおけば、往復はそこで途切れます。こうした「お返し」の気持ちを、日本はとりわけ細かく習慣にしてきました。
日本の「お返し」の習慣は返報性とどうつながる?

内祝いや香典返しは「半返し」
内祝いや香典返し、ホワイトデーは、返報性を暮らしの決まりごとに落とし込んだ習慣と見ることができます。結婚や出産のお祝いには内祝い、葬儀の香典には香典返しを贈るのが習わしです。ギフト店や式場の案内では、いただいた額の半分を返す「半返し」から3分の1程度が目安とされています。1万円の香典なら、3,000〜5,000円の品物という計算です。
全額を返さないのは相手の好意を立てるため
同じ額を返さないのは、ケチだからではありません。全額を返すと、相手の好意を受け取らずに突き返したようにも見えかねない。少し控えめに返すことで、感謝と相手の気持ちを立てることを両立させている、と説明されます。モースの言う「受け取る義務」と「返す義務」が、日本では金額の目安という形で暮らしに組み込まれているとも言えそうです。
ホワイトデーは「返す日」として作られた
バレンタインのお返しの日も日本生まれです。起源にはいくつかの説がありますが、よく知られるのは飴菓子の業界団体による制定でしょう。全国飴菓子工業協同組合は1978年にホワイトデーの委員会をつくり、2年の準備を経て1980年3月14日に第1回のホワイトデーを開きました。
ホワイトデーは、もらいっぱなしの居心地の悪さに「返す日」という出口を用意した行事とも言えます。返報性という心理が先にあり、それに合わせて商売の仕掛けが作られた例です。暦にまで書き込まれたこの決まりは、人間だけのものなのでしょうか。
動物やコンピュータにもお返しはある?

血を分け合う吸血コウモリ
1984年、生物学者ジェラルド・ウィルキンソンは、中南米の吸血コウモリが血を分け合う様子を科学誌ネイチャーに報告しました。吸血コウモリは2〜3晩続けて血を吸えないと、飢え死にの危険があるとされます。狩りに失敗した仲間には、うまく吸えたコウモリが自分の分を吐き戻して分けてやるのです。
調べてみると、誰に分けるかは血のつながりだけで決まっていませんでした。ふだん一緒に過ごしていて、いずれ分けてもらえそうな相手かどうかも同じくらい効いていたのです。今日分けた相手に、明日は分けてもらうかもしれない。そんな貸し借りが群れを支えています。
コウモリの分け合いを「お返し」と呼べるかは議論が続く
もっとも、これを人間のような「お返し」と呼んでよいかは、その後も議論が続きました。ウィルキンソンらは2013年の論文で、飼育下の実験では血縁よりも「前に分けてもらったか」が分け合いをよく予測したと述べています。そのうえで、返さない相手への分け前を減らすかどうかはまだ確かめられていない、と慎重に整理しました。
対戦大会で勝った「しっぺ返し」
お返しの強さは、コンピュータの上でも確かめられました。1980年、政治学者ロバート・アクセルロッドは、協力するか裏切るかを何度も選ぶゲームの対戦大会を開きます。専門家から集まった14のプログラムが総当たりで戦い、1回の対戦は200手でした。
※ 繰り返し囚人のジレンマとは、2人が「協力」か「裏切り」かを何度も選ぶゲームです。1回だけなら裏切るほうが得に見えますが、何度も続くと協力し合ったほうが互いに得をしやすくなります。
優勝したのは、数理心理学者アナトール・ラパポートが出した「しっぺ返し」です。最初は協力し、あとは相手が前の回に出した手をそのまま返すだけ。出場作の中で最も短いプログラムでした。強さの秘密は、裏切りにはすぐ返す一方で、相手が協力に戻ればすぐ協力に戻る「根に持たない」性質にあったとされます。親切には親切を返し、敵意の往復は長引かせない作戦です。
コーラ1本で動いた気持ちは、1週間で93.8%から75.8%まで下がりました。お礼のメッセージを後回しにして、そのまま送りそびれた経験がある人も多いはずです。お返しは借金の返済というより、鮮度のあるうちに渡すほど喜ばれる生ものに近いのかもしれません。半世紀かけて届いた5,000ドルは、その生ものがときに腐らず残ることも教えてくれます。返すのが遅れたときも、遅れたなりに一言添えるほうが関係は長く続きそうです。
参考
- Basic and Applied Social Psychology「Effects of Time on the Norm of Reciprocity」(1997)
- PNAS「Field study of charitable giving reveals that reciprocity decays over time」(2018)
- Journal of Personality and Social Psychology「Reciprocal Concessions Procedure for Inducing Compliance」(1975)
- Cornell University「Sweetening the Till: The Use of Candy to Increase Restaurant Tipping」(2002)
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